第4話 土曜日の生徒会室~妹好きの秘密と謎の女性放送~
その朝、秋月隆司は、自分の名前が校内放送で呼ばれた瞬間、人生で初めて「学校を爆破した犯人の気持ち」が少しだけ分かった気がした。
もちろん、爆破などしていない。
生徒会長として、校則を守り、成績も上位を維持し、教師からの信頼も厚い。少なくとも表向きは、非の打ちどころのない優等生である。
ただし――。
妹の美咲に甘い。
そして、誰にも知られたくないオタク趣味がある。
その二つだけは、墓場まで持っていくつもりだった。
『――おはようございます。生徒会から、秋月隆司くんに関するお知らせがあります』
休日の校舎に、澄んだ女性の声が響いた。
声は若い女性のものに聞こえる。落ち着いていて、妙に聞き取りやすい。放送委員の誰かだろうか。
しかし、隆司はその声に聞き覚えがなかった。
「……俺に関するお知らせ?」
昇降口で上履きに履き替えていた隆司は、靴を持ったまま固まった。
『秋月隆司くんは、成績優秀で、責任感が強く、生徒会長としても立派に活躍しています』
「お、おう……?」
褒められている。
なら、問題ないのではないか。
そう思った直後、女性の声が少しだけ弾んだ。
『ですが、そんな彼には、誰にも言えない秘密があります』
「…………は?」
校内の掲示用モニターが、一斉に切り替わった。
そこに映し出されたのは、淡い色合いで丁寧に描かれた、ひとりの少女のイラストだった。
大きな瞳。柔らかな笑顔。こちらを見上げるような、少し甘えた表情。
その横には、手書きの文字が添えられている。
――『理想の妹キャラ案・決定稿?』
「ぶっ……!」
隆司は思わず吹き出しかけた。
いや、違う。
これは笑っている場合ではない。
なぜなら、そのイラストは、彼が自宅のパソコンで描いていたCG作品のラフだったからだ。
しかも、モデルにしたのは――。
『秋月くんは、妹という存在について、並々ならぬ情熱を持っているようです』
「やめろおおおおおおおっ!」
校舎中に、隆司の絶叫が響き渡った。
周囲にいた生徒たちが、一斉にこちらを振り返る。
「えっ、秋月会長?」
「妹キャラって何?」
「会長、そういう趣味だったのか……?」
「違う! いや、違わない部分もあるが、そういう意味で受け取るな!」
大慌てで教室内の生徒に弁解をしている隆司。
何を言っても墓穴を掘る。
隆司は悟った。
これは、人生最大級の危機である。
『なお、秋月くんの創作ノートは、現在、行方不明になっているそうです』
「……っ!」
今度こそ、隆司の表情から血の気が引いた。
失くした創作ノート。
匿名メッセージ。
そして、謎の女性の声による校内放送。
すべてがつながっているのか。
『それでは、皆さん。今日もよい一日を』
チャイムが鳴り、放送は終了した。
残されたのは、静まり返った昇降口と、周囲から向けられる好奇の視線。
隆司はゆっくりと顔を覆った。
「……俺、今日から学校来られないかもしれない」
そのとき、スマホが震えた。
美咲からのメッセージだった。
『お兄ちゃん、朝から有名人だね!』
続けて、もう一通。
『ところで、あの子って誰がモデルなの?』
「お前、絶対に楽しんでるだろ……!」
隆司は返信せず、スマホをポケットにしまった。
まずは生徒会室だ。
この騒動の犯人を見つけなければ、月曜日からの学校生活が本当に終わる。
生徒会室の扉を開けると、副会長の杏子が机を叩きそうな勢いで立ち上がった。
「隆司! 今の放送、何なの!?」
「俺が聞きたいわっ!」
「校内のモニターに、隆司のイラストが出ていたんだけど!」
「見れば分かる! 俺が一番見たくなかった!」
杏子は、手元の資料を握りしめた。
「放送室に確認したら、音声ファイルと画像データが、生徒会の共有フォルダから登録されていたらしいの。予約されたデータが自動再生されたんですって」
「共有フォルダに、そんなものを登録できるのは誰だ?」
「アクセス履歴を調べてもらっているところよ。ただ、登録されたアカウントまでは分かっても、誰が操作したかまでは断定できないそうなの」
