第6話 新たな展開?~まさかのデビュー~
午前二時。
秋月家の二階から、うめき声が聞こえていた。
「……なぜだ。なぜ俺が蓮司に壁ドンされているんだ……」
俺、秋月隆司は、ベッドの上で頭を抱えていた。
原因は、昨夜の三紀子だ。
数学が得意で、読書好きで、普段は物静かな一ノ瀬三紀子。彼女には、他人に知られたくない趣味がある。
そう。筋金入りの腐女子である。
そして昨夜、俺は彼女が描いたBL漫画のネームを見せられた。
主人公は俺。相手役は、俺の親友で剣道部主将の森崎蓮司。
……なぜだ。
俺と蓮司は中学時代からの友人だ。確かに仲はいい。困ったときには助け合うし、何かあれば相談もする。
しかし、だからといって、どうして漫画の中で俺が蓮司に壁ドンされなければならないのか。
しかも、蓮司の台詞が妙に格好いい。
『お前のことは、俺が一番よく分かっている』
「言わねえよ! あいつが言うなら『姿勢が悪いぞ』か『竹刀の握りが甘い』だろ!」
俺は枕に顔を埋めた。
ところが、困ったことに、漫画そのものは面白かった。
人物の表情は細かく描かれているし、台詞の配置にも工夫がある。普段は見過ごしてしまうような仕草が、物語の中では重要な意味を持っていた。
創作をする人間として、参考になる部分は確かにあったのだ。
ただし。
「俺たちを題材にする必要はないだろ……」
時計の針は午前三時を回っていた。
俺は漫画の構成を分析し、改善点を三つほど思いつき、なぜか蓮司の性格ならどんな台詞を言うかまで考えてしまった。
その結果、気づけば朝だった。
「……今日、学校休んでいいかな」
もちろん、そんなことはできない。
生徒会長の仕事もある。三紀子に頼まれた印刷物も渡さなければならない。
何より、今日は妹の美咲が俺を起こしに来る日だ。
その予想は、見事に的中した。
「お兄ちゃーん。起きてる?」
ドアの向こうから、美咲の声がした。
「……寝てる」
「返事をする寝坊助がいるんだ」
ドアが開き、美咲が部屋に入ってきた。
俺は布団を頭までかぶる。
「お兄ちゃん、遅刻するよ。あと五分で起きなかったら、朝ご飯のおかずを全部もらうからね」
「……それは困る」
「起きてるじゃん!」
美咲がベッドに近づいた、その瞬間。
俺は布団を跳ね上げた。
「うおおおおっ!」
「きゃあっ!?」
驚いた美咲は後ずさり、足をもつれさせてベッドの脇に尻もちをついた。
すぐに立ち上がった美咲は、乱れてもいないスカートを押さえながら、怒った顔で俺をにらんだ。
「お兄ちゃん! 朝から何してるの!」
「いや、ちょっとした目覚ましを……」
「目覚ましに驚かせる機能はいりません!」
「……ごもっともです」
俺は素直に謝った。
美咲は腕を組み、俺の顔をじっと観察した。
「それで? 何時まで起きてたの?」
「少しだけ」
「目の下にクマができてる人の『少しだけ』は信用できません」
「高校1年生にしては厳しい判断だな……」
「お兄ちゃんを見て育ったからね」
なぜか胸に刺さった。
美咲はため息をつき、机の上に置かれたノートを見た。
「また絵を描いてたの?」
「いや、三紀子の漫画を読んでたんだ」
「三紀子さんの?」
美咲の表情が変わった。
「……へえ。三紀子さんの漫画で、そんなに寝不足になるんだ?」
「誤解を招く言い方をするな! 構成を分析してただけだ!」
「ふうん。どんな構成?」
「説明すると長い」
「じゃあ、今度ゆっくり聞かせてね」
美咲はにっこり笑った。
その笑顔を見て、俺は悟った。
これは絶対に面白がっている。
「……美咲。変な想像をするなよ」
「何も言ってないよ?」
「顔が言ってる!」
「お兄ちゃんって、ほんとに分かりやすいね」
朝から妹に完敗した。
しかも、これから学校に行けば、漫画の作者本人と顔を合わせることになる。
俺は布団に戻りたい衝動を、必死にこらえた。
登校途中、校門の近くで杏子、蓮司、三紀子の三人と合流した。
副会長の一条杏子は、俺の顔を見るなり眉をひそめた。
「隆司、ひどい顔ね。ちゃんと寝たの?」
「……寝たことにはなっている」
「その表現、睡眠に対する冒涜よ」
杏子の正論は、朝から切れ味が鋭かった。
隣では蓮司が俺の顔を見て、真面目にうなずいている。
「違う。お前が倒れると面倒だから言っている」
「適当に保健室で寝るから問題はない!」
