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奈半利の門(ナハリ・ゲート)  作者: 茅花
第2章
31/45

第31話 〈風〉のアトリ

とある人に再会し、喜んだのも束の間・・・カガヤの悩みは尽きません。

思いがけないことに、アトリから手紙が届いた。内容は、とてもシンプルなものだった。

【 家を出て風の僧院で暮らすことにした。ついては近くに来た時には、ぜひ立ち寄られよ。 】

 そうなった経緯も心情もまるで書かれていない。

俺は、ヨシの簡素な僧院の部屋を思い出した。下女を同伴できるような場所では毛頭もうとうない。

アトリの奴、一人暮らしなんか出来るのか? 

ほのかにこうがただよう手紙を前にして、俺には、ただただ嫌な予感しかなかった。


 アトリからのこんな手紙一枚で、僧院の大門を開けてもらえるとはとても思えなかった。

そこで、イカルに頼んで作ってもらったヨシ宛の書状をたずさえ、取るものも取りあえず、風の僧院を訪ねたのである。

ヨシは留守だったが、代わりに出てきた人に書状を渡し、アトリの居場所を教えてもらった。


 アトリは、書物に埋もれていた。

比喩ひゆではなく。俺は、書棚と書物の山の下からアトリを救い出すことから、始めなければならなかった。

書棚にぶつかって倒してしまったとアトリが言う。

 広い図書倉の中には俺たち以外人影はない。ひたいにこぶを作って床にうずくまっているアトリの代わりに、俺は散乱した本をかき集めて山積みにする。

 書棚はというと、ひしゃげてしまって、俺がどうかできる状態ではなかった。

アトリは書棚にぶつかったと言うが、書棚が自分の上に倒れてきたということは、無謀にも、棚に足をかけて上段の本を取ろうとでもしたんじゃないか?

 まあ、結果が衝撃的過ぎて、原因なんてこの際どっちでもいいって気になる。

「びっくりしたぜ、アホリ。」

 アトリがこぶをこすっていた手をゆるめて、顔を上げた。

「うむ? 何だって。」

「びっくりした。」

「いや、その次の言葉だ。」

「アホリ?」

「・・・そなたは、数ヶ月会わないだけで、人の名を忘れるほど頭悪かったかな。」

あれほどいろいろあったというのに、意外に元気そうだ。というか全然変わってない。それはそれで問題な気がするが。

 心配してスッ飛んできて損した。


 その後、ずいぶん長い時間二人で話し込んだ。

 もっとも、話の大半はアトリの一方的なおしゃべりというか、知識の披瀝ひれきだった。久しぶりに人と喋ってる、などとうれしそうに言う。図書倉を巡り、いろんな本を取り出しては、俺に内容を紹介してくれる。

 俺は、なんとかアトリのお喋りのあいに割り込んで、ノスリの庵での顛末てんまつを報告した。庵に姿はなかったが、たしかに住まわっているようだということも。そして、ヨヒョウの最後のようすも一通り語った。

 アトリは黙って聞いていた。

 アトリにもらった路銀りょひの残りも返すことが出来た。アトリは、返してもらう気もなかった様子でむぞうさに袋を受け取った。

 都大路に店を一軒かまえることが出来るほどの額だというのに。


誰かが燭台で足元を照らしながら、図書倉の階段を降りてきた。

 いつのまにか、そんな時間になったらしい。

「だめですよ、食事も召し上がらずに図書倉にもられては。」

「きょうも来たのか?」

アトリが面倒くさそうに振り返った先には、若い娘が白い羽衣をなびかせて立っていた。

「きょうもって。ヨシ様に言伝ことづてを言いつかったので参ったのですよ?」

肩をすくめて、そう返答したユリは、ようやく俺のことに気がついたようだ。

 意外なことに、そしてうれしいことに、ユリは俺を見て歓喜した。感きわまり、うさぎみたいにピョンピョン飛び跳ねている。キャラがJKになっていた。

 この流れだと、次のコマでは俺の胸に飛び込んでくる設定か? などと期待した。が、残念ながらユリとの物理的距離が縮まる気配はなかった。

ドギマギして見返すと、相手も俺をじっと見る。うむ。

 ユリがコホンッと空咳をした。

「髪が以前より長くなっているし、服装も違ったので気づくのが遅くなってしまい失礼いたしました。それにしてもお元気そうでなによりです。」

 慇懃いんぎんかつ、少し余所よそよそしい言葉が返ってきた。

「ところで、ヨシ師匠からの言伝ことづてだって?」

 と、アトリがユリに声をかける。

「師匠? いつから、風の導師がお前の師匠になったんだ。」

「あぁ、そのことだが、ちょっと調べたいことがあって風の協力を仰ぎに僧院ここを訪ねたのがきっかけでな。ヨシには敬服したよ。あんなに博学な人間には初めて出会った。私は〈精霊〉より〈風〉の一族に生まれるべきだったと、つくづく思うのだ。今からでもいい。ヨシの下で〈風〉の手法を学びたいのだ。そのために家を出て僧院ここに住むことにしたんだ・・・おっと、今の話は両親には内緒だからね。」

たしかにアトリは〈風〉向きかもしれない。生まれもっての霊力がないと〈精霊〉の技は使えない。が、りっぱな学者になるのは本人の努力次第だもんな。

 しかし〈精霊〉の長でありながら、風の導師を目ざすとか世間に知れたら大バッシングだろうなぁ。血の正統性はどうするつもりだ?


