第11話 初めてのお泊りと、ついに来たる撮影日初日とまじかに控えた夏コミというビッグイベント!
人生には、絶対に負けられない戦いがある。
定期テスト、部活動の大会、人生を左右する大事な面接……。
人によって、その戦いの内容はさまざまだろう。
だが、今の俺にとって、それらよりも重要な戦いが目の前に迫っていた。
「くっ……ここで間違えたら、妹キャラの好感度が下がる……!」
午後二時三十七分。
俺――秋月隆司は、自室のパソコンデスクに座り、画面に表示された美少女ゲームの選択肢を睨みつけていた。
画面の中では、主人公の帰りを待っていた妹キャラが、手料理を用意して微笑んでいる。
健気だ。
実に健気である。
主人公のために一生懸命料理を作り、帰宅を待ち続ける。その姿には、思わず胸を打たれるものがあった。
もちろん、これは創作物としての妹キャラの魅力を研究しているだけだ。現実の妹である美咲とは、何の関係もない。
……いや、どうして俺は、誰も聞いていないのに言い訳しているんだ?
「選択肢は三つ……。ここは慎重にいかなければ」
画面に表示されているのは、次の三つだった。
『手料理を褒める』
『頭を撫でる』
『一緒に買い物へ行く』
どれも捨てがたい。
手料理を褒めれば、妹キャラの努力を認めることができる。頭を撫でれば、親愛の気持ちを伝えられる。一緒に買い物へ行けば、二人きりの時間を楽しめる。
くっ……なんという巧妙な選択肢だ。
どれを選んでも正解に見えるからこそ、迷ってしまう。
だが、ここは妹キャラの気持ちを尊重し、まずは努力を認めるべきだろう。
「よし、決めた!」
俺はマウスを握り、迷いなくクリックした。
その瞬間だった。
「お兄ちゃん、何してるの?」
「うおおおおおっ!?」
背後から突然聞こえた声に、俺は椅子ごと飛び上がりそうになった。
慌てて振り返る。
部屋の入口に立っていたのは、我が妹、美咲だった。
最近は読者モデルとしても活動している、我が家のちょっと自慢の妹である。
ただし、今この瞬間に限っては、俺の秘密を暴きかねない危険人物でもあった。
「み、美咲!? いつからそこにいた!?」
「今来たところだけど……。そんなに慌てて、何してたの?」
「な、何もしていない!」
「いや、パソコンの画面、見えてるんだけど」
美咲はジト目で隆司を見ている。
「これは研究資料だ!」
「妹キャラの?」
「創作物における人物描写の研究だ!」
「ふーん……」
美咲は画面をじっと眺めたあと、俺の顔を見た。
その目は、明らかに何かを面白がっている。
「お兄ちゃんって、ほんとにこういうの好きだよね」
「悪いか!」
「悪いなんて言ってないよ。隠そうとするから面白いんじゃん」
「お前、絶対にわかっていて言っているだろ!」
「あははっ!」
美咲は楽しそうに笑った。
……くそっ。妹という生き物は、どうしてこうも兄の弱点を見抜くのがうまいのだろうか。
「ところで、お兄ちゃん。今日、杏子先輩が来るんだよね?」
「ああ。今夜はうちに泊まって、明日の撮影に備える予定だ」
「やった! 楽しみ!」
美咲の表情が、ぱっと明るくなった。
明日は読者モデルの撮影日だ。
今回は秋服をテーマにしたファッション誌の企画で、美咲だけでなく杏子もモデルとして参加することになっている。
そして今日、杏子は美咲に譲るための洋服を持ってきてくれるのだ。
「杏子先輩のお古、どんな服だろうなあ。前に話してくれたときから、ずっと楽しみにしてたんだ!」
「そんなに楽しみなのか?」
「もちろん! 杏子先輩、服のセンスいいんだもん!」
「まあ、確かにな」
一条杏子。
生徒会副会長として俺を支えてくれる、頼りになる存在だ。
普段はしっかり者で、何かと俺に小言を言ってくることもあるが、面倒見がいいのは間違いない。服選びにもこだわりがあるらしく、今回も美咲に似合いそうな服を選んでくれたのだろう。
「お兄ちゃんも明日は付き添いで来るんでしょ?」
「ああ。荷物持ち兼、付き添いだな」
「じゃあ、明日はいっぱい写真撮ってね!」
「撮影スタッフがいるんだから、俺が撮る必要はないだろ」
「記念写真だよ、記念写真!」
「はいはい……記念って、撮影は2回目だろうが」
適当に返事をすると、美咲は満足そうに頷いた。
……明日は撮影。
そして、夏コミも目前。
俺の新刊だって、まだ最終確認が残っている。
考えれば考えるほど、やることが山積みだった。
平穏な一日になるとは、到底思えない。
もっとも、このときの俺は、翌日に待ち受ける騒動のことなど、まだ何ひとつ知らなかったのだ。
その日の夕方。
インターホンが鳴るや否や、美咲が真っ先に玄関へ駆けていった。
「はーい! あっ、杏子先輩!」
「こんばんは、美咲ちゃん。お邪魔するね」
「いらっしゃい! 待ってました!」
玄関に立っていたのは、杏子だった。
