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奈半利の門(ナハリ・ゲート)  作者: 茅花
第1章
13/45

第13話 疫病神



 数人の見知らぬ男がやって来たのは、翌日の昼過ぎだった。

 戸口の所で、先頭の男が〈水〉の僧院の薬師くすしだと名乗った。

 ひどく咳き込む三人を前に、男たちは口を袖で覆って後ずさりした。しかし先頭の男は、それでも小屋の中に一歩踏み入ってヨイチを凝視した。

 ヨイチの顔は、黄色く腫れて不気味なさまになっていた。

「最初に具合が悪くなったのは、この男か」

 先頭の男は、感情のない声でそう聞いた。ヨヒョウがうなずいた。

「何日前のことだ。」

「ウルボンナの初日の昼過ぎから咳が出始めました。」

 男は、ヨヒョウと俺をジロジロと眺めやった後、きびすを帰して小屋から出ていった。そして、そそくさと戸を閉めながらこう言った。

「じきに戻ってくるので、ここから出てはならんぞ!」

 

 男たちの足音が遠ざかっていく。

 ヨヒョウは、目を閉じて横たわったままだった。ヨイチは、時々うわ言を言っては、身体をつらそうによじっている。


 喉が渇いて、俺は桶の中をのぞき込んだ。昨日くんだ水は、おおかた無くなっていた。俺は桶を提げて、うように川まで行った。

 頭が割れるように痛い。俺は水辺に突っ伏した。ヒンヤリとした川の水が、熱でほてった身体にしみいるようだ。

 うすら青い空の下、川面には清涼な風が吹き渡っていた。昨晩とはうって変わった、たおやかなせせらぎだ。


 ・・・俺は、突っ伏したまま川面に身を沈めた。痛みが和らいでいく気がする・・・

 三十分ほどそうしていただろうか。俺はようやく川から身を起こし、水を張った桶をかついで、小屋へと戻っていった。


 小屋の裏手まで来ると、何やらあわただしい人の気配がした。

「一人いないぞ!」

 と言う男の声がした。

 俺がひょっこりと葦原の中から現れると、戸口の辺りにいた数人の男たちがギョッとした顔で振り向いた。そして、手にした川魚を突くもりを俺の方に向けた。丸太や槌を持った者もいた。

 皆、陽に焼けた顔をしている。昨日ヨヒョウが伝言を頼んだ漁師たちだろうか。

 一番俺の近くにいた男が、もりで小屋の方を指した。入れと言っているようだ。俺は小屋の中へ戻った。


 中に入るやいなや、戸口が乱暴に閉じられた。

 そして、ガンッガンッガンッと何かを打ちつけるけたたましい音がして、小屋の戸口はあっという間にふさがれてしまった。

「ったく、オマエが、ウルボンナだってのに川なんぞに行くから、とんだ疫病神を釣っちまったんだ。これで当分、このあたりじゃ漁はできねーぞ!」

 誰かの不機嫌な声が聞こえた。小言を言われた男が、何やらボソボソと言いわけをしている。

 俺は、小さな窓に取りついて叫んだ。

「おい止めろ、閉じ込めないでくれ。逃げたりしないから! 水や食料、どうなるんだよ!」

 男たちは、返事の替わりに、窓にも何本か丸太を打ちつけた。そして足早に立ち去ってしまった。


 俺たち三人は小屋に隔離されてしまった、ようだ。

 昼過ぎにやって来た薬師たちの指示だと感じた。

 

 結局、水の僧院の薬師とやらが再びやって来る事はなく、丸一日が過ぎた。

 食料はまだ一~二日分残っていたが、水が少なくなってきた。なんとかして小屋から抜け出せないものかと、思いつめていた矢先、小屋の外で人の声がした。

「ヨヒョウさん、ヨヒョウさん、おられるかね。」

 ウトウトと眠っていたヨヒョウは、すっかり落ち窪んでしまったまなこを見開いた。そして上体を起こそうとするが、なかなか起き上がれないでいる。

 俺は、壁ににじり寄って声を張りあげた。

「居ます、居ます!」

 小屋の外から、一瞬、をおいて返答があった。

「あぁ、甥っ子さんか。思ったより元気そうなようすで何よりだ。食べ物を持ってきたよ。ヨヒョウさんと甥っ子さんたち二人が、ひどい風邪だと奥方様から聞いたもんで。ほれ三人分の水と食べ物だ。どこか差し入れる隙間はないかね。」

