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奈半利の門(ナハリ・ゲート)  作者: 茅花
第2章
19/45

第19話 風の僧院 2

                 

 ヨシは、高い石塔の方へ足早に歩いていく。それは、白い広場からは、ずいぶん奥まった一隅にあった。

 石塔を擁する建物の扉を、ヨシがグイと押す。木の扉には、先ほどの大門に描かれていたものとは少し違う文様が刻まれていた。

 扉が閉まると、視界が急に暗くなった。

 小さな天窓が、わずかな光を土壁の上に投げかけている。ひんやりとした空気はすこしカビ臭い。

 所々に灯るろうそくを頼りに、土間の通路を抜け、別棟へとヨシは向かう。


「ここは、風の僧院と呼ばれていてな、わしは、かれこれ百年、ここで暮らしたかの。で、ここがわしの仕事部屋じゃ。」

 ヨシが小さな木の扉を開くと、意外に明るく簡素な部屋が現れた。

「お前様は、ここでしばらくわしを待っておくれ。これから、〈水〉の僧院に顔を出さねばならんのでな。午の刻には帰れるだろう。よいか、この部屋から外へ出てはいかんぞ。」

 そういって扉を閉めかけたヨシが、頭だけ部屋の中にもどしてこう付け加えた。

「そうそう、後で、誰かを寄こしてお茶をごちそうしよう。聞きたい事があれば、その者にいろいろ尋ねるとよい。ただし自分の事を話す必要はない。良いな。」

 俺は幼稚園児か。


 ヨシの部屋は、本当に静かだった。なんだっけ。そう、図書館の静寂に似てる。

時間が、ゆっくりと流れていく感じがする。


 部屋の壁面は書架になっていて、棚の上には巻物が山のように積み上げられていた。

 ヨシが整理下手というより、圧倒的に、書物の量が棚の数を凌駕している状態だ。床の部分も書物の山が浸食を始めていた。


 ヨシは、書きもの机の横に杖を置いていった。どうみても健脚の持ち主に思えたので、この杖は権威の証なのではと俺は想像した。

 

 しばらくすると、トントントンと扉を叩く音がして、小太りの男が顔をのぞかせた。

 息子ぐらいの歳の俺を見て、好奇と落胆の混じったため息をついた。どちらの反応も俺をゆううつにさせるものだった。

 やっぱり、俺が〈藁人形〉から編み出された何かだ、という噂は、ここでも知られているんだ。

「アー、お茶を。導師様に、お客人のために、お茶を、お持ちするように、言われ、ましてな。」

 男は、不器用に食器をガチャガチャ鳴らしながら、盆を窓際の丸テーブルに載せた。

「私は、この、〈風〉の僧院で、長年、書記をしております。」

 男は神経質そうに、小さくハッハッと肩で息をする。習癖なんだろう。

 俺たちは、丸テーブルをはさんで、お互いの顔を見つめ合う格好になってしまった。


この流れだと、俺も自己紹介すべきなのかな? でも、なんて言えばいいんだよ、ヨシ!

 男は、用心深く言葉を選んでたたみかけた。

「・・・遠い国から、いらしたと?」

「? あぁ、ええ、そうなんです!」

「この国のことで、お知りになりたいことがお有りだとか。」

そうだった。質問されないようにこっちから質問したらいいんだな!

 俺は汗ばんだ手のひらを、ギュッと握り締めた。

「そうなんです。たとえば〈風〉の僧院のことなんか。」


 男は眉毛をつり上げて笑った。

「どこまで、ご存じで?」

「予備知識ゼロと思ってください。」

 男は、息子に教えるような口調で、うれしそうにしゃべり始めた。

「わしらの都には、五つの僧院がございます。〈精霊〉〈水〉〈火〉〈地〉〈風〉。〈精霊〉の僧院は、霊界の研究をし交信し、人の世界との調和を図る。〈水〉の僧院は、水脈と医術を司り、〈火〉の僧院は、武器職人と軍属を統べる。〈地〉の僧院は、地脈・鉱山の開発と豊穣な土地作りに勤しんでいる。そして我ら〈風〉の僧院は、あらゆる知識を集積し、風を読んで未来を展望しているのです。」