杏子は大きなバッグを二つ持っている。片方は宿泊用の荷物だろうが、もう片方は衣類が詰まっているらしく、かなり膨らんでいた。
「杏子先輩、それってもしかして……!」
「うん。美咲ちゃんに譲ろうと思って、昔着ていた服をいくつか持ってきたんだ」
「わあっ! ありがとう!」
美咲は嬉しそうにバッグを覗き込もうとした。
「ちょっと待って。ここで広げると大変だから、先にリビングへ運ぼうか」
「うん!」
そこへ、俺も玄関に顔を出した。
「おう、杏子。いらっしゃい。おもかっただろ?いえば迎えに行ったのに」
「大丈夫よ。隆司、今日はお世話になるね」
「気にするな。荷物、持とうか?」
「ありがとう。じゃあ、こっちをお願い」
俺は杏子から衣類の入ったバッグを受け取った。
「……結構入ってるな」
「美咲ちゃんに似合いそうなものを選んでいたら、思ったより多くなっちゃって」
「そんなにたくさん!?」
美咲が目を輝かせた。
「でも、全部あげるってわけじゃないよ。サイズが合うか、実際に着てみてから決めようね」
「うん! 大事に着る!」
その返事に、杏子も嬉しそうに微笑んだ。
こうして、杏子のお泊まり会が始まった。
「それじゃあ、ファッションショーを始めようか!」
リビングに衣類を並べ終えると、杏子が楽しそうに宣言した。
「ファッションショー!?」
「せっかくだから、いろいろ着てみようよ。美咲ちゃんに似合う服を探したいし、明日の撮影のポーズの参考にもなるからね」
「やったー!」
美咲はさっそく一着目の服を手に取った。
淡い色のブラウスに、チェック柄のスカート。
「まずはこれから!」
「うん。じゃあ、着替えてきて」
美咲が別室へ向かうと、杏子は残った服を一着ずつ確認し始めた。
「このカーディガンは、今でも十分使えると思うんだよね。こっちのワンピースも、色が落ち着いていて秋らしいし……」
「ずいぶん真剣だな」
「当然でしょ。美咲ちゃんにあげる服なんだから」
杏子は当たり前のように答えた。
「サイズが合わなかったら意味がないし、本人に似合うものを選んであげたいからね」
「なるほどな」
こういうところは、いかにも杏子らしい。
頼まれたことをきちんとこなすだけではなく、相手が喜ぶところまで考えて行動する。
生徒会の仕事でもそうだが、杏子は本当に面倒見がいい。
俺が感心していると、着替えを終えた美咲が戻ってきた。
「じゃーん! どうかな?」
淡いブラウスにチェック柄のスカート。そこへ薄手のカーディガンを合わせた、秋らしいコーディネートだった。
「わあ……!」
杏子の表情が明るくなる。
「すごく似合ってる! ブラウスの色もいいし、スカートの丈もちょうどいいね」
「本当!?」
「うん。美咲ちゃんの雰囲気にも合ってると思う」
「やったあ!」
美咲は鏡の前でくるりと回った。
「これ、もらってもいいの?」
「もちろん。気に入ったなら、ぜひ着てほしいな」
「ありがとう、杏子先輩!」
美咲は嬉しそうに杏子へ抱きついた。
「ちょ、ちょっと、美咲ちゃん! まだほかの服もあるんだから!」
「あはは、ごめん!」
その後もファッションショーは続いた。
二着目は、少しカジュアルなシャツとカーディガン。
三着目は、落ち着いた色合いのワンピース。
四着目は、柔らかなニットを取り入れた秋らしい組み合わせ。
美咲が着替えるたび、杏子は鏡の前で色合いや丈を確認し、アクセサリーや髪型まで考えてくれた。
「このワンピースなら、髪を少しまとめたほうがいいかも」
「じゃあ、杏子先輩にやってほしい!」
「いいよ。ちょっとじっとしていてね」
杏子は美咲の髪を整え、持ってきたヘアアクセサリーを合わせた。
鏡を見た美咲は、思わず声を上げた。
「すごい! いつもと全然違う!」
「服だけじゃなくて、髪型でも印象は変わるからね」
「杏子先輩って、本当にすごいね!」
「ふふっ。ありがとう」
そのとき、杏子がふと一着の服を取り出した。
「そうだ。これも試してみようかな」
「それは?」
「私が昔よく着ていたワンピース。美咲ちゃんに似合うかもしれないと思って持ってきたんだけど……」
杏子はワンピースを広げ、色やデザインを確かめた。
「ちょっと大人っぽいかな?」
「えー! そんなことないよ! 絶対似合うと思う!」
「そう?」
「うん! 杏子先輩も着てみて!」
「えっ、私も?」
「だって、どんな感じになるのか見てみたいもん!」
美咲に背中を押され、杏子は少し照れくさそうに笑った。
「じゃあ、ちょっとだけね」
しばらくして、杏子がリビングに戻ってきた。
落ち着いた色のワンピースが、杏子のすらりとした立ち姿によく似合っている。
「……どうかな?」
「わあっ! 杏子先輩、すっごく似合ってる!」
「本当? よかった」
美咲は杏子の周りをくるくる回りながら、楽しそうに感想を伝えている。
なるほど。
杏子が実際に着て見せることで、服の雰囲気や着こなしがよくわかる。
