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第12話 ついにキターーーーー!夏コミ!

眠れない夜と、騒がしすぎる開幕前

眠れない。

目を閉じても、頭の中では明日の光景が何度も繰り返されていた。

会場を埋め尽くす参加者。ずらりと並ぶ同人誌。お気に入りのサークルで新刊を手に入れた瞬間の高揚感。そして、自分たちの作品を手に取ってくれる人たちの笑顔。

考えれば考えるほど、眠気は遠ざかっていく。

俺――秋月隆司は、ベッドの上で枕を抱えたまま、天井を見つめていた。


「……ダメだ。全然眠れねぇ」


時計を見ると、午前一時四十分。

明日は始発に近い電車で出発する予定だ。今からでも眠らなければ、会場に着く前に体力が尽きてしまう。

それなのに。


「ついに来たんだぞ……夏コミが!」


思わず起き上がり、拳を握り締める。

コミックマーケット。通称、コミケ。

同人誌やグッズを制作するサークル参加者、それらを求めて会場を巡る一般参加者、企業ブースを目当てに訪れる人々。そして、好きなキャラクターの姿になってイベントを楽しむコスプレイヤーや、その姿を撮影するカメラマン。

さまざまな人の「好き」が集まる、巨大なイベントだ。

もちろん、俺にとっても年に二度の大切な祭典である。


しかし、今年はいつもと違う。

何しろ、三紀子が初めてサークル参加するのだ。

これまでウェブサイトで作品を発表してきた彼女が、自分の描いたイラストを一冊の本にまとめ、直接読者に届ける。

さらに今回は、三紀子と俺が共同制作したCG集も用意した。

詩織も初めて売り子として参加する。あの騒がしい性格で接客が務まるのかという不安はあるが、本人はやる気満々だった。

そして俺自身も、新刊を完売させるつもりでいる。


「よし! 今年こそ、全サークル完売祭りだぁぁぁっ!」


ゲーミングチェアに片足を乗せ、天に向かって拳を突き上げた。

その直後、廊下から冷ややかな声が飛んできた。


「お兄ちゃん、うるさい」


妹の美咲である。

俺は拳を下ろし、何事もなかったかのように咳払いした。


「いや、これは明日に向けた精神統一でだな……」


「去年も同じことをしていたよね?」


「……」


「あと、廊下まで全部聞こえてるから。近所迷惑にならないようにね」


美咲の声には、呆れと眠気が混じっていた。

撮影の仕事もあって忙しい妹は、明日の準備を済ませて早く休みたいらしい。


「お前も少しくらい興味を持ったらどうだ? コミケは創作文化の祭典なんだぞ!」


「私はお兄ちゃんの新刊より、撮影データのほうが気になるかな」


「ぐはっ……!」


「じゃあ、おやすみ。寝坊しないでね」


ドアの向こうで足音が遠ざかる。

俺は胸を押さえた。

妹からの容赦ない一撃。これは効く。

だが、そんなことで俺の気合いが消えるはずもない。


「待ってろよ、夏コミ……!」


再びベッドに潜り込んだものの、結局、眠りにつくまでには相当な時間がかかった。


翌朝。

空がまだ薄暗い時間に、玄関のチャイムが鳴った。

俺が最後の荷物を確認していると、廊下の向こうから、やけに元気な声が聞こえてくる。


「隆司くーん! おはよーっ!」


「いざ、創作の祭典へ! 我らの魂を刻んだ作品を世に知らしめるのよ!」


「……朝から元気だな、お前ら」


振り返ると、三紀子と詩織が部屋の入り口に立っていた。

いや、立っていたというより、勢い余って飛び込んできたというほうが正しい。

しかも二人とも、黒と白を基調としたメイド服姿である。

フリルやエプロンの細部まで丁寧に仕上げられ、まるで専門店の衣装のような完成度だった。


「……何だ、その格好は?」


俺が目を細めて二人を見ると、詩織はくるりと回転し、スカートの裾を軽く広げた。


「どう? 昨夜、三紀子の家で採寸して、そのまま徹夜で仕上げたんだよ!」


「徹夜で!?」


「ええ! 創作への情熱が、私たちを眠らせなかったの!」


三紀子は胸を張り、誇らしげに衣装の袖を整えた。

確かに、細かい部分までよくできている。詩織が絵だけでなく、衣装作りにも才能を発揮するとは思わなかった。


「……悔しいが、すごいな。よく間に合わせたもんだ」


「おっ、褒めたね? 今、隆司くんが私を褒めた!」


詩織がぱっと顔を輝かせる。

三紀子も見逃さなかった。


「歴史的瞬間ね! これは創作史に記録しなければ!」


「記録するな!」


詩織はさらにいたずらっぽく笑い、スカートの裾をひらりと持ち上げた。


「ちなみに、ガーターベルトとニーハイの組み合わせにもこだわったんだよ?」


「見せなくていい! スカートを下ろせ!」


「えー? そんなに慌てて、隆司くんってば意識しすぎじゃない?」


「お前なぁ……!」


俺は言い返しかけて、思いとどまった。

こいつらを相手にしていると、会場に着く前に体力が尽きる。

気を取り直し、段ボールに入れた新刊やCG集、ポスターなどを確認した。

荷物はすでに運べる状態にしてある。

台車に載せれば、あとは会場へ向かうだけだ。


「よし、二人とも。荷物を運ぶぞ。余計なものを持ち出すなよ」


「了解!」


「任せて!」


返事だけはいい。

俺が箱を閉じ、台車に荷物を積み上げると、詩織が何かを思い出したように手を叩いた。


「あっ、そうだ! 隆司くんの衣装も作ろうと思ってたんだけど――」


「いらん!」


「まだ完成してないんだよね」


「完成させる予定があるのかよ!」


三紀子が口元を押さえて笑う。


「隆司がメイド服を着て売り子をする姿……なかなか興味深いわね」


「着るか、そんなもん!そしてお前まで乗るな!」


俺は二人を先に玄関へ追い出した。

騒がしい。とにかく騒がしい。

それでも、二人の顔には本番を迎える喜びがあふれていた。

特に三紀子は、これから自分の作品を初めて直接売るのだ。

緊張しているはずなのに、それ以上に期待が勝っているようだった。

俺は台車を押しながら、心の中でつぶやいた。

今日と明日が、二人にとって忘れられない日になりますように。


そして、できることなら――完売の喜びを味わえますように。

初めての会場、初めての売り子

会場へ向かう電車の中、俺は左右から突き刺さる視線を感じていた。

原因は言うまでもない。

メイド服姿の三紀子と詩織である。


「ふふふ……三紀子。世間が私たちの存在に注目しているわ」


詩織は窓に映った自分の姿を眺め、満足げに微笑んでいる。

三紀子も、まるで舞台に立つ役者のように背筋を伸ばした。


「これは開幕前から始まっている、視線という名の戦い……!」


「いや、単に目立ってるだけだからな?」


俺が小声で突っ込むと、詩織は不満そうに頬を膨らませた。


