31
月は魔力に誘われて
その夜。
「ん……?」
突然、意識が引き上げられるようにふっと目が覚めた。
窓の外を見る限り、まだ起きる時間でもなさそうだ。
なぜ目が覚めたのかもわからないままこしこしと目を擦って、その手の感触に違和感を覚える。
なんか、柔らかい……。あぁそっか。わたし今日小さくなってたんだっけ。
「……て、えええっ?!」
「どうしたの?!」
思わず上げた悲鳴と言うか絶叫に、寝室の扉が音を立てて開いた。
「「「……え?」」」
扉を開けたトライン様はもちろん、その体越しにこちらを覗き込んだティンとルチルも、目をまん丸にしている。
「これは一体……」
「織葉さん、だよね?」
呆然とする3人を、これまた呆然と見上げた。
「なんでぇ……?」
ベッドの上のわたしは、完全なる幼児になっていた。
「ぅー……」
「織葉さん、泣かないで」
「だって……。なんで? もうヤだぁ」
子供の姿になったことで精神的にも幼児退行したのか、ぐすぐすと鼻を鳴らして泣き言をこぼしてしまう。
ベッドに座り込んだままのわたしの両手を握って、あやすように揺らすティン。
「織葉殿」
猫の姿になったルチルがわたしの膝に手をかけて頬に顔を寄せると、そこを伝い零れる涙を舐め取っていく。
ざらざらの舌は、くすぐったいようなひりつくような感触で……
「ぐぇ」
ぎゅむりと抱きしめると妙な声を上げつつも、そのままおとなしく腕の中にいてくれた。
滑らかで温かいその体の感触に、手が無意識にもふもふする。
「・・・うぬ……」
「ルチルさん頑張って」
小さく言い交わす声に頓着もせず、ルチルを抱きしめて蹲る。
ベッドに上がってきたティンが、優しく頭を撫でたかと思いきや、雪花の姿になってわたしを包むように寝そべった。ふわふわの尻尾が宥めるように腕を叩く。
それでも、顔を上げることも、ましてや大丈夫だと言葉をかけることなどできなかった。
……こんなにも無力感に苛まれるのは、いつぶりだろう。
「ぅ……」
気を抜けばすぐに泣き声が喉から零れようとするから、ぎゅっと唇を噛みしめた。息を詰めて、嗚咽さえも飲み込んで、押し込める。それでも滲む涙だけはどうにも引っ込んでくれそうにない。瞬きを繰り返して、どうにか瞼の端っこに追いやった涙を、ルチルがぺろりと舐め取った。
「……織葉」
力を込めたトライン様の呼びかけに、ひくり、と体が跳ねる。
「トライン様、織葉さん怖がらせないで」
跳ねた体をどう受け取ったのか、牽制するように雪花が少し硬い声を出した。
小さく丸めていた体を少しだけ緩めて、そろりと視線を持ち上げる。
「だいじょぶ、だよ、雪花。ルチルも、ありがと」
少し掠れたけど、大丈夫。声も出る。
けど、どこか舌足らずで声質も高く幼い。
ホントに子供になっちゃってるんだ……。
改めて自覚しなおした途端に、また緩みそうになる涙腺を、ぎりぎりと締め上げる。
泣いている場合ではない。
トライン様がこの声でわたしを呼ぶのは、重要な話の時なんだから。
そっと差し伸べられたトライン様の手に、ルチルを離した手を恐る恐る重ねる。安心したようにほっと息を吐いたのを見て、もしかするとわたしが本当に怖がってないか確かめるためだったのかな、と思った。
引き寄せられて、腕の中に納まる。そのまま抱き上げられて、いつものように腕に座らされているのに、いつもより視線が低い。
「……小さくて柔らかくて、壊しそうで怖い」
「壊れませんから」
ずれたことを言うトライン様にツッコミを入れながら、ふっと気持ちが浮上する。
苦笑ではあったけれど、自然に口元に笑みが浮かんだ。
「織葉、調べさせてね」
「……はい」
だよね、やっぱりそうだよね。でもこの方法他に無いんだろうか。
「トライン様、織葉さんをお願いします。僕たち下でお茶の用意しておきますから」
うう、気遣いが逆にココロに痛い。
「わかった。終わったらお前たちにもきちんと話す」
「お願いします。織葉さん、またあとでね」
とん、とベッドから軽やかに降り立った2匹は、そのまま足元をすり抜けていく。
