第5話 日曜日!~腐女子、襲来!そして生徒会へ~
午前七時三十分。
秋月隆司は、日曜日の朝から人生最大級の危機に直面していた。
スマホの画面に表示されているのは、昨夜届いた三件のメッセージ。
『ところで、明日の撮影会では、誰を一番きれいに撮りたいですか?』
『答えを間違えないでくださいね』
『妹さんは、見ていますから』
「……なんだ、この恋愛シミュレーションゲームでも選択肢を間違えたら即バッドエンドみたいな状況は」
隆司はベッドの上で頭を抱えた。
昨日までなら、こんなメッセージを送ってくる相手を見つけ出し、問い詰めるところだった。
しかし、今日は撮影会である。
杏子に変な誤解を与えるわけにもいかない。美咲を怒らせるわけにもいかない。蓮司には余計な苦労をかけたくない。三紀子に至っては、何をどう誤解されるか想像もつかない。
つまり、全員に気を配る必要がある。
「……全員、平等に撮ればいいんだ。そう、平等に」
隆司は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
そのとき、背後から声がした。
「へえ。お兄ちゃん、誰を一番きれいに撮りたいの?」
「うわあっ!?」
振り返ると、パジャマ姿の美咲がドアの前に立っていた。
「み、美咲!? ノックくらいしろ!」
「したよ。三回も。お兄ちゃんがスマホとにらめっこしてたから、聞こえなかっただけでしょ?」
「……それで、何の用だ?」
「朝ごはん。あと、お兄ちゃんが誰を一番きれいに撮るのか気になって」
美咲はにっこりと笑った。
「ちなみに、私は一番かわいく撮ってほしいな」
「自分でハードルを上げるな!」
「えー? 妹をかわいく撮るのって、そんなに難しいこと?」
「いや、そういう問題じゃなくてだな……」
「じゃあ、約束ね。今日の私、期待してるから」
美咲は満足そうに部屋を出ていった。
残された隆司は、スマホを見つめた。
「……平等って、どうやるんだっけ?」
日曜日は、始まったばかりだった。
午前九時。
駅前に集まった四人は、それぞれ休日らしい格好をしていた。
蓮司は動きやすい服装。三紀子は大きなトートバッグを抱え、杏子は手作りの弁当と撮影用の小物を持っていた。そして美咲は、いつもより少しおしゃれな服で現れた。
「お待たせ!」
「おはよう、美咲。今日はずいぶん気合いが入っているな」
「そう? 普通だよ?」
美咲はそう言いながら、くるりと一回転した。
「……まあ、かわいいんじゃないか」
「っ……!」
美咲の頬が、ほんの少し赤くなった。
「お、お兄ちゃんって、そういうこと急に言うよね!」
「え? 褒めただけだが」
「そういうところ!」
美咲はぷいっと顔を背けた。
その横で、杏子が小さく咳払いをした。
「隆司。そろそろ出発しましょう。時間がもったいないわ」
「そうだな。蓮司、荷物を――」
「もう持ってる」
蓮司は杏子の荷物を半分持ち上げた。
「重そうだったからな」
「ありがとう、蓮司。助かるわ」
その光景を見た三紀子の眼鏡が、キラリと光った。
「えへ、えへへへへ……」
「三紀子。お前はいったい……何を考えている?」
隆司が警戒しながら尋ねる。
「いえいえ、何も。重い荷物を自然に持ってあげる男子と、それに素直にお礼を言う女子……。実に尊い構図ですねぇ」
「ただ荷物を持っただけだろ!」
「そこがいいんです。本人たちが何とも思っていない日常の優しさ……そこにこそ物語が生まれるんですよ!」
「頼むから、俺たちの日常から物語を生み出さないでくれ!」
「えへへへへ……善処します」
その笑顔を見て、蓮司がぼそりと言った。
「善処するやつの顔じゃないな」
隆司も同意した。
今日一日、無事に終わるのだろうか。
この時点で、すでに怪しかった。
最初に向かったのは、駅近くの商店街だった。
隆司と三紀子は、同人誌の制作に使う画材や印刷用品を探す予定だ。
「隆司君、このGペンの先、すごく描きやすいらしいですよ!」
「へえ。俺はCG中心だから、こういう道具は詳しくないんだよな」
「アナログにはアナログのよさがあるんです! 線の勢いとか、紙に描くときの感触とか……」
三紀子は熱心に説明していたが、店の奥にある同人誌コーナーを見つけた瞬間、言葉が途切れた。
「……あっ」
次の瞬間、彼女は吸い寄せられるように歩き出した。
「三紀子、画材は?」
「すぐ戻ります!」
その背中は、獲物を見つけた猛獣のようだった。
「……あれ、放っておいて大丈夫か?」