「隆司くんって、ほんとに夢がないよね」


「現実を見ろ、現実を!」


周囲の乗客が、笑いをこらえるように肩を揺らしていた。

俺はなるべく二人から距離を取ろうとしたが、台車を持っているため、そう簡単にはいかない。

……頼むから、会場に着くまで何も起こさないでくれ。

その願いが叶ったのかどうかはともかく、俺たちは無事に会場へ到着した。

目の前に広がるのは、参加者たちでにぎわう巨大な会場。

あちこちで設営が進み、サークル参加者が新刊を並べ、スタッフが案内をしている。開場前のざわめきには、これから始まる一日への期待が詰まっていた。


「……来たわね」


三紀子は会場を見渡し、そっと息をのんだ。

その表情から、さっきまでのふざけた様子が少しだけ消えていた。


「うん。いよいよだね」


詩織もポスターを抱え直す。

俺は二人を見て、笑顔でうなずいた。


「緊張するのはわかる。でも、ここまで準備してきたんだ。自信を持て」


「……ええ!」


三紀子は力強くうなずいた。

俺たちのスペースは、幸いにも互いに行き来しやすい場所だった。

俺はまず自分の机を整え、新刊を見やすいように並べる。

値札を置き、釣り銭を確認し、ポスターを木製の支えに固定した。

一方、三紀子と詩織も、昨日までの打ち合わせを思い出しながら準備を進めていた。


「三紀子、新刊は手前! 見本誌はこっち!」


詩織が本の位置を調整する。


「CG集は新刊の隣でいいかしら?」


「うん! 両方見えるように並べよう!」


朝から騒いでいた二人だが、作業が始まると驚くほど手際がよかった。

詩織は商品の配置を整え、三紀子は値札と在庫を確認する。

足りないものがないか、二人で声をかけ合っていた。


「……お前ら、ちゃんと準備できるんだな」


俺が思わず感心すると、三紀子がじろりとこちらを見た。


「隆司、私たちを何だと思っているの?」


「妄想と騒音の発生源」


「ひどい!」


詩織が即座に抗議した。


「でも、今のところ否定しきれないわね……」


三紀子は一瞬考え込み、真面目な顔で付け加えた。


「創作の情熱が強すぎるだけよ!」


「自覚があるなら少しは抑えろ!」


俺たちは笑いながら準備を終えた。

開場までは、まだ少し時間がある。

俺は三紀子に、新刊を五十冊渡した。


「今日はまず、この五十冊で様子を見る。売れ行きがよければ、追加分を出そう」


三紀子は本を一冊手に取り、表紙をじっと見つめた。

自分の絵が印刷され、本になっている。

何度見ても、信じられないような気持ちなのだろう。


「……本当に、私の本がここに並んでいるのね」


その声には、喜びと少しの緊張が混じっていた。


「夢じゃないぞ。ちゃんと現実だ」


俺が笑いかけると、三紀子は顔を上げた。


「ええ。絶対に売ってみせるわ!」


詩織も、ポスターを高く掲げる。


「任せて! 今日の私は、売り子として覚醒するんだから!」


「頼もしいけど、覚醒しすぎるなよ」


「それは無理!」


「無理なのかよ!」


開場前から、俺たちのスペースはすでに騒がしかった。

開場前の挨拶回りでは、俺の知り合いのサークルを訪ね、新刊を交換した。

普段から交流のある相手もいれば、ウェブサイトを通じて作品を知っていた相手もいる。


「おっ、隆司! 今年も来たな!」


顔なじみのサークル主が、俺の新刊を見て笑った。


「もちろん。そっちの新刊も楽しみにしてたぞ」


「ありがとな。おっ、今回はCG集もあるのか?」


「同級生のBL専門の三紀子ってやつとの共同制作だ。CG集はBLじゃないからよかったら見てくれ」


「へえ、あのイラストの? そりゃ楽しみだ!」


そんなやり取りをしながら、俺たちは本を交換していった。

ところが、三紀子と詩織の挨拶回りは、別の意味で盛り上がっていた。


「あの……もしかして、一ノ瀬三紀子さんですか?」


あるサークルの女性が、三紀子の顔を見て目を輝かせた。


「ええ、そうだけど……?」


「私、ずっとウェブサイトで作品を読んでいました! あの二人の関係性について書かれた考察記事も、何度も読み返していて……!」


三紀子の表情が一変した。


「まさか、あの記事を読んでくれていたの!?」


「はい! 特に、あの場面で視線が交差する意味についての考察が……!」


「わかるわ! あれは表面的な対立の裏に隠された、魂の共鳴なのよ!」


「やっぱりそうですよね!?」


詩織まで身を乗り出し、目を輝かせた。


「つまり、二人の関係はまだ覚醒の途中……! 今後、さらに禁断の絆が深まる可能性が――!」


「待て待て待てぇぇぇっ!」


俺は慌てて二人の間に割って入った。


「お前ら! ここは挨拶回りの最中だ! 妄想を全開にするのはほどほどにしろ!」


三紀子は不満そうに眉を寄せたが、相手の女性も笑っている。


「ふふっ、三紀子さんと直接お話しできるなんて、本当に嬉しいです」


「私もよ! こうして会えるなんて、まるで創作の世界が現実になったみたい!」


「……あの、俺の立場は?」


俺がぼそりとつぶやくと、詩織が真顔で答えた。


「隆司くんは、妄想の暴走を防ぐために派遣された監視役!」


「誰が監視役だ!」


周囲のサークル参加者たちまで笑い出した。

結局、三紀子と詩織は新刊を交換するだけでなく、今後の作品について語り合う約束まで取りつけていた。

……人との出会いという意味では、これもコミケの醍醐味なのかもしれない。

ただし、俺の仕事が増えなければ、の話だが。

そして、いよいよ開場の時間がやってきた。


「ただいまより、コミックマーケットを開場いたします!」


アナウンスが響いた瞬間、会場の空気が変わった。

人々が動き出し、人気サークルの前には次々と列が形成されていく。

俺は深く息を吸った。


「よし……始まったな」


三紀子は新刊を見つめ、詩織はポスターを握り直した。

その一瞬だけ、三人の間に緊張が走る。

そして、詩織がぱっと笑顔になった。


「いらっしゃいませーっ! 新刊あります! CG集もありますよーっ!」


初めての売り子とは思えないほど、明るく通る声だった。

詩織はポスターを掲げながら、通りかかった参加者に笑顔を向ける。興味を持った人が足を止めれば、すぐに見本誌を差し出した。


「こちらが新刊です! 中身もご覧いただけますよ!」


購入が決まれば、会計を素早く済ませ、商品を渡す。


「ありがとうございます! 新刊一冊ですね。五百円になります!」


詩織はお釣りを確認し、丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございました! 楽しんでいただけたら嬉しいです!」


