30
文字と思い出
ワンピースがとりあえず形になり、ウエストを絞るのにサッシュベルトにするかリボンを縫い付けてしまうか悩んでいる時だった。
ふわん、といい匂いが鼻をくすぐって、思わず顔が上がる。
同時に
「織葉さーん、ご飯できたよー。食べよー」
明るい声が響いて、ティンが手元を覗き込んできた。
「え、もう完成したの?」
「形になっただけで、完成ではないかな。基本的に直線縫いだけだから、早いのは早かったね。襟ぐりの始末に時間かかっちゃった」
「こんな手の込んだことしててこの時間で縫いあがってるんだから、充分すごいと思うけど」
まぁ、曲がりなりにも手縫いだしね。でもたかだか1m程度の直線縫いが4本、あとは裾と襟ぐりの纏り縫いだけだもの。そんなにすごいことでもないと思うんだ。
「いただきます」
「はいどうぞー」
ほかほかの白いご飯に、イノシシ肉と野菜の炒め物と、ポテトポタージュ。日本でのいつもの食卓っぽいけど、野菜炒めのピーマンもどきが紫色であるがゆえに若干見た目が怖い。だけど肉厚でやや甘みがあって、パプリカみたいだ。
「美味しい」
「よかったー」
不安そうにじっとわたしを見つめていたティンの表情が緩む。
「あのね、ルチルさんがデザート作ってくれたんだ。お楽しみに」
「え?!」
「我は女神のお茶係であった故」
珍しく、少し誇らしげに胸を張るルチル。
い、意外と言っちゃいけないのかもしれないけど、意外な特技……。
「意外と思っておられるか」
「……ごめん、実は思ってる」
「ルチルさんかなりの上級天使だったから、イアル様の侍従みたいなチームに居たんだよね。だから僕みたいな下っ端よりいろんなことできるはず」
「ティン、持ち上げても何も出ない」
「そんなつもりじゃないよ。身分が高い女性って、侍女とか侍従がついてるものでしょ? 織葉さんが街に出る時に、そういう設定使ったとしても問題ないね、って言いたいだけ。僕は護衛にはなれても侍従なんて無理だもん」
「……それ本気で言ってる?」
「織葉さんに演技とか求めてないから大丈夫。それに、身分が高い女性だからってみんながみんなお淑やかではないと思うんだ」
跳ねっ返りはどこにでも居ると?
「そういうこと」
「織葉殿は黙っていれば大丈夫だと思うのだが」
「それ酷くない?」
じとりと睨むと、困ったように眉を寄せるルチル。
「馬鹿にしているのではなく……」
一生懸命に言葉を探しているので、さすがに不憫になった。
「言いたいことは、一応わかってるから大丈夫。客観的に見て、この外見だけなら、どこのお嬢様だと思わなくもないからね」
隙あらば言うけど、女神様の趣味だからね!!
若干不貞腐れながら食べ進めていると、何度か首を傾げるようにして居たシディルさんがゆっくりと口を開いた。
「……オルハ様。少し気になることがあるのですが」
何だろう。シディルさんにそんなこと言われたらすごい不安になるんだけど。
「なんでしょうか」
「あの、自分とオルハ様方とで、お名前の発音が違うように感じるのですが……」
確かにそうなんだけど、それは実はわたしも少し違う所で引っかかってた。
「それ、ね。ティンやルチルはともかく、なんでトライン様も『織葉』って発音できるんですか?」
「そうそれです。その発音」
「ええと、はい。ちょっと待ってくださいね、食べてしまいます」
「あ、すみません」
「いいえ」
待たせてるのは気になるけど、だからと言って、中断するのも慌てて食べるのもできないわたし。
一生懸命もぐもぐと口を動かす。
「シディル殿、お茶を」
「ありがとうございます」
うん、ルチルって本当に執事とかできそう。そもそも女神様の侍従やってたって言ったっけ。てことはあの執事っぽい衣装も、さほど間違いではなかったとか?