 一気にしゃべったあと、男は大きく肩で息をした。


「へぇっ、風を読むって、どうするんですか。あなたも読むんですか。」

 これは、前から知りたかったんだ。ヨシは、人々から風読みの導師と呼ばれている。

 しかし、この質問はちょっとしくじった。男の頬がぴくりとった。

「わしも風読みの古い一族に属するものですが。」

 と、ここで男はため息をつき、そして自虐的な笑いを口元に浮かべながら続けた。

「試験に受かりませんでした。何度か挑戦しましたが・・・。」

 この世界にも試験があるとは。官吏登用試験のようなものなんだろうか。


「しかし、おかげさまで、書記になることはできました。まあ、わしが古い一族に属しているということで。わしの伯父は、五年前まで〈風〉の僧院の有力な導師の一人だったのです。」

 そして、家柄偏重や縁故採用も当然のようにあるわけだな。


 男は、誇らしげに腹を揺すって言った。

「残念ながら、努力して知識を蓄えるだけでは、風を読むことはできません。伯父は、よくこんなことを言っていましたな。風を読むとは〈 存在しないものが見えるようになること 〉だと。どうやったら見えるようになるのか、わしにとっては未だに謎です。それがわかっていたら風読みになっていますよ・・・。ハ、ハ、ハッ、ただし空気を読むのは得意な方でして。」

なんちゃって、自虐ネタかよ! 仲間内で、場を盛り上げたりするの好きそうだな。でもってスベッちゃう残念な人だ。


 俺は、月見の宴で聞いてしまった〈土〉の元老の言葉を思い出していた。

「『風は逃げた』って、ある人が言っていたけど、どういう意味でしょう。」

 またもや男の顔がくもった。かなり露骨に。

 男は探るように俺を一瞥いちべつした。敵なのか味方なのか、選別されたような気がした。

「・・・たしかに、それによって、〈風〉の僧院の立場は微妙なものになっています。〈風〉と〈水〉の二人の元老がこつぜんと姿を消し、五つの僧院間の力関係も崩れてしまいました。誰が流しているのか、わしらを卑怯者呼ばわりする噂が飛びかい、そのせいで、わしらは新しい元老を立てることも許されないありさまで。その出来事以来、〈風〉の僧院への予算は露骨に減ってきています。あぁ、伯父が僧院に残ってくれていたらこんな屈辱的な思いはしなかったに違いない。」

 初対面の若造相手に仕事の愚痴話を始めた。どうやら味方の認証を得たらしい。俺はどっちでもない気分なのに。


 それにしても、予備知識ゼロの俺にとってはディープ過ぎる話が続いた。

「〈風〉の僧院は〈風〉の元老とは縁を切ったと、何度も元老院には申し上げたが、表面おもてずらでは理解したと言いながら、内心ではわしらを信じていないようで、陰湿な制裁を仕掛けてくる。今や、他の僧院のみならず、〈風〉の僧院の中でさえ いったい誰が敵で誰が味方なのかわからないありさまです。」