「窓の隙間から投げ入れてください!」

 窓から、包みが幾つか投げ込まれた。ようやく窓の下までってきたヨヒョウが、かすれた声をあげた。

「ウキチさんか、かたじけない。本当にかたじけない。ついでと言っちゃ何だが、今度来てくれる時でいい。まきを持って来てはもらえんかね。煎じ薬を作りたいのでね。」

 そこまで言うと、ヨヒョウはひどく咳き込んだ。承知したと言って立ち去りかけたウキチに、俺はこう言った。

「馬車を、中洲に渡る手前の川岸においてあるんです!馬の世話もお願いできませんか?」

「・・・馬車? はて、見かけなかったな。一~二晩も置き去りにしたら、お気の毒だが馬泥棒に持っていかれたに違いない。」

 そうか。ヨイチには悪い事をしてしまった。

 重い馬車をガラガラと引いたまま、川岸で草をはんだり水を飲んだりしている馬を連れ去ることは、いたって簡単だっただろう。


 ウキチの来訪で安堵したのか、俺は翌日の昼まで眠り続けた。が、けして心地の良い眠りではなかった。

 ・・・俺は崖縁を歩いていた。そして、何度も足元の岩が崩れて谷底へ落ちていった。身のすくむような落下の恐怖でハッと目が覚めるが、またぞろ、ネットリとした黒い夢の中に沈み込んでいく。

 なぜか、アトリの母親が出てきた。彼女によって箱に閉じ込められ、息が苦しくなってもがいているところを、誰かに揺り起こされた。


 ヨヒョウの干からびて黄ばんだ顔が近くにあった。

「大丈夫ですか。・・・先ほど、ウキチが薪などを・・・持って来てくれまして。」

 ヨヒョウが、出来たての煎じ薬を入れた竹筒を差し出した。手が力無く震えていた。俺は竹筒を受け取ろうと上体を起こしかけて、ひどい頭痛に見舞われた。

「まずは、お薬を・・・そして、しっかりとご飯を・・・食べてください。」

それだけ言うと、ヨヒョウは、ウキチが持って来たであろう包みを俺の方に押しやって、ゴロリと横になってしまった。

 ヨイチに比べると、ヨヒョウの顔面は さほど腫れてきていない。むしろ痛々しいほど痩せこけてしまっている。


 俺は、薬を煎じた焚き火の燃えさしを集めて、再び火をおこした。そして、差し入れのおむすびをお粥にした。

 身体を動かすと、頭痛と浮遊感がいや増す。俺は這うようにして、ヨヒョウの枕元にまわった。

 ヨヒョウの身体を何度か揺すった。ヨヒョウは、目を見開いて俺を見た。

「ありがとうございます。後で・・・必ずいただきますので。」

 そう言い終えると、また目を閉じてしまった。

 俺は、ヨイチの側に寄っていって、黄色く干からびた顔を見下ろした。すえた臭いが鼻を突く。

「ヨイチさん、ヨイチさん。お粥を作ったよ。」

 ヨイチはぼんやりと目を開けた。白目の部分までひどく黄色い。昨日から寝たきりで、うわ言も少なくなっていた。

 

 お粥の入った器を口に近づけてやろうとすると、ヨイチは、いきなり俺の腕をつかもうとした。

「お、願いだ。チャンイに、こ、れを。」

 そう言って、自分の胸を震える手で押さえた。

 ヨイチは、自分はもうだめだと思う。ついては、自分の貯めた金子をチャンイという女に渡してやって欲しい。金子の入った袋は首に掛けている。といった事を、途切れ途切れに話し始めた。

 つい先日のことだという。

 ヨイチは、黄金街で知り合ったチャンイと意気投合して、一緒に何か儲かる商売をしようということになったそうだ。

 チャンイは、安い仕入れ先を知っていると言った。手始めに〈精霊〉の屋敷に納めている穀物をチャンイの口利きで購入した。たしかにずいぶん安く購入でき、ヨイチは、仕入れた商品の荷箱を都のはずれにある自宅まで持ち帰った。