……ま、いっか。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
「美味しかったよ」
「よかった。こっちのご飯も普通に炊いて美味しいのが助かったね」
「うん。これで魚が美味しく食べられる」
「あとは大根おろしがあれば完璧?」
「それだと醤油が欲しくなるから、むしろ今は無くていい」
「ああ、そっか。そうすると次の目標は調味料かぁ」
「ま、おいおいね」
元日本人としては、異世界だというのに、白いほかほかご飯が食べられるだけでも御の字です。
「織葉殿、ひとまずお茶を。デザートは少し後の方がいいか?」
「うん。今は結構お腹いっぱいだから、少し話してからでもいい?」
「わかった」
なんでわかったんだろう。
出来るルチルに内心ビビりつつ差し出されたお茶を一口啜って、シディルさんに向き直った。
「お待たせしました。発音の事でしたよね」
「ええ」
「あのですね、たぶんだけれど……」
メモ用紙に『織葉』と『オルハ』と書いて見せる。ちなみに『オルハ』の方はこちらの文字だけれど、『織葉』は当然漢字だ。
「オルハ様のお名前ですね。……この図形は?」
図形……。そう来るか。
「わたしの名前は、正しくはこう書きます。わたしのいた国の周辺のみで使われている、漢字という文字で書いてあるんですけど」
細かいこと言えば中国語圏とはまた違うんだけど、そこまで言わなくてもよかろうし、今は割愛。
「この図形のようなものが、文字ですか」
漢字にふりがなを振るように仮名文字で『おるは』『オルハ』と並べて書く。
「これもわたしの名前。わたしの暮らしていた国の文字です」
シディルさんの目が大きく見開かれた。
そしてひらがな、カタカナは表音文字で一文字で一音を表し、濁音半濁音拗音などを合わせても100音程度であることなどを話す。
「では、こちらは?」
「漢字はですね……」
姿形を表したり様子・状態を表したり、とにかく文字そのものに意味があるもので、種類は数万単位に及ぶことなどを説明する。
「オルハ様の国の人々は、皆が学者なのですか?」
「いやいや、まさか。同じ字でも読み方が違ったり、逆に同じ音に当てはまる字が複数あったりというのが当たり前なので、習熟するのは並大抵のじゃありません。現在使われている漢字の全てを読み書きできるなんて人、まずいないんじゃないですかね。日常生活で使う基本的な文字の読み書きさえできれば、生きてくのに問題はないですしね。誰もが9年間は学校に行きますから、その間に簡単な物から少しづつ教わっていくんです」
「えっ?」
「義務教育と言いまして、6歳から15歳までの9年間は、学校に『通わないと』いけないんですよ。まぁ、今は殆どの子供が更に3年間、その上の学校に通いますけど」
「働く子供は……」
「義務教育期間に働くことは国の法で許されていません。13歳から上は、極々一部の仕事をすることができますが、それも特殊事情というものですし、家業の手伝いなんかはまた別の話ですけど、それでも学校が優先です」
「なんと……。では、では……!」
お、学者魂に火がついたな。普段穏やかな瞳がきらきらしてる。というか、奥の方に微かに金色の光が見えるような気がする……?
目を瞬かせると、ハッとしたように身を引いた。
「失礼しました」
あ、しまった。引いてるって思われた。
「大丈夫ですよ。シディルさんって不思議な瞳の色してますね」
「……は?」
きょとん、と瞬いたその顔は、どこか幼く見える。
「今ね、奥の方に金色っぽいのが見えた気がしたんです。それでちょっとびっくりしてしまって」
「……は、ぁ」
あ、完全に固まってる。ていうか、なんか気まずそう? なんでだろ。
「織葉殿、シディル殿、お茶のお代わりはいかがか」
その声で、シディルさんが再起動した。
……ルチル、あんたどこまで出来る子なの。
慄きつつも仕切りなおすつもりで、カップをルチルに差し出す。
「貰っていい? ……ごめんなさい、脱線しちゃいましたね。ええとどこまで話したっけ」
「学校の話です。こちらには学園というものがございますが、ほぼ富裕層にのみ門戸を開いているものです」
「一般市民は?」
「ほぼ居りません。居るのはごく一部の……特殊な才能を開花させたなど、限られた者のみです。そもそも王都以外では、余程大きな都市でないと学園すらありません。稀に司祭などが勉強を教えていることもあるようですが、全ての街ではありませんし、子供達も生活の為に働く方が優先ですから」
やっぱりかぁ。
日本でいうところの、寺子屋とかそんな感じかな。てことは、学校に関しての文化レベルはその程度ってことか。
「日本も遥か昔はそうだったんですけどね。わたしが生きた時代にはもう義務教育がいきわたってましたねぇ」
「素晴らしい……」
「そうかもしれませんね」
馴染めなくて、ドロップアウトしちゃう子もいないわけではないのだけれど。
「せっかく学べるのに、ですか?」
「学ぶことよりも、自分の心を守る方が大切でしょう?」
「……どういう意味ですか?」
「集団生活に馴染めない子もいるし、それで弾き出されてしまう子もいるんですよ」
「身分が上の者からというのはよく聞くものですが、オルハ様の国には、身分がないとおっしゃっていませんでしたか?」
