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奈半利の門(ナハリ・ゲート)  作者: 茅花
第2章
22/45

第22話 桃源楼 1

 風と水の元老の出奔しゅっぽんもししくは死。それは何を意味するのか。

 そして、水の元老を襲ったかもしれない疫病と、この土左衛門どざえもんとは、どこかで運命の糸が絡み合っているのだろうか。


俺の足元には、恐らくは女だと思われるむくろが転がされていた。

 そして、それを取り囲むように、カンナ、カンナの継母・チガヤ、ビンズイとその部下という面々が、一様に青ざめた表情で突っ立っている。


「では、ヨヒョウさんたちの時と同じなんだね。」

 チガヤが、気丈にも骸の近くに屈み込みながら、俺に問うた。

「あぁ。」

 俺は、黒々と膨れ上がったむくろに目を落とす。


 今朝方、都の西の川で、これは発見された。

 発見したのは、ビンズイの部下たちだった。偶然ではない。

 彼らは昨夜、黄金町の とある仕舞屋しもたやから、人目をはばかるように大きな袋が運び出されるのを目撃していた。

 袋は、都を流れる川に投げ込まれた。その時、沈んでいく袋から、悲鳴が聞こえたそうなので、この女はまだ息のあるうちに捨てられたんだろう。


 その仕舞屋しもたやというのは、彼らがこの一ヶ月余り、張り込みのターゲットにしてきた家だった。

 ビンズイたちは、夜っぴいて川ざらいをし、その結果、この禍々《まがまが》しいむくろを引き上げる結果となった。


 ビンズイは疲れた声で言った。

「実は昨夜、儂らは、風の元老のご子息を捜して、くだんの仕舞屋しもたやを見張っておったのです。元老と時を同じくして姿を消したという噂のご子息を。」

「なんと。」

 チガヤが目を丸くした。骸の検分は終わったようで、そっと手を合わせると骸から離れた。

 他の者は、あからさまにホッとした様子でむくろに背を向けた。

「あれは?」

 カンナが、川原を振り返りながらビンズイに聞いた。

「あの仕舞屋しもたやに住んでいたのは、身寄りの無い女でした。若い頃は例の商館で働いていた女で。まあ、身寄りがあったところで、アレを引き取る者はいないでしょう。川の堤の傍に埋めさせ、石塚を建ててねんごろに奉ってやることに致します。」

 ビンズイが赤い目をショボつかせて、そう答えた。


 俺は、ビンズイに問うた。

「それにしても、元老のご子息が、どうしてそんな所に? それに、もし、あの死んだ女と同じ家にいたんなら・・・。」

 そこにいる皆が同じことを想像した。 

「・・・内通する者からの知らせによると、それらしき若者が、商館の所有する仕舞屋しもたやにいるという事だったのですが。」

 ビンズイが辺りを憚りながら続けた。

 街道から外れた堤の下に、我々以外の人影はなかった。

「恐らくは、他の場所のどこかに。何れにせよ、やはり、早々に商館の手入れをせねばなりませんな。」

 ビンズイは気を取り直すふうに、俺を振り返ってそう言った。


 少し前に、イカルたちから聞かされた話は、驚くべきものだった。都の廻り方(警察)は、ここ数年、大陸から流入した阿片に手を焼いていた。

 今年の正月が過ぎた頃、廻り方(警察)は、フルキ国にそれを持ち込んで巨利を貪る大陸の商人を、ようやく特定した。そして偶然にも、その商人の手の内に、風の元老の子息と思われる若い男がいるようだ、という情報も入手することになる。

 しかも、その商人の商館は都一の歓楽街・黄金町にあって、そこの女将の名はチャンイといった。


 カンナが、ビンズイに問うた。

「子息がそこにいるとすれば、父親の元老も一緒なのでは?」

「それは、まだ何とも。」

「それにしても。」

 と、チガヤが言った。

「変死したと噂されてる〈水〉の元老が、これと同じ死病だったとしたら、どうかしら。何らかの形で元老の下にネズミが持ち込まれて。」

 同じ事を考えていた俺は、即答した。

「有りえると思う。だけど、それを〈水〉の人たちが隠す理由が、俺には分からないんだ。早く対策を打たないとネズミがほかでも放たれて、病が都中に広がっちゃうかもしれないだろ!」

 〈水〉の元老は、現代日本でいうなら厚生大臣みたいなもんなんだと思う。だったら、国の防疫の責任者ということだ。責任者が状況を隠匿してるってのは、物凄くヤバイんじゃないのか?