その対応は、明るいだけではない。相手の様子をよく見て、迷っている人には無理に購入を勧めず、質問にはきちんと答える。

列ができ始めると、三紀子が本を補充し、詩織が会計を担当する。二人の動きには、少しずつ無駄がなくなっていった。

俺は自分のスペースで接客しながら、時折、二人の様子を確認していた。

……これは予想以上だ。

詩織は、騒がしいだけの女の子ではなかった。

人を楽しませることが好きで、相手が喜ぶ顔を見ると、自分まで嬉しくなるタイプなのだろう。

その長所が、売り子という役割にぴったりはまっていた。

だが、ここからが本番だ。

午前中のうちにどこまで売れるか。それが今日の結果を左右する。

俺は在庫表を確認した。

用意した新刊は五十冊。CG集も、今日の販売分を決めて用意してある。

売り切れれば嬉しい。

しかし、早々に売り切れてしまえば、その後に来てくれた人には渡せない。

かといって、在庫を残しすぎれば、明日の販売計画にも影響する。

コミケは楽しいだけではない。

限られた時間と在庫の中で、どれだけ作品を届けられるかという勝負でもあるのだ。

俺は時計を確認した。

まだ午前十時半。

残り時間は十分にある。

焦るな。まだ始まったばかりだ。


午前十一時を過ぎると、会場の人の流れが少し変わり始めた。

人気サークルの列は相変わらず長いが、会場内をゆっくり巡る参加者も増えている。

俺は目当てのサークルを回りながら、三紀子たちに頼まれた本も購入していた。

特に、BL作品の新刊は二人から細かい指定が入っている。


――この作家さんの新刊は必須。

――このシリーズの続きは絶対。

――もし限定本があったら、可能な限り確保。


……俺は何の買い出し係なんだ。

それでも、頼まれた本を手に入れたときの二人の顔を想像すると、つい頑張ってしまう。

買い物を済ませ、コスプレエリアにも少し立ち寄ったあと、俺はスペースへ戻った。

すると、三紀子がこちらに気づき、興奮した様子で手を振った。


「隆司くん! 大変よ!」


「どうした? 何かトラブルか?」


「違うの! CG集が……!」


その言葉を聞いた瞬間、俺は背筋を伸ばした。


「……まさか」


三紀子が、空になった箱を指さした。


「完売したの!」


「…………は?」


俺は一瞬、言葉を失った。

箱の中には、確かに一枚も残っていない。

詩織も、興奮で頬を赤くしながら説明した。


「午前中から少しずつ売れていてね! さっき、最後の一つが売れたの!」


「全部……?」


「全部!」


詩織は満面の笑みでうなずいた。

俺は、空箱と二人の顔を交互に見た。

まさか、昼前に完売するとは思っていなかった。

だが、驚いてばかりもいられない。


「……よし。CG集は完売だ。じゃあ、次は新刊だな」


俺は在庫表を取り出した。

新刊も順調に売れている。ただし、こちらはまだ残っている。

このままのペースなら、今日中に完売する可能性もあるが、確実とは言い切れない。

三紀子も、残りの冊数を確認しながら、少し緊張した顔をしていた。


「あと何冊……?」


「慌てるな。売れ行きは悪くない。今日のうちに売り切れなくても、明日がある」


「……そうね」


彼女はうなずいたものの、視線は何度も残りの本へ向かっていた。

自分が描いた作品が、どこまで読者に届くのか。

初めてのサークル参加だからこそ、期待も不安も大きいのだろう。

詩織はそんな三紀子の肩を軽く叩いた。


「大丈夫! まだ時間はあるよ。最後まで笑顔でいこう!」


「ええ。ありがとう、詩織」


二人は顔を見合わせ、再び販売に戻った。

その後も新刊は順調に売れたが、閉会時間が近づいても、最後の数冊が残った。

俺は残りの在庫を確認し、時計を見た。

……惜しい。

あと少しだった。

けれど、初参加でこれだけ売れたのは十分すぎる成果だ。

俺自身の新刊も、かなりの数が売れていた。


「二人とも、よく頑張ったな」


俺がそう声をかけると、三紀子は少し悔しそうに笑った。


「あと少しだったのに……!」


「その悔しさは明日に取っておけ。二日目で全部売り切ればいい」


詩織も力強くうなずいた。


「そうだよ! 今日の経験を生かして、明日こそ完全勝利!」


その言葉に、三紀子の表情が明るくなった。


「……ええ。明日は必ず完売させるわ!」


その声には、朝とは違う自信が宿っていた。

閉会まで残り一時間ほどになった頃、俺は二人に企業ブースを見に行くよう勧めた。


「片付けは俺が進めておく。見ておきたいものがあるなら、今のうちだぞ」


三紀子は一瞬きょとんとしたあと、詩織と顔を見合わせた。


「……行く?」


「行く!」


次の瞬間、二人の顔がぱっと輝いた。


「限定グッズ! 展示! 先行販売!」


「創作の源泉が集う場所……! これは行くしかないわ!」


「だから、言い方!」


二人は慌てて必要なものをまとめ、俺に何度もお礼を言いながら企業ブースへ向かった。

その後、スマホには次々とメッセージが届いた。


『隆司くん! 展示がすごい!』


『見て! 限定グッズを手に入れたわ!』


『この映像演出、創作の参考になりそう!』


文章だけなのに、二人がどれほど楽しんでいるかが伝わってくる。

俺は思わず笑った。


「……よかったな、二人とも」


初めてのサークル参加。

作品を買ってもらう喜びだけでなく、同じ趣味を持つ人との出会いや、新しい作品に触れる楽しさも、二人にとって大切な思い出になっているはずだ。

だが、俺にはまだ仕事が残っていた。

CG集の追加制作である。

帰りに空のCD-Rとプリンターのインクを買い、家に戻ったらすぐに作業を始めなければならない。

俺は在庫表を確認しながら、頭の中で作業工程を組み立てた。

初日に用意したCG集は完売した。

ただし、外注していたジャケットは五百枚用意してあり、初日用に組み立てたセット以外にも、予備として保管している分がある。

追加分のCD-Rさえ焼ければ、明日の販売に間に合わせられる。


「……よし。帰ったら、まず三百枚分を追加で作るか」


そう決めると、少しだけ気持ちが落ち着いた。

俺は片付けを済ませ、二人が戻ってくるのを待った。

やがて三紀子と詩織が戻ってきた。

二人の手には、企業ブースで手に入れたグッズやパンフレットが増えている。


「隆司くん、聞いて! あの展示がね――!」


「待って、私から! 限定グッズの販売方法がすごくて――!」


「同時に話されても分からんわー!順番に話せ!」


俺が苦笑すると、二人は顔を見合わせ、同時に吹き出した。

帰りの電車でも、二人の話題は尽きなかった。

俺は詩織に、今日の売り子について改めて礼を言った。


「詩織、今日は本当に助かった。お前の接客、すごくよかったよ」


詩織は、思いがけない言葉を聞いたように目を丸くした。


「……本当?」


