第17話 旋風脚!
その日、俺は、女料理長のスオウを手伝って、食堂の長テーブルを磨いていた。
スオウは、南方の島国の出身だという。
浅黒い皮膚、快活によく動く大きな目。相撲取りのような巨体。
〈火〉の屋敷に初めて来た夜、俺をお姫様抱っこで寝室に運ぼうとしたおばさんだ。俺は、必死でそれを断って、肩だけ貸してもらった。
スオウは気さくで働き者だった。
なおかつ、おしゃべりが大好きだったので、いつの間にか、俺は、スオウの話し相手をして過ごすことが多くなっていた。
先日は食堂の鏡磨きを手伝ったし、皿洗いを手伝うこともあった。カンナでさえ、あれこれと家の用事を手伝うような家風だ。居候の俺が何もしないというのは正直気が引けたので。
月見の宴の後、しばらく屋敷を留守にしていたイカルと郎党が帰って来たのは、今朝方だった。
そのイカルに同伴していたオルハンが、目をショボショボさせながら遅い朝食にありついていた。
そのかたわらで、俺とスオウはワックス掛けをしていた。溶かした飴色の樹脂を長テーブルに丁寧に拭き込む。
オルハンは、いつものように静かに食事を終えて、立ち上がった。そして、出口に向かいながら、スオウと俺の手元を指さして、ふと、こんなことを言った。
「ラック貝殻虫。この蝋は、ラック貝殻虫の体から滲み出た液で出来ているんだ。そいつの排泄物は、甘露といって食べることも出来るし、そいつを潰すと赤い染料にもなる。本当に役に立つ虫だ。スオウさんの祖国でたくさん捕れる虫だね?」
スオウは、普段以上にウキウキした声を出した。
「本当に、オルハンさんは物知りダワ~! 世界中を旅したお人だものね。」
昔はかなりなイケメンだったと思われるオルハンが、青みがかった瞳でニッコリ笑って立ち去った。
スオウが、部屋を出て行くオルハンの背中を見やりながら言った。
「オルハンさんは、オスマンという遠い遠い国からやってきたんだとよ。何年も大陸を旅して、フルキへたどり着いたんだとさ。オルハンさんに言わせりゃ、このあたりは世界の東の果てなんだそうだよ。」
ちょうどその時、オルハンと入れ替わるように、イカルがふらりと食堂に入ってきた。
スオウが、イカルを振り返って、なまりのある大きな声で言った。
「おはようございます、イカル様。朝ご飯を、召し上がりますか。」
スオウが、ワックス掛けの作業にまだ取りかかっていない下座の方の椅子を、イカルのために引いた。
スオウは、家長とて特別扱いしないらしい。彼女にとって朝食の時間はすでに終了していた。今やっている作業を、主のために取りやめる気は毛頭ないようだ。
イカルは、下座の椅子に座りながら、ワックス掛けをしている俺をチラリと見やった。それから機嫌の悪そうな顔をスオウに向けて言った。
「・・・何をさせているのだ。」
俺はあわてて弁明した。
「暇だから手伝いたいって、俺が頼んだんです。」
イカルが、独り言のようにつぶやいた。
「男のすることか。」
スオウは、丸々と盛り上がった肩をすぼめた。そして、俺にウインクを残して台所に消えた。
「・・・カガヤ。そんなに暇なら、後で道場へ来い。」
虫の居所の悪そうなイカルを残して、俺は食堂から早々に退散した。
いっときほどして、仕方なく俺は道場へ出向いた。
〈火〉の屋敷には武道場がある。そこでは、いつも誰かが武術の練習を繰り広げている。なにやらセパタクローとか少林寺拳法に似た武術だ。俺は、通りすがりに、何度かその白熱した稽古のさまを見かけていた。
ちょうど今は、昼時だからか道場はガラガラだった。
数名の少年がまわし蹴りの技を掛け合って戯れていた。旋風脚が決まった。こういう格好いい技、どこの世界の子も大好きなんだな。おおかた郎党の子弟たちだろうか。
俺が道場の入り口から覗き込んでいると、少年の一人が近づいて来た。
「カガヤさん? 貴方がおいでたら、イカル様をお呼びするように言われています。ここで待たれてください。」
声変わりしかかっている少年は、使い慣れない様子の敬語でそう言い残してイカルを呼びに行った。
ほどなくしてイカルが現れると、入れ替わりに、少年たちは連れ立ってどこかへ行ってしまった。
「武術の心得はあるのか?」
イカルは、期待してない様子で俺を見下ろした。
百九十センチは悠に越えていそうな上背だ。俺は、太いイカルの首周りとマッチョな腕を見上げた。嫌な雲行きだ。
俺はしぶしぶ答えた。
「全然。」
「まあ、そうだろうな。」
イカルは、つまらなさそうに鼻を鳴らした。そして、信じられない事を言いだした。
「では、私は両腕を使わない。十本勝負と行こう。」
そんな無茶苦茶な。 無差別級もいいところだぞ!