俺が何気なく返すと、三紀子の足が止まった。
眼鏡の奥で、その目がきらりと光る。
「……今の、もう一度お願いします」
「何を?」
「『お前が倒れると面倒だから』のところからです!」
「そこから!?」
三紀子は鞄から小さなノートを取り出した。
「疲れた友人を気遣う蓮司君。それを素直に受け止める隆司君く……。朝の光が二人を照らし、静かな友情が始まる……」
「始まってない! 友情は中学から続いてる!」
「つまり、長年積み重ねてきた関係ということですね……!」
三紀子のペンが走り始めた。
俺はノートを取り上げようとしたが、杏子に腕をつかまれた。
「隆司。登校中から騒がないの」
「でも、こいつが!」
「三紀子の創作を止めても、頭の中までは止められないわよ」
「それはそうだけど!」
杏子の冷静な指摘に、俺は言葉を失った。
三紀子は満足そうにノートを閉じた。
「ご安心ください。今のところ、友情を描く予定です」
「今のところって何だ!」
朝から疲れが倍増した。
ホームルームが終わると、俺は三紀子を図書室に呼び出した。
机の上に置いたのは、彼女が描いた同人誌のカラー印刷版と、以前作ったCG作品をまとめたディスクだ。
三紀子は表紙を見るなり、息をのんだ。
「こ、これ……私の本ですか?」
「そうだ。色味を調整して印刷してみた。細かい部分も、思ったよりきれいに出てる」
三紀子は震える手でページをめくった。
モノクロだった絵が鮮やかな色をまとい、背景の細部までくっきりと浮かび上がっている。
彼女はしばらく黙っていた。
いつもなら、何かを観察しているときも表情をあまり変えない三紀子が、今は目を輝かせている。
「……すごい」
その小さな声には、本当に嬉しいという気持ちが詰まっていた。
「隆司君、ありがと~。私、自分の絵がこんなふうになるなんて……」
「大げさだな。印刷を手伝っただけだぞ」
「大げさじゃないよぉ。創作を続けていると、自分の作品を客観的に見られなくなるの。でも、こうして形になると、次に何を改善すればいいのかも見えてきてぇ……」
三紀子は本を胸に抱いた。
「……もっと、いいものを描きたい!」
その言葉を聞いて、俺は自然と笑っていた。
「なら、次は夏コミだな。俺も出す予定だから、一緒に参加しないか?」
三紀子が顔を上げる。
「夏コミ……!」
「ああ。お前のサイトも最近アクセスが増えてるだろ。作品をもっと多くの人に見てもらうチャンスだ」
「隆司君と一緒に……創作の祭典へ……!」
「言い方が壮大だな」
「創作者にとっては戦場です!そして何よりも私がコミケデビュー!」
「創作者……それは否定しない。ってかお前、コミケ初めてだったんだよな」
そのときだった。
図書室の入り口から、勢いよく誰かが入ってきた。
「その戦場、私も参戦します!」
現れたのは詩織だった。
彼女は雑誌編集部の人間ではない。生徒会の広報企画を手伝う外部協力者で、創作物の企画や演出にも詳しい女性だ。
そして何より、三紀子と同じくらい腐女子としての情熱が強い。
詩織は机の上の本を見るなり、三紀子の隣に滑り込んだ。
「三紀子ちゃん、もしかして新刊!? 見せてぇ!」
「詩織ちゃん! ちょうど今、隆司君から受け取ったところなのぉ!」
二人は本を挟んで、食い入るようにページを見つめた。
詩織は表紙を見ただけで、感心したようにうなずいた。
「人物の配置がいいですね。背景を少し抑えて、表情に視線が集まるようになってる。三紀子ちゃん、ここ、狙ったの?」
「そだよぉ! 読者に最初に見てほしいのは、人物の目なんですぅ」
「分かる! 目線って大事よね。台詞よりも雄弁なことがあるから!」
「そうなのぉ!詩織ちゃん、分かり目深いぃ」
二人の会話が急速に盛り上がっていく。
三紀子が絵の構図について説明すると、詩織は演出の観点から改善案を加える。詩織が物語の見せ方を提案すると、三紀子はすぐに具体的なシーンを思いつく。
まるで、ずっと前から一緒に作品を作っていたかのようだった。
「……なあ、二人とも……そのBL本で想像を膨らますのは良いんだが」
俺は遠慮がちに声をかけた。
「俺、まだここにいるんだけど」
「少々お待ちください!」
二人の返事が、きれいに重なった。
その直後、三紀子が詩織の袖をつかんだ。