「ああ。声をかけるタイミングもよかったし、会計も丁寧だった。お客さんが安心して買える雰囲気を作ってくれたと思う」


少しずつ、詩織の頬が赤くなる。


「そ、そんなに真面目に褒められると、照れるんだけど……」


「何だよ。褒められるのは嫌なのか?」


「嫌じゃないよ! もっと褒めて!」


「やっぱり……調子に乗るなっ!」


詩織が笑い、三紀子もつられて笑った。

その後、俺たちは電気屋に立ち寄り、空のCD-Rとプリンターのインクを購入した。

明日は二日目。

初日の経験を生かして、必ず完売させてみせる。

そう決意しながら、俺は家へ帰った。


夜の追加制作と、突然の来訪者

帰宅した俺は、すぐに自室へ向かった。

まずはCD-Rの追加制作だ。

外注したジャケットはまだ予備がある。今日はその分を使い、三百セットを追加できるよう準備を進める。

パソコンを二台使い、片方で書き込みを進めている間に、もう片方でも別のディスクを焼く。書き込みが終わったものは一枚ずつ確認し、ジャケットと組み合わせていく。

単純作業だが、数が多い。

焦って不良品を出すわけにはいかない。


「よし……順調だ」


プリンターも動かし、必要な表示物を整えていく。

机の上には、CD-R、ケース、ジャケット、確認用のメモが並んでいた。

俺は一度、肩を回した。

まだまだ先は長い。

そのとき、スマホが鳴った。

杏子からのメッセージだった。


『隆司、今、少し大丈夫?』


何事かと思って返信すると、撮影データが編集部からCDで届いたらしい。美咲と一緒に確認したいものの、杏子の家にはパソコンがないという。

俺は押し入れの奥にしまってある古いノートパソコンを思い出した。


『古いノートパソコンならあるから、それで見られると思う。来ても大丈夫だぞ』


返事はすぐに届いた。


『本当? ありがとう、隆司』


俺は押し入れからノートパソコンを引っ張り出し、電源を入れた。

起動には少し時間がかかったが、写真を確認するくらいなら問題なさそうだ。

美咲にも杏子が来ることを伝えると、妹から嬉しそうな返事が返ってきた。

俺はパソコンを隣の部屋に用意し、再び作業に戻った。


……杏子が来るのか。

いや、別に変な意味はない。

撮影データを見るためだ。

ただ、それだけだ。

そう自分に言い聞かせていたところで、玄関のチャイムが鳴った。

時計を見ると、連絡から三十分ほど経っている。

俺は手を止め、玄関へ向かった。


「おぅ、杏子」


「急にごめんね、隆司」


杏子は手に持っていた袋を差し出した。


「これ、よかったら。クッキーと焼き菓子を作ってきたの」


袋の中には、きれいに包装された焼き菓子が入っていた。


「こんなに? ありがとう。ちょうど腹が減ってたところだよ」


「よかった。作業の合間に食べられるかなと思って。あまり無理はしないでね」


杏子は、俺の顔を見て少し心配そうに眉を下げた。

俺は思わず笑った。


「大丈夫。明日に間に合わせたいだけだから」


「それならいいけれど……。何か手伝えることがあったら言ってね」


「ありがとう。まずは美咲と写真を見てきなよ。パソコンは準備してあるから」


杏子はほっとしたように微笑み、隣の部屋へ向かった。


「美咲ちゃん、お邪魔するわね」


「杏子先輩! 待ってました!」


美咲の弾んだ声が聞こえた。

俺は二人の楽しそうな様子を確認してから、自室へ戻った。

……さて。俺には俺の戦いがある。

そう思って作業を再開した、その直後だった。


「隆司くーん! お邪魔しまーす!」


「ちょっと待てぇぇぇっ!」


聞き覚えのありすぎる声が、玄関から響き渡った。

次の瞬間、俺の部屋のドアが勢いよく開いた。


「こんばんは、隆司くん!」


「追加制作の現場を見学に来ましたーっ!」


三紀子と詩織が、今度はゴシックロリータ姿で現れた。

黒を基調とした衣装に、繊細なレースやリボン。二人とも、明日の会場で目立つこと間違いなしの格好だ。

俺は二人を見て、ゆっくりと目を閉じた。


「……帰れ」


「第一声がそれ!?」


詩織が大げさに胸を押さえる。

三紀子も、不満そうに頬を膨らませた。


「せっかく明日の衣装を見せに来たのに!」


「それは朝に見た! というか、なぜこの時間に来るんだよ!」


「明日の朝、ここから一緒に行けば効率的でしょ?」


「効率の問題じゃねえ!」


俺が頭を抱えていると、詩織は机の上を覗き込んだ。


「わあ……CD-Rがいっぱい! これ、全部明日の分?」


「そうだよ。だから邪魔を――」


「すごい! 創作の裏側って感じ!」


三紀子も、興味深そうに箱を見つめる。


「これだけの数を、今夜中に準備するのね……」


「そうだ。だから静かにしてくれ」


俺は念を押した。

しかし、二人は急に顔を見合わせた。

そして、何かを察したように、そろって隣の部屋へ視線を向けた。


「……あれ?」


詩織が首をかしげる。


「今、杏子ちゃんの声がしなかった?」


三紀子の目が、きらりと光った。


「……杏子ちゃんがいるの?」


「おい、待て」


俺が止めるより早く、三紀子は部屋を飛び出した。


「杏子ぉぉぉっ!」


「待てぇぇぇっ! 勝手に突撃するな!」


俺が追いかけようとすると、詩織が両腕を広げて立ちふさがった。


「ふふふ……逃がさないよ、隆司くん!」


「お前は何をするつもりだ!?」


「この状況を見届けるのが、私の使命だから!」


「そんな使命は今すぐ捨てろ!」


俺が詩織を避けて隣の部屋へ駆け込むと、すでに三紀子は杏子の前に立っていた。


「杏子ちゃん! どうして隆司の家にいるの!?」


「三紀子ちゃん!? えっと、美咲ちゃんと撮影データを見ていたのよ」


杏子は驚きながらも、落ち着いて説明しようとしていた。

だが、三紀子はその言葉を聞いて、なぜか深刻な表情になる。


「撮影データ……つまり、二人で写真を……!」


「そうだけど?」


「まさか、そこに隠された秘密の物語が――!」


「ないわよ!」


杏子の鋭い突っ込みが飛んだ。

俺は思わず吹き出しそうになった。

しかし、詩織が遅れて部屋へ入ってきたことで、事態はさらに混乱した。


「おお……! 杏子と三紀子が同じ空間に……! これは禁断の関係性が交差する瞬間……!」


「詩織、頼むから黙ってくれ!」


美咲まで笑いをこらえている。


「お兄ちゃん、今日はにぎやかだね」


「他人事みたいに言うな!」


こうして、俺の追加制作の現場には、杏子、美咲、三紀子、詩織の四人が集結した。

……どうしてこうなった。


結局、四人は俺の部屋に居座ることになった。

杏子は撮影データの確認を終えたあと、作業の様子が気になったらしい。美咲は二人のゴシックロリータ衣装をもっと見たいと言い出し、三紀子と詩織は追加制作を見学すると譲らない。