「実は、私は、黒い骸を見たのは今回が初めてじゃないのよ。かれこれ二年前になるかしら。ある里で、次々に人が死んでねぇ。ところが、一家全員が死ぬ家もあれば、その隣の家では、誰も発病しないか、してもカガヤのように、じき回復した。やがて死者を出した家は、呪われた血筋だと疎まれ、石を持って里から追われ、家には火が放たれたわ。里の長を務めるような家だって同じ。腹立たしい事に薬師たちまでそんな話を信じて加担した!」

 継母は憤りで顔を赤くして、まくし立てる。

「だから、分かるでしょ。〈水〉の元老がこの死病にかかったとすれば、絶対に公表は出来ないでしょうよ。それが知られてたら、一族そろって都から追放されたと思う。」


 その災いに見舞われたという里の名をチガヤから聞いて、俺はうなった。それは、コハギの実家があったという里だった。

 不本意にも俺を巻き込んできた幾つもの小さな流れは、合流し、一個のぼうようとした影となりつつあった。そして俺は、その影を、今度は自分の意志で踏もうとしている。


                  *


みぞれが降りしきる寒々とした夕暮れだった。

 ビンズイとその配下のタゲリと共に、俺は黄金街の路地裏に降り立った。足元は、溶けたみぞれですっかりぬかるんでいる。

 乗ってきた馬を、タゲリが倉庫脇の暗がりにつないだ。あらかじめ見つけておいた場所なんだろう。あたりに人影はない。

 馬が小さくいなないた。

 そばを流れる狭い水路から、汚物の臭いが漂ってくる。


 タゲリは勝手知った様子で、水路沿いの狭い堤の上を音もなく歩いてゆく。

 俺は、そのガタイのいい背中を追いかけた。しんがりのビンズイが小声で軽口を叩く。

「うっ、こりゃ鼻がもげるわ! カガヤさん、水路へ落ちたりなんぞしてくれるな。儂は助けに行く自信がないわい。もっとも、黄金街のドブ川にカガヤさんを置き去りにしたなんて事がカンナ様に知れたら・・・おぉ、こわし怖し!」

 そう言って、押し殺した笑い声を立てた。ビンズイをはじめ〈火〉の郎党は、イカルが客として俺を紹介して以降、俺のことをさん付けで呼んでいる。しかも、カンナの何かだと勘ぐっているようだ。


 ビンズイのからかいに返答をしようとした俺は、自分の口の中がカラカラに乾いていることに気がついた。今夜のミッションは俺には荷が重いと改めて感じる。

 正直、ヨイチらの死に目を何度も思い起こすことで、気持ちを奮い立たせて、俺はようやくあゆみを進めている。


 その時、前を行くタゲリがちらりとこちらを振り返り、曲がれと合図を送ってきた。俺たち三人は、水路から垂直に横に延びる路地の一つに飛び込んだ。

 家屋の隙間を縫うように、路地は続いていた。両手を広げると左右の家の壁に手が届きそうに狭い。店の裏側だろうか。空の酒樽や壊れた椅子が乱雑に積み上げられている。

 細く開けられた店の窓から、酔客のだみ声が路地まで漏れ聞こえる。酒、食い物、煙草、・・・えた臭いがただよう細い闇が続く。


 

 おりしも前方で木戸が開き、薄明かりが濡れて路地を照らした。

 すっかり背中の曲がった老婆が、残飯らしきものを足元のゴミ捨てに投げ込んだ。

 足早にその横を通り過ぎる俺たちに、老婆が抜け目のない一瞥いちべつをくれた。おとぎ話に出てくる魔女みたいな凄惨な眼差しが俺たちを値踏みする。

 俺は思わず外套の襟を引き寄せて、目を伏せた。

 その時、俺たちの後方で窓が開く音がし、間髪を入れずザバッと水が跳ねる音が路地に響いた。誰かが窓の外に汚水でもぶちまけたのか。

  先ほどの老婆が、犬でも追い払うようにシュッと舌を鳴らし、階上の誰かに向かって悪態を突いている。窓がビシャリと閉まる音がした。

 ビンズイの、やれやれという溜息が俺の肩元で聞こえた。

 

 目の前でタゲリが幾度目かの角を曲がった。

 それを追って、俺も次の路地へと飛び込んだ。前方に延びる新たな路地の暗がりの中で、何やら影のようなものたちがうごめいているのが見えた。

 その黒い影は人の形をして、どうやらゴミ溜めを漁っている。別の影は壁を背にして据わり込み、路地の一部と化していた。

 通り過ぎる俺たちを気に留める様子はない。

 そんな、ゾンビのような路地の住人たちの横をすり抜けて、さらに歩みを進めて行くと、やがて店々が軒を連ねる表通りへヒョイと出た。

 足元の水溜まりに、赤提灯の火が踊る。

 