その後、何度目かになる魔力精査を受けたわたしは、幼くなった分体力も減ってしまったのか、前回よりさらにぐったりとしてリビングに運ばれることになってしまった。
ティンとルチルが用意してくれていたのは、焙じ茶のミルクティ。ほんの少し甘くしてくれているそれは、色々と疲れたわたしにはちょうど良かった。
「それで、なにかわかりました?」
不安そうに尋ねるティン。
その横で、ルチルも眉間に皺を寄せている。
「……結論から言うと、彼女の存在そのものを支えるための魔力と、お前たち眷属との絆を保持する魔力は揺らいでいない、ということしかわからない」
ああ、前に鍵かけたところだな。
納得するわたしを後目に渋い顔をするトライン様と、しょんぼりするふたり。
「ただこうなった原因の予想はついていて、それがまた少々厄介だとは思っている」
神様が厄介扱いするって何事?
眉間に皺を寄せたわたしに気付いたのだろう、トライン様の目がこちらへ向けられる。
「あのね……。君の魔力は思ったよりもずっとこの世界に馴染んでしまってたみたいなんだ」
「はぁ」
「ここは世界でも有数の魔力溜りを抱える場所でね。だから魔晶石のかけらも発生しやすいし、精霊も生まれやすい」
「はあ」
なんか前にそんなことも言ってたような……?
「今日は双新月だからね……。皓月め、大地からも吸い出すなんてルール違反もいいとこだ」
……ええと。
「すみません、もうちょっと詳しく」
「あー……。ごめん。何から説明しよう」
「じゃまず、双新月って?」
「この世界には、二つの月があるよね?」
「はい」
「蒼月と皓月というのだけれど、この2つは満ち欠けの周期が違うから、滅多なことじゃ、新月や満月が重なることはないんだ。近くなることはあるけれどね」
「ちなみに頻度は?」
「年に1~2回、有るか無いかくらいかな」
「うん?」
「蒼月はきっかり30日周期でね。暦もこの蒼月を基に作られているくらいに正確なんだけど、皓月はまぁ気まぐれと言うかなんというか、周期が安定していないんだ」
なんとまぁ……。
「でね。なんで双新月だから、って言うと」
「あ、はい」
そう、それに何の意味があるんだろう。
「皓月は、その巡りに魔力を使ってる」
「は?」
「魔力溜りから溢れて凝りそうな魔力を吸い上げて、その魔力で空を渡る。だから周期が安定しないんだ」
「ええと……」
ということは
「魔力を使い果たすと新月になる?」
「正解」
よくできました、と言うように浮かべられた、やわらかい笑顔。
「蒼月がいると、皓月も本当の余剰分くらいしか吸い上げられないんだけどね。今夜は蒼月も新月だったから、抑制というか制御が効かなかったんだと思う。今までは、双新月の後しばらくは新しい精霊も生まれないし魔晶石のかけらも見つからないってだけで、理由なんて考えたこともなかったんだけど……」
「そもそも、皓月の巡りに魔力を使うのはなぜなんです?」
「魔力溜りからは精霊も生まれるし、魔晶石も生まれる。だけど、それが凝ると瘴気へと転じてしまう。そうならないように、吸い上げた魔力を巡りに消費することで、世界の魔力の平均化を計るのが、皓月の役目なんだ」
うむむ。
「普段は、溢れてしまいそうな場所や、流れの止まってしまっている場所の魔力だけを吸い上げることが今回はそういった余剰分だけじゃなくて、森そのものからも吸い上げて行ったっぽいんだよね」
「はぁ」
「森そのものから吸い上げるということは、森を守護するニーアの存在を脅かす。今までこんなことはなかったのに、なんでまた、こんな重大なルール違反を犯したのかって疑問もあるんだけど、何より不思議なのは、存在するための魔力量が減ったわけでもないのに、君が幼くなってしまったってことだよね」
「それはわたしのセリフです」
うっかり半眼で見遣ってしまった先で、トライン様がひょいと肩をすくめる。
「まぁ、そうだよね。そこはまたゆっくり考えるとしようか。ルール違反の方も直接話が聞けたら早いけど、今日は新月だから無理だし……」
「……へ?」
「そもそも皓月は逃げるだろうし、逃げ足も速いし」
悩まし気に遠くを見てるけど。
ねぇ。待って待ってまって??
