第7話 初スタジオ!~読モ撮影当日!~
――その日、秋月隆司は人生最大の危機に直面していた。
目の前には、満開の桜が舞い散る中庭。
足元には、なぜか赤いバラの花びら。
そして正面には、制服姿の森崎蓮司が立っていた。
……おかしい。
ここは学校のはずだ。なのに、どうして中庭が恋愛ゲームの背景みたいになっている?
しかも蓮司の背後には、まるで後光のような光が差し込んでいた。
普段は風紀委員として眉間にしわを寄せている男が、今日に限って妙に絵になるのが腹立たしい。
隆司は恐る恐る自分の手元を見下ろした。
そこには、金色の文字でこう書かれたカードが握られていた。
『運命の選択――親友か、それとも……?』
「いやいやいや! なんだよ、この展開!」
叫んだ瞬間、頭上に巨大な選択肢が出現した。
【選択肢①:蓮司の手を取る】
【選択肢②:蓮司に剣の稽古を申し込む】
【選択肢③:全力で逃げる】
「②は恋愛ゲームの選択肢じゃないだろ! それに③が一番まともなの、どういうことだよ!」
隆司が逃げ出そうとした、そのときだった。
蓮司が静かに一歩近づいてきた。
「隆司。俺は、お前に話がある」
「……なんだよ」
「お前は、いつも一人で抱え込みすぎる。困ったことがあるなら、俺を頼れ」
蓮司は隆司の手を取った。
背景の桜が一斉に舞い上がる。
どこからともなくピアノの旋律まで流れ始めた。
「お前がどんな秘密を抱えていようと、俺はお前の隣にいる」
「待て待て待て! なんで急に名シーンみたいになってるんだ!?」
画面の端に、好感度ゲージが表示された。
【蓮司の好感度:999】
【隆司の理性:3】
【逃走成功率:0%】
「理性の減り方がおかしいだろ!」
蓮司がさらに一歩近づく。
隆司は必死に身を引いた。
そのとき、空から二つの人影が降ってきた。
黒いローブをまとった三紀子と詩織である。
「えへ、えへへへ……! いいですねぇ、この沈黙……!」
「そう! 言葉がないからこそ伝わる感情! これこそ王道! いや、王道を超えた新境地!」
「お前ら、何してんだぁぁぁ!」
詩織は杖を高々と掲げた。
「さあ、物語を完成させるんだ、隆司! 蓮司の手を取れ!」
「絶対に嫌だ!」
「ならば、第二章! 雨の中のすれ違い編!」
「勝手に続編を作るな!」
三紀子が眼鏡を押し上げる。
「えへへ……。でも、ここで隆司くんが逃げたら、蓮司くんが追いかけてくる展開も捨てがたいですね……」
「捨ててくれ!」
次の瞬間、世界が暗転した。
『――運命の告白まで、あと三秒』
「やめろおおおおおっ!」
――ガバッ!
隆司はベッドの上で跳ね起きた。
心臓がうるさい。
呼吸も乱れている。
見慣れた自分の部屋。机の上には描きかけのCG。棚にはアニメのBlu-ray。そして枕元には、昨夜の悪夢の原因となった三紀子のBL本が置かれていた。
隆司は数秒間、天井を見つめた。
「……夢か、やけにリアルだったな」
そう呟いてから、本をそっと裏返す。
「もう二度と、寝る前に読むものか……」
しかし、決意を固めた直後。
部屋の扉が開いた。
「お兄ちゃん、起きてるー?」
カーテンが勢いよく開かれ、朝日が部屋いっぱいに差し込んだ。
妹の美咲が、満面の笑みで立っていた。
「今日は撮影当日だよ! まさか、まだ寝てるなんて言わないよね?」
「起きてる。起きてるから、せめてノックくらいしろ」
「したよ?」
「いつ?」
「今!」
「それはノックじゃなくて、入室の事後報告だ!」
美咲はけらけらと笑った。
今日はいよいよ、念願の読者モデル撮影当日。
美咲にとっては夢への第一歩。そして杏子にとっては、学校では誰にも知られたくない自分の姿を、別人のように変えて撮影するという大仕事だ。
隆司はベッドから降り、身支度を始めた。
その途中、ふと美咲の顔を見る。
「……緊張してないのか?」
「してるよ! でも、それ以上に楽しみ!」
美咲は胸の前で両手を握った。
「私、ずっと読者モデルに憧れてたんだもん。だから今日は、絶対にいい日にする!」
「そっか」
隆司は微笑んだ。
「なら、思い切り楽しんでこい。うちの自慢の妹だ」
「……っ」
美咲は一瞬だけ目を丸くした。
だが、すぐにいつもの笑顔を取り戻す。
「じゃあ、お兄ちゃんは今日から私の専属マネージャーね!」