「詩織ちゃん、今度の作品で、感情がすれ違う場面を入れたいんです。最初は何でもない一言なのに、後から意味が変わるような……男子同士の発展的な!」
「いいですね! それなら、序盤に同じ台詞を一度出しておきましょう。後半で意味が変わったとき、読者が気づけるようにするんです!」
「それっ!」
二人は同時に顔を見合わせた。
「「最高です……!」」
そして、同時に笑った。
「えへ、えへへへ……!」
「ふふふふ……!」
俺は本能的に一歩下がった。
この二人、危険だ。
趣味が合う人間同士が出会うと、こんなにも話が早いものなのか。
詩織は三紀子と固く握手した。
「三紀子ちゃん。私たち、創作の相棒になりませんか?」
「もちろん!それを待ってたのよぉ~」
「三紀子ちゃんが物語の種を見つけて、私が演出で育てる。二人で、読者の心を動かす作品を作りましょう!」
「うん♪ 一心同体です!」
感動的な場面だった。
少なくとも、二人にとっては。
俺は机の上のディスクを指さした。
「……ところで、その印刷物を受け取るために俺を呼んだんじゃなかったか?」
三紀子は一瞬、きょとんとした。
「そうでした」
「忘れるなよ!」
図書室に俺の声が響いた。
その日の放課後、生徒会室では夏コミの話から、いつの間にかゲーム制作の話へと議題が移っていた。
きっかけは詩織だった。
「せっかく創作をする仲間がいるんですから、ゲームを一本作ってみませんか?」
彼女はホワイトボードに大きく書いた。
ゲーム研究会 設立案
「隆司君はCGを作れる。三紀子ちゃんはシナリオを書ける。杏子ちゃんはプログラミングができる。なら、みんなの得意分野を合わせれば、ゲームを完成させられると思うの」
「ちょっと待て。杏子もプログラムができるのか?」
俺が振り向くと、杏子は不思議そうに首をかしげた。
「ええ。JavaもJavaScriptも、PHPもC++も基本的なことなら分かるわよ」
「おぃ……俺より詳しいじゃないか」
「隆司はCGに力を入れすぎなの。制作には絵以外にも必要なことがあるでしょう?」
ぐうの音も出なかった。
杏子はホワイトボードに近づき、ゲーム制作の工程を書き始めた。
企画、シナリオ、プログラム、CG、テスト、広報。
「役割を決めて、期限を設定する。最初から大作を作ろうとせず、短い作品を完成させるところから始めましょう」
「さすが杏子。話が早いな」
「当然よ。言い出した人が計画を立てないと、いつまでも始まらないもの」
俺は思わず詩織を見た。
詩織はなぜか、すでに三冊のノートを机に並べていた。
「企画案、演出案、広報案です!」
「準備がよすぎないか?」
「こういうときのために、普段から考えていましたから!」
詩織は胸を張った。
「私はゲームの企画と演出、それから広報を担当します。三紀子ちゃんのシナリオを一緒に磨き、キャラクターの見せ方やイベントの流れを考える。完成したら、作品の魅力を伝える方法も考えます」
「なるほど。そこまで考えているなら、詩織がいる意味もはっきりするな」
俺がそう言うと、詩織は嬉しそうにうなずいた。
三紀子も、普段より少しだけ表情を明るくしていた。
「詩織ちゃんがいると、私の考えが整理されるんです。自分では面白いと思っていても、どこを見せれば読者に伝わるのか分からないことがあって……」
「だからこそ、二人で考えるんです!」
詩織が力強く答えた。
「三紀子ちゃんは細かな感情や人物の内面を描くのが得意。私は物語全体の流れや、見せ場を作るのが得意。組み合わせれば、もっといい作品になります!」
「……いいな、それ」
俺は素直に感心した。
ゲーム制作は、一人で何でもできる必要はない。得意分野の違う人間が集まれば、一人では作れないものが作れる。
「よし。まずは一般向けの短編ゲームを一本作ろう。俺がCG、杏子がプログラム、三紀子がシナリオ、詩織が企画と演出、広報を担当する」
「決まりですね!」
詩織が手を差し出した。
三紀子がその手を握り、杏子も続いた。最後に俺が手を重ねる。
「目標は、夏休み中に試作品を完成させることだ」
「頑張りましょう!」
全員の気持ちが一つになった。
……と思ったのだが。
「ところで、ゲームの登場人物に、長年の親友同士という設定を入れるのはどうでしょう?」
三紀子が真剣な顔で提案した。
詩織の目が光る。
