第12話 送り火
一昨日、昼餉を食べた宿場町を過ぎた頃、酉の刻(午後六時)を知らせる鐘が聞こえてきた。こんな状況ではあったが、人の統べる秩序の中に、もどって来れた事にホッとした。
俺は、ヨヒョウに言われたとおりに、都の北西を流れる川の中洲へ馬車を走らせた。
病気が治るまで屋敷に帰るわけにはいかない、これがヨヒョウの考えだった。中洲にある漁師小屋で、俺たちは しばらく過ごそうということになったのだ。
問題は、今晩中に屋敷に帰れなくなった事だ。俺が抜け出した事は、いずれ親たちにバレるだろう。
ヨヒョウも、明朝にはウルボンナの休暇から帰ることになっていた。侍従長が失踪となれば、俺の不在より、遙かに誤魔化すのが難しいに違いない。
しかしアトリが何とかしてくれるのではないだろうかと、俺は思うことにした。ともかく連絡だけは取らなければ。俺はその方法をあれこれと考え続けた。
中洲の漁師小屋は、葦原の中にあった。
近隣の漁師が、投網などの漁具を仕舞うのに使っているようだ。この辺りの川は、〈精霊〉の一族に漁業権があるんだそうだ。この小屋も一族の持ち物だと言う。ヨヒョウとヨイチは、よろめきながら小屋の中へ入っていった。
俺は、馬車の中の荷物を小屋へ運んだ。
小屋へ入ると、ヨイチが土間に突っ伏して何やらわめいている。
「・・・ご先祖様が、オレを連れて行こうとしてる・・・イヤだ、イヤだ!・・・助けてくだされ、ご先祖様・・・伯父貴・・・オレが死んだら、頭に鉢を被せておくれよ・・・。」
俺は、ギョッとしてその場に立ちつくした。ヨイチの奴、錯乱してる?
ヨヒョウは、そんな甥の背中を優しく撫でてやりながら、俺に薬種問屋への道を説明し始めた。ヨヒョウの声は、咳き込んでよく聞こえないばかりか、順路はややこしくてとても覚えられそうにない。
俺は、小屋の隅にあった投網の浮き板を、小刀で引きちぎった。そして、蒲鉾板のようなそれに地図を刻んだ。
俺は、西大門から都に入り、碁盤の目のような市中の道を馬車で駆けた。
西南方向へと幾度か折れ曲がって進むと、やがて古い祠が見えてきた。立派な商家が建ち並ぶ通りには不釣り合いな祠には、神農という字が書いてあった。
俺は、祠の傍に馬車を止め、この先にあるはずの薬種問屋へ急いだ。
店は直ぐに見つかった。
周りに比べ、随分、間口の狭い店だと思ったが、中へ入ると意外に奥行きがある。薬の引き出しが壁一面を埋め尽くしている様は、苦しんでいるヨイチたちには悪いが、壮観だった。
感心して眺めている間に、店の人はテキパキと脚立に登ったり降りたりして乾草木を取り揃えていく。
熱冷まし、咳止め。家族が風邪を拗らせて・・・という俺の説明は、店の人の不審を買う事もなかった。
帰り道、蒸籠から美味しそうな湯気を立てている店を見かけた。
俺は、竹の皮で包んだ蒸し粽を買い込んだ。ついでに、その辺の店に立ち寄って他の食料も少々調達した。一~二日ならこれでなんとかなるだろう。
後は、アトリにどうやって連絡を取るかだ。
西大門を出て、俺は、来た道を漁師小屋へと取って帰した。
ウルボンナの最後の日が暮れようとしている。
夕焼け色の川岸を、俺は中洲の方へ下りていった。驚いた事に、川岸から中洲へ通じていた道は すっかり水に浸かっている。潮が満ちてきたのだ。
空は、まだ赤い光を残しているのに、葦原の中は既に闇に包まれていた。俺は、馬車を川岸に残して、薬草の袋と食料の包みを抱えた。小屋まで歩くしかない。
川の水が膝の辺りでピシャピシャと跳ねた。水を含んで柔らかくなった葦原の泥に、何度も足を取られそうになった。
葦原の奥の漁師小屋が、途轍もなく遠く感じる。
何やらヌルリとしたものを踏んでしまった。そいつは、体をくねらせて泥水の中に消えたが、俺は身をかわすどころか、まるで力を吸い取られでもしたように膝折れてしまった。
全身が鉛のように重い。
とうとう、とうとう発症したようだ。
それにしても、こんなに突然来るものなのか? 俺は、酷い寒気を感じて自分の両腕に手を回した。
・・・案外、俺は大丈夫なんじゃないかという気持ちもどこかにあったんだ。昨日、ヨヒョウが咳をし始めたのに、俺は何ともなかったから・・・。
コレはどんな病気なんだろうか。インフルエンザか?とは、昨日から考えていた。風邪みたいな症状で高熱が出るといえば、それ位しか俺は知らない。
インフルエンザなら中学の時に一度罹ったことがある。あの時は、日本中で学級閉鎖が相次いで、ちょっとした大騒動になった。しかし、一週間もあれば治って登校した気がする。
足を引きずるようにして、俺は小屋に辿り着いた。
蝶番が外れ掛かっている戸を開けると、ヨヒョウが戸口の傍に据わっていた。そして、俺の方を見上げて困ったように微笑んだ。
「・・・帰って来られたのですね。」
意外な言葉だった。俺はヨヒョウの顔をじっと見た。