「なんでそうなるんだよ!」
「だって、撮影の付き添いもするし、荷物も持つし、応援もしてくれるでしょ?」
「それはマネージャーというより、ただの兄だ!」
「はいはい、マネージャーさん。朝ごはんだよー!」
美咲は楽しそうに部屋を出ていった。
隆司は小さく息を吐いた。
「……今日は長くなりそうだ」
その予感だけは、どうやら正しかった。
秋月家は朝から大騒動……
リビングに降りると、食卓には普段より明らかに豪華な朝食が並んでいた。
焼き魚、卵焼き、味噌汁、サラダ。
そして中央には、存在感を放つ大きな鯛の塩焼き。
「……母さん。これは何の祝いだ?」
「もちろん、美咲のモデルデビューのお祝いよ!」
母親は満面の笑みで答えた。
「おめでたい日には、やっぱり鯛でしょう?」
「いや、理屈は分かるけど、朝からこのサイズはすごいな……」
「お兄ちゃん、鯛の目がこっち見てる!」
「魚なんだから当たり前だろ!」
美咲が笑い転げる一方、父親は腕を組み、難しい顔をしていた。
「しかし、まだ高校一年生だぞ。撮影現場には大人もいるんだろうな?」
「もちろんだとも親父。編集長もスタッフさんもいるし、俺も一緒に行くから大丈夫!」
隆司が答えると、父親は少しだけ表情を緩めた。
「そうか……。まあ、隆司がついているなら」
「お父さん、私だってちゃんとするよ!」
「分かっている。だが、心配するのが親というものだ」
父親は美咲を見つめた。
「楽しんでこい。ただし、無理はするなよ」
「うん!」
美咲の返事は、いつも以上に明るかった。
その横で、隆司は焼き魚をつつきながら考えていた。
今日は撮影に加え、三紀子と詩織も同行する。
そして自分は、昨夜の夢のせいで蓮司の顔を見るのが少し怖い。
……いや、最後の問題は自分のせいなのだが。
「お兄ちゃん、顔が変だよ?」
「寝不足だ」
「昨日、何してたの?」
「……読書」
「ふーん?」
美咲の目が細くなった。
「その本、面白かった?」
「忘れたいくらいにはなっ!」
「何それ。ますます気になるんだけど」
「気にするな!」
隆司は急いで味噌汁を飲み干した。
全登校後。
員集合、ただし一人だけ不穏
生徒会室には、いつもの面々が集まっていた。
杏子は鏡を見ながら、髪を整えている。今日は撮影用のウィッグを使う予定だが、初めての本格的なスタジオ撮影に緊張しているらしい。
美咲は撮影の話をするたびに目を輝かせ、三紀子はノートに何かを書き込み、詩織はその横から覗き込んでいた。
蓮司は腕時計を確認しながら、いつも通り真面目な顔で立っている。
「全員そろったな」
隆司が言うと、蓮子……ではなく、蓮司が即座に訂正した。
「まだだ。お前の鞄が開いている」
「そこかよ!」
「忘れ物がないか確認しろ。撮影先で騒ぎを起こすなよ」
「俺を何だと思ってるんだ」
「今朝から妙に落ち着きがない人間」
「観察眼が鋭すぎる!」
蓮司は不思議そうに隆司を見た。
「……本当に大丈夫か?」
「大丈夫だ。お前は何も心配しなくていい」
そう答えた瞬間、隆司の脳裏に夢の中の蓮司がよみがえった。
『俺はお前の隣にいる』
「うっ……」
「どうした?」
「いや、何でもない!」
隆司は勢いよく顔を背けた。
その様子を、三紀子と詩織が見逃すはずもなかった。
三紀子のペンが止まる。
詩織がゆっくりと顔を上げる。
二人の視線が交差した。
「……今の、見た?」
「見た。間違いない」
「蓮司が心配した瞬間、隆司が動揺した……」
「これは、朝から供給過多……!」
「えへ、えへへへ……!」
「ちょっと待て。何を共有した?」
隆司が警戒する。
詩織はすでにノートを取り出していた。
「いやあ、今日の撮影、モデル二人だけじゃなくて、裏側にもドラマがありそうだね!」
「裏側って何だよ!」
「秘密!」
「その秘密は今すぐ捨てろ!」
杏子が額を押さえた。
「三紀子、詩織。撮影先では絶対に変なことをしないでね」
「分かってるよ、杏子」
「もちろんです、杏子さん」
二人はそろって真顔でうなずいた。
……真顔すぎるのが、かえって怪しかった。
昼休み。
隆司は鞄から、丁寧に袋へ入れたウィッグを取り出した。
「杏子、これ。撮影用に用意しておいた」
「ありがとう。……こんなに?」
