第25話 コマドリ生い立ち
人の気配で目が覚めた。
長押の上の欄間からは、うっすらと朝の光が差し込んでいた。
バタバタと板間を駆ける子供たちの足音や、イネらの声が、障子戸の向こうから響いてくる。
昨夜は、さすがに旅の疲れか、あっという間に眠りに落ちたようだ。
薪のくすぶる臭いと共に、美味しそうな朝餉のにおいがただよってきたので、俺は起き上がって、奥の板間に通じる障子戸を引いた。
どうやら家人は皆、だいぶん前から起きていた様子だ。
子供たちは俺の姿を見ると、わっと小さな声を上げて、イネの方へ逃げていった。
「おはようございます。」
俺はイネに頭を下げた。
イネは長女のヨネ(という名らしい)に手ぬぐいを持って来させ、井戸の横にある〈流し場〉で顔を洗ってくるよう俺に言った。
玄関の格子戸を開けて戸外へ出る。
朝の中庭は、昨日と違ってけっこうな賑わいだった。
井戸で水をくむ者。〈流し場〉で野菜を洗う者。出会った隣人と立ち話をする者。
だが、俺の姿を見かけると、何やらぎこちない空気が拡がっていった。
うわぁ、これはきつい。
俺は作り笑いを浮かべて、井戸の方へヨロヨロと歩み寄る。
「顔なら、ここで洗うとよいよぉ。」
見ると、昨日出会った老婆の一人が、手招きをしている。
井戸の横に石積みの四角い〈流し場〉があった。
樋を使って〈結〉の外から引き込んでいる水がその〈流し場〉を満たし、やがて隣の低い〈流し場〉へと流れ落ち、さらに隣の〈流し場〉へと流れていく。その後は用水をつたって〈結〉の外へと出ていく仕組みになっていた。
「便所はあそこやけ。」
老婆が指さした方角には、薄い板の間仕切りがされた共同トイレがあった。床板の下には野壺が置かれている、その手のトイレである。
当然、男女別になってたりはしない。
・・・明朝は、何がなんでも里人たちより先に起きよう、と俺は、溜息まじりに決意したのだった。
洗顔などそこそこで、俺は、中庭と里人の好奇の視線に背を向けた。
目前には、黄色い土壁がそびえていた。昨日来、そのエキゾチックな構造には驚かされる。
二階、三階には蔀戸の窓が、一階部の軒の下には、格子の引き戸が等間隔で並んでいる。
先程出てきたのは、このあたりだったろうと戸を引くと、そこは、かまどが設えられた土間だった。土間の奥には、昨夜、夕餉の膳を囲んだ板間が見えた。
イネが、かまどの前に屈んで火の加減を見ている。どうやら勝手口の戸を開けたようだ。
「あれま、こっちはおくどさん(台所)やけ。」
振り返ったイネが目を白黒させて叫んだ。その場に居合わせたマトリョーシカ兄弟が、俺を見て、からかうような笑い声を立てる。
その笑いぶりは、まるで転校生を値踏みするそれだ。勝手の分からない場所で、客がちょっとばかり間違いをしたからといって、面白がるとか、ほんとガキだな。まあ、よほど刺激の少ない生活なんだろう。
それにしても、奇妙なのは建物の壁面だけではないようだ。見上げると、おくどさんのある土間は吹き抜けになっていて、昨夜、食事をした板間の上に、なんと二階層の屋根裏が見えた。
中庭からの光が、おくどさんの上空を通って、板間や屋根裏に等しく差し込んでいた。奇妙な構造だがよく考えられている。
俺は感心して見とれる。
俺のことがいちいち気になるらしいマトリョーシカ兄弟が、こちらをじっと見ている。退散々々。
身支度と朝餉がすむと何もすることがなくなった。
俺は、何か手伝うことはないかとイネに尋ねた。
「手伝うてもらうことなんて、なんちゃ無いし。暇なんやったら、コマドリ、高殿でも案内しちゃり。カガヤさんにとっちゃあ珍しかろう。」
イネが、座敷を駆け回る末娘をようやく捕まえて着物を着せながら、コマドリを振り返ってそう言った。
「あぁ。」
コマドリが気のない返事をした。
気のない返事ではあったが、しおらしい口調だったことに俺は驚いた。イネはやはり身内だから、心を許しているのだろうか。
高殿と呼ばれる鈩吹きの作業場は、薄桃色に染まる梅林を抜けた所にあった。
茅葺きの大屋根が目を引く。