「いいですね! お互いに言葉にしなくても分かり合える関係。普段は素っ気ないのに、いざというときには相手を助ける……!」
「そうです! しかも、本人たちは自分たちの関係を特別だと思っていないんです!」
「それなのに周囲から見ると、ものすごく絆が深い!」
二人は勢いよくノートに書き込み始めた。
俺は嫌な予感を覚えた。
「……その設定、いったい誰をモデルにするつもりだ?」
三紀子は無表情で答えた。
「まだ決めていません」
詩織も真面目な顔で続ける。
「ええ。あくまで一般的な人間関係の研究です」
二人のノートには、すでに『隆司君と蓮司君の関係性に学ぶ、自然な友情の描写』と書かれていた。
「決めてるじゃないか!」
杏子は額に手を当てた。
「……この研究会、最初の議題から脱線しているわね」
「いや、まだ設立前だから! 今なら修正できる!」
「大丈夫です、隆司君」
詩織が穏やかに微笑んだ。
「ゲーム研究会では、あらゆる人間関係を研究対象にしますから」
「俺たちを研究対象にするな!」
こうして、ゲーム研究会の設立案は無事にまとまった。
ただし、俺と蓮司の友情が、なぜか研究資料に加えられてしまったことだけは納得がいかなかった。
ゲーム研究会の話がひと段落すると、俺は夏コミ用の企画書を取り出した。
「参考までに、俺の新刊の構成も見ておくか?」
三紀子と詩織が、同時に顔を上げた。
「見ます!」
その声の勢いに、俺は少しだけ後悔した。
俺が用意していたのは、成人向け同人誌の企画書だった。登場人物は全員成人で、同じ大学に通う二人が、互いの秘密や本音を知るうちに、少しずつ関係を変えていく物語だ。
もちろん、未成年を性的に描く内容ではない。
「学園ものは定番だけど、ただ学校生活を描くだけじゃ、似たような作品になりやすい。だから、今回はキャラクター同士の関係性を中心に描こうと思ってる」
俺は企画書を広げた。
「馴染みのある舞台を使いつつ、自分が本当に描きたいものを入れる。登場人物の感情や関係が変化していく過程を丁寧に描けば、作品に個性が出るはずだ」
三紀子はページを読み込み、詩織は構成を確認している。
やがて、三紀子が顔を上げた。
「隆司君、冒頭で出てきた台詞が、後半で違う意味になるんだね!」
「そうだ。最初は相手を信用していないから、同じ言葉でも突き放すように聞こえる。でも、最後には相手を守る言葉になる」
詩織が感心したようにうなずいた。
「それなら、CGでも変化を表現できますね。最初は距離を感じさせる構図にして、後半では同じ場所、同じ構図なのに、二人の距離が少し近くなっている。説明しなくても関係の変化が伝わると思います」
「……いいな。それ、採用してもいいか?」
「もちろんです!」
二人はすっかり制作会議に夢中になっていた。
三紀子は物語の細部を読み込み、詩織は見せ場の作り方を提案する。片方が気づかなかった魅力を、もう片方が見つけていく。
俺は、自分の作品をここまで真剣に読んでもらえることが、少し嬉しかった。
「隆司君、やっぱりあなたはすごいです。絵だけじゃなくて、物語の流れまで考えているんですね」
「いや、まだ改善点はあるよ」
「ありますね!」
詩織が即答した。
「えっ、そこは少しくらい褒めてくれても……」
「褒めていますよ? 改善点が見つかるということは、作品をもっとよくできるということですから!」
「前向きだな……」
そのとき、飲み物を持って入ってきた杏子が、机の上の企画書に目を落とした。
次の瞬間。
「……隆司?」
杏子の声が、急に低くなった。
「な、何だ?」
「これ、成人向けの作品よね?」
「そうだけど、登場人物は全員成人だぞ。ゲーム制作の参考にもなると思って……」
杏子は静かに企画書を閉じた。
「参考資料としてはいいわ。でも、ここは生徒会室。場所を考えなさい」
「……はい」
「それと、一般向けの資料と成人向けの資料は分けること。ゲーム研究会でも、閲覧できる人や場所の管理は必要よ」
「分かりました……」
正論すぎて反論できない。
一方、三紀子と詩織は、すでに一般向けゲームの構成案について話し合っていた。
「学園ラブコメなら、何気ない日常の変化を描くのが面白そうですね」
三紀子がノートを開きながら言った。
「例えば、主人公が最初は気づかなかった小さな親切を、物語の後半で思い出すんです。そこで初めて、相手がずっと自分を気にかけてくれていたことに気づく……とか」
