第11話 地獄の釜
寒くて目が覚めた。
山間という地形のせいか、ふかふかの羅紗の毛布でさえ物足りない冷え込みだった。
未明の薄暗がりの中で、ヨヒョウが朝餉の準備をしている。ヨイチはまだ玉葱小屋に横になっていた。
俺は起き出して、ヨヒョウにヨイチの具合を訊いた。
「熱が出てきたようです。こんなことになってしまい申し訳ありません。」
「都に帰りましょう。それか宿を探してヨイチを休ませませんか。」
ヨヒョウは、つかのま思案するようすだったが、きっぱりとこう言った。
「いえ、有り難いお申し出ですが、やはりノスリ様の庵に参りましょう。こんな機会は二度とないやもしれませんので。ヨイチは、途中の適当な場所に置いてゆきます。もう少し行けば、たしか、お堂があったはずです。」
俺は、ヨイチの代わりに、川から水を汲んできて馬の世話をした。
俺たちは、早々に朝餉をすませて出発した。馬車にはヨイチを乗せて、俺とヨヒョウが御者台に上ることにした。
ヨヒョウが手綱を取ったが、あまり得意ではないようで、隘路と相まって馬車の速度は歩くよりましな程度だった。
すっかり朝が明けた頃だった。
人里離れた山の端に、大楠の巨木が見えてきた。その傍らには小さな古いお堂があった。
地元の巫女が、お祓いや降霊などに使うものだそうだ。
引き戸をガタピシと開けると、埃をかぶった四畳程の板の間がある。俺とヨヒョウは、ヨイチを担ぐようにしてそこに寝かせた。
水やふやかした糒などを枕元に並べ、毛布にくるまっても なお寒がるヨイチを残してお堂をあとにした。
今は何時だろう。
久しく集落や耕作地に遭遇していない。時を知らせる鐘の音もしない。
やがて、馬車が通れそうな道も野原もなくなった。ここからは歩くしかないようだ。
ヨヒョウは木に馬をつないだ。俺は、ヨヒョウの見よう見まねで、水と携行の干し草を馬に与えた。それから、小腹が空いてきたので昼餉をとった。
俺は木靴を脱ぎ捨て、宿場町で買った鞣し革の靴を履いた。股木(猟師)とかが履いてそうなやつだ。
ヨヒョウは、手斧で木の枝を払って杖を二つ作り、一つを俺に差し出した。
「熊が出るやもしれませんので、先を少し尖らせておきました。」
毒蛇の次は、熊ですか!
俺は、昨日の朝の事を思い出した。ヨヒョウは、すらっとしていて都育ちのような見た目だが、やけに山歩きに慣れている感じだ。
「山の事に詳しいんですね。」
俺にそう言われて、ヨヒョウは、なつかしそうに目を細めた。
「私は、昨晩泊まった玉葱小屋からほど近い所の生まれなのです。秋になると、祖父が山の炭焼き小屋に籠もって炭を作ったものでした。小さい頃は毎年それについて行って山で暮らしたのです。ノスリ様が、あの〈雲間の峰〉に住まわれるようになったのは・・・私のせいかもしれません。私は、幼かったノスリ様に、楽しかった山での暮らしを随分あれこれと話して差し上げたのでした。」
ヨヒョウは前方の山を見上げて、しばし言葉を途切らせた。ノスリというのは、アトリの大叔父の名だ。
今朝方、甥のヨイチがひどい熱だというのに、ヨヒョウが旅の続行を決めた時、俺はちょっと不思議に思ったんだ。単にアトリの要請だというだけで、あそこまで必死になれるのかと。
ヨヒョウは、山歩きの支度を整えながら、こう続けた。
「私は、十四で〈精霊〉のお屋敷に奉公に上がりました。その頃は、まだ先々代の時代で、ノスリ様は六歳になられたばかりでした。私の最初の役目はノスリ様のお遊び相手だったのです。ノスリ様は、私に良くなついてくださった・・・。しかしノスリ様が十二の時、〈精霊〉の僧院の方で住まわれるためにお屋敷を出られることになったんです。ちょうどオオルリ様がお生まれになった年でしたな。その後、年に一度は、里帰りをなされておいででしたが、十五年前の正月以来ぷっつりと。」
それ以来、一族とは絶縁状態ということか。