高殿の小さな戸口を潜ろうとした時、俺たちは、幼ない声に呼び止められた。
振り返ると、梅林の脇の野道をリンゴのような頬をした幼女が駆けてくる。イネの末娘だ。息を弾ませて駆け寄って来ると無邪気に言った。
「兄やン、一緒に遊んでやー」
そしてコマドリの袖を握った。父親似の人の良さそうな丸い顔で俺たちを見上げている。左手には輪にした薄桃色の糸をしっかりと握っている。綾取りにでも使うんだろう。
「女は(高殿に)入れんし。」
コマドリが、ぞんざいなしぐさで、幼い従姉妹の手を振り払った。そして、ポカンと見上げてる従姉妹を残して、サッサと高殿の中へ消えた。
俺は見かねて、その子に声を掛けた。
「名前は何ていうのかな。」
かまってもらえて嬉しかったのか、元気のいい声が返ってきた。
「コハギ!」
「えっ・・・・・・。」
何かが胸をチクリと刺す。
ちょっとばかり昔の、夏の日の思い出ってやつが、一気によみがえる。
例えばアトリ、アヤメ、コハギ、そしてユリの事とか・・・。
「コハギ。後で遊ぼうなナ。」
小さな戸口を押して高殿に入っていくと、そこには突っ立ったままのコマドリがいて、奴の背中にぶつかりそうになった。コマドリがその場所から動く気配がないので、俺は奴の肩越しに、暗い作業場の中を見わたした。
目をこらすと、頭上の高い所で幾組もの太い梁が行き交い、足下は、土を踏み固めた広い土間になっていた。
土間の奥には、燃えさかる鈩炉が見えた。
山吹色の熱風が、ゴウゴウと炉から吹き出し、わずかに緑を帯びた散乱光が目を射る。
炉の周りでは、それぞれ己の役割を分かっているようすの男たちが、一心に炎と闘っていた。
そんな、息もつかせぬ作業の最中に割り込んだていの俺たちが、気にかけてもらえる雰囲気ではなさそうだ。俺は邪魔にならないよう戸口に張りついて、男たちの働きぶりを眺めた。
光と闇が、男たちの輪郭を劇画タッチにきわだたせ、何だか博物館のジオラマの人形を見ているような現実味のなさだ。
チラチラと渦巻く炎を見つめていると体が炎の中へ引き寄せられるような錯覚に捕らわれる。
ちょうど、そばを通り過ぎようとした男を俺は引き留めた。
「あ、あれ、〈悪魔の目〉ですか?」
炉を指さしながらそう訊いた。
男は大笑いした。
「いやぁ、そんな、たいそうなもんやない。今しよるのは、青菜を刻む程度の刀の玉鋼やけ。数打物いうて、量産もんの刀を作るためのな・・・ところで、久しぶりに大きい仕事が入ると聞いとるが、おまえさんがその遣いかね?」
男は、熱を帯びた口調で問い返した。俺が、大きい仕事かどうかはよく分からないと答えると、男は肩をすくめて去っていった。
かたわらのコマドリに目をやると、奴は食い入るように男たちを見つめている。鈩炉の赤い炎を映して、瞳がギラギラとゆらめいていた。
俺は、ふと奴の心中を思って、暗い気持ちになった。
本来なら、コマドリは長を継ぐ者だったはずだ。
父親がウマシ国の女など娶らなければ。そして、他国の人間と結婚すれば〈結〉から追放されるなどどいう掟さえなければ。
その結果生まれたコマドリは、〈結〉で育てられはしたが、刀匠の技を教えられることはなかったと聞く。エナガは長ゆえに、身内には、他人以上に厳しい掟を課したんだと。
決して、他国の血を継ぐ者が、刀匠の長となるようなことが起こらぬように。
コマドリが、〈火〉の屋敷で、雑用のようなことをして暮らすはめになった、これが経緯だ。
俺から見れば、いや、俺が元いた世界から見れば、恐ろしく理不尽な話だ。
山中深くありかを隠し、〈結〉の秩序に捕らわれ、それを当の里人たちは不自由だ、不幸だ、とは思ってもいないんだろうか。
少なくとも、俺が出会った里人たちは、いちように穏和で、おまけに働き者だ。そして幸福そうにみえた。
コマドリだけが、例外で。
奴だけが、さむざむとした感情を周囲にまき散らして憚らない。怒りなのか、恨みなのか。だとして、それは何に対してなんだ?
〈結〉の理不尽な掟に? それとも、掟の執行者としてのエナガへ? あるいは、原因をつくった両親か?