 男は肩で息をしてから、言葉をつないだ。

「もちろん、そのような中で、ヨシ導師様は、誰にでも公明正大に接される信頼できる数少ない方のお一人です。」

 保険はしっかり掛けておくタイプらしい。俺はヨシの客人なわけだし。


「で、どうして、〈風〉と〈水〉の元老は姿を消したんですか。」

「お二人は、いなくなった時期も理由も違います。〈風〉の元老は三年前に行方知れずに。〈水〉の元老の方はつい半年はんとしほど前でした。」

 男が急に声をひそめたので、俺は思わず男の顔に耳を近づけた。

「これは噂ですが、〈水〉の元老は、急な病を得て、たった数日で亡くなられたのです。それが面妖めんようなことに、今までに聞いたこともない怖ろしい病だったのではないかと。しかもご家族も次々に謎の病で亡くなったという噂が飛んでいます。しかし、これはあくまで噂です。なぜなら〈水〉の一族も、〈水〉の僧院もそのことをひた隠しにしているからです。〈水〉の元老といえば、ご自身も高名な医術者で、この国の医療・研究を束ねるお方です。つまり〈水〉の元老職とその僧院に集まる医療の情報は、この国にとって唯一のものだと言うことです。だから、もしそのような病が発生したのなら、すぐさま元老院に報告する任を水の者たちは負っている。しかし未だに元老院は何も知らされていません。」


 男は肩で息をするのも忘れ、早口でしゃべりつづけた。

「このようなことをわしが知っているのは、わしの職業上の立場のせいで、つまり〈風〉の僧院は、全ての僧院が得た知識や情報を、最終的に記録し保存する役目も担っていまして。」

 ここで男は言葉を切り、うれしそうにつけ加えた。

「わしは、〈水〉の僧院からの情報を記録・保存する係の責任者なんです。」


おいおい、こんなトップシークレットを初対面の俺にペラペラと話すとは。この国の官吏に守秘義務はないのか!


「おやおや、すっかり話し込んでしまいました。冷めてしまったようですな。」

 男は二人の間のお茶に目を落として、ポットに太った指をかけた。

「えっ、いえいえ、自分でやりますから。」

 あわてて、俺は男の手を制した。

「あ、ありがこうございます。貴重なお話をしていただいて。」

 

 そしてその時、俺は、先ほど男にした質問のうちの半分しか答えが返ってきてないことに気づいた。

「えっと、では〈風〉の元老が、三年前に元老院を去った理由はいったいなんだったんですか。」

男の目が、一瞬だけ見開かれた。そして、動揺したようすで、ハッ、ハッと肩で息をした。わかりやす過ぎて気の毒になる。この人、緊張するとハッ、ハッなるんだ。

 男は、お茶のポットをちらちら見やりながらこう言った。

「それは、です。つまり、謎、というわけです。・・・もっか、鋭意、調査中ですが。」

 男はぎゅっと口を閉めた。しばらく沈黙が続いた。

「・・・やっぱり冷めてしまったようですね。お茶を取り替えましょうかな?」

 男は、今度こそきっぱりと話をそららした。


「えっ、いえいえ! これで十分です。ありがとうございました。」

 俺は、お茶のポットを引き寄せた。

 男はうなずきながら、テーブルの上の皿をちょいちょいと指さした。そして、こう言って部屋から出て行った。

「その、あんずの干菓子は、なかなかいけます。」

 俺は、お茶に添えられた干菓子に目を落とした。干しあんずに砂糖をまぶしたものだった。

 アトリの館では、毎日のようにいろんなお菓子が饗されていたな。落雁とか、干菓子類が多かった。しかし、俺にとっては素朴すぎて、あまり食べる気にならなかったものだ。

 そういえば、イカルの屋敷に居候するようになってからは、菓子なんてしばらくお目にかかっていない。

 俺は、指であんずをつまんで、口に投げ入れた。甘酸っぱい香りがした。

 

 俺は、家の近所にあったケーキ屋のシュークリームを思い出した。

 皮がパリパリで、中にはカスタードとホイップクリームがWで入っているやつだ・・・。


 

 お茶は、やっぱり冷めていた。

 一口すすって茶碗をテーブルにもどす。

 

 俺は、再びヨシの部屋を見回した。

 窓際に置かれた丸テーブルの周りには、テーブルと同じデザインの椅子が二脚と不ぞろいな肘掛け椅子一脚が並んでいた。


 丸テーブルの横の窓は、縦長で木製の格子が入っていた。それは日本的というより中国っぽいデザインだった。

 窓の外には石張りのテラスがあって、その向こうは、ちょっとした中庭になっていた。ヨシの部屋からは、テラスに出られるガラス扉が一つあって、このガラス扉のお陰で、ヨシの部屋はとても明るい感じになっていた。