それに、明日は二人ともモデルとして撮影に参加するのだ。こうして互いの衣装を確認しておくのも、悪くない。
「隆司はどう思う?」
「えっ、俺!?」
突然話を振られ、俺は思わず背筋を伸ばした。
「この服、どうかな? 美咲ちゃんに譲るものとしても、悪くないと思うんだけど」
「そ、そうだな。落ち着いた感じで、いいんじゃないか」
「それだけ?」
美咲がにやにやしている。
「……似合ってると思うぞ、杏子」
「……っ」
杏子の頬が、ほんの少し赤くなった。
「そ、そう。ありがとう、隆司」
「お、おう」
……何だ、この妙な空気は。
美咲は俺と杏子の顔を交互に見て、楽しそうに笑った。
「ふふーん。なるほどねえ」
「美咲ちゃん?」
「な、何でもないよ!」
美咲は慌てて首を振った。
……嫌な予感しかしない。
その後も、二人のファッションショーはしばらく続いた。
美咲は気に入った服を丁寧に畳んで分け、杏子はサイズや状態を確認しながら、譲る服を整理していく。
やがて、リビングのソファには、きれいに畳まれた服が何着も並んだ。
「こんなにたくさん、本当にいいの?」
「もちろん。もう着なくなった服だけど、捨てるより美咲ちゃんに着てもらえたほうが嬉しいから」
「ありがとう、杏子先輩! 大切にするね!」
「うん。いっぱい着てあげて」
二人の笑顔を見ていると、俺まで少し嬉しくなった。
……まあ、俺の妹キャラ研究が発覚した件については、完全に忘れてほしいところだが。
ファッションショーがひと段落したころ、杏子は荷物を整理し始めた。
「うん! どれも大切にするね」
「気に入ってもらえてよかった」
その後、俺たちは夕食を済ませ、翌日の撮影に必要な荷物を確認した。
杏子と美咲は衣装の候補をまとめ、俺は撮影に持っていく荷物を運びやすいように整理する。
撮影の集合時間や持ち物も確認し、ひと通り準備が終わったころには、すっかり夜になっていた。
「じゃあ、私は先にお風呂を借りるね」
杏子が着替えを持って浴室へ向かった。
「うん! ごゆっくり、杏子先輩!」
美咲が手を振る。
俺はリビングで、明日の予定をもう一度確認していた。
撮影の集合時間。
持ち物。
移動手段。
そして、頭の片隅には夏コミの原稿のこともある。
「……忙しいな、ほんと」
思わず独り言が漏れた。
そのとき、ふと気づいた。
「あれ? タオル、どこに置いてあったっけ?」
俺は立ち上がり、廊下へ向かった。
家の中を探しても見当たらない。洗面所の棚を確認しようと浴室の前まで来たところで、扉が少し開いているのが見えた。
「杏子、タオル――」
ガチャッ。
「……え?」
そこにいたのは、着替えの途中だった杏子だった。
上半身はブラ姿。
杏子は手に持っていた服を取り落としかけ、目を見開いた。
「……りゅ、隆司!?」
「うわああああっ!?」
俺は反射的に後ろを向いた。
「す、すまん! 間違えた! タオルを探してただけなんだ!」
「な、何でノックしないのよっ!」
「いや、浴室にいると思って……! 扉が開いてたから、つい……!」
「つい、じゃないでしょっ!」
「本当にすまん! 今すぐ離れる!」
俺は顔を真っ赤にしながら、浴室から飛び退いた。
背後から、杏子の怒った声が飛んでくる。
「絶対にこっちを見ないでよ!」
「見てない! もう見てないから!」
「最初から見ないでって言ってるの!」
「はいっ!」
俺は廊下の壁に向かって直立した。
……何をやっているんだ、俺は。
しばらくして、浴室の扉が閉まる音がした。
少し間を置いてから、杏子の声が聞こえた。
「……隆司」
「は、はいっ!」
「タオルなら、洗面台の下にあるから」
「わ、わかった!」
「……あと」
「な、何だ?」
「今のこと、絶対に忘れて」
「忘れる! 今すぐ記憶から消去する!」
「本当に?」
「本当だ!ピンク色だったのも忘れる!」
「ピンクって!わざとじゃないから……いいけど」
声には、まだ恥ずかしさが残っていた。
俺は顔を上げられないまま、心の中で何度も謝った。
もちろん、わざとではない。
断じて、わざとではないのだ。
……それなのに。
杏子の赤くなった顔が、なぜか頭から離れない。
「……俺は何を考えているんだ!」
俺は自分の頬を軽く叩いた。
これは事故だ。
ただの事故。
そう自分に言い聞かせながら、俺はそそくさとリビングへ戻った。
その夜。
客間では、美咲と杏子が翌日の撮影について話していた。
「杏子先輩、明日の撮影、楽しみだね!」
「うん。美咲ちゃんと一緒に撮影できるなんて、私も楽しみだよ」
「でも、ちょっと緊張するなぁ」
「大丈夫。いつも通りにすればいいよ。私も一緒にいるから」
「……うん!」
美咲は安心したように笑った。
しばらく明日の衣装や撮影の話をしていたが、やがて美咲が少しだけ声を潜めた。
「ねえ、杏子先輩」
「ん? どうしたの?」
「さっき、お兄ちゃんと何かあった?」