「予備も含めて何種類か。編集長にも相談したから、現場でスタイリストさんに選んでもらおう」
杏子は袋の中を確認し、少し驚いた顔をした。
「ずいぶん考えてくれたのね」
「正体を知られずに撮影したいんだろ? できるだけ希望に近づけたかっただけだよ」
「……うん。ありがとう、隆司」
杏子は小さく微笑んだ。
隆司が何気なく顔を上げると、杏子は少し頬を赤くして目をそらした。
その一連のやり取りを、三紀子と詩織が机の陰から観察していた。
「今の見た?」
「見た。ウィッグを渡すだけなのに、あの空気……」
「しかも『希望に近づけたかっただけ』だよ?」
「くっ……! 本人は無自覚! これが一番強い!」
「えへ、えへへへ……。これは『無自覚な優しさに心を乱される副会長』編ですね……」
「タイトルまで決めるな!」
隆司はウィッグの袋を机に置いた。
「あと、俺の周囲で勝手に作品を作るな!」
「作品じゃないよ、可能性の記録!」
「もっと悪いわ!」
騒ぎの最中、隆司の腹が鳴った。
朝から落ち着かず、昼食を買いそびれていたのだ。
それに気づいた杏子が、自分の弁当を差し出した。
「よかったら、半分食べる?」
「え、いいのか?」
「私、少し多めに作ってきたから」
弁当箱には、彩りのいい野菜に卵焼き、丁寧に詰められたおかずが並んでいた。
「相変わらず、料理うまいな」
「そ、そんなことないわよ」
杏子は視線をそらした。
今度は美咲が、その様子を見てにやりと笑った。
「お兄ちゃん、よかったね。お弁当を分けてもらえるなんて」
「腹が減ってただけだ」
「ふーん。じゃあ、私が同じことをしても、そんなに喜ばない?」
「いや、美咲の弁当も嬉しいぞ」
「即答なんだ」
「妹だからな!」
美咲は満足そうに笑った。
一方、三紀子と詩織は、今度は別の方向に盛り上がっていた。
「待って。杏子がお弁当を分けたのに、美咲も自然に会話に入ってくる……」
「三角関係ではなく、家族愛と友情と淡い恋心が交錯する群像劇……!」
「いや、普通に昼飯を食べてるだけだ!」
蓮司が腕を組んだ。
「お前たち、午後の授業に遅れるぞ」
「はっ! 現実という名の強制イベント!」
「風紀委員がルートを遮断してきた……!」
「ルートって何だ!」
蓮司の声が、生徒会室に響き渡った。
スタジオへ向かう前に、まさかの招集
放課後。
校門前には、桐生玲子編集長の手配した車が停まっていた。
撮影用の衣装や機材を運ぶためのワゴン車も、少し離れた場所で待機している。
「皆さん、お待たせしました」
玲子が車から降りてきた。
「今日はモデルのお二人だけでなく、皆さんにも来ていただきます。事前にお話しした通り、学校広報と今後の企画の参考になるよう、撮影の裏側も見ていただければと思っています」
詩織がすぐに反応した。
「つまり、撮影の進行や見せ方も勉強できるってことだよね?」
「ええ。将来、企画や広報を担当するなら、実際の現場を知るのは大切ですから」
「よし、任せて!」
詩織は拳を握った。
「三紀子、今日は観察だけじゃない。ちゃんと成果を持ち帰るよ!」
「はい……! 撮影現場で生まれる物語の構造を分析します……!」
「分析対象はモデル撮影だからな!?」
隆司の注意は、二人の耳を素通りした。
その横で蓮司は、玲子に確認した。
「俺たちが同行しても、スタッフの邪魔にはなりませんか?」
「もちろん。撮影エリアには許可なく入らない、機材には触れない、スタッフの指示に従う。その三点を守っていただければ大丈夫です」
「分かりました」
蓮司は真剣にうなずいた。
隆司は小声でつぶやいた。
「さすが風紀委員。こういうときだけ異様に頼もしい……」
「聞こえてるぞ」
「聞こえるように言ったんだよ」
車に乗り込む直前、玲子がふと思い出したように言った。
「そうそう。実は今日、ひとつ追加の企画を考えているんです」
杏子と美咲が顔を上げた。
「追加の企画、ですか?」
「ええ。お二人の個人撮影だけでなく、最後に二人一緒の特別カットも撮りたいと思っています」
「二人一緒に?」
「はい。『初めての一歩』というテーマで。違う個性を持つ二人が、同じ場所から新しい世界へ踏み出す――そんなイメージです」
美咲の顔がぱっと明るくなった。
「やりたいです!」
杏子は一瞬戸惑ったが、やがてうなずいた。
