第13話 疫病神
数人の見知らぬ男がやって来たのは、翌日の昼過ぎだった。
戸口の所で、先頭の男が〈水〉の僧院の薬師だと名乗った。
ひどく咳き込む三人を前に、男たちは口を袖で覆って後ずさりした。しかし先頭の男は、それでも小屋の中に一歩踏み入ってヨイチを凝視した。
ヨイチの顔は、黄色く腫れて不気味なさまになっていた。
「最初に具合が悪くなったのは、この男か」
先頭の男は、感情のない声でそう聞いた。ヨヒョウがうなずいた。
「何日前のことだ。」
「ウルボンナの初日の昼過ぎから咳が出始めました。」
男は、ヨヒョウと俺をジロジロと眺めやった後、踵を帰して小屋から出ていった。そして、そそくさと戸を閉めながらこう言った。
「じきに戻ってくるので、ここから出てはならんぞ!」
男たちの足音が遠ざかっていく。
ヨヒョウは、目を閉じて横たわったままだった。ヨイチは、時々うわ言を言っては、身体をつらそうによじっている。
喉が渇いて、俺は桶の中をのぞき込んだ。昨日くんだ水は、おおかた無くなっていた。俺は桶を提げて、這うように川まで行った。
頭が割れるように痛い。俺は水辺に突っ伏した。ヒンヤリとした川の水が、熱でほてった身体にしみいるようだ。
うすら青い空の下、川面には清涼な風が吹き渡っていた。昨晩とはうって変わった、たおやかなせせらぎだ。
・・・俺は、突っ伏したまま川面に身を沈めた。痛みが和らいでいく気がする・・・
三十分ほどそうしていただろうか。俺はようやく川から身を起こし、水を張った桶をかついで、小屋へと戻っていった。
小屋の裏手まで来ると、何やらあわただしい人の気配がした。
「一人いないぞ!」
と言う男の声がした。
俺がひょっこりと葦原の中から現れると、戸口の辺りにいた数人の男たちがギョッとした顔で振り向いた。そして、手にした川魚を突く銛を俺の方に向けた。丸太や槌を持った者もいた。
皆、陽に焼けた顔をしている。昨日ヨヒョウが伝言を頼んだ漁師たちだろうか。
一番俺の近くにいた男が、銛で小屋の方を指した。入れと言っているようだ。俺は小屋の中へ戻った。
中に入るやいなや、戸口が乱暴に閉じられた。
そして、ガンッガンッガンッと何かを打ちつけるけたたましい音がして、小屋の戸口はあっという間に塞がれてしまった。
「ったく、オマエが、ウルボンナだってのに川なんぞに行くから、とんだ疫病神を釣っちまったんだ。これで当分、このあたりじゃ漁はできねーぞ!」
誰かの不機嫌な声が聞こえた。小言を言われた男が、何やらボソボソと言いわけをしている。
俺は、小さな窓に取りついて叫んだ。
「おい止めろ、閉じ込めないでくれ。逃げたりしないから! 水や食料、どうなるんだよ!」
男たちは、返事の替わりに、窓にも何本か丸太を打ちつけた。そして足早に立ち去ってしまった。
俺たち三人は小屋に隔離されてしまった、ようだ。
昼過ぎにやって来た薬師たちの指示だと感じた。
結局、水の僧院の薬師とやらが再びやって来る事はなく、丸一日が過ぎた。
食料はまだ一~二日分残っていたが、水が少なくなってきた。なんとかして小屋から抜け出せないものかと、思いつめていた矢先、小屋の外で人の声がした。
「ヨヒョウさん、ヨヒョウさん、おられるかね。」
ウトウトと眠っていたヨヒョウは、すっかり落ち窪んでしまった眼を見開いた。そして上体を起こそうとするが、なかなか起き上がれないでいる。
俺は、壁ににじり寄って声を張りあげた。
「居ます、居ます!」
小屋の外から、一瞬、間をおいて返答があった。