 それがウルバンナの始まる三日前のことだったらしい。ところが、その日の夜更けに、荷箱の板を噛みやぶって ねずみが一匹飛び出してきた。


 ヨイチは、ヨヒョウに相談した。ヨヒョウは、そんな商品を〈精霊〉の屋敷に納めるわけにはいかないと言った。ヨイチは、仕方なく、いつもの仕入れ先に発注を掛け直した。


 チャンイには申しわけないが、とヨイチは言った。災難だった、とも言った。

 チャンイは、お金を貯めて早く国に帰りたがっていた。オレは、チャンイの手助けがしたかった。だから、オレが死んだらこれを届けて欲しいと。


 俺は、『大丈夫、死にゃしないよ』と、ヨイチをなぐさめた。しかし、ヨイチは、お粥を一口すすったきり、また目を閉じてしまった。

 

 その夜、俺は、ヨイチのヒュッー、ヒュッーという奇妙な息のねを聞きながらうとうとしていた。が、ふと、息遣いがしなくなったことに気づき、胸騒ぎがした。

 暗闇の中、俺は這うようにしてヨイチのそばに行き、肩をゆさぶった。

 ・・・しかし、俺はもうわかっていたんだと思う。

 ヨイチが二度と目を覚ますことはないだろうと。

 俺は、今度はヨヒョウの方を振り返り、痩せた肩をゆさぶった。

 「ヨイチさんが、ヨイチさんが!」

 ヨヒョウはゆっくりと目を開け、かすれた声で、あぁっと言った。ヨヒョウは、しばらく宙を見ていたが、やがて、また静かに眠ってしまった。


 俺は、闇の中で、ヨイチのむくろと対峙していた。

 これほど間近に、文字通りの死と隣り合わせになった経験などなかった。しかも、次は 恐らく自分たちの番なんだ。

 気づくと俺は震えていた。まるで、川に落とされて溺れかかっている子犬みたいだと、自分で自分が恥ずかしくなったが、死への恐怖を抑えることはできなかった。

 

いつの間にか夜が明けて、小屋の中にうっすらと光が射してきた。

 俺は、ボンヤリとヨイチのむくろの方を見やってギョッとした。そして吐き気が込み上げてきた。

ヨイチの皮膚には、どす黒い出血斑が無数に浮き出ていた。何なんだ、これは!

 俺は、自分が何をしてるかもわからず、小屋の隅に立て掛けてあった漁具のざるを、ヨイチの顔の上に乱暴にかぶせた。それから、ヨイチの使っていた毛布を引き上げて、ヨイチの全身をおおい隠した。

 