「私も……挑戦してみたいです」
玲子は満足そうに微笑んだ。
「ありがとうございます。では、もうひとつだけ」
彼女の視線が隆司へ向いた。
「秋月さん。あなたにも、少しお手伝いをお願いしたいのですが」
「……え?」
なぜか、嫌な予感がした。
スタジオに到着した瞬間、美咲は目を輝かせた。
白い壁に大きな撮影用ライト。レフ版はもちろんのこと背景紙が何種類も並び、衣装ラックには秋冬物の服が整然と掛けられている。
「すごい……! 本当に雑誌の撮影現場だ!」
「美咲さん、こちらへどうぞ。まずは衣装とメイクを決めましょう」
スタイリストが声をかける。
杏子も緊張した面持ちで、メイクルームへ向かった。
隆司たちは、スタッフの邪魔にならない待機スペースに案内された。
そして――。
三紀子と詩織が、スタジオの中央を見つめた。
二人の目が、同時に輝く。
「……ここが」
「……物語の生まれる場所……!」
「違う。撮影スタジオだ」
隆司の冷静な指摘は、完全に無視された。
詩織がゆっくりと腕を広げる。
「見て、三紀子。あの白い背景。余計な情報をすべて排除した、純白の世界……」
「そして、そこに立つ人物の表情だけが、見る者の心を動かす……」
「そう! まるで、誰にも言えない想いを抱えた主人公が、運命の相手と向き合うための舞台!」
「えへ、えへへへ……。照明が少し斜めから当たれば、視線の揺れまで描けそうです……」
「君たち、モデル撮影を何だと思ってるんだ!」
蓮司がため息をついた。
「二人とも、スタッフの邪魔はするなよ」
「分かってるって、蓮司くん!」
詩織は親指を立てた。
「私たちは、ただ妄想するだけじゃない。今日は広報担当として、ちゃんと働く!」
「その宣言の前半が不安すぎるんだよ!」
そのとき、メイクルームから美咲が顔を出した。
「ねえ、お兄ちゃん! これ、どうかな?」
まだメイクの途中だったが、選ばれた衣装を合わせた姿は、いつもの制服姿とは印象が違っていた。
明るく、元気で、自然体。
美咲自身の魅力が、そのまま引き出されているようだった。
隆司は少し驚いたあと、笑顔で答えた。
「似合ってる。美咲らしくていいと思うぞ。」
「ほんと? やった!」
美咲は嬉しそうにメイクルームへ戻っていった。
それを見送った詩織が、腕を組む。
「なるほどね。美咲は飾りすぎない方向が強いんだ」
三紀子も真剣な表情でノートに書き込んだ。
「表情の変化が自然……。本人が楽しんでいることが、写真にも伝わりそうです」
「おっ。まともな分析をしてる……」
隆司が感心しかけた、その瞬間。
詩織が顔を上げた。
「一方で、隆司が妹を見守る兄の表情も、実に自然だったね!」
「戻るな、そっちに!」
「三紀子、今の表情を忘れないで!」
「はい……! 『妹の門出を見守る兄。しかし、その背後では別の感情と運命が動き始めていた』……!」
「勝手にサスペンスまで足すな!」
蓮司が二人を待機スペースの椅子へ誘導した。
「座れ。頼むから座ってくれ」
「はい……」
「分かったよ……」
素直に座る二人。
しかし、三紀子のノートには、すでに新しいタイトルが書かれていた。
『撮影スタジオの禁断の聖域――光と影の交差点』
隆司は見なかったことにした。
変身した副会長と、予想外の才能
しばらくして、杏子がメイクルームから姿を現した。
アッシュオリーブのセミロングのウィッグ。落ち着いた色合いの衣装。普段の髪型とは違い、メイクによって目元が少し大人びて見える。
学校での杏子を知る者なら、すぐには本人だと気づかないかもしれない。
「……どう、かしら?」
杏子は少し不安そうに尋ねた。
隆司は言葉を失った。
美人なのは知っていた。
だが、普段の杏子は生徒会副会長として、どこか隙のない雰囲気をまとっている。
今の彼女には、それとは違う柔らかさがあった。
「……すごく似合ってる」
「本当?」
「ああ。大人びて別人みたいだけど、杏子らしさもちゃんと残ってる」
杏子の頬が赤くなった。
「そ、そう……。なら、よかったわ」
少し離れたところで、三紀子が口元を押さえていた。
「えへ、えへへへ……。今の杏子さんの表情、いいですね……」
「分かる。褒められて嬉しいのに、素直に喜びきれない感じ!」
詩織は小声で力説した。