 表通りには、酔客のだみ声や客を呼び込む女たちの嬌声が溢れていた。

 弁柄べんがら色のけばけばしい作りの店が建ち並ぶ。

 中でも派手な赤壁の店の前で、タゲリが足を止めた。そして、俺とビンズイをちらりと振り返った後、極彩色の絵が描かれた扉を押して店の中へと入っていった。 


 赤提灯に照らされた扉には、妖艶な天女たちが楽器を奏で、男たちに酒を振る舞う楽園が描かれていた。扉の上に掲げられた額縁には〈桃源楼〉という店の名が記されている。 幾度いくたびか、ヨイチはこの額縁をくぐったはずだった。


 薄暗い店の中は、生暖かい人いきれと酒の臭いが充満していた。

 タゲリが店の帳場ちょうばに近づき、親しげに黒服に声を掛けた。居丈高な目つきの優男が口を開いた。

「毎度ごひいきに。ダンキンチョウさん。お部屋は用意できてますよ。」

 尖った顎、薄い唇、路地裏で遭遇した老婆と同じ鋭い目だ。

 あの純情なヨイチが、立ち入っていい店じゃないのは明らかだった。


「あぁ、そうだ。手が空いた時でいいからちょっと寄って欲しいと、女将さんに伝えておくれ。・・・贈り物があるんだ。気に入ってもらえると思うがね。」

 ダンキンチョウこと、タゲリがそう言った。

 帳場の黒服は、唇を片方だけ曲げて下卑た笑いをした。黒服が指を鳴らすと、帳場の裏から若い娘が現れて、嬉しそうにタゲリの逞しい腕に絡みついた。馴染みの間柄のようだ。 

 寒い季節だというのに、ほとんど半裸のような胸や腰を艶めかしくうねらせている。ビンズイがヒョウッと感嘆の声を上げて、若い娘のもう片方の腕を取った。娘はケタケタと笑ってビンズイにヒップ・アタックをかける。

 ビンズイたちがヒートアップするにつけ、俺は何だか居心地が悪い。

 何しろ俺は、大学生なら誰でも経験するであろう新歓コンパの経験さえないんだった。

 俺は、ヤニさがった二人の中年男の背中と、プリプリとよく動く娘の尻にいざなわれ、場違いな気分に苛まれながら店の奥へと入って行った。


 薄暗いホールを横切って、俺たちは、二階に上がる階段へと案内された。

 ホールの一隅にしつらえられたステージで、女たちが音楽を奏でていた。金髪のぽっちゃりした中年女が歌っている。

 哀しげな異国の調べが俺の耳に染みこんで来た。

『・・・風よ、空吹く風よ。なにゆえにおまえはそんなに吹きつのる・・・』

 しんみりとした歌声が、又ぞろヨイチらの最後を思い出させた。


 恐らく、ヨイチは一度目は誰かに誘われてこの店に来た。その時点で、すでに仕掛けられていたに違いない、というのがイカルたちの見立てだ。ヨイチは〈精霊〉の御用商人だったのでターゲットにされたとイカルは言う。

 ヨイチをめた奴らの狙いは、〈精霊〉の屋敷にネズミを放つことだったのだと。しかし、誰が何の為に?

 この一点について、この国の警察機構を統べるイカルや配下の者たちは強い関心を示していた。

 

 赤く塗られたてすりの階段を登り切ると、一対の陶製の虎が俺たちを出迎えた。

 板張りの床の他は、壁も天井も赤く塗られている。

 薄暗い廊下の壁沿いには、点々と灯された行灯あんどんの炎が、揺らめいていた。

 

 プリプリ尻の娘は、廊下に面して並んでいる赤い扉の一つを押し開いて、俺たちを小部屋に招き入れた。

 牡丹と孔雀が描かれた衝立の向こうに赤い円卓とバンブー製のエキゾチックな椅子が見えた。赤い壁にはゴテゴテした安っぽい絵(山水画、鶴、七福神の宝船etc)が統一感もなく掛けられ、棚には下手な絵付けの壺が並んでいた。