俺は机に向かい、できるだけ周囲を気にしないようにした。

パソコンではCD-Rへの書き込みが進み、プリンターからはジャケット用の印刷物が出てくる。

俺の仕事は、まだ終わっていない。


「隆司、これが追加分なのね?」


杏子が、完成したCD-Rを手に取った。


「ああ。今日の分が全部売れたから、明日のために追加してるんだ」


「すごいわね。三紀子ちゃんの絵が、そんなに人気だったなんて」


「三紀子の絵は本当にいいからな。俺がデータを整えたとはいえ、作品の魅力は本人の力だよ」


俺がそう言うと、三紀子は一瞬、照れくさそうに視線をそらした。

だが、すぐにいつもの調子を取り戻す。


「ふふふ……ついに私の創作世界が、現実世界へ侵攻を開始したのね!」


「言い方!」


詩織が手を叩いた。


「いいね、その表現! ポスターにも使えそう!」


「ポスター?」


俺は顔を上げた。

確かに、今日使ったCG集のポスターは、作品名と基本情報を中心にしたものだった。

もちろん、それでも宣伝にはなる。

だが、明日は二日目。初日とは違う参加者も多く訪れる。少しでも目を引くものがあれば、CG集を知らない人にも興味を持ってもらえるかもしれない。


「もっと目立つポスターがあったら、明日はさらに人が来てくれるんじゃない?」


詩織はそう言って、俺の机の端にあった紙を手に取った。


「……私、描いてみてもいい?」


さっきまで騒いでいた彼女の声が、少しだけ真剣なものに変わった。


「もちろん。ただし、作業の邪魔にならない範囲でな」


「了解!」


詩織は椅子に座り、鉛筆を握った。

それからは、驚くほど静かだった。

紙に線を引き、構図を整え、キャラクターの表情を描いていく。最初は簡単なラフだったものが、少しずつ形になっていく。

普段の詩織は、BLの妄想を語り始めると止まらない。三紀子と二人で盛り上がり、時には俺が突っ込む隙もないほど熱弁する。

けれど、絵を描いているときの彼女は違った。

視線は紙から離れず、鉛筆を動かす手にも迷いがない。

自分の頭の中にあるイメージを、どうすれば見る人に伝えられるのか。そんなことを考えているのだろう。


俺は一瞬だけ手を止め、詩織の様子を見た。

……なるほど。

こいつも、ちゃんとした創作者なんだな。

そう思い、俺は再び作業に戻った。

部屋の中では、三紀子が杏子に今日の売れ行きを説明し、美咲がゴシックロリータの衣装について詩織に質問していた。

その合間にも、俺の作業は続く。

CD-Rを焼き、完成したディスクを確認し、ジャケットと組み合わせる。

少しずつ、追加分が完成していった。

そして、最後のディスクへの書き込みが始まった頃。


「……できた!」


詩織の声が響いた。

俺が顔を上げると、彼女は一枚の紙を掲げていた。


「見て、隆司くん!」


そこには、CG集の世界観をイメージしたイラストが描かれていた。

目を引く構図。印象的な表情。視線を誘導するような配置。そして、作品名を入れるための余白まで、きちんと計算されている。

単に絵がうまいだけではない。

ポスターとして、通りかかった人の目を止めるための工夫があった。


「……これ、いいじゃないか!」


俺は思わず身を乗り出した。

詩織の顔がぱっと明るくなる。


「本当!?」


「ああ! これなら目立つ。色をつけて、タイトルを配置すれば、明日の宣伝に使えるぞ!」


三紀子も隣から覗き込み、感嘆の声を漏らした。


「すごい……! 詩織ちゃん、こんな短時間で描いたの?」


「うん! CG集の雰囲気を考えていたら、イメージが浮かんできたんだ」


詩織は少し照れながらも、誇らしげに笑った。


「ねえ、隆司くん。この絵、デジタルで仕上げられる?」


俺は一瞬、時計を見た。

追加のCG集は、ほぼ完成している。

残っているのは最終確認と梱包だ。

……時間は厳しい。

だが、この絵を見てしまったら、使わないという選択肢はなかった。


「……やる」


「えっ?」


「この絵をデータに取り込んで、CGとして仕上げる。明日のポスターに使おう!」


俺は勢いよく椅子に座り直した。

詩織が、目を輝かせた。


「やったぁぁぁっ!」


「ただし、完成するまでは静かにしてくれよ!」


「はーい!」


……本当に静かにしてくれるかは、別問題だが。

俺は詩織のイラストをスキャンし、パソコンに取り込んだ。

線を整え、色を塗り、光と影を調整する。背景には作品の雰囲気に合う演出を加え、タイトルと販売情報を配置していく。

詩織の絵が、少しずつ完成形へと変わっていった。

周囲の四人も、いつの間にか静かになっていた。

杏子は作業を見守り、美咲は画面を覗き込み、三紀子は詩織の原画とデジタル加工後の画面を交互に見つめている。

そして、ようやく最後の調整が終わった。


「……できた!」


画面には、詩織のイラストをもとに、俺がCGとして仕上げたポスター用のデータが表示されていた。

色彩が加わったことで、キャラクターの表情がより鮮明になり、タイトルも遠くから見やすい。

俺は画面を見て、満足げにうなずいた。


「よし。これなら明日、使える」


「わあ……!」


詩織は、自分の絵が完成した姿を見つめていた。


「私の絵が、こんなふうになるんだ……!」


「元の絵がよかったからだよ。俺はデジタルで仕上げただけだ」


「でも、すごい! これ、絶対に目立つよ!」


三紀子も、嬉しそうに微笑んだ。


「二人の合作ね。これは明日の切り札になるかもしれないわ」


「切り札って大げさだろ」


そう言いながらも、俺は確信していた。

このポスターは、明日の販売を後押ししてくれるはずだ。

詩織の発想とイラスト。俺のデジタル加工。そして、三紀子が描いた作品そのもの。

それぞれの力が合わさり、ひとつの形になった。

……明日は、今日以上の結果を出せるかもしれない。


時計を見ると、午前一時を過ぎていた。

俺は大きく伸びをした。


「よし。追加分もできたし、ポスターも完成した。あとは明日の準備をして寝るぞ」


そう宣言すると、三紀子が妙に落ち着いた声で言った。


「実は……今夜は泊まっていってもいいか、お母様に確認してあるわ」


「…………は?」


詩織も、元気よく手を挙げた。


「私も! 明日の朝、ここから一緒に会場へ向かうほうが効率的だから!」


「効率の問題じゃねえ!」


俺が頭を抱えていると、母さんが部屋の前に顔を出した。


「隆司、二人とも泊まっていくそうよ。明日の準備もあるでしょう? あまり夜更かししないようにね」


「母さん!? いつの間に話が決まったんだよ!」


「さっき、二人が挨拶に来たときにね」