「でも、今日はその表情を撮影に生かそう。恥ずかしさを隠すんじゃなくて、少しだけ残すんだ」
三紀子は感心したようにうなずいた。
「詩織、たまにはすごく真面目ですね……」
「たまにはって何だよ!」
その後、撮影が始まった。
カメラマンの指示に合わせ、杏子はポーズを変えていく。
最初は緊張していたものの、スタッフの丁寧な説明とメイク担当者の助言とプロっぽい緊張感をほぐすような会話で、少しずつ自然な表情になっていった。
隆司たちはモニターを見ながら、その様子を見守る。
やがて、カメラマンが首をかしげた。
「うーん……。きれいに撮れてはいるんですが、少しだけ表情が固いですね」
杏子の肩がわずかに落ちた。
「すみません……」
「いえいえ、初めてなら普通ですよ。もう少しリラックスしてみましょう」
そこで、詩織が小さく手を挙げた。
「ひとつ、提案してもいい?」
スタッフが彼女を見る。
「ポーズを細かく決めるより、何かを見つけた瞬間みたいに撮るのはどうかな。たとえば、花屋の店先で、思いがけず好きな花を見つけたときとか」
杏子が顔を上げた。
「……花屋?」
「うん。杏子って、花が好きなんでしょ? だったら、カメラのために笑うんじゃなくて、好きなものを見つけたときの顔を思い出すんだよ」
その言葉に、杏子の表情が少し変わった。
彼女は目を閉じ、想像するように息を吸った。
小さな店先に並ぶ花。
朝の光。
通りを歩く人たち。
そして、いつか自分の店を持てたら――。
目を開いたとき、杏子の顔には自然な微笑みが浮かんでいた。
カメラマンがすかさずシャッターを切る。
カシャッ。
モニターに映った写真を見て、スタッフたちが感心した声を上げた。
「いいですね! 今の表情、すごく自然です!」
杏子は驚いたようにモニターを見つめた。
「……私、こんな顔をしていたの?」
「してたよ」
隆司が笑った。
「すごくいい顔だった」
杏子は今度こそ、はっきりと微笑んだ。
その瞬間、三紀子と詩織は互いの肩をつかんだ。
「今の見た!?」
「見た! しかも今の提案、撮影にもちゃんと役立った!」
「妄想だけじゃない……! 私たち、現場でもやれる!」
「えへ、えへへへ……! 創作活動が現実に貢献してしまいました……!」
「いや、今のは花屋の話だろ!」
隆司のツッコミが、スタジオに響いた。
杏子の個人撮影が順調に進んでいた、そのとき。
スタジオの奥で、スタッフの一人が慌てて駆け寄ってきた。
「編集長、大変です! 別ブースの撮影が押していて、予定していた追加カットの準備が間に合いません!」
「追加カットというと、二人の特別企画ですね?」
「はい。背景のセットは使えるんですが、モデルの動きに合わせた構図を、もう一度考える必要がありそうで……」
玲子は腕を組み、モニターを確認した。
「そうですか……。時間も限られていますし、ここは構成を少し変えましょう」
彼女はふと、隆司のほうを見た。
「秋月さん。先日、皆さんを撮影したときの写真を覚えていますか?」
「え? ああ、もちろん覚えてますよ」
「自然な表情を引き出すのが、とても上手でしたね。あのときの写真、スタッフの間でも評判だったんです」
「いや、あれはたまたま……」
「でしたら、少しだけカメラマンの補助をお願いできませんか?」
「……はい?」
隆司の頭が真っ白になった。
「はい?……俺が、撮るんですか?」
「もちろん、メインカメラマンではありません。構図のアイデアを出したり、モデルのお二人と会話して、自然な表情を引き出したり。あなたの視点を借りたいんです」
「いやいやいや! 俺は撮影の専門家じゃないですよ!」
「だからこそ、雑誌の撮影に慣れていない読者に近い視点が必要なんです」
玲子はにっこりと微笑んだ。
逃げ道は、なかった。
隆司はゆっくりと蓮司を見た。
「……蓮司。助けてくれ」
「編集長が頼んでいるんだ。引き受けたらどうだ?」
「お前、こういうときだけ正論を言うな!」
「普段から正論だが?」
「そこが腹立つんだよ!」
詩織が勢いよく立ち上がった。
「いいじゃん、隆司! これ、絶対に面白くなるよ!」
三紀子も頷く。
「隆司くんが撮影側に回ることで、モデルとの距離感が変わります……。これは物語の構造としても興味深いです……」
「お前らは俺を実験材料だと思ってないか!?」