「便利なようで、こういうときは厄介だな……」
隆司は椅子に腰を下ろした。
そこで、ふと気づく。
「ところで、あの声。杏子は聞き覚えがあるか?」
「女性の声だったわね。放送委員の誰かかと思ったけれど……。少なくとも、私が普段聞いている声とは違った気がする」
「声を加工している可能性もあるな」
「ええ。わざと正体が分からないようにしているのかもしれない」
隆司は深いため息をついた。
誰かが、意図的に自分の秘密を暴こうとしている。
それも、ただの悪ふざけにしては手が込んでいる。
「……まさか、俺の創作ノートを拾った人間が?」
その言葉に、杏子の表情が変わった。
「そういえば、ノートはまだ見つかっていないのよね」
「ああ。中には、作品の設定もラフも全部入っている。あれを他人に見られたら……」
「見られたら?」
「……俺の創作者としての魂が、社会的に消滅する」
「大げさね」
「杏子には分からないんだ! 何か月もかけて作った設定資料が、本人の許可なく人目にさらされる恐怖が!」
「分からなくはないけれど、もう少し落ち着いて!」
杏子が呆れたように言った、そのとき。
「……あの」
入口に、書記の美紀子が立っていた。
「隆司くん。杏子ちゃん。少し、お話ししたいことがあります」
その声は、いつもの控えめな調子だった。
しかし、彼女の手には一冊の黒いノートが握られていた。
隆司は目を見開く。
「……そのノート!」
「はい。これを返します」
美紀子は、両手でノートを差し出した。
「ずっと、返せなくてごめんなさい」
隆司はノートを受け取ると、何度も表紙を確認した。
角についた小さな傷。背表紙のラベル。自分で貼った目印。
間違いない。
「俺のノートだ……!」
「本当に、ごめんなさい」
「待ってくれ。どこで見つけたんだ?」
美紀子は視線を落とした。
「先週、図書室で本を棚に戻すお手伝いをしていたとき、書架の下に落ちているのを見つけたんです。表紙に名前があったので、隆司くんのものだと分かりました」
「それなら、どうしてすぐに返さなかったんだ?」
「……中を見てしまったからです」
隆司の顔が引きつった。
「中を?」
「持ち主を確認するために、少しだけ開いてしまいました。そうしたら、絵のラフやキャラクター設定が見えて……。そのまま返すのが、なんだか気まずくなってしまったんです」
「それで、匿名メッセージを送ったのか?」
「はい」
美紀子は小さくうなずいた。
「生徒会の連絡網で連絡先を知っていたので、匿名のアカウントから送りました。最初は、どう切り出せばいいか分からなかったんです。でも、途中から自分でも引き返せなくなって……」
「……何日も俺を悩ませておいて、理由がそれか!」
「本当にごめんなさい!」
美紀子は深く頭を下げた。
「ただ、作品を笑ったり、誰かに見せたりするつもりはありませんでした。私も、自分で絵を描いているので……。大切な作品を勝手に見られるのが、どんなに嫌なことか分かっていたはずなのに」
隆司は、ノートを胸元に引き寄せた。
怒りがないわけではない。
けれど、美紀子の表情に悪意は感じられなかった。
「……分かった。ノートを返してくれたことは、ありがとう。でも、次からは普通に連絡してくれ。謎めいたメッセージで人を試すのはやめてほしい」
「はい。約束します」
杏子も、厳しい口調ながら少し表情を和らげた。
「美紀子。秘密を守りたいと思うなら、まず本人の気持ちを大切にしないとね」
「はい……」
隆司はノートを開き、ページが全部残っていることを確認した。
ラフも設定資料も、すべて無事だった。
「……本当に、よかった」
思わず漏れた言葉に、美紀子がほっとしたように微笑む。
「隆司くんの絵、すごく丁寧でした。キャラクターの表情にも、ちゃんと物語がある感じがして……」
「えっ?」
「私も、手描きの同人誌を作っているんです。だから、創作をしている人の気持ちは、少し分かるつもりで……」
隆司の目が輝いた。
「美紀子も描いているのか?」
「はい!」