「・・・あぁ、そうそう。先程、この辺りの漁師が、筒漁の仕掛けをしようとやって来まして。顔見知りの漁師でしたので、お屋敷への言伝を頼みました。」
ヨヒョウはスッキリした様子で、そう続けた。
それで良かったのか? 多分、良かったんだろう。何とか隠し通せないかと思っていたが。
俺はどうせ今でも不自由な身だ。これ以上、屋敷での待遇が悪くなったとしても怖くない気がする。しかし、雇われ人のヨヒョウやアヤメはどうなんだ。お咎めなしという事はあるんだろうか。
いや、ヨヒョウやアヤメへの罰を心配しているのも事実だが、俺だって、鍵の掛かった部屋に幽閉されて 虎子を使う羽目になるかもしれないんだ。その始末をアヤメがするなんて事になるんだったら死んだ方がましだ。
だが、既に賽は振られてしまっている。これ以上の思案など無意味な気がしてきた。
俺は買ってきた物をヨヒョウに手渡し、土間にズドンと座り込んだ。
「ヨヒョウさん、俺も熱が出てきたようです。」
ヨヒョウは、ギュッと眉を寄せて俺を見詰めたが、やがて、買い物袋を紐解くと、黙々と薬を煎じ始めた。
いつの間にか、据わったままウトウトしていた俺の肩を、ヨヒョウが揺すった。
「・・・望様、さっ、熱いうちに薬をお飲みください。それから、夕餉もしっかりと食べなければいけません。」
ヨヒョウは、薬をフウフウしながら飲んでいる俺をじっと見ていたが、突然、俺の腕を両手で掴んで頭を下げた。
「申し訳ございません。ヨイチがこんな病を持ち込んでしまい、あなたにまで!」
「俺こそ、あんな計画を立てなければよかったと後悔してるんです。ヨヒョウさんやアヤメを巻き込んでしまった。ご免なさい。」
「いいえ、私は嬉しく思っております。アトリ様は、近頃、ご自分の意志で、周りの方々の事をいろいろと気遣うようになられた。これは、望様の影響でございます。・・・ノスリ様には、いずれ、きっとお会いになってください。私からのお願いでございます。」
それから、ヨヒョウは身内の事を話し始めた。ヨイチは荒い息遣いをしていたが、よく寝ているようだった。
ヨヒョウの妻は、十年ほど前に亡くなっていて彼らには子供がいなかった。ヨイチの他に甥や姪が3人いるが、それぞれ結婚し家庭を持っている。
ヨイチはというと、三十四になるが未だに独身だ。ヨイチは、幼い時に二人の兄妹を亡くしている。兄の方は、ウルバンナの最後の日に川で溺れた。
この地方では、ウルバンナの間に死んだ者や奇病で死んだ者には、鉢を被せて葬る習慣があるという。ヨイチの兄も両親によって鉢を被せられた。
「ウルバンナの三日間は、地獄の釜の蓋が開いておるそうで、死んだ者たちの霊がゾロゾロとこの世へ這い出てきているのです。中には、この世に心を残す悪霊もいて、生前親しくしていた者を帰路の道連れにするそうな。」
ヨヒョウは、そんな気味の悪い話をしながら、俺が買ってきた粽を有り難がって食べ、それ以上に、俺にもっと食べろと促した。
俺は、ふと幽かな鐘や太鼓の音を聞いた気がした。
ヨヒョウが、無礼講の踊り囃子の音だと言った。腹に響く扇情的な2ビートのリズムが対岸の都の方から、途切れ途切れに聞こえて来る。心が逸る音色だった。
が、今となっては、どうでもいい話だ・・・。
どれくらい時間が経ったんだろうか。
俺は自分の咳で目を覚ました。喉が酷く渇いた気がして、俺は重い体を引きずって小屋の外に出た。
満月が、煌々《こうこう》と照っていた。俺は水を求めて、中洲の縁までフラフラと歩いて行った。
そして、臑の辺りまで川に浸かって喉を潤した。
見ると、精霊流しの草船が一つ、葦に絡まって揺らめいている。上流の誰かが流したものだろう。
俺は、絡まっている草船を、川の流れの方へ押し出してやった。チカチカと儚げな蝋燭の火を乗せて、草船は 再び彼方の世界へと旅を始めた。
そういえば、コハギたちは、あの草船を川に流すことが出来ただろうか。
先程のヨヒョウの話では、先祖霊たちは、今宵、こうして川を下って地獄へ帰っていくのだそうだ。
つまり、川は彼方と此方を繋ぐゲートのようなものらしい。
俺は、暗い平野を緩やかな弧を描いて流れ下ってゆく銀色の川を見やった。
丁度、河口の上空に登りつめた月が、川面を鏡のように照らし出していた。殊に月下の河口付近は、まるで白い発光体のように照り輝いている。
俺は、ああそうかと合点がいった。
たった今も、この足元を流れ過ぎて行く幾百万の霊魂は、あのように白い光となってゲートの向こうへ帰って行くんだな。
綺麗だ・・・。
熱のせいか恍惚とした高揚感の中で、俺はそんな事を思っていた。
私の住む町でも、お盆には精霊流しが行なわれます。
河口では、ボランティアのおじさんたちがボートを出して、待ち構え、流れてきたプラスチックの灯籠を次々に回収していきます。海に流れ出て海洋ゴミになってはいけないからです。
ちょっと悲しい。