「はい、明確な身分と言うものはありませんし、学校内では特に、皆が平等であるという建前はあるんですけどね。それでも、人を傷つけてでも上に立ちたい輩というのは、どこにでも居るものです」
今でも、忘れられない子がいる。
おとなしくて引っ込み思案だけれども、笑顔の可愛い女の子。小さい怪我が多い子だな、と思っていた。自分でも『鈍臭いんです』と笑っていた。いつしか怪我が大きくなっていって、笑顔が少なくなって、あまり来なくなって。
そうして、ある日突然届けられた訃報。
わたしのところには、半ば逃げて来ていたのだと気付いたのは、その時だった。
「きっと、学ぶことが当たり前になり過ぎて、それがどれほど恵まれたことなのか、気付いてないんでしょうね。だからくだらないことに拘って、他を陥れることに腐心する」
胸の奥が、ツキンと痛む。
「オルハ様?」
「……人間と言うのは、どの世界でもあまり変わらないみたいだね」
そんな声と共に、温かな腕に、ふわ、と包み込まれた。
「主?」
「虐げる者、虐げられる者。私から見れば、そこに何の違いがあるのかもわからないのに」
「トライン様……」
優しく頭を撫でられて、不自然に固くなっていた体から力が抜ける。それでも苦い思い出に歪んだ顔は強張ったままで、だから、いつものように口角を上げた。
「大丈夫です。ちょっと思い出しちゃっただけ」
雪花すらまだ居なかったくらい昔の話だ。どれほど悔もうと、今更どうしようもない。なのに、今も忘れることができないんだ。
「君は優しいね」
とんでもない。往生際が悪いだけ。
ゆるりと頭を振って、背中を温めてくれているトライン様に凭れかかった。
「わたしね、変なところで記憶力がいいんです。それだけですよ」
確かにその子は特に鮮明な記憶として残っている。でも、その子しか覚えていないわけじゃない。『忘れられない』のと『覚えている』のは似て非なる物だ。
「……この漢字って、文字に意味があるんだよね。君の名前はどういう意味なの?」
凭れかかるわたしの頭をゆっくりと撫で続けていたトライン様が、手を止めることなく問いかけてきた。
「わたしの名前は、『様々な経験』を『重ねて』豊かな人生を送れるように、という願いを込めて、父が付けたそうです」
指先で、メモに書いた文字をなぞる。母が教えてくれた、名前の由来。
……父さん、母さん。豊かな人生になるかはわからないけれど、そうそうできない経験をしているよ。
「どの国でもどの世界でも、親は祈りや願いを込めて名付けるでしょう。日本ではさらに、使う文字に想いを託すことができるんです」
表意文字である漢字だからこそできることだ。ちなみに雪花は背中に雪の結晶のような模様があったから、そこから名付けた。
「名前の通りになったね」
「どうでしょうねぇ」
「少なくとも君は、人より多くの人生を歩むことができるでしょ? イアルの世界と、私の世界と。豊かになるかどうかは君次第だけどね」
「……そうですね」
少なくとも今までだってつまらない人生ではなかったし、最期に素晴らしい人生だったと胸を張れるように生きていきたいとは思う。
人生には終わりがあるから、愛する人に愛されてるかどうかというのが一番大切だ、って歌があったっけ。
それでいえば、大切なことはクリアしてるんだから、後はどれだけ自分が楽しめるかどうかにかかってるのかもしれない。となるとやっぱり早急に街へ行くのを算段しなくちゃ。
「文字そのものが意味を持つのだとしたら、新しい文字を作ることもできそうですね」
ふいにシディルさんが呟いた。
「ああ、そういうコンテストみたいなものも開催されていましたね。結構『なるほど』って思わされるものがあったりして面白かったんですよ」
「へぇ……」
「もっとも漢字を使う国は少ないんですけどね。仮名文字は日本独自のものですし」
「では他にも文字があるのですか?」
「えーと……。まずアルファベットでしょ。ギリシア、アラビック、ハングル、ロシアン……。他にもアルファベット主体だけど独自の修飾文字がある言語もありますし、わたし達でもただの記号にしか見えないのもありますね」
その言語圏の方からすれば、漢字も仮名文字も記号になるのだろうけど。
「随分と沢山あるのですね」
「さほど詳しいわけじゃないわたしがこれだけ思いつくんだから、かなり多いかと。だからこっちの言語が1種類でホントに助かりました」
「イアルに読み書きは不自由無いようにしてもらったんでしょう?」
「だから、この世界の全ての言語をマスターしてるとかおかしいでしょう」
「そう、かな?」
「向こうの世界では、学者や研究者でさえ、全ての言語をマスターしている人なんて居ません。それなのにこんな一般人がフルマスターだなんて、おかしいなんてレベルじゃないです」
いやホント、単一言語でよかったと思う。まぁ、もし地球みたいに複数言語だったら一番主要な共通語みたいなのだけにしようと思ってたけど。
「ええと、だから、発音が微妙に違うって言うのは仕方がないんですよ。向こうでも他国人の名前を滑らかに発音するのは難しいものだったんですから」
「ですが……」
「むしろわたしはトライン様がなぜ『織葉』って発音できるのかが不思議です」
なぜか食い下がってきそうなシディルさんを制するために、少々強引に話の矛先を振る。
「ん?」
矛先の向かった先。トライン様に、きょとん、と見返された。
え、なんでそんなに不思議そうな顔?