玲子はカメラマンと相談し、簡単な役割分担を決めた。
隆司は構図のアイデアを出し、モデルへの声かけを担当する。実際の撮影設定や機材操作は、プロのカメラマンが管理する。
「それなら……何とか」
隆司は覚悟を決めた。
「分かりました。できる範囲でやってみます」
「ありがとうございます」
玲子が微笑む。
こうして隆司は、予想外の撮影スタッフとして現場に立つことになった。
続いて、美咲の撮影が始まった。
グレーベージュのボブスタイルのウィッグに、明るい色合いの秋冬コーディネート。
美咲はカメラの前に立つと、最初こそ緊張していたものの、すぐに持ち前の明るさを発揮した。
「じゃあ、少しだけこっちを向いてみようか」
隆司が声をかける。
「こう?」
「そう。あ、いいね。そのまま、何か楽しいことを思い出してみて」
「楽しいこと……」
美咲は少し考え、にやっと笑った。
「お兄ちゃんが朝、魚の目にびっくりしてたこと!」
「それを思い出すな!」
カシャッ。
カメラマンが笑った。
「今の表情、いいですね! もう一枚!」
「ちょっと待て! 俺の朝食が雑誌の撮影に利用されてるんだが!?」
「お兄ちゃん、マネージャーとして立派に貢献してるよ!」
「そのマネージャー設定、まだ続いてたのか!」
美咲は楽しそうにポーズを変えた。
撮影は順調だった。
その一方、待機スペースでは、三紀子と詩織が別の意味で盛り上がっていた。
「詩織……。見てください。隆司くんが美咲ちゃんに声をかけた瞬間、表情が変わりました」
「分かる! 相手の性格を知ってるからこそ、自然に笑わせられるんだよ!」
「でも、杏子さんのときは少し違うんです……。言葉を選んで、相手の反応を見ている……」
「相手によって距離感が違う。そう、それが人間関係の面白さ!」
「えへ、えへへへ……。人物相関図が、頭の中で完成していきます……!」
「頼むから、人物相関図を現実に持ち込むなよ!」
隆司が叫ぶと、詩織は両手を上げた。
「大丈夫! 今日はちゃんと仕事もする!」
「さっきからそれしか聞いてないぞ!」
詩織はノートを開き、撮影の流れを整理し始めた。
「美咲は元気で親しみやすい方向。杏子は落ち着いた雰囲気の中に、ふとした柔らかさを出す。そして二人一緒のカットでは、対照的な魅力を並べるだけじゃなく、お互いの良さを引き出す構図にする」
三紀子が続ける。
「例えば、同じ方向を見ていても、表情や仕草に違いをつける……。二人がそれぞれの夢を見ているようなイメージですね」
スタッフが二人のノートを覗き込んだ。
「……これ、かなり参考になりますね」
詩織は得意げに笑った。
「でしょ? 妄想だって、使い方次第なんだよ!」
「その言い方だと、普段の妄想まで仕事の一環みたいになるだろ!」
隆司のツッコミは、もはやスタジオの環境音と化していた。
夕方。
個人撮影が終わり、いよいよ二人一緒の特別カットを撮る時間になった。
テーマは『初めての一歩』。
美咲は少し明るめの衣装、杏子は落ち着いた色合いのコーディネート。背景には、秋の街並みをイメージしたセットが用意されていた。
「では、お二人、並んで立ってみてください」
カメラマンの指示に従い、二人が並ぶ。
しかし、最初の数枚は、どこかぎこちなかった。
美咲は元気に笑いすぎ、杏子はきれいに見せようと意識しすぎている。
玲子はモニターを見つめた。
「悪くはないのですが……。二人らしさが、もう少し欲しいですね」
隆司は二人の様子を見て、ふと考えた。
美咲は、いつも周囲を明るくする。
杏子は、真面目でしっかり者だが、好きなものの話になると、表情が柔らかくなる。
ならば、無理に同じ表情をさせる必要はない。
「美咲、いつも通り杏子に話しかけてみたらどうだ?」
「え?」
「ポーズを決めるんじゃなくて、普段みたいに。杏子も、カメラのことはいったん忘れていいから」
美咲は少し考え、杏子のほうを向いた。
「ねえ、杏子ちゃん。今日の撮影、どうだった?」
「え? そ、そうね……最初は緊張したけれど、思っていたより楽しかったわ」
「よかった! 私、杏子ちゃんと一緒に撮れて嬉しい!」
杏子の表情が和らいだ。
「……私もよ、美咲」
美咲が笑い、杏子もつられて笑った。
その瞬間。
カシャッ、カシャッ、カシャッ!