「で、言伝ことづてとは?」

アトリがうながした。しかし、視線は手元の本に見入ったままだ。

ユリは袖の中から、しわくちゃの紙切れを取り出した。

アトリは本の内容に気を取られてて、ユリの方を振り返らない。

俺は仕方なく、紙を受け取ろうと手を差し出した。互いの指先がぶつかる。ユリがあわてて手を引っ込めた。

 なんだか、いけないことをしてしまったような気分。あきらめてた感情が再燃しそうだ。

 ユリが堅い声で言った。

「い、異国の文字のようなのですが、アトリ様に調べていただけないかとのことです。」

 アトリが、にわかに目を輝かせて体を起こした。

 俺は、紙切れをそのまま渡そうとしたが、ふと手を止め、書かれていた文字を凝視した。


 【 JM&Co. 】


「・・・ジェイエム アンド カンパニー?」

 くせのある筆記体だったが、そう読めた。

 アトリが紙切れに飛びついてきた。

 食い入るように文字を見つめていたアトリの目から涙がにじんだ。

 次の瞬間、アトリが裏返った声で叫ぶ。

「うおぉぉぉっ、これはアルファベットというものだな! すごいすごい! 本以外で実物見るの初めて~。」

アトリが紙切れをひらひらさせながら、女子高生《JK》みたいにピョンピョン跳ねる。止めろ、気持ち悪い!

「アハハハッ、アハハハハッ。」

アトリの小躍りが続く、続く・・・。ユリの顔が引きつっている。


「ジェイエム アンド カンパニーか。どういう意味だ?」

アトリは、とうとつに正気にもどった。

「うーん、JM商会、かなー。」

「なるほど。」

アトリが腕を組んで、思案顔をする。

「あぁ、そうだ。見せたい本があるんだ、カガヤ。」

アトリは俺にそう言って、床に置いてあったユリの燭台をつかむと図書倉の奥へ駆けていく。ユリが、あきらめた様子で肩をすくめた。

俺は仕方なく、アトリを追って棚列の奥へ向かった。

「これだ、これだ。」

やがて、アトリが一冊の分厚い本を書棚から引き出した。そして、石張りの床に燭台とともに並べた。それから、座り込んで、本の表紙を燭台の光にかざす。

豪華な装丁そうていの英英辞典だった。こんなものがあるとは。

アトリが俺にく。

「読めるのか?」

 俺はあわてて首を横にふる。それは無理だ。さっき読めたのは、たまたま簡単な単語だったからだ。

「そうか。それにしてもアッサリ解決したな。明日、さっそくヨシに報告に行かねば。これに関して、たずねたいこともいろいろあるし。」

 アトリが、なかば独り言みたいにつぶやく。

 それにしても、一言ぐらいほめてほしいなぁ、感心して欲しいなぁ。 アッサリ解決したのは俺なのにさ。

 相変わらずアトリはアトリだ。

その時、置いてけぼりにされてたユリが、書棚の列のはるか向こうで大声を出した。当然のことだがムッとした口調だった。

「それでは。私は、帰らせていただきますね!」

「はーい。ご苦労、ご苦労。」

アトリが上機嫌で手を振った。


アトリはまだまだ話したそうな雰囲気だったが、さすがに、そろそろ〈火〉の屋敷に帰らねばと思い至った。

 実はコマドリを連れてきていたのを忘れていた。あいつ、大門のところでイライラして待ってるだろうな。

「おっと、すっかり遅い時間になっちゃった。」

そう言って、腰を上げる。

アトリはそれには答えず、しばらく考え込んだあと、こんな話を始めた。

「母上は、ユリを私の奥方にするつもりのようだ。そりゃあ今の〈精霊〉にあって、ユリは最強の巫女だからね。ひょっとすると霊力を持った子供を産むかもしれないし。」

 手元の本をつまらなさそうにペラペラめくりながら、そう言った。

「しょっちゅう訪ねてくるのは、おおかた、母上の差し金だろうよ。」

アトリは、本を床に投げ出してあくびをした。


聞かなきゃよかった。

アトリが悪いわけでもユリが悪いわけでもないかもしれないが、なんか無性むしょうに腹が立った。楽しくやってんじゃねーヨ、みたいな?

守護霊カードを失った〈精霊〉にとって、ユリが最後のカードということだろう。好き合ってるわけではないだろうが、政略結婚なんてそんなもんだろうし。

 だとしても、友だちぶって祝福の言葉を述べたりする気には、どうしてもなれなかった。

心配とか、して損した・・・。


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