まあ考えて見れば、コマドリの父親の行為は実に愚行だよな。俺が父親の立場なら、そんなリスキーな結婚に身を投じるようなことなどしない、そんな気がした。
俺なら、好きになる前に、忘れる、諦める。
結果、誰も傷つけない。何よりも俺が傷つかないじゃないか・・・。
その日の午後、コマドリは、イネと共に畑仕事に出かけてしまった。
長女のヨネも、イネに用事を言いつかって、家を留守にするという。
そういう事ならと、俺は、下の子供たちの子守を引き受けることにした。
その結果、幸いにも俺はコハギとの約束を果たすことが出来た。
実のところ、俺はコハギとの約束を真剣に捕らえてはいなかった。時間があれば、綾取りでもちらりと付き合おうかなくらいには考えていたけれど。
だから、この出来事が、やがて吉を呼び込む事になっても俺の実力というわけではないし、それが転じて凶を誘きよせてしまったとしても、俺の罪ではないと思うんだ・・・。
俺は、マトリョーシカ兄弟とコハギを連れて〈結〉の中庭へ出た。
流し場の下の用水には、小さな囲いを作って金魚を飼っている場所があった。
浮き草の間をスイスイと泳ぐ金魚を眺めながら、何をして遊ぼうかなどど俺たちが話していると、家々から小さな子供たちが出てきて、物珍しそうに遠巻きにした。
まあこうなると、四人の子守も、十人の子守も同じだ、みんなおいでよーってなるよね、当然。
で、最終的にはサッカーチームが出来るくらいの数が集まってしまった。
さすがに中庭では手狭に感じたので、婆さんたちや門番の者に許可を得て、〈結〉の前の野で遊ばせる事にした。
〈結〉の南には畑が拡がっていた。その先は雑木がまだらにはえる野になっていて、野の向こうは、一面の菜の花畑と小川、という遊ぶにはうってつけのロケーションだった。
遊びなんて、始めてみればどうにかなるものだ。
なんと鬼ごっこや陣取りなんてのは、此処でも定番だった。
高鬼、島鬼、しゃがみ鬼。バリエーションは多様だが基本は同じだ。鬼が追いかけ他の者は逃げる。
男児や元気印の女児はそういう遊びが好きで、幼子や大人しめの女児は、菜の花を摘んだり、蕗のとうの水車を小川のせせらぎに掛けたり、綾取りをしたりしている。俺はそれぞれのグループを渡り、綾取りを習ったり鬼役になったり・・・。
最初は遊んであげてたつもりが、いつのまにやら本気で楽しんでいた。
しまいには、俺って、案外、保父さんとかYMCAのリーダーさんとかに、向いてるんじゃないかと本気で思った。
久しぶりに童心に返った、というより、人生で初めて野山を駆けまわって遊んだ。
考えて見れば、誰かと遊んだ経験といえば、家の近くの公園とか学校の校庭とか、いつだって、そんな四角くてフェンスに囲まれた空間だった気がする。
小学校高学年にもなると、それさえも塾とか習い事に取って代わられ、だからといって別に不満もなかった。みんながそうだったし。
そう言う意味では、〈結〉の中庭でしか遊んだことのなかったこの子らと俺は似たようなものだな。
こんなに恵まれた遊び場が目の前にあるというのに、この子らにとって、〈結〉から外へ出られるのは、何か大人の用事を手伝うような時だ。薪拾いとか、畑の草むしりとか。
それに、暇にしている若者などいないから、家事を手伝えない幼子たちの守りは、婆さんたちの役割だった。婆さんだから、鬼ごっこの相手などしてやれるはずがない。
そんなわけで、この日の俺の行いは、正月か祭りかというくらいの破壊力でもって、主に男児たちに大好評だったことをつけ加えておく。
西の空が薄桃色に染まる頃、俺は子らを従えて〈結〉に戻ってきた。
いまだ興奮状態で駆け回る子らを、羊飼いの番犬よろしく〈結〉の鉄門の中に追い込んでいると、小山のような薪を背負って山から戻ってくるコマドリの姿が見えた。
ちょうどその時だった。
「コマドリ!」
感極まったような女の声がコマドリを呼び止めた。
見ると、三十半ばの野良着姿の女がコマドリに駆け寄ってくる。コマドリによく似た顔には満面の笑みを浮かべている。
「長いこと、里へもどって来んかったねえ。すっかり大きゅう(大きく)なって!」