「いいですね! その場面、序盤にも同じ仕草をさりげなく入れておきましょう。後半で同じ仕草が出てきたとき、読者にも『あのときからだったんだ』って気づいてもらえるように!」
詩織が身を乗り出した。
「なるほど……! 最初は何気ない描写なのに、後から意味が変わるんですね」
「そう! 伏線にもなるし、二人の関係が変わったことも伝えられる!」
二人は顔を見合わせ、同時にうなずいた。
「「それ、絶対に入れましょう!」」
……息ぴったりだな。
二人は満足そうにうなずいた。
杏子はその様子を見て、少しだけ表情を和らげた。
「……二人が組むと、本当に話が早いのね」
「はい。詩織ちゃんは私の考えを整理して、作品として見せる方法を考えてくれるんです」
三紀子は大切そうにノートを閉じた。
「私も、詩織ちゃんと一緒なら、もっと自分の作品に自信が持てそうです」
詩織は照れくさそうに笑った。
「私こそ、三紀子さんの発想には驚かされます。二人で、いい作品を作りましょうね」
その姿を見て、俺は改めて思った。
三紀子に必要なのは、ただ妄想を語り合える相手だけではない。
自分の発想を受け止め、それを形にする手助けをしてくれる相棒なのだ。
……もっとも、俺と蓮司を題材にするのだけは、何とかしてやめさせたい。
そこは絶対に譲れない。
午後の授業が始まってから、俺の意識は急速に遠のいていった。
黒板の文字がにじむ。
先生の声が遠くなる。
そして、とうとう俺は机に突っ伏した。
「秋月、起きなさい」
先生に肩を揺すられ、俺は飛び起きた。
「すみません!」
「今日は保健室で休みなさい。睡眠不足でしょう?」
反論の余地はなかった。
俺は保健室のベッドに横になり、目を閉じた。
次の瞬間、夢の中で俺はゲームの主人公になっていた。
目の前には、なぜか蓮司が立っている。
背景には夕焼け。風に舞う花びら。どこからともなく流れる感動的な音楽。
「……嫌な予感しかしない」
夢の中の蓮司は、真剣な表情で俺を見つめた。
『隆司。お前はいつも、一人で抱え込みすぎだ』
「……お前、そんな台詞を言うタイプだったか?」
『困ったときは、俺を頼れ』
その背後で、薔薇の花が咲いた。
「待て! 誰だ背景を担当したのは!」
画面の下には、ゲームの選択肢が表示されていた。
『蓮司に礼を言う』
『蓮司にだけ弱音を吐く』
『蓮司と二人きりで夜の稽古をする』
「待て! 二番目から急に距離感がおかしくなってないか!?」
しかも三番目、シチュエーションが妙に意味深なんだが!
「夜の稽古って何だよ! 普通に道場で竹刀を振るだけだろ!?」
画面の中の俺は、なぜか顔を赤らめていた。
「俺の知らない俺を勝手に作るなぁぁぁ!」
俺が叫ぶと、蓮司は真面目にうなずいた。
『そうだな。まずは素振り千回だ』
「結局それかよ!」
そこで俺は目を覚ました。
保健室の先生が、カルテを手にこちらを見ている。
「秋月くん。夢の中でも剣道の稽古をしていたの?」
「……どうしてそう思うんですか?」
「『素振り千回』と聞こえたから」
俺は布団を頭までかぶった。
「忘れてください……」
先生は笑いをこらえながら、カーテンを閉めた。
「今日は早く帰って休みなさい。徹夜は体によくないわよ」
「はい……」
俺は天井を見つめた。
三紀子の漫画を読んでから、俺の頭は完全におかしくなっている。
だが、最も恐ろしい事実は別にあった。
夢の中のゲーム、意外と面白かったのだ。
選択肢によって蓮司の反応が変わるなら、イベントをいくつか作れるかもしれない。
「……いやいやいや!」
俺は勢いよく起き上がった。
「ゲームにするな! 俺の脳内をゲームにするな!」
保健室の先生が、カーテンの向こうから顔を出した。
「秋月くん、まだ寝ていた方がいいわね」
「……はい」
俺は静かに横になった。
今日はもう、何も考えない。
絶対に。
放課後、生徒会室に戻ると、美咲と美優がパソコンの画面を見ながら盛り上がっていた。
机の上には、昨日の撮影で使ったカメラと、選び出された写真が並んでいる。
「隆司先輩、候補の写真を五枚に絞りました!」
美優が画面を指さした。
「この五枚なら、雑誌の企画にも使いやすいと思います。特に一条先輩の写真は、すごく雰囲気がいいんです」