ヨヒョウとノスリには、やはり浅からぬ縁があったのだ。しかし、ヨヒョウは、それ以上 昔話をすることはなかった。
俺たちは、ここから三里程の場所にあるはずのノスリの庵を目指した。
久しく人が踏み込んだことがなさそうな道なき道を、俺たちは黙々と進んだ。ヨヒョウが、手斧で下草を払いながら先導する。
うっそうとした山中に、ひぐらしの声がカナカナカナ・・・と鳴り響く。
薄青く広がる空を、鳶が弧を描いて滑空する。ときおり、ピィッピロロロォーという鋭い声が、透きとおった空気を震わせた。
やがて木立の中に炭焼き小屋が見えてきた。
ヨヒョウの祖父が持っていた炭焼き小屋の一つだと道々話をしてくれた。今は、実家を継いだヨヒョウの長兄が所有しているらしいが、この季節、人の気配はなかった。
ヨヒョウが、小屋の前の草場にたどり着くと、ヨロヨロと崩れるように座り込んだ。
「・・・いやぁ、歳のせいでしょうか。すっかり疲れてしまいました。」
そう言って振り返ったヨヒョウの顔は、青ざめてひどい汗だった。
「・・・ヨヒョウさん、もしかしてあなたも。」
ヨヒョウは、黙って足元に目を落とした。
「どうやらそのようです。先ほどから身体が重くて・・・。望様、申し訳ございませんが、私は大事を取ってここで休ませていただくことにします。途中で倒れては、あなたに迷惑をかけてしまいますので。」
そして、ヨヒョウは大儀そうに腕を上げ、頭上の峰を指さした。
「あそこに、桐の木立が白い花を咲かせているのが見えますか?」
見れば、緑濃い夏山の峰に、黄白色の花をたわわにつけた木があった。
「あれを目印にお進みください。私もここから先は行ったことがございませんが、ノスリ様の庵は、きっとあの近くにあるはずです。二十数年前、〈雲間の峰〉に庵を結ばれたおり、庵のかたわらに桐の木を植えたとおっしゃっていましたので。」
「でも、あなたもノスリさんに会いたかったんじゃないんですか。」
ヨヒョウは、俺の言葉にうれしそうに笑いながら、首を横に振った。
「もちろん、お目にかかりとうございました。しかし、私が一番願っていたのは、ノスリ様をアトリ様や望様に知っていただきたいということでした。ですから、今回のお話をアトリ様から聞かせていただいた時は、本当に・・・。」
ヨヒョウは、目を赤くして言葉をつまらせた。それから気を取り直したようすでこう言った。
「そういうわけですから、ささっ、お急ぎください。そして、ノスリ様にお会いになって来てください。」
俺は桐の花を目指して、山を登り始めた。
何度か、炭焼き小屋を振り返りつつ登って行った。が、じきに小屋は見えなくなってしまい、俺はハタと思い至った。往きは桐を目印に出来るが、帰りはどうすればいいんだ?
俺は、炭焼き小屋があったであろう方向を見つめながら思案した。
山の道は一本道というわけではなく、しかも桐を見失わないためには、道を外れてでも直線に進まねばならない事もあるだろう。
たしか、山で迷わないためには、布を木に結びつけたりするんだよな。だが、あいにくそんな物は持ち合わせていな・・・いが、いいことを思いついてしまった。
俺は、金子の入った袋を懐から引っ張り出した。両替をしてから袋が重くなって困っていたんだ。
俺は、ヨヒョウから借り受けてきた手斧を取り出し、脇に生えている木の幹に向かって振り下ろした。自然保護団体の人とかが知ったら眉をしかめる行為だろうが、他に思いつかない。
俺は、幹にできた切り込みに銀貨をはさんでみた。うん、キラキラとよく光る。
こうして、金子で道標をつけながら進む。
俺はひたすら登った。よじ登らなければならないような岩場もいとわず登った。病人続出のこの旅を早く終わらせたいと焦れながら。
しかし、このロッククライミングは、かなり時間短縮の役に立ったと思う。
思ったより早く、俺はそれらしき庵にたどり着くことができた。
桐の木立に包まれるように、その庵は建っていた。
俺は、息を弾ませながら扉を叩いた。