おそらく、どこかでコマドリの帰省を聞きおよんだ実の母だろう。
ところが、コマドリは足下に目を落としたまま、女の前を通り過ぎようとした。
頭の中で何かがブチンと切れた。
俺は目の前にある鉄門を力任せに引っぱって、コマドリの鼻先で閉ざしてやった。そして内側から、ガチャリと閂を掛ける。
見張り台からそれを見ていた門番が、驚いた顔をした。
俺は、息をあらげて〈結〉の中庭へもどっていった。
用水が、夕日を受けてキラキラと光っている。金魚囲いのかたわらに屈みこんで、指で乱暴に浮き草を掻き回すと、黒い魚影が驚いて逃げ惑う。
嫌な気分だ。
日に焼けた母親の顔がよぎる。いい人そうじゃないか。あんなに嬉しそうに。
仮にいい人じゃなくても、実の母親だろ。それなのに・・・。
門番が入れてくれたのか、じきに、コマドリがいつもの仏頂面で俺の前を横切っていった。山のように薪を積んだ背負子をゆすり上げ、俺のことを空気並みに無視して。
「・・・母親だろ!」
俺は、去っていくコマドリの背中に憤りを投げつけた。
俺は、どうやらマトリョーシカ兄弟に仲間認定をされたらしい。
おかげで、昨夜とは打って変わった賑やかな宵となった。
賑やかというより騒がしい。騒がしいというより馴れなれしいほどの距離感で、カガヤさんはすっかり人気者だった。
俺にとっては意味不明な光景だったが、イネの四人の子供たちは、そろいもそろって生傷だらけで、おまけに昼間作ったその傷を自慢しあった。
着物をたくし上げては、すり傷やらタン瘤を親たちに見せて、本日の自分の活躍ぶりを先を争って話そうとした。親たちも目を細くして彼らの話に聞き入っている。
(言うまでもないが、コマドリは早々に団欒の場からいなくなった)
そうこうしているうちに夜もふけて、眠くなったコハギが俺の膝の上にもぐりこんできた。
さすがにイネがたしなめたが、俺は大丈夫だと言ってそのままにしておいた。柔らかで暖かい重みが気持ちいい。
コハギが「カガヤたんとねるー」と言ってぐずるので、とうとう、俺は、マトリョーシカ兄弟&コハギらと共に寝ることになった。客間では狭いということで、板間に川の字に布団を並べて。
子供たちの寝相の悪さは予想以上で、熟睡出来たというと嘘になるが、翌朝は不思議なことに爽快な目覚めだった。
三日目の早朝、イネや子供たちに見送られ、俺とコマドリは〈結〉をあとにした。
帰路は、〈ガズラの関〉と呼ばれる刀匠の里の正面口から、街道へ出、都へ向かうことになった。
関には、都へ行く定期便の荷馬車があるので、それに同乗できる手はずになっている。
俺たちは、来る時に通った竹林とは、ほぼ反対側の山の端を目指す。眼前の山を一つ越えると〈ガズラの関〉だそうな。
俺もコマドリも、〈火〉への調達品やら個人的土産やらで、結構重くなった荷袋を背負っている。
あたりは、一面に殺風景な茅海原だった。その枯葉色の波を掻きわけ掻きわけ野道を進む。
出発してじきに、篭を背負った母娘に追いついた。おおかた山菜でも採りに出掛ける里人だろう。
追い越していく俺たちを見て、母親が頭を下げた。振り返った娘は、コマドリと同い歳くらいだろうか。顔見知りなのか、コマドリを見てはにかんだようにクスクスと笑った。
コマドリの顔がゆがんだ。そして、母娘らとの距離が開いたのを見計らって一目散に駆けだした。
なにっー!
まさか、あれをコマドリはからかわれたとでも受け取ったのか? 俺には娘の照れ隠しに思えたが? ここは喜ぶところだろう!
いずれにしても、帰り道を知らない俺は追いかけるしかない。里へ来る時も、奴は自分のアドバンテージを、躊躇いもなく利用してくれたんだった。
全力で茅野を駆ける、コマドリ、と俺。
山の端まで続く茅野の中を駆ける、駆ける、駆ける。とうとう、肺がたまらなく痛くなってきた。
いったい、どこまで付き合わせるつもりだヨ、 お前の思春期に!
まあ、奴との短いつき合いの中で学んだ解決方法といえば、こういうことだ。
俺は、残された力を振り絞って奴に追いすがり、背中の荷袋をむんずとつかんで、奴を野道に薙ぎ倒したのだった。