「……っ!」
杏子の肩がぴくりと跳ねた。
「な、何でそう思うの?」
「だって、さっきからお兄ちゃん、杏子先輩と目を合わせないんだもん」
「そ、それは……!」
杏子は言葉に詰まった。
美咲はじっと杏子の顔を見つめ、それから何かを察したように目を丸くした。
「……もしかして、何かあった?」
「……美咲ちゃん」
「うん?」
「今日のことは、絶対に隆司には言わないでね」
「えっ? 何それ、気になる!」
「お願い!」
杏子は真剣な顔で頭を下げた。
美咲はしばらく杏子を見つめたあと、にっこり笑った。
「……わかった。聞かないでおくね!」
「ありがとう……」
杏子はほっと胸をなで下ろした。
しかし、美咲の頭の中では、すでにいくつもの想像が膨らみ始めていた。
お兄ちゃんが杏子先輩と目を合わせない。
杏子先輩も、どこか落ち着かない。
これは、何かあったに違いない。
もちろん、美咲は二人が本当に何をしていたのか知らない。
知らないからこそ、想像は自由だった。
――これは、明日の朝が楽しみになってきたかもしれない。
翌朝。
「おはよう、杏子先輩!」
「おはよう、美咲ちゃん。よく眠れた?」
「うん! 杏子先輩は?」
「……まあ、そこそこかな」
杏子は少しだけ俺の方を見たあと、すぐに視線をそらした。
「……?」
俺は首を傾げた。
昨日の件については、忘れると約束した。
だから、俺から話題にするつもりはない。
ないのだが……。
「隆司、朝ごはん、もうできてるよ」
「あ、ああ。ありがとう」
「……別に」
杏子は少しぎこちない様子で、テーブルに料理を並べた。
美咲はそんな俺たちを見て、口元を押さえて笑っている。
「……美咲、何笑ってるんだ?」
「ううん、何でもない!」
「絶対に何かあるだろ!」
「あははっ!」
朝食の席は、妙な緊張感と笑いに包まれていた。
食事を終えると、俺たちは撮影の準備を始めた。
「衣装はこれで大丈夫だね」
杏子がバッグの中を確認する。
「昨日選んだ服も、スタッフさんに見てもらおう。プロからの意見も大事だしな。まぁファッション誌に掲載する洋服は向こうで準備済みだろうけどな」
「うん!」
美咲は嬉しそうに頷いた。
「よし、それじゃあ出発するか」
俺が声をかけると、二人は元気よく返事をした。
こうして、撮影初日が始まった。
撮影スタジオに到着すると、そこにはすでに多くのスタッフが集まっていた。
照明機材、カメラ、衣装ラック。
普段はなかなか目にすることのない光景に、俺は思わず周囲を見回した。
「前も凄かったけど、今回の方が、なんか大掛かりですごいね……!」
美咲が目を輝かせる。
「うん。今日はよろしくお願いします、って感じだね」
杏子も少し緊張した様子で笑った。
受付を済ませると、スタッフが二人を衣装合わせへ案内した。
今回の撮影は、秋服をテーマにしたファッション誌の企画だ。
美咲と杏子がそれぞれ五パターンの衣装を着て、個人撮影と二人での撮影を行う予定になっている。
衣装は編集長が企画に合わせて選んだものが中心で、モデル側が自由に決めるわけではない。
杏子が持ってきたお古の服も、衣装担当のスタッフが確認してくれることになった。
「この服、状態もいいですね。色合いも今回のテーマに合いそうです」
「ありがとうございます。美咲ちゃんに譲ろうと思って持ってきたんです」
「それなら、着こなしとかスタッフに確認してアドバイスをもらうといいですよ」
スタッフの言葉に、美咲は嬉しそうに笑った。
「よかったね、美咲ちゃん」
「うん! 杏子先輩、本当にありがとう!」
「ふふっ。まだ撮影はこれからだよ」
やがて、衣装合わせが終わった。
「秋月美咲さん、一条杏子さん、準備ができました!」
スタッフの声が響く。
俺が振り返ると――。
「お待たせ、お兄ちゃん!」
そこには、いつもとは違う雰囲気の美咲が立っていた。
髪は丁寧に整えられ、メイクによって顔立ちが引き立っている。衣装もよく似合っていて、普段よりずっと大人びて見えた。
「……美咲?」
「何、その反応!」
「いや……その……」
言葉が出てこない。
毎日顔を合わせている妹だ。
成長していることだって、もちろん知っている。
それなのに、照明の下で笑う美咲は、いつもの姿とは少し違って見えた。
「お兄ちゃん、変じゃない?」
「変なわけあるか! すごく似合ってるぞ!」
「……本当?」
「ああ。びっくりしただけだ」
美咲は安心したように笑った。
「よかった!」
その直後、杏子も撮影スペースへやってきた。
落ち着いた秋色の衣装に身を包み、髪型も普段とは少し違う。
「隆司、どうかな?」
「……えっ?」
「衣装。変じゃない?」
「いや、変じゃない。よく似合ってる。お前は昔から何着ても似合うよな」
「……そっか。ありがとう」
杏子は頬をわずかに赤くした。
昨日の浴室での出来事が、俺の頭をよぎる。
――やめろ、思い出すな!