母さんは、何の問題もないという顔で廊下へ戻っていった。

……決定事項だった。

こうして、なぜか三紀子と詩織が泊まることになったのである。

問題は、ここからだった。


「ねえ、隆司くん」


 詩織が、部屋の隅にある押し入れを見つめていた。


「この部屋、まだ何か秘密が隠されていそうだよね?」


俺は反射的に立ち上がった。


「待てぇ」


「え? どうしたの?」


「その押し入れを開けるな」


三紀子の目が、ゆっくりと細くなった。


「ははぁ~ん……な・る・ほ・ど」


「何がなるほどだ!」


「つまり、そこには秘密があるのね……!」


「ない!」


「その即答……怪しい!」


詩織が、にやりと笑う。

俺は慌てて押し入れの前に立った。


「お前ら、俺を何だと思ってるんだ!」


「隠し事を持つ主人公!」


「勝手に物語を始めるな!」


だが、二人は止まらなかった。

俺が三紀子を押し入れから遠ざけようとした瞬間、詩織が反対側から襖に手をかけた。

ガラッ。


「あっ」


押し入れが開いた。

中から段ボール箱や古いゲームソフト、設定資料集などが姿を現す。

三紀子は箱を一つ覗き込み、興味深そうに首をかしげた。


「へえ……昔のゲームも取ってあるのね……しかも妹物の成人向けの美女ゲー」


「見るな!」


「こっちは設定資料集……。ふむ、隆司の趣味の傾向が見えてきたわ」


「分析するな!」


詩織が、さらに奥を指さした。


「あっ! こっちには更に妹キャラのグッズがいっぱい!」


「うわぁぁぁぁっ! やめろぉぉぉっ!」


俺は箱を閉じようとしたが、詩織のほうが早かった。

彼女は一冊のゲームソフトを取り出し、パッケージをまじまじと見つめた。


「……隆司くん」


「何だ」


「あなた、妹もののゲームが好きなの?」


「ち、違う! いや、違わないけど、そういう意味じゃなくて!」


「どっちなのよ!」


三紀子が腹を抱えて笑い出した。


「完璧な生徒会委員長の裏の顔……! まさか、こんな秘密があったなんて!」


「言うなぁぁぁっ!」


さらに詩織が、ベッドの下へ視線を向けた。


「……あれ? こっちにも何かあるよ?」


「待てぇぇぇぇっ!」


しかし、もう遅い。

詩織がベッドの下から箱を引っ張り出した。

そこには、俺が人に見られないように隠していた妹もののゲームや関連グッズが入っていた。

部屋の空気が止まる。

三紀子はゆっくりと俺を振り返り、詩織は箱を抱えたまま口元を押さえた。


「……隆司くん」


「違うんだ!」


「まだ何も言ってないわよ?」


「その顔がもう危険なんだよ!」


詩織は、まるで世紀の大発見をした探偵のように目を輝かせた。


「これは……禁断の妹ルートを探求する、秘密の研究資料……!」


「ただのゲームだぁぁぁっ!」


「しかもベッドの下に隠してある……!」


「隠してたんだから、見つけるなよ!」


「隆司くん、これは記事にするべきだよ! 題して――『完璧な生徒会委員長の裏の顔! 妹ルートへの執念』!」


「絶対にやめろぉぉぉっ!」


騒ぎを聞きつけ、美咲が部屋にやってきた。


「お兄ちゃん、何の騒ぎ……って、何これ?」


美咲はゲームの箱を見て、しばらく黙った。

そして、にっこりと笑った。


「……お兄ちゃん。明日、杏子先輩にも教えてあげようね」


「やめてぇぇぇぇっ!」


そこへ、杏子まで顔を出した。


「何かあったの?」


三紀子と詩織が、息ぴったりに答えた。


「隆司は妹もののゲームを隠し持っていた!」


「しかもベッドの下に!」


「言うなぁぁぁっ!」


杏子は目を丸くしたあと、困ったように笑った。


「……隆司、そういう趣味があったのね」


「杏子まで!? いや、だから、これは……!」


「これは?」


「…………ゲームだよ!」


「それは見ればわかるわよ!」


杏子の鋭い突っ込みに、三紀子と詩織が大爆笑した。

俺は頭を抱えた。

完璧な生徒会委員長。

成績トップ。

学校では真面目で冷静。

その裏側にある秘密が、まさかこんな形で暴かれるとは。

……俺の平穏な高校生活は、ここで終わったのかもしれない。


結局、俺はゲームをすべて回収し、押し入れとベッドの下を封鎖するという、意味のわからない作業に追われた。

その間も、三紀子と詩織は騒ぎ続けていた。


「隆司くんの秘密、思った以上に深かったね……!」


「ええ。これは新たな創作の扉が開いたと言っても過言ではないわ!」


「過言だよ!」


「でも、妹もののゲームが好きなんでしょう?」


「その話はもう終わりだ!」


美咲は笑いをこらえ、杏子は呆れながらも楽しそうに俺たちを見ていた。

時計は午前三時に近づいている。

俺はようやく全員を寝かせるべく、部屋の明かりを落とした。


「いいか。明日は二日目だ。寝不足で倒れたら全部終わりだからな。今度こそ寝るぞ!」


「はーい!じゃあ、私たちは隆司くんのベッドで川の字になって寝るんだね!」


「寝ねえよ!空き部屋があるからそっちで寝ろっ!」


返事だけは元気な三紀子と詩織。

だが、その直後。


「ねえ、三紀子。隆司くんのゲーム、明日もこっそり調査してみない?」


「いいわね、詩織……!」


「聞こえてるぞぉぉぉっ!」


結局、最後まで静かにはならなかった。

それでも、明日の準備は整っている。

追加のCG集も完成した。

詩織のイラストをもとに仕上げた特製ポスターもある。

あとは、会場で全力を尽くすだけだ。

俺はベッドに倒れ込み、目を閉じた。

……頼むから、明日こそ平和に終わってくれ。


翌朝。

俺たちは、昨日よりもはるかに手際よく準備を進めていた。

新刊、追加のCG集、値札、釣り銭、ポスター。必要なものを確認し、台車に荷物を積み込む。

昨日の経験が生きている。

どこに何を置けばいいか、何を先に準備すべきか、全員が理解していた。

そして、三紀子と詩織は、昨日とは違うゴシックロリータ姿に身を包んでいた。


「ふふふ……今日は昨日以上に、我らの創作世界を知らしめるわ!」


黒いレースを整えながら、三紀子が高らかに宣言する。

詩織も、リボンの位置を直しながら力強くうなずいた。


「昨日は前哨戦! 今日こそ真の決戦だよ!」


「だから、戦争じゃないんだって!」


俺は荷物を持ち上げながら突っ込んだ。

電車の中でも、二人の妄想は止まらなかった。


「昨日のあのサークルの先生が話していた解釈だけど……」


「そう! あの関係性には、まだ隠された真実があるはず!」


「そして今日こそ、新しい本との運命的な出会いが――」


「お前ら、周囲に聞こえてるからな!」