 置き行灯あんどんに照らされた周りに目をやると、埃とヤニでひどく薄汚れていた。


 酒と料理が運ばれてくると、ビンズイがプリプリ尻の娘に言った。

「今夜はちょっと商談があるのでな。残念だな~。」

 タゲリが、懐から穴開き銅銭を取り出して、娘の手に握らせた。ビンズイが去っていく娘の尻を一撫でした。

「やーだぁ。」

 娘は、嬌声を残して部屋から出ていった。

 ビンズイは扉が閉まるのを見て、部下のタゲリに話しかけた。

「なかなか上等なじゃないか、ダンキンチョウさんよ。」

 三ヶ月程前から客として内偵に入っているタゲリが、肩をすぼめた。

 真顔に戻ったビンズイが、声をひそめて言った。

「さっき廊下で、微かに臭ったな。」

「三階が花園です。隠し扉の奧に三階への階段があるんです。」

 タゲリが、天井を睨みながら返答をした。この商館が隠し持っている罪業を透かし見るかのように、俺も薄暗く低い天井を見上げた。


 ビンズイが、この部屋にたった一つある小窓にふらりと近づき、それを押し開いた。

 冷たい湿った風が部屋の中に流れ込んでくる。

「・・・みぞれが雨に変わったな。」

 そんな独り言を呟きながら、ビンズイはすっかり暗くなった外をしばらく眺めていたが、やがて戸を閉め、寒そうに手を擦りながら席に戻ってきた。

「よしよし、それではいただきましょうぞ。せっかくのご馳走だ。あぁ、こいつも一杯くらいは、いっとこう。」

 そういって徳利の中身を三つの杯に注いだ。濃い琥珀色の黄酒ホアンチュウから甘い香りが漂う。

「今宵、ご武運有らんことを。」

 ビンズイが俺たちにそう呼び掛けて、いかにも美味そうに杯をすすった。

 それを聞いて、俺は、緊張がよみがえってくるのを感じた。


〈桃源楼〉は、表向きは料理屋兼キャバレーだった。一階はキャバレーで、二階は宴会用の小部屋が並んでいる。俺たちは羽振りのいい商人という触れ込みで、二階の小部屋で宴席を設けている。


 実際、違法行為が行われているのは店の三階らしい。フルキの国の法律では、売春は公娼制つまりお上に登録しなければならない。しかし当然、私娼(ヌケでする者)も多い。〈桃源楼〉は、表向きは料理屋兼キャバレーなのだ。あくまでも表向きは。ところが、ここは、只の未登録売春宿でさえないらしい。売春+阿片。そういうことだった。