杏子は画面を見て、少し照れたように髪を整えた。
「そんなに褒められると、かえって恥ずかしいわ」
「本当ですよ。私、杏子先輩みたいな人に憧れているんです。きれいで、頭もよくて、何でもできて……」
「何でもはできないわよ」
「でも、素敵です!」
美優のまっすぐな言葉に、杏子の頬が赤くなった。
俺はその写真をのぞき込んだ。
普段の杏子は、しっかり者で、どちらかといえば隙がない。ところが、写真の中では自然に笑っていた。
「いい写真だな。杏子らしさが出ている」
俺が感想を述べると、杏子は一瞬だけこちらを見た。
「……ありがとう、隆司」
その声が少し小さかったのは、気のせいだろうか。
隣では、美咲が自分の写真を確認していた。
「この写真、友達にも見せたいな」
「顔がはっきり写っているものは、本人に確認してからな」
俺が注意すると、美咲は頬を膨らませた。
「分かってるよ。私だって、それくらい知ってるもん」
「ならいい」
「それに、私、昨日から今日の写真を見るのを楽しみにしてたんだから」
美咲は画面に映る自分の顔を見て、嬉しそうに笑った。
その表情を見て、俺はふと思った。
写真には、本人が意識していない一面まで写ることがある。
昨日の撮影は、ただ記念写真を撮るだけの時間ではなかったのかもしれない。
「秋月先輩、この写真も見てください!」
美優が別の画像を開いた。
そこには、俺と蓮司が撮影機材を運んでいる姿が写っていた。
蓮司が重い荷物を持ち、俺がその横で何かを話している。
何の変哲もない写真だ。
……普通なら。
「これは……!」
後ろから、三紀子の声がした。
彼女は画面を見つめたまま、ゆっくりと眼鏡を押し上げた。
「何でもない日常の一場面……。でも、重い荷物を持つ蓮司君と、それを手伝おうとする隆司君……」
詩織が隣から画面をのぞき込む。
「なるほど。ここでは蓮司君が先に動いているけど、隆司君も手を伸ばしている。互いに助け合う関係が自然に伝わりますね」
「そうなんです……!」
三紀子の声が震えた。
「台詞がなくても、二人の関係が伝わってくる……!」
「写真って、最高の資料ですね!」
詩織が感動したようにうなずいた。
俺は二人の間に割って入った。
「待て。これはただの荷物運びだ。物語性を見つけるな」
「隆司くん、創作では何気ない日常こそ重要なんです」
詩織が真面目に答える。
「特別な事件が起きなくても、人物の関係性は描けます」
「正論っぽく言えば何でも許されると思うな!」
そのとき、蓮司が生徒会室に入ってきた。
「隆司、今日は剣道部の見回りがある。先に帰るぞ」
「ああ、お疲れ」
蓮司は軽く手を上げて、すぐに出ていった。
その後ろ姿を見送った三紀子と詩織は、同時にノートを開いた。
「……見回りのために、わざわざ報告に来る蓮司君」
「そして、それを自然に受け止める秋月くん……」
「二人の信頼関係が……!」
「尊い……!」
俺は頭を抱えた。
「蓮司! 頼むから普通に帰ってくれ!」
もちろん、すでに本人の姿はなかった。
そのとき、校門の外に黒い車が停まった。
美咲が窓の外を見て、声を上げた。
「あっ! 昨日の雑誌の編集者さんだ!」
車から降りてきた女性は、落ち着いた足取りで校舎に入ってきた。
彼女の名前は桐生玲子。雑誌編集部の編集長で、詩織とは別人だ。
玲子は生徒会室に入ると、丁寧に頭を下げた。
「こんにちは。昨日の撮影では、皆さんに協力していただいてありがとうございました」
杏子が立ち上がり、礼儀正しく挨拶する。
「こちらこそ、ありがとうございました」
玲子は手帳を開き、まず杏子を見た。
「一条杏子さん。あなたの写真を見て、ぜひ読者モデルをお願いしたいと思って、今日は伺いました」
杏子は目を丸くした。
「……私が、読者モデルですか?」
「ええ。表情が自然で、立ち姿もきれいです。何より、あなた自身の雰囲気が写真に表れている。こちらでメイクや撮影のレッスンも用意できます」
突然の申し出に、杏子は戸惑っていた。
成績優秀で、ピアノも料理も得意。何事にも真面目に取り組む杏子だが、人前に出て自分を表現するとなると、話は別らしい。
彼女は迷うように俺を見た。
俺は少し考えてから、素直な気持ちを伝えた。
「杏子なら、きっといい経験になると思う。無理に別人になろうとする必要はないし、興味があるなら挑戦してみたらどうだ?」