しばらく待ったが、庵はシンと静まりかえっている。何度か扉を叩いたあと、俺は扉を引いた。
扉は軋みながら開いた。
その時、近くの茂みからギャッギャッという鋭い叫び声が上がった。
俺はギョッとして茂みを凝視した。
一羽の烏が、バサバサと空に飛び立って行った。
気を取り直して、俺はもう一度庵の中のぞいた。
「ノスリさん?」
一間だけの庵の中に人影はなかった。俺は中へ入った。
木のベッド、食卓、椅子、長押といった簡素な家具が並んでいた。そして書き物机の周りには、書物や文具が山のように積み上げられている。
机の上に〈精霊〉の一族の紋章の入った硯箱を見つけた。金の象嵌が施されたもので、アトリも似たような硯箱を使っていた。粗末な庵には不釣り合いな一品だった。
俺は何となく蓋を開けた。
陸の部分がだいぶん凹んだ硯には、すりたての墨が入っていた。
見れば、使いかけの筆が硯のそばに転がっている。筆先に触れると、ねっとりとした墨が指についた。
ノスリは、つい今しがたまでここにいたんだ。
俺は庵を出て、付近をうろついてみた。
庵の外には差し掛け小屋があって、竈や薪の束など暮らしぶりをうかがわせる物が散見できた。
俺は、薄黄色い日輪を見上げて、しばし途方に暮れた。ヨヒョウやヨイチの体調を考えれば、あまり長居は出来ない。
俺は山を下りることにした。下りる前に、アトリがくれた干菓子の袋を硯の上に残していく事にした。
袋にはアトリの個人の紋が縫い付けられている。きっと俺たちの来訪をノスリに伝えてくれるだろう。
数羽の烏が、頭上でギャッギャッと騒ぎ立てている。近くに巣でもあるんだろうか。
下り道は楽かと思ったが、思いのほか、膝に負担がかかるもんだ。ことに岩場を下るのは、よじ登る事より困難なのだと知った。
俺は、手斧を岩場の下まで投げ捨てて身を軽くし、尻から滑り落ちた。弾みがつき過ぎて、俺は、悲鳴を上げながら茂みに突っ込んだ。
俺の後を追いかけて来た烏が、馬鹿にしたように騒ぎ立てる。俺は、思わず枝を拾って投げつけた。
烏は、一層うるさく鳴き交いながら頭上を旋回した。奴らにしてみれば、テリトリーを犯しているのは俺の方ってわけだろう。
俺は、膝と尻の痛みに堪えながら道を下っていった。もちろん、道標に使った金子の回収は忘れなかった。
ようやく炭焼き小屋が見えてきた。たしか十四枚の金子を道標にしたはずなのに十三枚しか回収できなかったが、ともかく迷わず小屋まで帰れたんだ。無くした一枚は、ここの山の神様に献上したと思うことにしよう。
ヨヒョウの顔を見ると、ノスリをここまで連れてきたかったという思いが込み上げてきた。俺は、庵での顛末をヨヒョウに話した。
ヨヒョウは、あんがいサバサバとこう言った。
「そうですか。ノスリ様はお留守でしたか。それにしても、ご無事に暮らしていらっしゃるようで、安心いたしました。望様、ありがとうございました。」
ヨヒョウは頭を下げた。俺もちょっと気が楽になり、冗談めかして返事をした。
「ほんと熊でも出たらどうしようと、ドキドキだったんすから。」
それを聞いてヨヒョウは、ニヤッという顔をした。
「望様がそんな心配をなさっていたのなら、先にお話して差し上げればよかった。ここは、たしかにノスリ様が従える山でございますよ。こうしてすわっていると、ノスリ様の気が満ちておるのを感じます。このあたりの獣たちが、私どもを襲うことはないでしょう。」
そう言ってヨヒョウは、誇らしそうにまわりを見渡した。
「そんなことが分かるなんて、ヨヒョウさんも『精霊』の素質があるんじゃないですか?」
「とんでもございません。山で育った者なら、皆それくらいは分かるものです。悪霊に支配された山、清らかな霊に満たされた山・・・。ですが、私ども普通の人間は、それを感じることが出来るだけです。」
大叔父は鳥獣と話が出来る、とアトリも言っていた。だとしたら、ノスリが、さっきの烏を俺にけしかけたってことはあり得ないか?なんて、ふと思った。