 フルキの都に大陸から阿片が持ち込まれたのは、ほんの数年前のことらしい。

 阿片の虜となりはて、家財をすっかり傾ける分限者やその子弟たちが次々に現れて、事の深刻さが表層化した。

 そして一年ほど前、阿片はご禁制となった。売ることも国内に持ち込むことも、破れば死罪に科せられる。

 にもかかわらず、阿片は今でも闇の中で流通を続けている。

 阿片売人の元締めが誰なのかようやく突き止められたのは昨年の暮れで、ちょうど同じ頃、たまたま俺はヨイチの遺言話をイカルに持ち込んだ。

 図らずも〈火〉の密偵たちの羅針盤は、同一の店の名を指し示す結果となった。


 さて、このご時世に羽振りのいい人間など少ないのか、俺たちは結構いいカモだと見なされているようすだ。

 給仕の女たちが、愛想を振りまきながら次々に料理と酒を運んでくる。客がストップをかけないといつまでも運ばれ続け、支払いに加算されていく仕組みらしい。


 俺たちは世間話をして過ごした。といっても、ビンズイが喋り、タゲリがそれに相づちを打ち、俺はもっぱら、彼らの話をそばで聞いていただけなんだが。

 それも、正直いってうわの空だった。チャンイこと女将がいつ現れるのか、俺はピリピリした思いで、その時を待ち受けていたからだ。


 時々、ビンズイが、徳利の中身を棚の上の青磁の壺に空けた。

 任務中の身である俺たちは、駆けつけの一杯以来、酒を飲んでいない。そのあかしが壺の中に増えていく。

 落ち着かぬ思いで壺をにらんでいると、ビンズイが目の前の徳利を振って、俺の杯に酒を注いだ。

「えっ。」

「カガヤさんは、もう一杯やったくらいが、ちょうど良さそうだ。」

 ビンズイはおどけた顔でそう言いながら、立ち上がって、棚の上の壺に残りを流し込んだ。いかにも惜しそうに壺を覗き込んで、ビンズイが溜息をつく。

 俺は杯をつかんで、一気に酒を流し込んだ。


 酒宴が始まって一時いっとき(=二時間)程が過ぎた。

 三人共、さすがに箸も進まなくなり、ビンズイはキセル煙草をくゆらせていた。〈火〉の屋敷は禁煙なので、ビンズイが煙草を吸う姿は初めて見る。


 その時、部屋の扉が開いて、一人のあでやかな女が現れた。

 長い黒髪を綺麗に編み上げた三十過ぎの女は、俺たちの顔をゆっくりと見やり、タゲリの顔を見つけて視線を止め、芝居がかった流し目をした。目力めじからが半端ない。


「今日は、オトモダチも一緒?」

 そう言って、なまめかしく体を揺らしながら、円卓に近づいてきた。歩くたびに玉虫色のドレスが、蝋燭の光を反射してきらめいた。

 そして、それ以上に三人の目を射抜いたのは、ドレスの左右の深いスリットからのぞくスラリと伸びた白い脚だった。

 乗りのいいビンズイが感嘆の声を上げた。

 大袈裟にめられるのが好きならしい女が、ビンズイを見つめた。金のイヤリングが揺らめく。


「私に贈り物をくれるって本当? 何のお祝いかしらね。」

 異国訛りでそう言うと、女は、俺たち三人をゆっくりと見回した。ビンズイとタゲリがちらりと俺を見る。

 俺はゴクリと唾を飲み込み、あらかじめ用意していた言葉を女に投げた。

「チャンイさんですよね。・・・ヨイチという商人を知ってますよね。彼に、ことづてを頼まれたんですヨ。」

 チャンイは首を傾げて、名前の主を思い出そうとした。

「〈精霊〉の御用商人と言ったら思い出しますか。」

 チャンイの大きな目がギラリと光った。

 そして、脅すようにこう言った。

「あんたたち、だれなの?」

警戒心を剥き出しの女の形相にけおされて、言葉を失った。

 

 俺はふところから巾着をつかみ出して、赤い円卓の上に投げた。ジャリンとつややかな音がした。

 予想通り、その音がチャンイの心を踏みとどまらせたようだ。

 突然、女は哀しそうな声で叫んだ。

「私とヨイチ、とても仲良しだった! でも、急に店に来なくなった。だから、病気でもしたかと思った。」

「・・・実は、重い病気に罹りまして。」

「知ってるわ。ヨイチが来なくなったから、心配して、私、家まで行ったのよ! で、近所の人が教えてくれた。死んだって。」

「優しいんですね・・・わざわざ家まで。」


 俺はチャンイから顔を背けた。近所の人は何も知らないんだよ、チャンイさん。ヨイチはウルボンナの前日に馬車で出掛けたきり、二度と家に帰ることはなかったんだから。


あ・たの・・・せぃ・・で、ヨ・・チ、は。

 思わず俺は叫んだ、つもりだったが、自分の意に反し、声が震えて言葉にならない。

 チャンイは勘違いしたようだ。あるいはそういう振りを続けるしかなかったのか。

 何やら異国の言葉を叫びながら、俺の膝に取りすがって大泣きを始めた。俺は椅子に座ったまま、石のように固まって、ビンズイを振り返った。

 ビンズイはというと、ドレスのスリットから大胆に投げ出された女の太股を、上機嫌で鑑賞している。

 剣呑けんのんな俺の視線に気づいたビンズイは、空咳をしながら慌てて席を立った。

 そして、部屋を横切って先ほどの小窓まで行き、それを開け放った。それから、おもむろに窓辺で煙草をくゆらせ始めた。

 時折、何かを確かめるように路地を見下ろしている。

 雨のそぼ降る音が、路地に響く。


ビンズイの表情からすると、状況は俺たちの計画通りに進んでいるようだ。

俺は、チャンイの腕を振りほどいて椅子から立ち上がった。

「チャンイさん。」

 俺は、相変わらず床を叩いて泣いている女を、見下ろした。

「ネズミは、捕まえましたよ。」

 チャンイの声がピタリと止んだ。そして、怪訝そうに俺を見上げた。

「実は、あんたがヨイチのために用意した荷箱の中から、ネズミが一匹這い出てきたんだよ。でも、それは〈精霊〉の屋敷に到着する前、まだヨイチの家に荷箱が置かれてた時だった。ヨイチたちは、ネズミ取りを仕掛けて、きっちり、そのネズミを始末した。フルキでは見たこともない大きなネズミだったそうだ。誰かが異国から持ち込んだんだろうけど・・・残念だな。誰かさんの目的は果たせなかった。さあ、ネズミはあと何匹いるんだ? あれがどんなに危険なネズミなのか、あんたは知ってるんだろ? 数日前に、この商館で働いていた女が、死んで川に捨てられた話もしょうか。」

俺は、涙の跡のないチャンイの顔に向かって、一気に言葉を吐き出した。



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