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奈半利の門(ナハリ・ゲート)  作者: 茅花
第2章
23/45

第23話 桃源楼 2

 ビンズイがピシャリと窓を閉めると、俺たちを振り返った。

 チャンイの妖艶な顔が、見る見る灰色になっていく。

 そして、ゆっくりと床から立ち上がり、ドレスの埃を払う仕草しぐさをした。玉虫色のドレスが揺らめくのを俺は見ていた。


 次の瞬間、俺の胸元で何かが光り、チャンイが、いつの間にか取り出したナイフを振りかざしながら、後ろに飛びすさる。


「近づくんじゃないヨ! 大声出すヨ。」

 そう叫んで、俺に唾を吐きかけた。俺の人生、二度目の経験だ。

 ナイフを構えたまま、憎々しげに俺たちを睨めつけて、女はさらにまくし立てた。

「嘘つき、ワタシをだましたね!死んじまえ!」


 そして何やら異国の言葉でまくし立てていたが、突然、前のめりに床に倒れて動かなくなった。いつの間にか、タゲリがチャンイの背後に回っていた。

 タゲリは屈み込んで、チャンイを手際良く後ろ手に縛った。意識が戻ってきたのか、チャンイの頭が微かに動いた。

「うるさいから、猿ぐつわを咬ませとけ。」

 ビンズイが、懐から剣を取り出しながら、タゲリに命じた。


 俺がチャンイに斬りつけられた胸元を撫でているのを見て、ビンズイが訊いた。

「怪我を?」

「ぃ、いや、上着がちょっと切れたけど。」


 その時、表通りで、呼び子笛が鋭く鳴り響いた。路地裏の方からも、呼応するように笛が鳴る。

「おう! いい具合にまわかた(警察)のお出ましだ。」

 自分が呼んでおいて、ビンズイは、嬉しそうにそう言った。それから、赤い牡丹が描かれた安っぽい壺を手に取って、重さでも量るように振り回している。


 店の一階が、騒然としてきた。怒号や、女の叫び声が階上まで響いてくる。

 その時、廊下を駆けてくる重い足音が聞こえてきた。男が何か叫んでいる。

「・・・牡丹・・・牡丹!」 

 チャンイが猿ぐつわをされたまま、獣のように唸った。


 部屋の扉が、激しく開け放たれた。先頭の男が部屋に一歩踏み込んで見た光景は、円卓の前で、たった一人で据わっている俺。そして、その足元には、男の探していた女が後ろ手に縛られて転がっている。


 先頭の男は、端正な顔を引きつらせて俺をめつけた。右手には光る物をかざしている。そして、武器一つ持ってないようすの俺に飛びかかってきた。

 だが二歩目の脚が床に着く前に、男の頭部は、扉の後ろからおどり出たビンズイによって殴打されていた。壺の赤い破片が飛び散った。

 二人目の男は帳場にいた黒服だった、が、タゲリが思い切り蹴って閉めた扉で鼻の骨でも折ったのか、顔を押さえてくずおれた。

 戦闘不能の黒服を押しのけるようにして、三人目がタゲリの前に立ちふさがった。入道頭の巨体だ。この店の用心棒と思われる。

 ビンズイが、床に突っ伏している一人目の男の手から短剣をもぎ取り、タゲリの加勢に廻った。

 廊下の方で複数の怒声が乱れ飛ぶ。

 俺は、床に伸びている先頭の男を後ろ手に縛った。なおかつ円卓の脚に男を巻き付けていると、ビンズイにポイと肩を叩かれた。


「おぉ、やりましたな。この男は、商館の主ですぞ。・・・さて、では、我らは帰りましょう。後は、まわかたの領分だ。」

 さすがに息が上がっていたが、呆気なく片がついたらしい。


 タゲリが黒服を手際よく縛っていた。そのそばには三人目の男の巨体が伸びていた。

 その時、開け放たれたままの扉から、ひょいと顔が覗いた。手にした薙刀なぎなたを部屋の中に向けている。

 ビンズイは男に向かって片手を挙げ、大声で言った。

「〈火〉の眷属。少将ビンズイだ。」

 その男は胸に手を置いて、姿勢を正した。

 鎖帷子くさりかたびらの襟元に黄色い組み紐が縫い付けられている。男の背後の廊下を、何人もの者が奧に向かって走って行くのが見えたが、いちように黄色い襟飾りのついた鎖帷子くさりかたびらを身につけている。まわかた(警察)だった。


「状況はどうだ?」

「一階と二階は、ほぼ制圧いたしました。これから三階へ向かうところです。」


 ビンズイが、円卓の足元を顎で指しながら言った。

「あれが、店の主人と女将だ。まわかたに引き渡したい。」

「承知しました。」

 男は、威嚇いかくするように唸っている女を引っ立てようと近づいてきた。

 