俺は慌てて視線をそらした。
「……隆司?」
「な、何でもない!」
「変なの」
杏子は不思議そうに首を傾げた。
撮影が始まると、二人は見事なモデルぶりを見せた。
美咲は明るく自然な笑顔でカメラに応え、杏子は落ち着いた表情と姿勢で衣装を引き立てる。
撮影スタッフの指示に合わせ、立ち方や目線、表情を少しずつ変えていく。
普段の学校生活では見られない二人の姿に、俺は改めて感心していた。
個人撮影が終わると、次は二人並んでの撮影だ。
「お二人とも、もう少し近づいてください!」
「こうですか?」
「はい、いいですね! では、そのまま笑顔をお願いします!」
カシャッ、カシャッ。
シャッター音がスタジオに響いた。
美咲と杏子が顔を見合わせて笑う。
その様子を見ていたスタッフが、嬉しそうに声を上げた。
「いいですね! お二人の雰囲気がとても自然です!」
撮影は順調に進んでいった。
衣装が変わるたびに、二人の印象も変わる。
編集長が選んだ秋らしいコーディネート。
今期の新作らしい。
美咲はその服を着るたびに、嬉しそうな表情を浮かべていた。
「この服、本当に気に入ったんだね」
休憩中、杏子が声をかける。
「美咲ちゃんは、ほんと緊張しないわよね~」
「2回目だけど、私は緊張するよ~」
二人は笑い合った。
俺は少し離れたところから、その光景を眺めていた。
……美咲も杏子も、楽しそうだ。
それが何よりだった。
ただ、俺の胸の奥には、さっきから小さなざわめきが残っていた。
美咲が成長していることを、改めて実感したからだろうか。
それとも、いつもとは違う姿を見たからだろうか。
自分でも、よくわからなかった。
「隆司?」
杏子の声で、俺は我に返った。
「どうしたの?」
「いや……美咲、いつの間にか大人っぽくなったなと思って」
「そうだね。私も昨日、服を着てもらってそう思ったよ」
「……そっか」
「でも、急に別人になるわけじゃないでしょ?」
杏子は優しく笑った。
「美咲ちゃんは美咲ちゃん。これからも、少しずつ変わっていくんだと思う」
「……そうだな」
俺は頷いた。
撮影の最後には、二人が並んで自然に笑う写真が撮られた。
カメラマンはモニターを確認し、満足そうに頷いた。
「最後の一枚、すごくいいですね。お二人の仲のよさが伝わってきます」
「本当ですか?」
美咲が嬉しそうに尋ねる。
「ええ。ぜひ候補に入れたい写真です」
杏子もモニターを覗き込み、笑顔になった。
「よかったね、美咲ちゃん」
「うん!」
こうして、撮影初日は無事に終了した。
帰宅した俺は、荷物を置くなり自室へ向かった。
今日の撮影は無事に終わった。
美咲も杏子も楽しそうだったし、撮影の出来もよかったらしい。
これで一段落――。
……とは、いかなかった。
ガチャッ。
「おかえり、隆司くん!」
「運命の帰還……! ついに主人公が聖域へ戻った!」
「……は?」
部屋の中にいたのは、三紀子と詩織だった。
しかも二人とも、俺の机の周りを堂々と物色している。
「お前ら、何してんだああああっ!?」
「何って、夏コミの準備よ!」
三紀子は悪びれもせずに答えた。
「準備なら連絡してから来い!」
「連絡したら、隆司くんが部屋を片づけて、創作の秘密を隠してしまうかもしれないでしょ?だから詩織ちゃんと話して隆司くんの家に行くことにしたの。そしたら、お母さんが、時期に戻るからってお部屋に案内してくれたのぉ~」
「俺は何の容疑者なんだよ!」
「安心して! 秘密は守るから!」
詩織が胸を張る。
「お前らに秘密を知られたくないんだよ!」
「まあまあ。それより、これを見て!」
詩織がスケッチブックを掲げた。
そこには、剣道着姿の俺と蓮司が、夕日に染まる道場で向かい合っているイラストが描かれていた。
竹刀を握る蓮司の真剣な眼差し。
それを真正面から受け止める俺。
そして、背景にはなぜか舞い散る桜の花びら。
季節感まで無視した、妙に力の入った一枚だった。
その上には、やたらと大きな文字でタイトルが書かれている。
『宿命の剣士たち――交わる刃、揺れる心』
「何を描いてるんだ、お前は!?」
「隆司×蓮司! 魂の交差点!」
「剣道を通じて深まる友情……いや、これはもはや運命!」
三紀子が両手を広げた。
「友情を勝手に別のものへ変換するな!」
「違うの、隆司くん。私たちは二人の関係性に秘められた可能性を探究しているだけなの!」
「その探究を俺の部屋でするな!」
詩織がさらにページをめくった。
次のページには、俺と蓮司を中心に、杏子まで加わった構図が描かれていた。
杏子は腕を組んでこちらを見つめ、俺と蓮司は互いに視線を交わしている。
そして、なぜか三人の頭上には、複雑に絡み合った矢印が何本も描かれていた。
「そして、ここで新たな登場人物が加わる……!」
「杏子を巻き込むな!」
「だって、ここに恋愛感情が絡めば、関係性がさらに複雑になるじゃない!」
「複雑にしなくていい!」
「さらに美咲ちゃんが兄の秘密を知り、物語は新たなる覚醒へ――!」
「美咲まで巻き込むな! 勝手に話を広げるな!」
俺は頭を抱えた。
こいつらにとって、俺の部屋は妄想を膨らませるための研究施設か何かなのか。