 ヨイチは見えなくなった。しかし、脳裏に焼き付いた光景と吐き気が消えることはなかった。

 あれが死だ・・・。

 ヨイチの骸がエンドレスで頭の中を駆け巡る。気持ちの整理など出来ようがなかった。


 だからウキチの声がした時、俺は、自分でも思いがけない言動をしてしまった。

「ヨヒョウさん、甥御さんたち、具合はどうかね。」

ウキチは、前回と同じ調子で問いかけてきた。

 俺は、壁をガンガン打ち鳴らしながら叫んだ。

「ヨイチさんが死んでしまった! ひどい死にざまだ・・・お願いだ、ここから出してくれ!」

「・・・ヨ、ヒョウさんは?」

ウキチの堅い声が返ってきた。俺は、ヨヒョウに取りすがって、揺り動かした。

「ヨヒョウさん! ヨヒョウさん、起きてくれ、お願いだから。目を開けてくれ!」

ヨヒョウはぼんやりと瞼を開け、唇をかすかに動かしたが言葉にはならなかった。

 バタバタと去っていくウキチの足音が、聞こえた。


 俺は、ヨヒョウの枕元にヘタリとくずおれた。ヨヒョウがゆっくりと視線を動かして、俺の引きつった顔をじっと見上げた。乾いた唇がガクガクと震えた。

「・・・薬を、ちゃんと飲んで・・・アトリ様、ノスリ様を・・・お願い・しま・・。」

 ほんのつかの間だったが、ヨヒョウのまなこが光をたたえて俺を見返した。しかし再び、ヨヒョウの瞼は堅く閉じられてしまった。


 その日の午後いっぱい、ゼロゼロとかすれた寝息が聞こえていたが、やがて、それも途絶とだえ、ヨヒョウは静かに逝ってしまった。

 俺は、おぞましい死の印が表出する前に、ヨヒョウのむくろを毛布でくるんだ。


 夜が過ぎ、昼が過ぎ、そして再び夜が来た。

 立ち上がるとフラフラしたが、気づけば、いつの間にか咳も収まり、頭痛も消えていた。

 俺は死神の手をすり抜けたのかもしれない。

 しかし食料や水は、すでに昨夜からなくなっていた。病気には勝てても、このままでは餓死だ。

 そればかりではない。・・・小屋の中には、言いようのない異臭が充満していた。


 今日一日、ひょっとするとウキチが帰ってきてくれるかもしれないと、わずかな期待をいだいて過ごした。そして俺はわかったんだ。

 助けてくれる者は、もう誰もいない。俺は見捨てられたんだと。

 しかし、そうわかると、なぜだかすっきりした。

 俺は、地獄の釜のふちに建つこの漁師小屋を、脱出することを決意した。


 俺は、小屋の中をさんざん見回して、あれこれと抜け出すすべを算段した。

 そして、あの手斧があればと歯がみした。ノスリの庵に行った時に使った手斧だ。あれは、ここへ来た夜、馬車の中に残してきてしまった。

 漁師小屋は、丸太を半分に割って横に組んだ丸太小屋だった。足で蹴ってもビクともしない。しかし、しょせんは掘っ建て小屋だ。見れば、壁の一番下に組まれた丸太は、地面に接している為、湿気で朽ちかけていた。


 俺は、かいの棒で、丸太をゴツゴツと砕き始めた。

 半時程、作業を続けた結果、ようやく十センチくらいの隙間すきまを作ることに成功した。が、それより上は、堅すぎてとても無理だった。

 俺は、今度は地面の方を掘ることにした。

 俺は根気よく棒をふるった。しかし、腕がしびれてしだいに動かなくなった。


 ふと、ヨヒョウが、最後に俺に向けた眼差しを思い出した。不思議な眼差しだった。笑っていたように思えるのは、俺の勘違いか。

 あの時、ヨヒョウは、どうしてあんな目をしたんだろう。何を思っていたんだろう。


 とうとつに、今度は父親のことが思い出された。ここ数年、面と向かい合うことのなかった人だ。話をするたびに、ものすごく疲れた。

 しかし、そうだったとしてもなかったとしても、父は俺が生きていて欲しいと願っているだろう。たとえ、そこが二度と出会えぬ異界であったとしても。

俺は、自分の中に湧き上がった意外な感情に驚かされ、熱いものが込み上げてきた。


 その時だ。いきなり、掘り進めていた隙間の向こうから人の声がしたのは。

「ほう、ほう、ほう、勇ましく小屋から抜けようとしておるぞ。」

 俺は、心臓が止まりそうになった。しくじったか。

 続けて複数の男たちの声が飛びかった。

「いやいや、これは亡霊がしておるのかもしれん。」

「亡霊なら、穴など掘らず、壁をスルリと抜けようもんが。」

「そこにおるのは、〈精霊〉の坊主か? 一人でやっておっては、朝までかかるぞ。」

「どれ、退いておれ。」

 男たちは、こちらの返事を待つことなどなかった。二~三度、壁が粉砕する激しい音がして、俺の目の前に 五十センチ四方程の穴が出現した。穴の向こうからランタンの光が射し、髭面ひげづらの顔が、手招きした。

「ほれ、早う。」

 何が何だかわからなかったが、選択肢はなさそうだ。俺は、芋虫のようにモソモソと 穴から這い出ていった。


 その夜、こうして俺は、思いがけない男たちの来訪によって、地獄の釜の縁から解放されたのだった。


守護霊(神)が疫病神になりさがるお話です。

いとも簡単に、他人からの評価って変わるんですね。

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