杏子はしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐いて顔を上げた。
「……分かりました。私でよければ、挑戦してみます」
玲子は満足そうに微笑んだ。
「ありがとう。では、詳しい日程は後日連絡しますね」
続いて、玲子は美咲に目を向けた。
「秋月美咲さんにも、お願いがあるの」
「えっ、私にも?」
「以前、うちの読者モデル募集に応募してくれたでしょう?」
美咲の顔が、一気に赤くなった。
「ど、どうして知ってるんですか!?」
「応募者の記録は確認していますから」
玲子は穏やかに答えた。
「今回の撮影でも、あなたの明るい表情が印象に残りました。ぜひ、改めて読者モデルに参加してほしいの」
美咲は言葉を失った。
いつもなら、俺をからかうときも、何かを頼むときも、すぐに言葉が出てくる妹だ。
その美咲が、今は目の前の話を信じられないというように、じっと玲子を見つめている。
「……私、本当に読者モデルになりたかったんです」
美咲の声は、いつもよりずっと静かだった。
「でも、自分から応募しても、選ばれるかどうか分からなくて……。まさか、こんなふうに声をかけてもらえるなんて」
玲子は優しくうなずいた。
「夢に向かって一歩踏み出してみませんか?」
美咲は顔を上げた。
そして、今度は迷わず答えた。
「はい! よろしくお願いします!」
生徒会室に、明るい声が響いた。
美優も嬉しそうに拍手した。
「おめでとう、美咲ちゃん! 杏子先輩も!」
杏子はまだ少し緊張していたが、表情は柔らかくなっていた。
「ありがとう、美優」
美咲は俺の方を向いた。
「お兄ちゃん、私、頑張るからね!」
「ああ。応援してるよ」
俺がそう答えると、美咲は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、俺は胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
妹が、自分の夢に向かって進もうとしている。
それは兄として、素直に嬉しいことだった。
ただし。
「……お兄ちゃん?」
「ん?」
「今、ちょっと感動してた?」
「そりゃ、妹の夢がかなうかもしれないんだからな」
「ふうん……。じゃあ、これからは私の撮影にも協力してね?」
「もちろん」
「衣装選びも?」
「……内容による」
「メイクの練習も?」
「……内容による」
「撮影の付き添いも?」
「……それはいいけど」
美咲は満面の笑みを浮かべた。
「やった! お兄ちゃん、頼りにしてるからね!」
俺は悟った。
これは応援という名の、長期契約だ。
しかも、契約書は存在しない。
読者モデルの話がまとまると、詩織が玲子に声をかけた。
「桐生編集長、ひとつ相談してもいいですか?」
「もちろん。何かしら?」
「私、ゲーム研究会の立ち上げに参加することになったんです。企画と演出、広報を担当する予定で」
玲子は興味深そうにうなずいた。
「それは面白いわね」
「そこで、制作したゲームの発表会や、制作過程の紹介なども考えています。生徒会の広報企画と連携できれば、学校の活動をもっと多くの人に知ってもらえると思うんです」
詩織は、用意していた企画書を玲子に渡した。
そこには、作品紹介、制作メンバーのインタビュー、完成までの記録など、具体的な案がまとめられていた。
玲子は数ページ目をめくると、感心したように顔を上げた。
「よく考えてあるわね。創作をするだけでなく、作品の魅力をどう伝えるかまで考えているのはいいことよ」
「ありがとうございます!」
「学校側の許可が必要な部分もあるでしょうけど、広報の方法についてなら、私も相談に乗れると思うわ」
詩織の顔がぱっと明るくなった。
「本当ですか!?」
「ええ。ただし、実現するには計画と調整が必要よ。思いつきだけで走らないこと」
「はい!」
玲子は微笑んだ。
「期待しているわ、詩織さん」
詩織は深く頭を下げた。
その姿を見て、俺はようやく理解した。
詩織は、単に三紀子と一緒に妄想を膨らませるだけの人間ではない。
企画を考え、人をつなぎ、作品を外に届ける方法を考えられる。
ゲーム研究会に必要な役割を、きちんと持っているのだ。
そして、その隣では三紀子が目を輝かせていた。