「……それで、何しに来たんだっけ?」
ようやく本題を尋ねると、三紀子は真面目な顔に戻った。
「昨日の夜に連絡してくれたじゃない。夏コミの打ち合わせと準備よ。新刊の印刷が終わったって連絡があったから、頒布計画を確認しに来たの」
「だったら最初からそう言え!」
「隆司くんの新刊も届く予定なんでしょ?」
「ああ。今日か明日には届くはずだ」
「なら、ちょうどいいわね。サークル名も決めておきたいし」
「……サークル名?」
俺は嫌な予感を覚えた。
そういえば、自分のサークル名もまだ確定していない。
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
ピンポーン。
「……誰だ?」
廊下へ出ると、宅配業者が大きな段ボール箱をいくつも抱えて立っていた。
「お届け物です。こちらにお名前をお願いします」
「あ、はい」
送り状を確認した瞬間、俺は目を見開いた。
「……来た!」
ついに、夏コミに向けて注文していた新刊が届いたのだ。
荷物を受け取り、自室へ運ぶと、三紀子と詩織が歓声を上げた。
「ついに来たのね!」
「我らの創作の結晶が……!」
段ボールを開けると、真新しい本がぎっしりと詰まっていた。
「うわああっ! 本になってる!」
詩織が本を一冊手に取り、表紙を眺めた。
「印刷も綺麗だし、これなら夏コミでも目立つわね!」
三紀子も自分たちの新刊を手に取り、満足そうに頷いた。
そんな二人を横目に、俺はもうひとつの段ボール箱に目を向けた。
「そういえば、こっちは合作CG集のジャケットだったな」
「えっ、ジャケットまで印刷してもらったの!?」
三紀子が勢いよく振り返った。
「ああ。CD-R本体はこれから俺のパソコンで焼くけど、ジャケットは先に印刷会社へ注文しておいたんだ。全部で500枚だな」
段ボールの蓋を開けると、綺麗に印刷されたジャケットが束になって詰め込まれていた。
「ご、500枚……! 私のイラストが、500枚分のジャケットになって世に出るのね……!」
三紀子はジャケットを一枚手に取り、うっとりと眺めた。
「ふふふ……これはもう、単なる合作CG集ではないわ。隆司くんと私の才能が融合した、創作界への宣戦布告よ!」
「いや、普通に合作CG集だからな?」
「謙遜しないで、隆司くん! このジャケット一枚一枚に、私たちの魂が宿っているのよ!」
「それ、500枚全部に宿ってたら大変なことになるぞ……」
「大丈夫! 魂が500倍になれば、布教力も500倍よ!」
「その計算はどこから来たんだ……」
詩織が横からジャケットを覗き込んだ。
「ねえねえ、三紀子。これ、私たちのBL同人誌の表紙と並べて置いたら、すっごく映えそうじゃない?」
「待って、詩織! 私たちのCG集は健全な合作作品なの! そこに禁断の関係性を混ぜないで!」
「えー? でも、創作にジャンルの壁なんてないんじゃない?」
「あるわよ!」
俺は二人のやり取りを聞きながら、ジャケットの束を箱に戻した。
新刊に、CG集のジャケット500枚。あとはCD-Rを一枚ずつ焼いて、ケースに収めていく作業が待っている。
……夏コミが始まる前から、俺の部屋はすでに戦場と化していた。
詩織が本を一冊手に取り、表紙を眺めた。
「この紙の手触り……! この表紙……! これが我らの創作の証……!」
「データが本になっただけで、そこまで感動するか?」
「するわよ! 自分の作品が形になる瞬間は特別なんだから!」
三紀子も嬉しそうに頷いた。
今回、三紀子と詩織のサークルが用意した新刊は、合計550部。
そのうち50部は、知り合いのサークルとの新刊交換や献本用。残る500部をイベントで頒布する予定だという。
「500部か。なかなか気合いが入ってるな」
「当然よ! 我らの研究成果を待ち望む同志が、きっと全国にいるのだから!」
「その同志の大半は、お前らの妄想に巻き込まれる人たちじゃないのか?」
「同志とは、そういうものよ!」
「どんな理屈だ!」
一方、俺の新刊も別の箱に入って届いていた。
こちらは合計1000部。
イベントでの頒布分に加え、知り合いへの献本や新刊交換用の分も含めた数だ。
「1000部……」
積み上がった本を見て、俺は思わず息を吐いた。
自分で決めた部数とはいえ、目の前に並ぶと、なかなかの迫力である。
「隆司くんの本、今回も1000部なのね」
「ああ。交換用や知り合いに渡す分も含めてな」
「ふふふ……。妹への愛を詰め込んだ作品が、1000冊も世に放たれる……」
「その言い方をやめろ!」
「妹という尊き存在を守るための物語……。これはもう、使命ね!」
「勝手に使命にするな!」
俺は段ボールの蓋を閉めた。
ともかく、これで新刊の準備はひとつ進んだ。
残るはサークル名、設営、ポスター、そして当日の頒布計画だ。
「ところで、隆司くん」
三紀子が妙な笑みを浮かべた。
「今回のサークル名、何にするの?」
「……あ」
しまった。
その話をするのを忘れていた。
「サークル名?」
俺は腕を組んで考えた。
「一応、候補はある」
「ほう! 聞かせて!」
三紀子と詩織が、ぐいっと身を乗り出してきた。