「あぁ、甥っ子さんか。思ったより元気そうなようすで何よりだ。食べ物を持ってきたよ。ヨヒョウさんと甥っ子さんたち二人が、ひどい風邪だと奥方様から聞いたもんで。ほれ三人分の水と食べ物だ。どこか差し入れる隙間はないかね。」
「窓の隙間から投げ入れてください!」
窓から、包みが幾つか投げ込まれた。ようやく窓の下まで這ってきたヨヒョウが、かすれた声をあげた。
「ウキチさんか、かたじけない。本当にかたじけない。ついでと言っちゃ何だが、今度来てくれる時でいい。薪を持って来てはもらえんかね。煎じ薬を作りたいのでね。」
そこまで言うと、ヨヒョウはひどく咳き込んだ。承知したと言って立ち去りかけたウキチに、俺はこう言った。
「馬車を、中洲に渡る手前の川岸においてあるんです!馬の世話もお願いできませんか?」
「・・・馬車? はて、見かけなかったな。一~二晩も置き去りにしたら、お気の毒だが馬泥棒に持っていかれたに違いない。」
そうか。ヨイチには悪い事をしてしまった。
重い馬車をガラガラと引いたまま、川岸で草をはんだり水を飲んだりしている馬を連れ去ることは、いたって簡単だっただろう。
ウキチの来訪で安堵したのか、俺は翌日の昼まで眠り続けた。が、けして心地の良い眠りではなかった。
・・・俺は崖縁を歩いていた。そして、何度も足元の岩が崩れて谷底へ落ちていった。身のすくむような落下の恐怖でハッと目が覚めるが、またぞろ、ネットリとした黒い夢の中に沈み込んでいく。
なぜか、アトリの母親が出てきた。彼女によって箱に閉じ込められ、息が苦しくなってもがいているところを、誰かに揺り起こされた。
ヨヒョウの干からびて黄ばんだ顔が近くにあった。
「大丈夫ですか。・・・先ほど、ウキチが薪などを・・・持って来てくれまして。」
ヨヒョウが、出来たての煎じ薬を入れた竹筒を差し出した。手が力無く震えていた。俺は竹筒を受け取ろうと上体を起こしかけて、ひどい頭痛に見舞われた。
「まずは、お薬を・・・そして、しっかりとご飯を・・・食べてください。」
それだけ言うと、ヨヒョウは、ウキチが持って来たであろう包みを俺の方に押しやって、ゴロリと横になってしまった。
ヨイチに比べると、ヨヒョウの顔面は さほど腫れてきていない。むしろ痛々しいほど痩せこけてしまっている。
俺は、薬を煎じた焚き火の燃えさしを集めて、再び火をおこした。そして、差し入れのおむすびをお粥にした。
身体を動かすと、頭痛と浮遊感がいや増す。俺は這うようにして、ヨヒョウの枕元にまわった。
ヨヒョウの身体を何度か揺すった。ヨヒョウは、目を見開いて俺を見た。
「ありがとうございます。後で・・・必ずいただきますので。」
そう言い終えると、また目を閉じてしまった。
俺は、ヨイチの側に寄っていって、黄色く干からびた顔を見下ろした。すえた臭いが鼻を突く。
「ヨイチさん、ヨイチさん。お粥を作ったよ。」
ヨイチはぼんやりと目を開けた。白目の部分までひどく黄色い。昨日から寝たきりで、うわ言も少なくなっていた。
お粥の入った器を口に近づけてやろうとすると、ヨイチは、いきなり俺の腕をつかもうとした。
「お、願いだ。チャンイに、こ、れを。」
そう言って、自分の胸を震える手で押さえた。
ヨイチは、自分はもうだめだと思う。ついては、自分の貯めた金子をチャンイという女に渡してやって欲しい。金子の入った袋は首に掛けている。といった事を、途切れ途切れに話し始めた。
つい先日のことだという。
ヨイチは、黄金街で知り合ったチャンイと意気投合して、一緒に何か儲かる商売をしようということになったそうだ。