「三紀子のことだ。好きなものを見つけると、しばらく帰ってこないぞ」
蓮司が冷静に答える。
「お前、よく知ってるな」
「生徒会で何度も見ているからな」
「なるほどな……」
そのとき、同人誌コーナーの向こうから三紀子の声が響いた。
「えへ、えへへへへ……えへへ! この表紙の構図……! この二人の距離感……!」
「店の中では静かにな!」
隆司の注意も、彼女の耳には届いていなかった。
結局、三紀子が戻ってくるまでに十五分かかった。
しかも、両手に抱えていたのは画材ではなく、同人誌だった。
「……三紀子。今日は何を買いに来たんだっけ?」
「創作の参考資料です!」
「その言葉、便利すぎないか?」
昼前、五人は少し大きな公園へ移動した。
ここで、いよいよ撮影会が始まる。
隆司は浩平から借りた一眼レフカメラを取り出し、レンズを確認した。
「よし。まずは全員の集合写真から撮ろう」
「待ってください!」
三紀子が勢いよく手を挙げた。
「撮影の前に、立ち位置を決めましょう!」
「立ち位置?」
「そうです! 人間関係が写真に表れる重要なポイントですから!」
「集合写真に、そこまで深い意味はないだろ……」
「あります!」
三紀子は真剣だった。
「隆司君の隣を誰が確保するか。蓮司君が誰の荷物を持つか。杏子ちゃんが誰を見るか。そして美咲ちゃんがどんな表情をするか……。これは、後世に残すべき人間関係の資料なのです!」
「普通の集合写真を撮らせてくれ!」
結局、立ち位置はじゃんけんで決まった。
隆司がカメラを構えた瞬間、美咲がするりと隣に入り込んだ。
「はい、お兄ちゃん。私、ここね!」
「おい、美咲。急に近いぞ」
「集合写真なんだから、これくらい普通でしょ?」
美咲は隆司の腕に軽く寄り添い、満面の笑みを浮かべた。
反対側では杏子が、ほんの少しだけ唇を尖らせている。
蓮司は「面倒なことになったな」と言いたげな顔をし、三紀子は両手を握りしめていた。
「すばらしい……! 無自覚な兄と、距離を詰める妹。そして複雑な表情の副会長……!」
「三紀子、カメラに写るから普通の顔をしろ!」
「無理です!」
「即答するな!」
カシャッ。
シャッターが切れた。
出来上がった写真には、笑顔の美咲、驚く隆司、微妙に不満げな杏子、あきれ顔の蓮司、そして感動に打ち震える三紀子が写っていた。
「……ある意味、すごくいい写真だな」
隆司がつぶやく。
「でしょう?」
三紀子は満足そうにうなずいた。
「タイトルは『揺れる休日、交錯する想い』でどうでしょう?」
「集合写真にタイトルをつけるな!」
撮影がひと段落した頃、隆司はカメラの液晶画面を確認していた。
そのとき、一枚目の集合写真の背景に、妙な人物が写っていることに気づいた。
長い黒髪。白いブラウス。手にはスマホ。
彼女はこちらを見ているようだった。
「……この人、さっきもいなかったか?」
拡大して確認しようとした瞬間、スマホが震えた。
『いい写真が撮れましたね』
続けて、もう一通。
『でも、あなたが一番大切にしている人は、まだ本当の笑顔を見せていないみたい』
「……またか」
隆司の表情が変わった。
この女性が、例のメッセージの送り主なのか。
そう考えたとき、視線の先にいた女性が、こちらに気づいたように小さく手を振った。
そして――逃げた。
「待て!」
「えっ、隆司!?」
美咲たちが驚く中、隆司はカメラを蓮司に預けて走り出した。
「蓮司、カメラ頼む!」
「おい、走るな! 転ぶぞ!」
「転んでいる場合じゃない!」
女性は公園の出口へ向かっていたが、角を曲がったところで足を止めた。
なぜなら、その先は行き止まりだったからだ。
「……あ」
女性は気まずそうに振り返った。
隆司は息を整えながら、彼女の前に立った。
「お前が、俺にメッセージを送っていた人んか?」
「…………」
「答えろよな~」
女性はしばらく黙っていたが、やがて観念したように両手を上げた。
「はい。そうです」
「……やっぱりか」
「でも、待ってください! 悪意があったわけじゃないんです!」
「じゃあ、なぜ俺たちを撮影して、意味深なメッセージを送ったんだ?」
「それは……その……」
女性は頬を赤くした。
「皆さんの関係性が、あまりにも興味深かったので……」
「関係性?」
「はい!」
女性の目が、突然輝いた。
「妹さんの絶妙な距離感! 副会長さんの隠しきれない好意! それをまったく理解していない隆司君! さらに、黙って周囲を支える蓮司君! そして、すべてを見守る三紀子さん!」
「……何か、聞き覚えのある説明だな」