 俺は、椅子から立ち上がって、中国っぽい格子の入った扉の前に行った。

 テラスの床にはモザイクの図案が描かれていて、中庭への降り口にはシーサーのような一対の置物が飾られている。

 素焼きの鉢がいくつか並んでいて、ハーブのようなものが植えられていた。

 中庭も、どうやらハーブ園のようだ。野菜のうねもあった。園芸のことはよくわからないが、よく手入れがされて、いい感じに草木が茂っている。


 中庭の向こうに灰色の道が見えた。

 ここで働く人たちが行き来しているふうだ。俺くらいの歳の子やヨシのような老人も結構いた。この国に定年退職はなさそうだし、子供たちも十四、五で働き始める。

 ユリだって、十六だとアトリが言っていた。

 ユリ、今頃、何をしているのかなぁ。

 案外、そこらへんを歩いてたりして・・・なんてことを俺が想像してた矢先だった。

 本当に、本人が歩いてきたじゃないか! 


 心臓がゴトリと鳴った。

 ユリは、トレードマークの白い上着(ただし、本日のものは透けてない!)に、海老茶の袴をはいていた。ちょっと神社の巫女さんみたいで、これもなかなか・・・。


 待てよ。おい、誰だ? あのユリの隣の若い男は! 

 二十代半ばぐらいのなかなか美形だ。二人でなんだか盛り上がってしゃべってるふうじゃないの。

 ・・・二人の笑顔が・・まぶしい。


 俺は、思わず窓辺から身を引いた。

 冷静に考えてみれば、この世界のこともユリのことも、俺は何も知らないじゃないか。一人で鼻の下を長くしていた自分が、急に間抜けに思えてきた。

 ああいう出会い方をしたせいで、勝手に親しい気になってたんだ。

 声とかかけに行かなくて、ホントよかった。

 俺は、ちょっとばかし舞い上がっていた。俺としたことが。

 ・・・ユリの事は忘れよう。忘れることさえ何もない今のうちに。

 俺は始まってもいない何かを、いつものように脳内からポチッと削除した。


 午の刻を知らせる鐘が鳴ってかなり経ってから、ヨシはようやく帰ってきた。

 風読みの導師は浮かない顔をしていた。

「昼をごちそうしようと思っていたが、ちと急な用ができてしまってな。」

 俺は椅子から立ち上がった。ヨシは、廊下への扉を開けながらこう言った。

「〈精霊〉の屋敷まで護衛の者を付けよう。」

「いえ、俺、少し前からイカルの所にいるんです。」

 ヨシが、少々いぶかった顔をした。が、理由わけを訊くことはなかった。


 どうやら、俺が〈火〉の屋敷に身を寄せている件は、ヨシの耳には届いていないようだ。当然のことながら、俺の動向などヨシの関心の対象ではないんだろう。

「そうか、ではイカルの所まで送らせよう。」


 ヨシとは僧院の建物の前で別れた。

「ところで、なんという名だったかな。」

「カガヤ。」

「カガヤ、また会おう。これから先、〈藁人形〉の手も借りたいと思うことがあるやもしれんのでな。」

 別れぎわに、ヨシはそんなことを言った。


 ヨシに呼ばれてやってきた護衛は、腰に刀を差した屈強な男だった。何だか大袈裟なことになってしまったな。

 護衛の男は、道中、一言もしゃべらなかった。俺もそのほうが気が楽だったが。


 イカルの屋敷の門の内側で、俺は出てきたイカルに引き渡された。男はイカルに深々と頭を下げて、無言のまま去っていった。


 男が門の外へ去ると、イカルは、やおら俺の方に向きなおってネチネチとした調子で言った。

「なんだ、女のようにまもられてご帰還とは、この屋根の下に住む男として有るまじき。」

 俺は肩をすくめた。イカルなら絶対そう言うと思った。

 それにしても、俺がまもってくれと頼んだわけじゃないのに。


ヨシのお節介め。


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