シャッター音が連続して響いた。
モニターには、作り込まれたポーズではない、自然な笑顔の二人が映っていた。
「これです!」
玲子が思わず声を上げた。
「今の表情、とてもいいです! 二人の個性が違うからこそ、一緒にいる姿に魅力が生まれている!」
美咲はモニターを見て、嬉しそうに手を叩いた。
「わあ! すごい! これ、私たちなの?」
杏子も、少し照れながら写真を見つめていた。
「……本当に、自然な顔をしているわね」
隆司はほっと息を吐いた。
「よかった。うまくいったな」
そのとき、背後から詩織の声がした。
「待って。これ、広報用の企画にも使えるよ」
「え?」
「撮影前の緊張した表情から、最後に自然な笑顔になるまで。その過程を短い紹介記事にまとめるんだよ。二人の魅力だけじゃなくて、読者モデルがどんなふうに撮影に臨むのかも伝えられる!」
三紀子が勢いよくノートを開いた。
「撮影前後の変化を、短い文章と写真で構成する……。読者が二人に親近感を持てそうです……!」
玲子は感心したようにうなずいた。
「いいアイデアですね。お二人に、企画の補助もお願いしてよかったです」
詩織は満足そうに胸を張った。
「任せて! 私たち、妄想だけで生きてるわけじゃないから!」
「そこは最初から信じてやりたいんだが、普段の言動がな……」
隆司は苦笑した。
しかし、三紀子と詩織の仕事は、ここで終わらなかった。
すべての撮影が終わり、スタッフたちは片づけを始めていた。
時計を見ると、すでに夜の九時を回っている。
「皆さん、本当にお疲れさまでした」
玲子が声をかけた。
「お二人とも、初めてとは思えないくらい頑張ってくれました。今日撮った写真は編集部で選定して、後日ご連絡しますね」
「ありがとうございました!」
美咲は深々と頭を下げた。
杏子も丁寧にお礼を言い、メイク担当者に教わったポイントを忘れないよう、手帳に書き留めていた。
「メイクって、ほんの少しの工夫で印象が変わるのね……。勉強になったわ」
「杏子ちゃん、もう次の撮影のこと考えてるの?」
「せっかく教えていただいたんだもの。覚えておきたいじゃない」
美咲は笑った。
「そういうところ、杏子ちゃんらしいね!」
その横で、三紀子と詩織は、撮影中に書き留めたメモを整理していた。
「今日は収穫が多かったですね……」
「うん。撮影の進行、モデルの表情の引き出し方、広報の見せ方……。それに、妄想の新ネタも!」
「最後の項目だけ妙に熱量が高いぞ!」
隆司が指摘すると、二人はそろってノートを閉じた。
「気のせい!」
「何も書いていません!」
「今、同時に隠しただろ!」
蓮司が呆れたように息を吐く。
「お前たち、最後まで騒がしいな」
「蓮司、今日の君は何度も隆司を助けていたね……」
詩織が意味ありげに言った。
「は?」
「いえ、何でもありません……。えへ、えへへへ……」
三紀子の笑い声が、静かなスタジオに響いた。
「やめろ! 今日の俺はもう十分に疲れてるんだ!」
隆司は頭を抱えた。
そのとき、カメラマンが声をかけてきた。
「秋月さん、ちょっといいですか?」
「はい?」
「今日、最後に撮った写真を何枚か確認していたんですが……。これ、見てもらえます?」
差し出されたタブレットには、撮影の合間に撮られた写真が表示されていた。
美咲が笑いながら杏子に話しかけている写真。
杏子が少し照れながら笑い返している写真。
そして――。
隆司が二人を見守っている、何気ない一枚。
「……これ、俺ですか?」
「ええ。モデルのお二人を見ているときの表情が、すごく自然だったので。記録用に撮っていたんです」
隆司は画面を見つめた。
そこに写っている自分は、撮影中に何度も見せていた、いつもの笑顔だった。
しかし、次の写真を見た瞬間、彼は言葉を失った。
杏子が、カメラではなく、隆司のほうを見ていたのだ。
ほんの一瞬。
美咲と笑い合ったあと、隆司が二人を見守っていることに気づいたのだろう。
その表情は、撮影用の笑顔とは少し違っていた。
柔らかくて、安心したような――それでいて、どこか切なさを含んだ微笑み。
「……あれ?」
隆司は思わず画面に顔を近づけた。
「この写真、いつ撮ったんですか?」
「二人の撮影を終えた直後ですね。本人たちは気づいていなかったと思います」
杏子が画面を覗き込んだ。
そして、自分の表情に気づいた瞬間、頬が一気に赤くなった。
「こ、これは……!」
「杏子?」
「な、何でもないわ!」