ていうか、こっちは素人なんだ。両腕を使わないハンディなんてどれほどの意味があるんだ?
イカルは問答無用で、一,二,三と数えながら七歩下がった。そして有無を言わさぬ調子でこう言った。
「よし、始め!」
「えっっっっっ!!」
イカルが両腕を腕組みした体勢で、俺に突進してきた。
おい、待てよ! そもそも、これって何の試合なんだ!
相撲? レスリング? ルールは・・・!? もちろん何の試合かわかったところで状況が変わるわけじゃっ、っ!
俺は、イカルのタックルを避けて体をよじった。しかし、残ってしまった下肢を軽く払われ、尻餅をついた。痛てぇよっっ!
「一本。」
淡々とそう言って、イカルは七歩下がると、再びこちらを向いた。
何なんだ、この理不尽な展開は!
「よし、行くぞ。」
まるでアメフトのタックルのようにイカルが突進してきた。
俺は、とっさに、目の前に迫ったイカルのムキムキの二の腕を両手でつか
んだ。そのままの体勢で俺の身体は後ろにズルズルと下がっていく。
その直後、イカルが後ろに身を引いた。俺は前のめりになった。
嫌な予感は左側からやって来た。中段回し蹴りだ。
俺は、腕で腹部をガードした。同時に右に倒れ込んで、イカルが放った回し蹴りの衝撃を弱めるのが精一杯だった。
俺は床にすっ飛んだまま、痛む左腕を押さえた。激痛だ。折れたかも知れないと思った。
「・・・二本。」
イカルは、起き上がろうとする俺を退屈そうに見下ろして、言った。
「三本目、行くぞ。」
律儀にもまた七歩距離を取った。
しかし、思い直したようにスタスタと俺の鼻先まで来て、無防備に突っ立った。
「攻撃してもいいんだぞ。」
カンナによく似た目が俺を見下ろしている。
挑発しているというよりは、困惑に近い表情だった。
バカにされたよりも恥ずかしい気がした。何かが俺の中でプチンと切れた。
俺は、右手の拳固でイカルの頬を殴りつけた。
が、イカルは、マトリックスのように上体をのけ反らせた。拳固が当たらないのはわかっていた。
しかし、ほとんど同時に繰り出した左膝の蹴りは、確実に、イカルの鋼のような太股にヒットした。
イカルは、数歩後ろに飛びすさって、ニタリと唇を歪めた。目が笑ってなかったら、かなり危険な顔だ。
イカルの尖った顎を上目使いに睨んで、俺は声を振り絞った。
「一本!」
「・・・わざと、ハズしただろ。」
イカルが、唇をゆがめたまま、そう言った。
俺は、一瞬意味が分からなかったが、やがてあることに思い至った。ひざ蹴りを入れる時、とっさに相手の股間を避けた気がする。
「甘いわ!」
イカルが、険悪な顔で一喝した。
金的はさすがにまずいだろうと思ったが、それがイカルを怒らせてしまったようだ。
イカルは、凄い形相をして連続で足技を繰り出した。何本かは、俺の脚や腕にヒットしたが、イカルは、もう数えることも仕切り直すこともしない。
俺は、道場中を走り回った、というより逃げまどった。
試合という体は、すでになく、グダグダなデスマッチとなっていた。
「ちょこちょこと、猿のように逃げまどいおって!」
イカルは、息を荒げて俺を追い回しながら、それでも、組んだ自分の両腕を解くことはしない。
しかし、明かにテンションが上がってしまっていて、この鬼ごっこに飽きる気配はなかった。
俺の脚はそろそろ限界だった。いや、相当前から限界だった。気をゆるめると、膝からガクガクとくずおれそうだ。
俺は覚悟した。そして振り返った。そして、すぐ後ろに迫っていたイカルに突進した。
イカルは、俺に駆け寄りながら、右足でローキックを放った。俺は左足でそれを蹴り返した。
俺の足裏とイカルの膝が激しくぶつかる。
俺はそのままイカルの胸元に飛び込んだ。そして、間合いを取ろうと一歩退いたイカルの軸脚を、俺は両腕で掴んで、道場の床板から思いっきり引き剥がした。
バランスを崩したイカルは、仰向けに倒れた。倒れながら、思わず両腕を空中に泳がせたが、律儀にも腕を組みもどして倒れていった!