「だって名前は魂に刻まれるものなんだよ? それを直接読み取ってるんだから、ちゃんと呼べないとおかしいでしょう」
いや読み取ってるのと発音するのとはまた別だと思うんだけど?
「名前は最も短い呪。つまり、魔法の起動句にもなってるんだ。私はその呪に強制力を上乗せすることもできるんだから、正しく発音できないと」
ええと……。そういえば英語話せない日本人でも英語歌詞の歌は歌うな。『歌詞』だから、意味わかってなくてもその発音そのリズムで覚えるだけって。それと同じと考えればいいのかな。
「じゃあ、納得、かも」
「でしょ?」
にっこりと子供のような無邪気な顔で笑うから、つられて口元が緩む。
すると
「ああ良いね、その表情」
「え?」
「自然なやわらかい笑顔。いつもそんな表情で居て欲しいね」
嬉しそうに優しく笑うトライン様。
ていうか……
「わたしを何だと思ってるんですか?」
「君、たぶんわかってないと思うけど、あんまり表情動いてないからね?」
なんですと?
「無表情キャラではなかったはずなんですが」
「そうなの?」
「僕が知る限り、織葉さんはむしろ表情豊かな方ですよ。だから僕、こっち来たショックがこういう方向に出たのかと思ってました」
「ティンは気付いてたの?」
「僕はね。織葉さん本人も気付いてないみたいだから、様子見て、1ヶ月経っても変わらないようなら、みんなに相談しようと思ってた」
「……そうなんだ」
「グローシュが来てから、少し緩んだから大丈夫かなって思ったけど」
なんていうか、うちの子たちは、ふたり揃ってなんて出来た子達なんだろう。
「元々織葉さんて整った顔してたから、無表情になると怖かったけど、今はさらに作り物っぽくなるよね」
「えー」
「いやホント、本気で怒ると無表情になるの知ってるから、余計に怖いんだよね。子供達よく見てるなって思ってた」
「子供って、そういう所は敏感だからね」
そう。怒った顔を作ってる時はまだふざけて『ごめんなさーい』とか言ってるんだけど、本気で怒った時の居住まいの正し方というか反省の速さがね。特に教えてはないはずなんだけど、直立不動で90度お辞儀か正座だったもん。
まぁそんな怒り方するなんて、命を危険にさらしかねないことをしでかすか、わたしの銃を触ろうとするかくらいの時しかなかったけどね。
「この顔に慣れてないから、表情筋が上手く動かない、とかだったら嫌だなぁ」
「そんなことあるの?」
「何しろ前代未聞だし、何とも言えないと思うよ?」
「知り合いに整形した人とか……」
「わたしの交友半径で、居る方がおかしいね」
猟師やってるようなおっさんが整形手術とか。
いやもちろん、やっちゃいけないってことはないんだけど。
想像してうっすら寒いものが背筋を滑り降りた。
と、その時
「イアルがやらかしたかぁ……」
トライン様がため息交じりに呟いた。
「やらかしって」
「実はイアルって、可愛いものが無闇矢鱈と好きなんだよね」
「『実は』なんて言われるまでもなくわかります」
「でね、『可愛いは正義』なんだって」
……その言葉自体は、聞いたことあるよ。でもこれ使い所は合ってるんだろうか。
「確かにそんな言葉はありますけど」
「可愛い子にはみんな親切にしてくれるだろうって思ったんだろうね。イアルが考えていたようなものを、一切欲しがらなかった君が不自由しないようにって。限度ってものがあるとは思うけど。まぁ、だから一応、親心と言うか純粋に厚意だったんだと思うよ」
「ご厚意だってことは疑っちゃいませんけど……」
うん、純粋に厚意だったのは理解してる。
あの子供の姿の女神様は、顔を合わせた最初から別れる最後の時まで、ずっとわたしを心配してくれていた。ただ、それがどうしてこう斜め上の方向に発露されたのかは、まったくもってわからないけれどもだ。
「初めて見た時、またずいぶんとイアル好みの子だなぁって思ったんだけど、違ったんだね」
「イアル様の好みがこういうのだとすると、それは2次元のイキモノです」
「織葉さん、今の自分を全否定しないであげようよ」
おっと。
「どうもやっぱり自分の顔って感じがしないからね」
ため息をつきながらぺたぺたと自分の顔を触っていたわたしは、トライン様とティン、それぞれが浮かべていた表情に、気付くことはなかった。