「……『妹属性は世界を救う』」
沈黙。
数秒後。
「ぶっ……!」
三紀子が吹き出した。
「ちょっと待って! 何その名前! 直球すぎるでしょ!」
「いいじゃないか! わかりやすいだろ!」
「わかりやすいにも限度があるわよ!」
詩織は腹を抱えて笑っていた。
「妹属性は世界を救う……! サークル名だけで、すでに主人公の属性が全部わかるよ!」
「笑うな!」
「でも、覚えやすいのは確かね」
三紀子が少し考え込んだ。
「ただ、もう少し洗練させる余地はあると思うわ」
「……結局ダメ出しじゃないか」
「それより、私たちのサークル名も決めないとね!」
詩織が机の上に一枚の紙を置いた。
そこには、いくつもの候補が書かれていた。
『禁断の関係性観測所』
『運命の推しを見守る会』
『覚醒せし尊みの祭壇』
『推しの関係性に人生を捧ぐ者たち』
「……お前ら、どれも大概だな」
「失礼ね! どれも真剣に考えたのよ!」
「真剣に考えてこれなのか……」
俺は額を押さえた。
すると詩織が、突然両手を打ち合わせた。
「決めた!」
「おっ、何にしたんだ?」
「『その距離、あと三センチ! 推しの関係性研究所』!」
「なんの三センチだ?と突っ込みたいところだが……長い!」
「略して『そのさん』!」
「略称は悪くないけど、元の名前が長すぎるだろ!」
「長さもまた、我らの愛の深さを表しているのよ!」
三紀子が胸を張った。
「その距離、あと三センチ! 推しの関係性研究所……。うん、いいじゃない。私たちらしいわ」
「三紀子まで納得するな!」
「これで決まりね!」
「決まりなんだ……」
俺は遠い目をした。
こうして、三紀子と詩織のサークル名は決まった。
――その距離、あと三センチ! 推しの関係性研究所。
略して、そのさん。
……会場でこの名前を見かけた人は、いったいどんなサークルだと思うのだろうか。
少なくとも、健全な研究をしているとは思われない気がする。
「そうだ! 当日の売り子の服装も決めないと!」
詩織が勢いよく立ち上がった。
「服装?」
「そう! サークルの知名度を上げるためには、見た目のインパクトも重要なの!」
「まあ、確かに目を引く工夫は必要だろうけど……」
「だから私、スク水で売り子をする!」
「却下!」
俺は即答した。
「えええっ!? まだ説明も終わってないのに!」
「説明を聞くまでもない! 却下だ!」
「でも、絶対に目立つよ!?」
「目立てばいいってものじゃないだろ!それに露出はNGなんだよっ」
「じゃあ、体操服は?」
「却下!」
「メイド服は?」
「……それなら、普通に衣装の範囲だな」
「よし! じゃあメイド服にスク水を組み合わせて――」
「組み合わせるなあああっ!」
俺のツッコミが部屋に響き渡った。
三紀子は笑いをこらえながら、詩織の肩を叩いた。
「詩織、まずはイベントのルールを確認するのが先よ」
「はっ……! そうだった! 我らはルールを守る創作者!」
「いや、お前の場合、まず俺の話を聞くことから始めてくれ」
「隆司くん、安心して! スク水案は、まだ心の中で温めておくから!」
「温めるな! 今すぐ冷凍庫に入れろ!」
「冷凍庫……。つまり、夏コミが終わるまで封印ということね!」
「そういう意味じゃない!」
……この二人といると、会話が一生終わらない。
俺は深くため息をついた。
その後、俺たちは当日の設営について話し合った。
机の配置。
新刊の置き方。
お品書き。
値札。
そして、サークルの存在を知らせるためのポスター。
「ポスターは、少し高い位置に掲げたいわね」
三紀子が言った。
「遠くからでもサークル名が見えるようにしたいの。もちろん、通路を妨げない範囲でね」
「それなら、厚めのベニヤ板に貼って、木材で支えを作るのはどうだ?」
俺が提案すると、三紀子は頷いた。
「いいと思う。倒れないように固定して、設置できる高さや大きさは会場の規定に合わせましょう」
「もちろん。通路にはみ出したり、隣のサークルの迷惑になったりするのは論外だからな」
「そうそう。目立つことと、ルールを守ることは両立できるもの!」
詩織が珍しく真面目な顔で頷いた。
「よし、詩織ちゃんが描いてくれたポスターのデザインなら目立つこと間違いなしだよ!」
「ああ、詩織の描いたのはマジで良かったからな。さっき届けられた荷物の中にポスターはいってたろ?それにサークル名と値段を書けば完成だ」
「サークル名を中心にして、ちゃんと見やすいデザインにするよ!」
「まあ……詩織の腕なら大丈夫だろう」
「もちろん! ただし、隅っこに小さく隆司×蓮司のシルエットを――」
「入れるな!」
「ちぇーっ!」
詩織は不満そうに頬を膨らませた。
結局、ポスターはサークル名を大きく表示し、遠くからでも読めるようにする方針に決まった。
設営に使うベニヤ板と木材は、俺が寸法を確認して準備する。
三紀子と詩織は、ポスターのデザインとお品書きの作成を進める。
これで、当日の準備も少しずつ形になってきた。
……少しずつ、ではあるが。
「ところで隆司くん」
「今度は何だ?」
「新刊の表紙、もう一度見せてくれない?」
「さっき見ただろ!」