 俺は、とっさにそれを手で制した。そして、円卓の上に投げ出されたままになっている巾着をつかんで、乱暴に女のふところに押し込んだ。

「牡丹。ヨイチは、あんたが国に帰るためにこの金を使ってくれと言い残して死んだ。あんたの言葉を全て信じてね。あんたにとってこの金がどれほどの価値なのかは知らないが、ヨイチにとっては全財産なんだ。俺は、あんたにこれを受け取る価値はないと思う。でもヨイチの遺言なんだ。」

 俺は、そう言い捨てて立ち上がった。二度と、互いに顔を見ることはないだろう。


 ビンズイとタゲリは、すでに廊下に出て肩越しにこちらを見ていた。

 開け放たれたままの部屋の扉の前には、血みどろの巨体が横たわっている。

 縄を打つ必要がないことは、一目で理解できた。男の太い首には、短剣(確か商館の主の手からビンズイが奪った)が、深々と突き刺さっている。

 その銀色に輝く柄には、虎と牡丹が彫られていた。

 俺は、むくろをまたいで廊下に出た。

 

 二階の廊下の中程には、一カ所に集められ、呆然としている客たちで溢れていた。

 ビンズイとタゲリは抜き身の剣を構えたまま、人垣を足早に抜けていく。俺は遅れを取らないようにと、二人の後を追って部屋から出た。

 部屋を飛び出しながら、二人が駆けて行った方とは反対の廊下をふっと見やった。

 すると、廻りまわりかたによって開け放たれた隠し扉の奧、薄明かりの中に細い階段が見えた。恐らく三階に行く階段だろう。

 階上から剣戟けんげきの音が聞こえた。俺は思わず、護身用にと与えられていた懐の短剣を抜き放ちながら、階段を駆け上がった。

 ビンズイの呆れはてた顔とタゲリのムッとした顔が、そろってこっちを振り返るのが見えた。

 たしかに、俺たち三人の今夜の役目は終わっていた。計画は成功した。

〈贈り物〉で女将を釣り、幸運にも彼女を探して店の主人まで俺たちの網に飛び込んできた。生け捕られた連中は、番所で洗いざらい訊かれるはめになるだろう。

 にも関わらず、俺の気持ちは終われないでいた。後から思えば、血迷ったとか軽率だったとか、そういう言葉で語れてしまうにしても。 

 

 三階への細い階段を駆け上がると、廊下には、幾つかの骸が横たわっていた。その周辺をまわかたが歩いていた。廊下沿いの部屋の扉はどれも開け放たれ、騒ぎはすでに収束しかけていた。

 

 扉の開いた薄暗い部屋の中に、視線が吸い込まれる。

 天蓋付きの寝台がぼんやりとした明かりの中に垣間かいま見えた。目をこらすと、赤いしとねの中で男女が怯えてうずくまっている。

 部屋からは甘酸っぱい臭いがたゆたってくる。これが阿片の臭いなのか?

 他の部屋でも同じ光景が繰り返された。中には、視線の定まらない様子の者たちもいて、手入れを受けている最中にも、白銅製の煙管きせるを手放そうとしない。

 

 その時だった。一人の客らしい男が、衝立ついたての後ろからフラフラと現れて、俺の前に立ちはだかった。そして、ろれつの回らないようすで、何やら言い始めた。

「まうめかかぃ。はぁくくれ。」

 

 目がすわってる。商家の若旦那といった風情だ。その男は、れたように右手を俺の鼻先に突き出した。

 そして、その手につかんでいた物を、ピラピラと俺の鼻先で振り回した。

 暗がりの中で、それはギラギラと光っていた。どう見てもそれって刀? 廊下の床にでも落ちてたのか!

 俺はギョッとなって固まった。


「くれょ!」

 客は、執拗に俺の方へにじり寄ってきた。

 が、呆気ないほどの一瞬で、俺は乱暴に腕をつかまれ、後ろへ引き戻された。同時に客の手から刀が弾け飛んだ。

 タゲリが俺と客の間に立ち塞がっていた。

 刀は音を立てて床に落ちたが、弾け飛びながら客の頬をえぐったようだ。見る間にしずくが、客の頬を伝って床にボタボタと落ちた。

 客の男はゆっくりと視線を落とし、床にしたたる黒いしずくを不思議そうに眺めている。

 やがて男は、焦点の定まらない視線をこちらに向けたまま、へたりと座り込んだ。それから、まるで何事もなかったように、今度は自分の頭を抱えて、身体を振り子のように揺すり始めた。

 おいっっ、痛みを感じてないのか?