チャンイは、安い仕入れ先を知っていると言った。手始めに〈精霊〉の屋敷に納めている穀物をチャンイの口利きで購入した。たしかにずいぶん安く購入でき、ヨイチは、仕入れた商品の荷箱を都のはずれにある自宅まで持ち帰った。
それがウルバンナの始まる三日前のことだったらしい。ところが、その日の夜更けに、荷箱の板を噛みやぶって ねずみが一匹飛び出してきた。
ヨイチは、ヨヒョウに相談した。ヨヒョウは、そんな商品を〈精霊〉の屋敷に納めるわけにはいかないと言った。ヨイチは、仕方なく、いつもの仕入れ先に発注を掛け直した。
チャンイには申しわけないが、とヨイチは言った。災難だった、とも言った。
チャンイは、お金を貯めて早く国に帰りたがっていた。オレは、チャンイの手助けがしたかった。だから、オレが死んだらこれを届けて欲しいと。
俺は、『大丈夫、死にゃしないよ』と、ヨイチをなぐさめた。しかし、ヨイチは、お粥を一口すすったきり、また目を閉じてしまった。
その夜、俺は、ヨイチのヒュッー、ヒュッーという奇妙な息のねを聞きながらうとうとしていた。が、ふと、息遣いがしなくなったことに気づき、胸騒ぎがした。
暗闇の中、俺は這うようにしてヨイチのそばに行き、肩をゆさぶった。
・・・しかし、俺はもうわかっていたんだと思う。
ヨイチが二度と目を覚ますことはないだろうと。
俺は、今度はヨヒョウの方を振り返り、痩せた肩をゆさぶった。
「ヨイチさんが、ヨイチさんが!」
ヨヒョウはゆっくりと目を開け、かすれた声で、あぁっと言った。ヨヒョウは、しばらく宙を見ていたが、やがて、また静かに眠ってしまった。
俺は、闇の中で、ヨイチの骸と対峙していた。
これほど間近に、文字通りの死と隣り合わせになった経験などなかった。しかも、次は 恐らく自分たちの番なんだ。
気づくと俺は震えていた。まるで、川に落とされて溺れかかっている子犬みたいだと、自分で自分が恥ずかしくなったが、死への恐怖を抑えることはできなかった。
いつの間にか夜が明けて、小屋の中にうっすらと光が射してきた。
俺は、ボンヤリとヨイチの骸の方を見やってギョッとした。そして吐き気が込み上げてきた。
ヨイチの皮膚には、どす黒い出血斑が無数に浮き出ていた。何なんだ、これは!
俺は、自分が何をしてるかもわからず、小屋の隅に立て掛けてあった漁具のざるを、ヨイチの顔の上に乱暴にかぶせた。それから、ヨイチの使っていた毛布を引き上げて、ヨイチの全身を覆い隠した。
ヨイチは見えなくなった。しかし、脳裏に焼き付いた光景と吐き気が消えることはなかった。
あれが死だ・・・。
ヨイチの骸がエンドレスで頭の中を駆け巡る。気持ちの整理など出来ようがなかった。
だからウキチの声がした時、俺は、自分でも思いがけない言動をしてしまった。
「ヨヒョウさん、甥御さんたち、具合はどうかね。」
ウキチは、前回と同じ調子で問いかけてきた。
俺は、壁をガンガン打ち鳴らしながら叫んだ。
「ヨイチさんが死んでしまった! ひどい死にざまだ・・・お願いだ、ここから出してくれ!」
「・・・ヨ、ヒョウさんは?」
ウキチの堅い声が返ってきた。俺は、ヨヒョウに取りすがって、揺り動かした。
「ヨヒョウさん! ヨヒョウさん、起きてくれ、お願いだから。目を開けてくれ!」
ヨヒョウはぼんやりと瞼を開け、唇をかすかに動かしたが言葉にはならなかった。
バタバタと去っていくウキチの足音が、聞こえた。
俺は、ヨヒョウの枕元にヘタリとくずおれた。ヨヒョウがゆっくりと視線を動かして、俺の引きつった顔をじっと見上げた。乾いた唇がガクガクと震えた。
「・・・薬を、ちゃんと飲んで・・・アトリ様、ノスリ様を・・・お願い・しま・・。」