「何度見ても尊いものは尊いのよ!」
「その理屈で全部押し切ろうとするな!」
俺の夏コミ準備は、まだまだ終わりそうになかった。
夕方になり、三紀子と詩織が帰り支度を始めたころ。
杏子と美咲はリビングで、昨日のファッションショーの話をしていた。
「杏子先輩、昨日は本当にありがとう! 服、大切に着るね!」
「うん。気に入ってもらえてよかった」
「それに、今日の撮影もすごく楽しかった!」
「私も。美咲ちゃんと一緒に撮影できて、いい思い出になったよ」
二人は笑い合った。
その様子を見て、俺も自然と笑顔になった。
杏子は美咲のために服を持ってきてくれた。
そして、撮影の準備から当日のモデルまで、一緒に楽しんでくれた。
美咲にとっても、きっと忘れられない二日間になっただろう。
「じゃあ、私はそろそろ帰るね」
杏子がバッグを持ち上げた。
「荷物貸せよ。駅まで送る」
「ありがとう、隆司」
「三紀子と詩織もいくぞ~」
二人は返事をして玄関まで来た。
俺は玄関で靴を履き、三紀子に詩織に杏子と三人一緒に家を出た。
外は夕焼けに染まっていた。
住宅街を抜ける道には、夕方の風が吹いている。
しばらく三紀子と詩織は少し後ろをるきながらブツブツよからぬことを話しているがで聞こえないふりをした。
隆司と杏子は並んで歩いたあと、隆司は口を開いた。
「今日はありがとな、杏子」
「え? 急にどうしたの?」
「いや、美咲の服を選んでくれただろ。撮影も一緒に出てくれたし。美咲もすごく喜んでた」
「そんなの、気にしなくていいのに」
「それでもだ。助かったよ」
杏子は少し照れたように笑った。
「なら、よかった。私も美咲ちゃんが楽しそうで嬉しかったから」
「……杏子って、面倒見がいいよな」
「何よ、急に」
「いや、改めてそう思っただけだ」
「……もう。隆司って、たまに変なところで素直なんだから」
杏子は顔を背けた。
そして、駅が見えてきたところで、俺はふと思ったことを口にした。
「これからも、頼りにしてるぞ。杏子」
「……えっ?」
杏子の足が止まった。
「な、何よ、急に……」
「いや、思ったことを言っただけだ。杏子がいてくれると助かるし、安心するんだよ」
「……っ」
杏子の頬が、みるみる赤くなっていった。
「そ、そういうこと、さらっと言わないでよ……!」
「え? 何か変なこと言ったか?」
「……もう、隆司の鈍感!」
杏子はぷいっと顔を背けた。
……なぜだ。
俺はただ、感謝の気持ちを伝えただけなのに。
「じゃ、じゃあ、私はここで。また明日ね!」
「ああ。またな、杏子」
「うん……またね」
杏子は小さく手を振り、駅の方へ歩いていった。
その背中を見送りながら、俺は首を傾げた。
……女の子というのは、時々よくわからない。
「お前らもさっさと帰れ」
まだブツブツ二人で話しているが渋々帰っていった。
家に戻ると、美咲がリビングで撮影の写真を確認していた。
「お兄ちゃん、おかえり!」
「ただいま。写真、もう見られるのか?」
「うん! スタッフさんが確認用に何枚か送ってくれたの!」
美咲が画面をこちらに向けた。
そこには、今日撮影した写真が何枚か並んでいた。
どれもきれいに撮れている。
衣装もよく似合っているし、表情も自然だ。
「すごいな。どれもいい写真じゃないか」
「でしょ? でもね、スタッフさんが一番気に入ったのは、最後の写真なんだって」
「最後?」
美咲が画面を切り替えた。
そこに映っていたのは、撮影の最後に撮られた一枚。
カメラを意識せず、こちらを見て笑っていた美咲の姿だった。
「この写真、すごく自然な笑顔が出てるって。私、自分では全然気づかなかったんだけどね」
「……そうか」
俺は写真を見つめた。
その笑顔は、確かにいつもの美咲らしい。
けれど、スタジオの照明の下で見たときと同じように、少しだけ大人びても見えた。
「お兄ちゃん?」
「……いや、何でもない。いい写真だと思うぞ」
「えへへ。ありがとう!」
美咲は嬉しそうに笑った。
そして、何気ない調子で付け加えた。
「ちなみに、この写真を撮ったとき、私、お兄ちゃんのこと考えてたんだよね」
「……は?」
「だって、お兄ちゃんがすごくびっくりした顔をしてたから、なんだかおかしくなっちゃって!」
「あ、ああ……そういうことか」
俺は胸をなで下ろした。
……いや、何を安心しているんだ、俺は。
美咲は写真をもう一度眺めると、満足そうに頷いた。
「これ、いつか大きく印刷して飾りたいなあ」
「待て待て待て! 何で俺が写ってない写真を、俺の部屋に飾る話になるんだ!」
「あはははっ! 冗談だよ!」
美咲は楽しそうに笑った。
俺も、つられて苦笑した。
……本当に、こいつには敵わない。
明日は明日で、また何か騒ぎが起きるのだろう。
夏コミの準備も、原稿の最終確認も、まだ残っている。
そして、今日の撮影で感じたあの不思議な気持ちも、俺の中に残ったままだ。
何なのかは、まだわからない。
わからないけれど――。
夏休みは、まだ始まってもいない。
それなのに、俺の周囲はすでに大騒ぎだった。
――夏コミまで、あと少し。
俺たちの夏は、まだまだこれからだった。