あれは、俺たちに会いたくないという意思表示だったのかもしれない。ノスリは、俺たちの来訪に気づいて隠れたんだとしたら?・・・しかし、この考えをヨヒョウに伝える気には、ちょっとなれなかった。
少し体調が回復したようすのヨヒョウと俺は、あわただしく下山した。ヨヒョウは、俺が庵に行っている間に薬草を採っていたらしい。一刻も早くヨイチに薬を飲ませたいに違いない。膝がキシキシと痛んだが、休みたいとは言い出せなかった。
馬は、つながれた樹のまわりを不快そうに行ったり来たりしていた。
首を振ったり、地面を踏みならしたりして身をかわす仕草をしている。虻でもいるのかと思ったが、そんなふうでもない。
ヨヒョウは、眉をしかめて馬をなだめた。ヨヒョウの顔には疲労の色がにじんでいた。やはり、だいぶん体がつらいのだろう。
俺たちは、ひぐらしが盛んに鳴きつのる山道をとって返した。
気持ちは急くが、路面の悪さもあって、馬車の歩みはもどかしかった。
陽はどんどんと西に傾いていく。
山々が黒いシルエットとなって夕空に溶けいる寸前に、俺たちは、ヨイチを残したお堂にもどることができた。
ヨイチは苦しそうに肩で息をしていた。熱がひどい。
頭が痛い、頭が痛いと訴えながら、身体を左右に揺すっている。じっとしているのがつらいようすだ。
ヨヒョウは、さっそく火をおこして薬を煎じ始めた。
俺は馬の世話をし、夕餉の準備をした。そんな俺を見ても、ヨヒョウは、もう礼を言ったりわびたりはしなかった。
ヨヒョウのそばに糒と芋を持っていくと、草の葉を俺の手に握らせた。
「これは、毒消しでございます。こうやって、葉をこねるように潰して使うのです。」
そう言いながら、しわだらけの両の手に葉をはさんでこねた。俺も真似てみた。葉から茶色い汁がにじみ出てきた。
ヨヒョウは、汁を手にすり込んだり、鼻のまわりを葉でこすったりした。それから、葉をひたしたうがい水を作って口をすすいだ。
ただの呪いのようにも思えたが、俺もヨヒョウに従って、葉の汁をすり込み、うがいをした。葉は水で薄めてもなおピリピリと苦かった。
「ヨイチの病は、風邪などではなく、流行病でありましょう。私はすでに移ってしまいました。望様にはまだ移っていないやもしれませんので、この上は、私どもに近寄ってはいけません。馬車の中は狭くて大変でしょうが、今夜もう一晩 我慢をしてください。それから、明日は、あなたに馬車の手綱を引いていただかねばならないでしょう。」
それだけ言いおいて、ヨヒョウはお堂の中にこもってしまった。
とは言え、放って置くことも出来ず、俺は何度も彼らに水を運んだ。夜半頃から、ヨヒョウの咳がひどくなってきた。
いつの間にかウトウトしてしまったようだ。
朝はすっかり明けてしまって、ヨヒョウが外で火をおこしていた。どうやら、ヨヒョウの咳で目が覚めたらしい。
「朝餉なら俺が作りますから。」
俺があわてて近づこうとすると、ヨヒョウは手でそれを制した。
「来てはいけません・・・薬を煎じておりますが・・・足りません。・・・やはり、都の薬種問屋へ・・・行かなければ。」
ヨヒョウは、ひどく咳き込みながらそう訴えた。
ヨヒョウは薬が出来上がると、それを持ってお堂の中へ消えた。
ほどなくして、ヨヒョウは甥を抱えてお堂から出てきた。ヨイチの顔は、頬のあたりがひどく腫れあがり、まるで別人のようだった。
俺は、馬車に押し込まれるヨイチの背中をぼうぜんと見送った。
残念ながら、俺が感染していない確率は とても低い気がする。いろいろマズい状況だ。
とんでもないことに遭遇しているはずなのに、なぜか実感がわかないが。
・・・ともかくは、都へ帰ろう。そして薬問屋だ。俺は、空席の御者台によじ登り、見よう見まねで馬車を駆った。
旅にトラブルはつきもの。ましてや、人生の旅は、一寸先は闇かもです。