俺が小声で注意すると、近くに座っていた参加者がくすりと笑った。

……もういい。

会場に着くまで、俺は余計な突っ込みを控えることにした。


会場に到着すると、俺たちは昨日よりもスムーズに準備を進めた。

新刊を並べ、CG集を見やすい位置に置く。値札を確認し、釣り銭を用意する。

そして、最後に取り出したのが、詩織の描いたイラストをもとに仕上げた特製ポスターだった。


「これが、今日の切り札だ」


俺がポスターを掲げると、詩織は目を輝かせた。


「わあ……! やっぱり、色がつくと全然違うね!」


「お前の絵がよかったからだよ。今日はこれを使って、全力で宣伝してくれ」


「もちろん!」


詩織はポスターを受け取ると、まっすぐに掲げた。

三紀子も、仕上がりを見つめながら深くうなずいた。


「詩織の構図と、隆司くんの加工……。これなら、通りかかった人の目にも留まるはずね」


「そうだといいな」


俺は時計を確認した。

開場までは、あと少し。

今日の販売数は、昨日より多くなる可能性がある。

しかし、期待だけで完売できるほど甘くはない。

大切なのは、作品をきちんと見てもらうこと。興味を持った人に、魅力を伝えること。そして、最後まで丁寧に対応することだ。


「二人とも、昨日と同じように落ち着いていこう。詩織は呼び込みと会計、三紀子は本の補充と購入者への対応。俺も状況を見ながら手伝う」


「了解!」


二人の返事は、昨日よりも頼もしかった。

そして――。


「ただいまより、コミックマーケット二日目を開場いたします!」


アナウンスが響いた。

俺たちは顔を見合わせた。


「よし……行くぞ!」


「おーっ!」


詩織の声が、会場のざわめきの中に響き渡った。


「新刊あります! CG集もありますよーっ! こちらのポスターが目印です!」


ポスターの効果は、すぐに現れた。

通りかかった参加者が足を止め、イラストを見つめる。


「おっ、この絵、いいな」


「CG集もあるんだ。見本を見せてもらえますか?」


「もちろんです! こちらが見本になります!」


詩織は笑顔で対応し、三紀子が隣から本を差し出す。

購入が決まれば、詩織が会計を済ませ、三紀子が商品を補充する。

昨日の経験が生きていた。

そして、ポスターを見て足を止めた人が、CG集だけでなく三紀子の新刊にも興味を持つ。

作品を知ってもらうきっかけが、一つ増えたのだ。


「ありがとうございます! 新刊一冊とCG集一つですね!」


詩織が丁寧に商品を渡す。


「ありがとうございました! 楽しんでくださいね!」


俺は在庫表を確認しながら、思わず笑みを浮かべた。

いい流れだ。

昨日の売れ行き、詩織の接客、三紀子の作品への反応。そして、今日のポスター。

それぞれがつながり、少しずつ結果になっている。

だが、ここから先は、まだわからない。

新刊の残りは、十分な数がある。

CG集も追加した。

すべて売り切るには、最後まで気を抜けない。

午前中、CG集は順調に売れていった。

ポスターを見て興味を持った人が、見本を手に取り、作品を確認して購入していく。

詩織は、購入者が増えても慌てなかった。

列ができ始めれば、会計と商品補充の流れを整え、三紀子に必要な冊数を伝える。

その一方で、三紀子は購入者一人ひとりに丁寧にお礼を伝えていた。

初日には緊張していた彼女も、今日は落ち着いている。

自分の作品が誰かに届いている。

その実感が、彼女の自信につながっているようだった。

昼が近づいた頃、俺は在庫表を確認した。

CG集は、かなり減っている。

新刊も、残りが少なくなってきた。


「三紀子、いいペースだぞ」


俺が声をかけると、三紀子は嬉しそうに笑った。


「ええ! 昨日の経験があったから、今日は落ち着いて対応できているわ」


詩織も、ポスターを掲げ直しながらうなずいた。


「それに、このポスターのおかげで、足を止めてくれる人が増えた気がする!」


「実際、そうだと思う。お前の絵がきっかけになってるんだよ」


俺の言葉に、詩織は少し照れくさそうに笑った。

だが、まだ完売したわけではない。

俺は時計を確認した。

残り時間は、まだある。

この調子なら、最後までいけるかもしれない。

そう思いながらも、俺は在庫表を手放さなかった。

最後の一冊が売れる瞬間まで、結果はわからないのだから。


午後に入ると、会場の人の流れは少しずつ変化していった。

目当ての本を手に入れた参加者が帰り始める一方で、まだ会場を巡っている人もいる。

俺たちのスペースでも、販売は続いていた。

新刊は残りわずか。

CG集も、あと少し。

俺は在庫表を見て、時計を見て、再び在庫表に目を落とした。


「……頼む。あと少しだ」


小さくつぶやいた声が、誰にも聞こえないまま消える。

そして、ついに。


「隆司くん!」


詩織が、弾んだ声で俺を呼んだ。


「CG集、最後の一つが売れたよ!」


「本当か!?」


「うん! 完売!」


詩織は、空になった箱を持ち上げた。

俺は思わず拳を握った。


「よし……! CG集、完売だ!」


三紀子も、嬉しそうに両手を握り締める。


「やった……! でも、新刊もあと少しよ!」


彼女の視線は、残りの冊数に向かっていた。

新刊は、あと数冊。

閉会までの時間は、まだ少しある。

俺は三紀子を見た。


「最後まで、いつもどおりだ。焦らず、丁寧に売ろう」


「……ええ!」


詩織もポスターを掲げ直した。


「新刊あります! 残りわずかです! ぜひご覧くださーい!」


その声に、通りかかった参加者が足を止めた。

一冊、また一冊と、新刊が売れていく。

残り三冊。

残り二冊。

そして――。


「ありがとうございます! こちらで最後の一冊です!」


詩織が最後の購入者に商品を渡した。

その瞬間、三紀子が息をのんだ。


「……完売?」


詩織が、ゆっくりとうなずく。


「完売だよ、三紀子ちゃん!」


「……っ!」


次の瞬間、三紀子の顔がぱっと輝いた。


「やったぁぁぁぁぁっ!!」


詩織も、ポスターを抱きしめるようにして飛び跳ねた。


「新刊もCG集も、全部完売! 全部だよ、隆司くん!」


「おおおっ! 本当にやったな!」


俺も、思わず声を上げた。

初日の経験を生かし、二日目はさらに工夫した。

詩織が接客を磨き、三紀子が落ち着いて対応し、ポスターが作品を知ってもらうきっかけになった。

そして、二人が最後まで諦めずに販売を続けたからこそ、ここまでたどり着けたのだ。

三紀子は、目に涙を浮かべながら俺のほうへ駆け寄ってきた。


「隆司くん! 本当にありがとう!」


ガバッ!