「なら、今度作品を見せてくれないか? 俺もCGの仕上げや印刷用データの作成なら手伝えると思う」
「本当ですか!?」
美紀子の顔が、ぱっと明るくなった。
「ぜひお願いします! えへ、えへへへへ……!」
「その笑い方、何か企んでいるように聞こえるんだが」
「純粋にうれしいだけです!」
杏子が、じとっとした目で隆司を見た。
「……隆司って、趣味の話になると本当に目が輝くのね」
「そりゃあ、好きなものの話だからな」
「ふうん……」
なぜか、杏子は少しだけ不満そうだった。
隆司は気づかない。
好きなものには敏感なくせに、目の前の女の子の気持ちには驚くほど鈍感。
それが秋月隆司という男だった。
「……ところで、美紀子」
ノートをしまいながら、隆司は思い出したように尋ねた。
「演説原稿に書かれていた『秋月隆司は、妹に甘すぎる』ってメモ。あれも美紀子なのか?」
「いいえ。それは私ではありません」
「……そうか」
「私が拾ったノートには、演説原稿は挟まっていませんでした。あのメモを書いたのは、私ではないです」
隆司の表情が、再び険しくなる。
ノートの紛失事件は解決した。
匿名メッセージの送り主も分かった。
しかし、演説原稿のメモと、今朝の謎の女性の声は、まだ説明がつかない。
「じゃあ、放送を流したのも別の人間なのか……?」
「そうかもしれません」
美紀子は考え込むように眼鏡を押し上げた。
「ただ、あのイラストは、ノートにあったものですよね?」
「そうだ。俺が描いたラフだ」
「だとすると、ノートを直接見た人か、作品のデータにアクセスできる人が関わっている可能性があります」
「……なるほど」
杏子が腕を組んだ。
「共有フォルダへのアクセス履歴は、あとで先生に確認してもらいましょう。今は、これ以上騒ぎを大きくしないことが先決よ」
「そうだな……」
隆司はうなずいた。
だが、その直後、美紀子が少しだけ首をかしげた。
「それにしても……あのイラストの女の子、少し美咲ちゃんに似ていませんでしたか?」
「…………」
空気が止まった。
「……え?」
隆司の声が裏返った。
「いや、待て。美紀子、今、何と言った?」
「美咲ちゃんに似ているな、と。髪型や表情の雰囲気が……」
「気のせいだ!」
「そうでしょうか?」
「気のせいだ!」
なぜ二回言ったのか。
隆司自身にも分からなかった。
杏子がゆっくりと顔を向ける。
「……隆司」
「な、何だ、杏子?」
「あなた、妹さんをモデルにして絵を描いたの?」
「ち、違う! 正確には、妹というキャラクターの魅力を研究するうえで、身近な人物の表情が参考になったというか……」
「それ、モデルにしたってことじゃないの?」
「言葉の定義の問題だ!」
「言い訳が苦しいわよ!」
杏子の頬が、なぜか赤くなっていた。
そのとき、扉が勢いよく開いた。
「お兄ちゃん!」
美咲だった。
「さっきの放送、聞いたよ!」
「……美咲」
「ねえ、お兄ちゃん。あの子、私に似てるって本当?」
「誰がそんなことを!」
「美紀子さんが言ってたよ?」
「美紀子おおおおおっ!」
「す、すみません!」
美咲は隆司の前まで歩いてくると、顔を覗き込んだ。
「ねえ。あの子って、お兄ちゃんの理想の妹なの?」
「…………」
隆司は、口を開いた。
閉じた。
再び開いた。
そして、何も言えなかった。
なぜなら、あのイラストには、確かに美咲の笑顔を参考にした部分があったからだ。
ただし、それは現実の美咲をそのまま描いたものではない。
創作上のキャラクターとして、理想的な妹像を組み立てた結果である。
……という説明を、妹本人にして納得してもらえる自信が、まったくなかった。
「……お兄ちゃん?」
美咲の笑顔が、少しだけ曇る。
「私じゃ、だめなの?」
「えっ?」
「お兄ちゃんの理想の妹って、私とは違うんだ?」
「ち、違う! そういう話じゃない!」
美咲は、じっと隆司を見つめた。
「じゃあ、私のこと、どう思ってるの?」
その問いに、隆司の頭の中で、数日前の記憶がよみがえった。
――お兄ちゃん。私のこと、好きなの?