「つまり、お前も腐女子なんですか?」
背後から追いついてきた三紀子が、真剣な顔で尋ねた。
女性は勢いよく振り向いた。
「あなたも……?」
「ええ。私は一ノ瀬三紀子。生徒会で創作活動をしている者です」
「私は黒瀬詩織! 二年生です!」
詩織は胸を張った。
「好きなジャンルは男性同士の恋愛もの! 得意なのは人物観察と、実在の人間関係をもとにした相関図の作成です!」
「実在の人間関係を勝手に相関図にするな!」
隆司が即座に突っ込んだ。
だが、三紀子は違った。
「人物観察が得意……。相関図も作れる……。しかも、実在の人間関係に興味がある……」
三紀子は詩織の手を両手で握った。
「詩織さん……! あなたは、私がずっと探し求めていた同志かもしれません!」
「三紀子さん……!」
「えへ、えへへへへ……!」
「ふふ……ふふふ!」
二人の間に、謎の友情が芽生えた。
隆司は頭を抱えた。
「……腐女子同士が出会うと、こんなに早く意気投合するのか」
「隆司君、これは運命ですよ!」
「運命で片づけるな!」
その後、詩織は公園のベンチで事情を説明した。
彼女は以前から、生徒会の活動に興味を持っていたらしい。学校行事の写真を撮るのが好きで、人の表情や人間関係を観察することも好きだった。
そして最近、隆司たちの生徒会が校則の見直しや創作活動など、さまざまなことに取り組んでいると知った。
「それで、私も何か協力できないかなと思っていたんです」
「だったら、普通に声をかければよかっただろ」
「……それは、そうなんですが」
詩織は視線をそらした。
「皆さんの関係性が気になりすぎて、つい……」
「つい、で匿名メッセージを送るな!ってか、なんで俺のアカを知ってる!?」
「すみません!……それはこっそりと目撃しました!」
詩織は素直に頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした。勝手に写真を撮ったことも、意味深なメッセージで不安にさせたことも謝ります。もう、ああいうことはしません」
隆司はため息をついた。
「……今後は、写真を撮るなら先に許可を取ってくれ。メッセージで人を試すようなこともやめてくれ……そして俺のアカを勝手に盗み取るなっ」
「はい……それは人間観察の一環として……」
「人間観察という単語を便利そうに使うな!三紀子じゃあるまいし。それと、俺たちを勝手に創作の題材にするのも――」
「それは、どこまでなら……?」
「反省してないだろ!」
「すみません! 今のは純粋な創作者としての確認です!」
「確認するな!」
三紀子が、そっと手を挙げた。
「隆司君。詩織さんには、観察力も写真の技術もあるみたいです。生徒会の広報活動に協力してもらうのはどうでしょう?」
「え?」
詩織が顔を上げた。
「広報活動……?」
「学校行事の記録や、生徒会の活動報告をまとめる仕事です。写真が得意なら、役に立つと思います」
蓮司も腕を組んで考えた。
「確かに、写真を撮れる人が増えるのは助かる。今までは隆司が撮影すると、隆司本人が写真に写れなかったからな」
「それはそうね」
杏子もうなずいた。
「ただし、活動内容や個人情報の扱いについては、きちんとルールを守ってもらう必要があるわ」
「もちろんです!」
詩織は勢いよく立ち上がった。
「私、頑張ります! 生徒会の活動を記録して、学校のみんなに魅力を伝えます!」
そして、少しだけ声を潜めた。
「……それに、皆さんの関係性を、遠くから温かく見守りながら……」
「今、何か余計なことを言わなかったか?」
「言ってません!」
「目をそらすな!」
翌日の放課後。
生徒会室には、いつもより一人多いメンバーが集まっていた。
黒瀬詩織。二年生で同じクラスだった。影が薄すぎて気づかなかったのである。
つまり下級生の妃を除いては、みんな同じクラスだ。
そして、写真撮影と広報活動を担当する、新しい協力メンバーである。
正式な加入については顧問の先生にも相談し、広報補助として活動することが認められた。
「では、改めて自己紹介します。黒瀬詩織です。写真撮影、広報、記録作成などを担当します。よろしくお願いします!」
「よろしく頼むな、詩織……念を押しとくけどな、くれぐれも変な写真なんか撮るなよなっ」
隆司が答える。
杏子も微笑んだ。
「広報の仕事は私たちも助かるわ。困ったことがあったら相談してね」
「ありがとうございます、杏子さん!」
蓮司は短くうなずいた。
「よろしく」
「はい、蓮司君!」