俺は全体重を載せてイカルの上腿を押さえ込んだ。
が、イカルは両腕を胸の前で組んだまま、ゾンビのように跳ね起きてくる。化け物じみた筋力だ。
無理だよ・・・しょせん、大人と子供ほどの筋力の差だ。俺は残っている全ての力を込めて、イカルの顔面に頭突きをかけた。
目から星が飛んだ。
白くなっていく視界の端で、イカルが起き上がるのが見えた。そして自分の身体が振り落とされたのを感じた。
激痛で意識がもどった。大の字に伸びている俺を、イカルが見下ろしていた。
俺は、目の上を抑えた。指がヌルリとした物に触れた。血だ。左の頬から額にかけて激しく痛む。
俺は上体を起こしながら、チラリとイカルを見上げた。イカルも唇が切れているようだが、平気な顔をして突っ立っている。
どうやら、テンションは平常にもどったようで、いつもの口調でこう言った。
「弱いということは犯罪だ。戦にでもなれば、自分のみならず、仲間の命取りにもなりかねぬ。弱さに甘んじるな。もっと強がれ。」
イカルは説教じみた言葉を残して、さっさと道場から立ち去った。
何なんだ、これは。
何で、俺はイカルに焼きを入れられたんだ? これってイジメだよな。
俺は目の上を押さえながら、すごすごと自室に引き返した。
すでに夕食時だが、食堂に行く気にもなれず、俺はベッドに横たわったままだった。
〈火〉の屋敷に厄介になっている限り、イカルの命令というか、考えには従わなければならない。まして、イカルは、本気でそう思って言ってるんだろう。
そうは思うが、傷の痛みが俺の心を卑屈にする。
ノックもなく扉が開いた。俺は、寝返りを打って扉に背を向けた。
カンナが、いつもと変わらぬ調子で声を掛けてくる。
「どうした? どこか悪いのか。」
「頭が痛い。」
頭が痛いのは事実だった。脳出血とかしてるかもしれない。俺は、不機嫌そうに目を閉じた。
しかしカンナは容赦なく俺の顔をのぞき込んできた。そして傷をかくしていた俺の手を思いっ切りつかんで、額から引きはがした。
「なんだそれ。」
あきれたようにそう言うと、カンナは黙って部屋から出て行った。そして、じきに薬箱を抱えてもどってきた。
「・・・何で隠すんだ?」
「おまえの兄さんて、俺のこと嫌ってる?」
俺は、意地悪な口調でそう訊いた。カンナは驚いた顔をした。
「喧嘩したのか?・・・嫌ってたら、屋敷に居ていいなんて言わないよ。そうだろう?」
「それは、カンナが口添えしてくれたからだろう?」
「きっかけは、私かもしれないけど・・・。イカルは、絶対におまえのことを気に入ってるよ。〈精霊〉のこと、すごく怒ってたし。」
カンナは、ぬれた布で俺の顔の血を拭き取りながら、そう言った。
「そうなのか。」
「そう。」
カンナは、傷口にグリグリと軟膏を塗りつけた。
「そうなんだ。」
「そう、そう。」
「・・・・・・。」
結局、なぐさめられてしまった。カンナなら、そんなふうに言ってくれると思ってた。情けないが、俺はカンナに甘えてる。
その日の夕方、〈火〉の主の食堂は、いつになく静かだった。
上座に、カンナと俺、下座に、ビンズイら三人ほどの男が固まって座っている。
少し遅れて食堂に入ってきたイカルを、俺はチラリと盗み見た。頬に青痣が出来ていた。唇も切れている。
しかし、俺の方がもっと惨めな姿になっていた。左の瞼がひどく腫れ上がってしまった。
ビンズイたちは、素知らぬ顔をよそおっているが、イカルと俺の傷について興味津々といった様子が感じ取れる。
イカルは、俺やカンナの方を見やることもなく、家長の椅子にドカリと座った。そして、いつものように箸を手に取った。
カンナが、素っ気ない口調で、兄に声をかけた。
「カガヤが怪我してるのはどうしてだ。」
『おいおいっ! 蒸し返さないでくださいよ、カンナさん!! 』
俺は心の中で絶叫した。
イカルは、ムスッとしたまま食事を続けている。カンナがさらに食い下がる。
「弱い者を傷つけちゃダメじゃないか。」
弱い者。本人を前にして、さり気にひどい言われようだ。本当の事だからいっそう傷つく。
イカルが口を尖らせた。
「カガヤが頭突きしてきたのだ!」
「そうなのか!」
カンナが、今度は俺の方を振り返って、うれしそうにそう言った。
カンナに喜ばれてしまった。俺は、思わず顔を伏せた。いろいろ気が重い。何よりも、カンナの優しさが重いと、つい思う。
俺は、こんなふうに〈火〉の主の食卓につらなるには、どう考えても似つかわしくない男なんです。それなのに、どうしてカンナ姫様は、そんなうれしそうな顔で俺を見ているんですか?
卑屈な感情が、ふつふつとこみ上げてくる。
その時だった。
カンナが、俺の傷ついた側の頬に、いとおしげに手をまわした。そして、包帯の上から傷口にそっと触れた。
なぁっっっ!
俺は、顔を赤くしたまま固まった。
イカルは、箸を乱暴に掻き回して食べ物を口に押し込んだ。
明らかに、カンナは兄に見せつけた。お、おんなは怖ろしい。
とは言え、カンナが兄に放った氷の鉄拳によって、俺が溜飲をくだしたことも事実だった。
それに、俺をむしばみかけていた卑屈な感情が、秒速で霧散してしまったことも、だ。
それにしても、いよいよBL風になってきた。どうしてこうなっちゃうんだろう。