「詩織ちゃん、すごい……。私、作品を書くことばかり考えてて。完成したあと、どうやって読者に届けるかまでは、あまり考えたことがなくて」
「だからこそ、二人でやるんですよ!」
詩織は三紀子の手を握った。
「三紀子さんが物語を作る。私が見せ方を考える。隆司君がCGを作って、杏子さんがプログラムを組む。みんなの力を合わせて、ちゃんと完成させるんです!」
三紀子は力強くうなずいた。
「はい! 私たちなら、きっとできます!」
二人は感動的な表情で見つめ合った。
……と思った次の瞬間。
三紀子が、ぽつりと言った。
「ところで、隆司くんと蓮司くんの写真を、キャラクターの立ち絵の参考にするのは……」
「いいですね!」
詩織の返事が早かった。
「普段の表情や姿勢が分かりますから!」
「おい、待て!」
俺は慌てて二人の間に割って入った。
「何でもかんでも俺たちを参考資料にするな!」
詩織は不思議そうに首をかしげた。
「でも、自然な人物描写を学ぶのは大事ですよ?」
「それ自体は正しい! 正しいけど、方向性が不安なんだ!」
杏子はため息をついた。
「隆司、諦めなさい。あの二人は、もう完全に意気投合しているわ」
「だからこそ止めたいんだよ!」
玲子はそんな俺たちのやり取りを見て、楽しそうに笑った。
「いいチームになりそうね」
「編集長、どこを見てそう思ったんですか……」
俺のつぶやきは、誰にも拾われなかった。
夜。
自室でゲーム研究会の企画書をまとめていると、スマホにメッセージが届いた。
杏子からだった。
『隆司、今日はありがとう。読者モデルの話、まだ少し不安なの』
俺は少し考えてから返信した。
『不安なのは当然だと思う。でも、杏子なら自分らしくやれるよ。無理に別人になろうとしなくていい』
しばらくして、返事が届いた。
『……ありがとう。明日の打ち合わせ、もし時間があれば一緒に来てくれる?』
『分かった。俺も行くよ』
そのあと、俺は三紀子にも連絡した。
『明日、杏子の打ち合わせに付き添うことになった。詩織も来られるなら、撮影や広報の相談もできると思う』
返事はすぐに届いた。
『もちろんです! 詩織ちゃんにも伝えますね!』
その直後、三紀子から電話がかかってきた。
「隆司くん、明日の撮影企画についてなんですけど……」
電話の向こうで、三紀子が小さく笑った。
「えへ、えへへへ……」
俺は天井を見上げた。
「……その笑い方、やめてくれ。嫌な予感しかしない」
「いえ、明日の撮影の構図を考えていたら、いろいろな案が浮かんできてしまって」
「モデルの撮影だからな? 普通の撮影だからな?」
「もちろんです!」
三紀子は力強く答えた。
「まずは杏子さんと美咲ちゃんを、どう魅力的に撮るか考えています!」
「まずは?」
「……いえ、何でもありません」
「今、何か隠しただろ!」
電話の向こうから、詩織の声が聞こえた。
「三紀子さん! 背景の案、まとまりました! 衣装の雰囲気に合わせて、柔らかい光を使うのはどうでしょう?」
「いい! 表情が自然に見えると思います!」
二人は、俺の返事を待たずに撮影の話を始めてしまった。
俺は静かにスマホを耳から離した。
……この二人なら、明日の打ち合わせもきっと大丈夫だろう。
たぶん。
いや、少なくとも、モデル撮影の仕事については頼りになる。
そこは信じていいはずだ。
俺は企画書を保存し、パソコンを閉じた。
「よし。今日はもう寝よう」
昨日のような徹夜は、もうこりごりだ。
そう決意した瞬間、スマホが震えた。
三紀子から新しいメッセージが届いている。
『隆司くん、最後にひとつだけ質問です。ゲームの友情イベントで、蓮司くんが隆司くんを助ける展開はありですか?』
俺は数秒、画面を見つめた。
そして、スマホを枕に投げた。
「寝かせろおおおおおっ!」
夜の秋月家に、俺の叫びが響き渡った。
一方その頃、三紀子と詩織は、通話をつないだまま新しいノートを開いていた。
三紀子が最初の一行を書き込む。
『ゲーム研究会・第一企画案』
その隣に、詩織が大きな文字で題名を加えた。
『友情と信頼の物語――仮題』
二人は満足そうに顔を見合わせた。
「……えへ、えへへへ」
「ふふふふ……」
こうして、ゲーム研究会の活動はまだ始まってもいないのに、隆司の平穏だけが先に失われていくのだった。