「うおっ!?」


彼女が勢いよく抱きついてきた。

続いて詩織まで、反対側から抱きついてくる。


「隆司くん、最高! ありがとうーっ!」


「ちょっ、お前ら! ここ会場! 会場だから!」


俺は慌てて周囲を見回した。

しかし、周囲のサークル参加者たちは、むしろ温かい笑顔でこちらを見ていた。


「完売おめでとうございます!」


「初参加で全部売り切るなんて、すごいですね!」


三紀子は、俺に抱きついたまま何度もうなずいた。


「ありがとう! 本当に、ありがとう!」


詩織も満面の笑みで、ポスターを高く掲げた。


「これも、みんなのおかげだよ!」


俺は二人の頭を軽くぽんぽんと叩いた。


「……本当によく頑張ったな。三紀子の絵がよかったし、詩織の接客もポスターも最高だった。俺一人じゃ、ここまでできなかったよ」


二人は一瞬、きょとんとした。

それから、さらに嬉しそうに笑った。


「……もう一回、抱きついていい?」


「ダメだ!」


「えーっ!」


会場に、笑い声が響いた。

俺は苦笑しながら、完売したスペースを見渡した。

並んでいた本も、CG集も、もう残っていない。

その光景を見て、ようやく実感が湧いてきた。

本当に、全部売り切れたのだ。


閉会後、俺たちは片付けを済ませ、荷物をまとめた。

二日間の戦いは、ついに終わった。

新刊も、CG集も、すべて完売。

三紀子と詩織にとって、忘れられない初参加になったはずだ。

帰りの電車でも、二人の興奮は冷めなかった。


「本当に完売したのね……!」


三紀子は、何度も空になった在庫箱を確認していた。


「うん! 何回考えても、すごいことだよ!」


詩織は、描いたポスターを大切そうに抱えている。


「この絵も、ちゃんと役に立ったんだね!」


「ああ。ポスターを見て足を止めてくれた人もいた。お前の絵が、作品を知ってもらうきっかけになったんだ」


俺がそう言うと、詩織は照れくさそうに笑った。


「へへっ……描いてよかった!」


三紀子も、嬉しそうにうなずいた。


「二人の力が合わさったからこそ、できたことね」


「そうだな」


俺は窓の外を見た。

疲れた。とにかく疲れた。

でも、それ以上に楽しかった。

作品を作ること。誰かに手に取ってもらうこと。そして、仲間と一緒に喜びを分かち合うこと。

そのすべてが、今回のコミケには詰まっていた。

家に戻ると、俺たちは杏子を呼び、初参加と完売を祝うために、みんなで外食することになった。

美咲も一緒だ。

店に入ると、杏子が二人を笑顔で迎えた。


「三紀子ちゃん、詩織ちゃん、完売おめでとう!」


「ありがとう、杏子ちゃん!」


「ありがとうーっ!」


詩織は嬉しそうにポスターを見せ、三紀子は二日間の出来事を熱心に話し始めた。

初日の緊張、売り子としての経験、企業ブースでの買い物。そして、二日目にポスターを使って販売したこと。

話題は尽きない。


「それにしても、詩織のポスターは本当にすごかったよ」


俺がそう言うと、詩織は少し照れながらも胸を張った。


「隆司くんがCGに仕上げてくれたからだよ! 私の絵だけじゃ、あそこまで目立たなかったと思う」


「いや、元の絵がよかったんだって。お前の画力はめきめき上がってる」


「二人の合作なのね。素敵だわ」


杏子が穏やかに微笑んだ。

美咲も、嬉しそうに手を叩く。


「二人とも、本当におめでとう!」


三紀子は、少し照れたように笑った。


「……ありがとう。みんなが応援してくれたおかげよ」


やがて料理が運ばれてきた。

俺たちはグラスを持ち上げ、改めて完売を祝う。


「それじゃあ、三紀子と詩織の初サークル参加、そして完売を祝って!」


「かんぱーい!」


グラスが軽くぶつかり合う。

笑い声がテーブルいっぱいに広がった。

……と、ここまではよかった。


「ところで、隆司くん」


詩織が、何かを思い出したように俺を見た。


「何だよ」


「昨日の夜のことなんだけど……」


「やめろ」


「妹もののゲーム……」


「やめろぉぉぉっ!」


三紀子が、待ってましたとばかりに身を乗り出す。


「そういえば、あの秘密のコレクションについて、まだ詳しく聞いていなかったわね……!」


「聞かなくていい!」


美咲は楽しそうに笑った。


「お兄ちゃん、今度どんなゲームなのか教えてね?」


「美咲まで!?」


杏子も、くすっと笑う。


「隆司、秘密は大切にね」


「杏子、それは助けてくれてるのか!?」


「もちろん。……たぶんね」


「たぶんって何だよ!」


詩織がテーブルを叩いて笑い、三紀子も声を上げて笑った。


「決まりね! 次の創作テーマは、『完璧な生徒会委員長の秘密』!」


「絶対にやめろ!」


「ふふふ……これは運命の続編が始まる予感……!」


「始めるなぁぁぁっ!」


店内に、みんなの笑い声が響いた。

……まったく。

最後まで、こいつらは騒がしい。

でも。

こんな仲間たちと一緒に、何かを作り上げて、喜びを分かち合える。

それは、思っていた以上に楽しいことだった。

俺は改めて、三紀子と詩織を見た。


「二人とも、本当におめでとう。次は冬コミだ!次もまた、一緒に頑張ろうな!詩織もさらに磨きをかけて三紀子とのコンビで合作だ!お前の絵もきっと売れる!」


三紀子は力強くうなずき、詩織は満面の笑みを浮かべた。


「次はもっとすごい本を作るわ!詩織ちゃんとの合作で!」


「私ももっと目立つポスターも描くよ!」


「いや、気が早いだろ!」


笑い声が、またテーブルを包み込む。

こうして、俺たちの夏コミは幕を閉じた。

……ただし。


「ねえ、隆司くん。次のイベントまでに、あのゲームの続きも調査しておこうね?」


「だから、その話はもう終わっただろぉぉぉっ!」


俺の叫び声は、夜の街にまで響き渡ったのだった。

だが、気を抜いている暇などない!

次の冬コミに向けての作品作りだ。

詩織は覚えが良いし、上達も早い。

色々と教えてあげたいという気持ちがわき上がる。

このコンビなら、きっといい作品が出来ることは間違いないと隆司は確信していた。

こうして打ち上げも終わり、各自家路へと帰っていった。

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