 背筋に寒けが走り、高揚感が一気に消し飛んでいく。


「カガヤ!」

 ビンズイが厳しい口調で、棒立ちの俺に呼びかけた。「さん」付けなどすっかり忘れている。

 そして、俺を乱暴につかんで部屋の外へ引き出した。

「我らの役目は、終わったのですぞ。さあ!」

 ビンズイは俺の肩を分厚い掌でバンバンッとはたくと、再び俺をうながして階下へと駆け出した。

 俺はというと、酒のぬくもりもすっとんで、すっかり正気になっていた。

 容易に舞い上がってしまった自分に恥じ入りながら、スゴスゴとビンズイの後を追う。


 一階へと降り立った俺たちは、いくつかのむくろまたいで、足早に廊下を進んだ。

 

 店の入り口の辺りは、中を覗き込む野次馬でいっぱいだった。

 俺たちは、人影のない店の裏口に向かった。

 誰が灯りを消したのか辺りは暗闇だった。目をこらして暗がりの奥をうかがいながら、俺たちは、厨房らしい狭い通路をソロソロと進んで行く。

 次第に目が慣れ、四、五メートル先に、どうやら裏口らしい小さな扉の輪郭が見えて来た。

 ちょうどその時だった。俺たちの右側で、ギシッという微かな音がした。

 闇の中で、何かが動く気配がする。気配は、裏口の方へそっと動きかけてハタと止まった。

 一瞬の沈黙の後、短い異国の言葉が俺たちに投げかけられた。生憎、店の連中と鉢合わせたようだ。

 おおかた、まわかたを出し抜いてどこかに隠れていた残党だろう。

「ちっ、面倒くせいな。タゲリ行くぞ!」

 ビンズイはそう言うと、俺の腕をむんずとつかんで裏口へと突進した。そして転がるように建物の外へと飛び出た。


 外は、どうやら先ほど歩いて来た路地だった。

 俺はビンズイに腕を取られて駆け出しながら、しんがりのタゲリを振り返った。タゲリが剣で応戦しながら店から飛び出してきた。

 そんなタゲリの後ろから、数人の男が追いすがってくる。

 その時ビンズイが口笛を鋭く鳴らした。すると驚いた事に、路地にいた何人もの浮浪者が、刀を抜いて〈桃源楼〉の残党に飛びかかっていったではないか。

 その手慣れた動きは、奴らがビンズイ配下の猛者たちだということを物語っていた。


 路地にやたらとたむろしていた浮浪者は、裏口から逃げ出す連中を捕縛するための要員だったのか。何も知らされてなかったことにちょっと悔しい気がする。


 雨は、いつの間にか止んでいた。

 ぬかるんだ都の道を、俺たちは〈火〉の屋敷へと馬を走らせた。

 タゲリがカンテラで夜道を照らしながら先に行き、俺は来た時のようにビンズイの馬の後ろに乗った。

 〈火〉の屋敷の白壁が見え始めた頃、それまで無言で馬を走らせていたビンズイが俺にこう言った。

「集団行動にあっては、与えられた役割を逸脱してはなりませんぞ。」

 ビンズイにきつい言葉を掛けられたのは初めてだった。俺は素直にびた。きっちりと練られた作戦のわずかな綻びが大きな穴になってしまうことは、俺にだって想像がつく。


 俺たちの乗った馬は、屋敷の門を意気揚々とくぐって帰館した。

 だがそんな馬とは裏腹に、馬上の俺には夜更けの寒さが身にしみた。いまだ興奮さめやらぬ頭の中で、あれやこれやとクヨクヨ考えて凹んだ。


 しかしその夜、イカルへの報告の席で、思い掛けないことにビンズイは俺の初仕事を大いにめてくれた。

 ことにヨイチののこした金子きんすを、しょっ引かれていく女将にくれてやったくだりに至っては、ビンズイは大笑いしながら皆にその酔狂な顛末を語った。



  ヨイチの金子に関しては、後日談がある。

 黄金街での捕り物から一ヶ月ほどが過ぎたある日、閑散とした昼の食堂で、ビンズイがふらりと俺の席まで近づいてきて、俺の掌に重い巾着を握らせた。

「いやぁ、廻り方から、これが戻って参りまして。・・・女将が、カガヤさんに返して欲しいと願ったとか。カガヤさんは、これを遺した者への義理は果たされたのですから、後は、自由に処分なさるが良い。それと、例の〈風〉の元老の子息は、商館の三階におりました。」

 めでたい話かと思うが、ビンズイの言いようは、悩ましげだった。

「阿片とは恐ろしいもんですな。子息の魂が元に戻ることはないでしょう。」

「元老の消息は、どうなんですか?」

 ビンズイは、首を横に振った。

「捕らえた者たちが吐いた話によると、阿片にそまった子息を人質に、元老をゆすろうとしたようです。元老は、自分が奴らの操り人形にされてしまうことを恐れて身を隠したのではないかと思われます。それと、ネズミの件ですが、あの黒いむくろとなった女は、どうやらネズミの世話をさせられていたようで、仕舞屋しもたやには、檻と数匹の大きなネズミの屍骸が残されておりました。奴らの話を信じるとすれば、都には、もう新たなネズミはおらんようです。」

そう言い残すと、ビンズイは食堂から立ち去った。

 ややあって我に返った俺は、あの女将がそんなことを言うだろうかと、いぶかしく思った。が、女将たちはすでに処刑されてしまったので、事実の知りようもない。


 さて、どうしたもんかな。

 ようやく手元からなくなっていたジョーカーを、またぞろ引いてしまったような落胆を感じて、俺は金子きんすの袋を見つめた。


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