あのときも、答えられなかった。
妹として大切なのは間違いない。
けれど、美咲の言う「好き」が、どの意味を指しているのか。
そして、自分がどう答えたいのか。
その答えを、隆司はまだ見つけられていなかった。
「……美咲は、大切な妹だよ」
ようやく出た言葉は、あまりにも無難だった。
「……そっか」
美咲は微笑んだ。
しかし、その笑顔はいつもより少しだけ寂しそうだった。
「うん。分かった」
「美咲……?」
「じゃあ、明日の撮影会、楽しみにしてるね!」
そう言って、美咲はくるりと背を向けた。
その後ろ姿を見送りながら、隆司は胸の奥に小さな痛みを感じた。
何か、間違えたのだろうか。
だが、何が間違いだったのかも分からない。
杏子が、静かに口を開いた。
「……隆司って、本当に鈍感ね」
「え?」
「何でもない!」
杏子は顔をそむけた。
美紀子は両手で口元を隠し、蓮司は頭を抱えた。
「お前、恋愛相談を受ける前に、自分の問題を何とかしろよ……」
「何の話だ!?」
「そこからかよ!」
その後、生徒会は本来の議題である校則の見直しに取りかかった。
「スマホの使用ルールについては、授業中は禁止。ただし、緊急時や放課後の連絡については、現実的な運用を考えるべきね」
杏子が資料をまとめる。
「スカート丈も、一律に厳しくするより、学校生活に支障がない範囲で具体的な基準を作ったほうがいいと思う」
隆司が続けると、蓮司もうなずいた。
「俺は他校の事例を調べておく。生徒が納得できる案にしよう」
「私は資料の整理を担当します。あとで隆司くんに、同人誌の仕上げについても相談したいです」
美紀子が目を輝かせた。
「もちろん。いつでも相談してくれ」
「えへ、えへへへへ……!」
「だから、その笑い方!」
ようやく、いつもの生徒会室らしい空気が戻ってきた。
ただし、隆司の心は落ち着かなかった。
ノートは戻った。
匿名メッセージの送り主も分かった。
それなのに、女性の声による放送と、演説原稿のメモの謎は残ったまま。
さらに、美咲のあの表情。
考えることが多すぎる。
「……明日は、せめて平和な一日になってくれ」
隆司は小さくつぶやいた。
その願いを聞いたかのように、スマホが震えた。
新しいメッセージ。
送り主は、登録されていない番号だった。
『ノートが戻ってよかったですね』
隆司は息を止めた。
続いて、もう一通。
『ところで、明日の撮影会では、誰を一番きれいに撮りたいですか?』
「……は?」
最後に、もう一つ。
『答えを間違えないでくださいね。妹さんは、見ていますから』
「な、何なんだよ、これ……!」
隆司はスマホを握りしめた。
これは、単なるいたずらではない。
自分の秘密を知っている誰かが、明日の撮影会まで把握している。
そして、まるで自分の恋愛事情まで見透かしているかのようなメッセージ。
窓の外では、穏やかな午後の日差しが校舎を照らしていた。
明日は日曜日。
撮影会。
杏子の手作り弁当。
美咲の衣装。
そして、誰を一番きれいに撮るのかという、謎の問い。
隆司は深く息を吐いた。
「……俺、ただ写真を撮りたいだけなんだけどな」
もちろん、その願いがかなう保証は、どこにもなかった。