杏子は慌てて視線をそらした。
その反応を見た三紀子と詩織が、同時に息をのむ。
「……見た?」
「見た……!」
「カメラに向けた笑顔じゃない……!」
「しかも、視線の先には隆司……!」
「えへ、えへへへ……! これは、想定外の一枚……!」
「詩織、今の写真、企画に入れるなら本人たちの確認が必要です……!」
「分かってる! 勝手に使ったりしない! でも、この表情は……!」
二人は興奮しながらも、写真の扱いについてはきちんと玲子に確認することにした。
隆司は、まだ画面を見つめていた。
杏子が、あんな顔をしていたなんて。
今まで気づかなかった。
いや、気づかないふりをしていただけなのかもしれない。
「……隆司」
杏子が小さな声で呼んだ。
「この写真……その、変じゃない?」
隆司は顔を上げた。
「変じゃないよ」
そして、少しだけ笑った。
「すごく、いい写真だと思う」
杏子は何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ、また頬を赤くした。
帰りは玲子が手配した車で、全員が学校方面まで送ってもらうことになった。
美咲は今日の撮影を振り返りながら、興奮気味に話していた。
「メイクも衣装もすごかった! それに、杏子ちゃんと一緒の写真も撮れたし!」
「楽しかったわね。少し緊張したけれど……」
「次も一緒に出られたらいいね!」
「そ、そうね。機会があれば……」
杏子はそう答えながら、先ほどの写真を思い出していた。
隆司の表情。
自分が彼を見ていたこと。
そして、彼に「いい写真だ」と言われたこと。
考え始めると、また頬が熱くなった。
その向かい側では、三紀子と詩織が小声で作戦会議をしていた。
「今日の撮影、ゲーム研究会の広報企画にも応用できそうだね」
「はい……。登場人物の魅力を、説明ではなく表情や行動で伝える……。シナリオ作りにも使えそうです」
「それに、撮影の裏側を紹介する記事も作れる。編集長に相談して、次の企画につなげよう!」
「えへ、えへへへ……。現実が創作の参考になるなんて、最高ですね……」
「ただし、現実の人間関係を勝手に恋愛ルートへ分岐させないこと!」
蓮司が釘を刺した。
「えー、そこは創作の自由じゃん!」
「本人の意思を無視するな」
「はい……」
三紀子と詩織は、さすがに反論できなかった。
そのとき、玲子から隆司のスマホにメッセージが届いた。
『今日は本当にありがとうございました。撮影した写真の中に、編集部としてぜひ検討したい一枚がありました。正式に掲載候補が決まりましたら、改めてご連絡します』
隆司は画面を見つめた。
「……掲載候補?」
すぐに、美咲が身を乗り出した。
「えっ、もう連絡が来たの!? どの写真? 私? 杏子ちゃん? それとも二人の写真?」
「まだ分からないよ。候補って書いてあるだけだ」
「気になるー!」
美咲が騒ぐ横で、杏子もさりげなくスマホを確認していた。
そして、三紀子と詩織は、互いに顔を見合わせた。
「……これは、次回も何か起きるね」
「ええ。撮影が終わっても、物語は終わりません……!」
「だから、物語を勝手に増やすなって!」
隆司のツッコミが、夜の車内に響き渡った。
――こうして、初めてのスタジオ撮影は無事に幕を閉じた。
美咲は夢への一歩を踏み出し、杏子は自分でも知らなかった表情を写真に残した。
隆司は、撮影を通して二人の新しい一面を知ることになった。
そして三紀子と詩織は、創作の世界と現実の世界を行き来しながら、次なる企画への意欲を燃やしていた。
だが、隆司にはひとつだけ、解決していない問題があった。
隣に座る蓮司が、何気なく声をかけてきたのだ。
「隆司。今日はよく頑張ったな」
「……っ!」
隆司の脳裏に、夢の中の桜とバラの花びらがよみがえる。
「な、何だよ、急に!」
「いや。お前が撮影を手伝うとは思わなかったからな。助かった」
「そ、そうか……」
蓮司は不思議そうに首をかしげた。
「顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」
「ない! 断じてない!」
その様子を見た三紀子と詩織が、暗い車内でそっと拳を握った。
「……新章、開幕」
「……えへ、えへへへ」
「聞こえてるからなぁぁぁ!」
夜の街に、隆司の悲鳴が響いた。
そしてスマホの画面には、まだ誰も知らない次の企画の通知が、静かに届いていた。