三紀子は詩織の隣に座り、すでに何かのノートを開いていた。
「詩織さん、今度、創作の話もぜひ……」
「もちろんです、三紀子さん!」
「……二人とも、仕事の話をしているんだよな?」
隆司の問いに、二人は同時に笑顔で答えた。
「「もちろんです!」」
その笑顔が、なぜか怖かった。
そこへ、扉が勢いよく開いた。
「お兄ちゃん! 昨日の写真、送ってくれた?」
美咲が顔を出す。
「今、確認しているところだ」
「じゃあ、私が一番かわいく写ってる写真を選んでね!」
「はいはい」
隆司がカメラのデータを確認しようとすると、詩織がすっと横から画面をのぞいた。
「なるほど……。この写真では美咲さんが一番自然な笑顔ですね」
「そうか?」
「はい。でも、こちらの写真は杏子さんが隆司君を見ている瞬間が写っています」
「えっ!?」
杏子の顔が赤くなった。
「し、詩織! 余計なことを言わないの!」
「すみません! 写真の説明をしただけです!」
三紀子が、机を両手で押さえて震え始めた。
「えへ、えへへへへ……。新メンバー加入初日から、すでに波乱の予感……!」
「三紀子、頼むから普通に仕事をしてくれ!」
隆司の悲鳴が、生徒会室に響いた。
そのとき、詩織が何かを思い出したように手を挙げた。
「あ、そうだ。皆さんに、一つだけ言っておきたいことがあります」
「まだ何かあるのか……?」
「昨日の匿名メッセージ、最後に送ったものだけは、少し意味が違うんです」
室内が静かになった。
「どういうこと?」
隆司が尋ねる。
詩織は、少しだけ真剣な表情になった。
「『あなたが一番大切にしている人は、まだ本当の笑顔を見せていない』というメッセージです」
隆司の脳裏に、美咲の顔が浮かんだ。
撮影会の帰り道、彼女は笑っていた。
けれど、どこか寂しそうにも見えた。
「……あれは、何を伝えたかったんだ?」
隆司が尋ねると、詩織は首を横に振った。
「私が勝手に感じたことです。美咲ちゃんは、隆司君の前ではいつも明るいけれど……本当に言いたいことを、飲み込んでいるように見えたんです」
「…………」
「もちろん、私の思い違いかもしれません。でも、写真を撮っていて、そう感じました」
いつもの軽い調子は、そこにはなかった。
隆司はしばらく黙っていた。
美咲が、あのとき言った言葉。
『お兄ちゃんって、ほんとにずるい』
あれは、ただの冗談だったのだろうか。
「……分かった。教えてくれて、ありがとうな」
隆司はそう答えた。
詩織は、ほっとしたように微笑んだ。
「これからは、気になったことがあれば、匿名メッセージじゃなくて直接伝えます」
「最初からそうしてくれ」
「はい!」
その返事を聞いた三紀子が、詩織の肩をぽんと叩いた。
「詩織さん。あなた、腐女子としてだけでなく、観察者としても優秀ですね……」
「三紀子さんにそう言ってもらえるなんて、光栄です!」
「ただし、観察した内容を勝手に作品にするのは――」
「もちろん、本人の許可を取ります!」
「そこはちゃんとしているんだな……」
隆司は、ようやく少しだけ安心した。
だが、その安心は長く続かなかった。
「ところで隆司君」
詩織が、にこにこと笑いながら尋ねた。
「次の生徒会活動、皆さんの集合写真を撮ってもいいですか?」
「許可を取るなら、もちろんいいぞ」
「ありがとうございます! では、撮影テーマは――」
詩織はノートを開き、堂々と宣言した。
「**『兄妹愛と片想いと、無自覚男子を取り巻く複雑な人間関係』**で!」
「待て! 撮影テーマがおかしいだろ!」
「えへ、えへへへへ……!」
「ふふ……ふふふ!」
生徒会室に、二人の腐女子の笑い声が響き渡った。
こうして、謎の女性・黒瀬詩織は、生徒会の新たな仲間となった。
匿名メッセージの送り主は判明し、彼女の目的も明らかになった。
しかし――隆司には、まだ解決すべき問題が残っている。
妹の美咲が、本当に伝えたいこと。
そして、あの日からずっと答えられずにいる、あの質問。
『お兄ちゃん。私のこと、好きなの?』
隆司は窓の外を見つめた。
「……今度こそ、ちゃんと向き合わないとな」
その背後で、詩織と三紀子がこそこそと話していた。
「三紀子さん。次の創作会議、いつにします?」
「今日の放課後でどうでしょう?」
「最高です!」
「……お前たち、俺の話を聞いていたか?」
「「もちろんです!」」
二人の返事は、見事なほどそろっていた。
――新しい仲間が増えた生徒会。
その未来は、どうやら騒がしくなる一方らしい。