ほんのつかの間だったが、ヨヒョウの眼が光をたたえて俺を見返した。しかし再び、ヨヒョウの瞼は堅く閉じられてしまった。
その日の午後いっぱい、ゼロゼロとかすれた寝息が聞こえていたが、やがて、それも途絶え、ヨヒョウは静かに逝ってしまった。
俺は、おぞましい死の印が表出する前に、ヨヒョウの骸を毛布でくるんだ。
夜が過ぎ、昼が過ぎ、そして再び夜が来た。
立ち上がるとフラフラしたが、気づけば、いつの間にか咳も収まり、頭痛も消えていた。
俺は死神の手をすり抜けたのかもしれない。
しかし食料や水は、すでに昨夜からなくなっていた。病気には勝てても、このままでは餓死だ。
そればかりではない。・・・小屋の中には、言いようのない異臭が充満していた。
今日一日、ひょっとするとウキチが帰ってきてくれるかもしれないと、わずかな期待をいだいて過ごした。そして俺はわかったんだ。
助けてくれる者は、もう誰もいない。俺は見捨てられたんだと。
しかし、そうわかると、なぜだかすっきりした。
俺は、地獄の釜の縁に建つこの漁師小屋を、脱出することを決意した。
俺は、小屋の中をさんざん見回して、あれこれと抜け出す術を算段した。
そして、あの手斧があればと歯がみした。ノスリの庵に行った時に使った手斧だ。あれは、ここへ来た夜、馬車の中に残してきてしまった。
漁師小屋は、丸太を半分に割って横に組んだ丸太小屋だった。足で蹴ってもビクともしない。しかし、しょせんは掘っ建て小屋だ。見れば、壁の一番下に組まれた丸太は、地面に接している為、湿気で朽ちかけていた。
俺は、櫂の棒で、丸太をゴツゴツと砕き始めた。
半時程、作業を続けた結果、ようやく十センチくらいの隙間を作ることに成功した。が、それより上は、堅すぎてとても無理だった。
俺は、今度は地面の方を掘ることにした。
俺は根気よく棒をふるった。しかし、腕がしびれてしだいに動かなくなった。
ふと、ヨヒョウが、最後に俺に向けた眼差しを思い出した。不思議な眼差しだった。笑っていたように思えるのは、俺の勘違いか。
あの時、ヨヒョウは、どうしてあんな目をしたんだろう。何を思っていたんだろう。
とうとつに、今度は父親のことが思い出された。ここ数年、面と向かい合うことのなかった人だ。話をするたびに、ものすごく疲れた。
しかし、そうだったとしてもなかったとしても、父は俺が生きていて欲しいと願っているだろう。たとえ、そこが二度と出会えぬ異界であったとしても。
俺は、自分の中に湧き上がった意外な感情に驚かされ、熱いものが込み上げてきた。
その時だ。いきなり、掘り進めていた隙間の向こうから人の声がしたのは。
「ほう、ほう、ほう、勇ましく小屋から抜けようとしておるぞ。」
俺は、心臓が止まりそうになった。しくじったか。
続けて複数の男たちの声が飛びかった。
「いやいや、これは亡霊がしておるのかもしれん。」
「亡霊なら、穴など掘らず、壁をスルリと抜けようもんが。」
「そこにおるのは、〈精霊〉の坊主か? 一人でやっておっては、朝までかかるぞ。」
「どれ、退いておれ。」
男たちは、こちらの返事を待つことなどなかった。二~三度、壁が粉砕する激しい音がして、俺の目の前に 五十センチ四方程の穴が出現した。穴の向こうからランタンの光が射し、髭面の顔が、手招きした。
「ほれ、早う。」
何が何だかわからなかったが、選択肢はなさそうだ。俺は、芋虫のようにモソモソと 穴から這い出ていった。
その夜、こうして俺は、思いがけない男たちの来訪によって、地獄の釜の縁から解放されたのだった。
守護霊(神)が疫病神になりさがるお話です。
いとも簡単に、他人からの評価って変わるんですね。