「あの、トライン様?」
「蒼月だけでも……ん? 何?」
「月に直接話を聞くって」
「蒼月も皓月も、ニーア達と同じように、その分身というか化身というか、実体化した存在があるんだ。私がそういう風に作ったから」
「は?」
「ただ、皓月は素直に呼び出されてくれるとも思えないし、とりあえず蒼月だけでも話を聞いてみるか」
ため息のようでありながら重く吐き出された息に、胸の奥がぎゅっと引き絞られるような痛みを感じた。
「……ごめんなさい」
「えっ?!」
ぽそりと溢した声に戻ってきたトライン様の瞳には、焦りと戸惑いが浮かんでいる。
「なんで君が謝るの?」
「だって、わたしがこちらへ来てから、いろんなことが起こり過ぎてるでしょう? 平穏な世界だったって、言ってたのに……」
子供どころか幼児である今の肉体は、色々と堪え性がないらしい。涙がじんわりと滲んでいく。必死で涙腺を締め上げるわたしを呆けたように眺めていたトライン様は、突然小さく吹き出した。
「トライン様、酷い」
「ごめん、まさかそう来るとは思わなくて」
喉の奥で笑いをかみ殺しつつ、実は全然殺せてなくて、それにまたちょっとイラっとさせられている、そんなわたしに向かって、トライン様はにっこり笑って見せた。
「私はね、君が来てから毎日がとても楽しいんだ」
「……はい?」
目を瞬かせるわたしが、とても優しい色を浮かべた瞳に映りこんで、揺れる。
「平穏と言えば聞こえはいいよ。でもそれは停滞と紙一重だ。こう言ってはなんだけど、退屈と言っても過言じゃなかったかもしれない。シディルの研究すら暇つぶしのようなものだったって言ったでしょ」
うん、覚えてる。ちょっとイラつくというか、『言い方よ』って思ったやつ。
「だけど君が来てからの毎日は、それこそおもちゃ箱をひっくり返すみたいに目新しいことや面白いこと、私でも知らなかったようなことが次々と起こる。君を見ているだけで、時間があっという間に過ぎていくんだ。それこそ、ぼんやりしてる暇なんてないくらいにね」
穏やかで綺麗な微笑みが、目の前に広がった。
「だからね、君が罪悪感を抱く必要なんて、どこにもないんだよ」
「トライン様……」
「この世界に、私の所に来てくれてありがとう。大好きだよ、織葉」
甘い視線と声音に、否応なく頬に熱が上がる。
目を見つめられたまま、両手がそっと包み込むように持ち上げられる。
指先に、手の甲に、そして手のひらに唇が触れて、最後にもう一度両手で包み込まれた。懺悔する人のように、わたしの手を包んだ両手が、トライン様の額に押し当てられる。
「……こんなにも誰かを求めることなんてなかったのに。君はこの世界最強の要にして最大の弱点になってしまったのかもしれないね」
深い吐息は満足とも悔恨ともとれる、複雑な色を纏っていた。
その声色に、少しだけ不安を覚える。
「……ねえトライン様。わたしを人質に取られたとしても、相手に従っちゃ駄目ですよ?」
「それものすごく怖い状況だけど、約束できない」
だーかーらー。
「言うこと聞く必要なんて無いじゃないですか。わたしたぶん、即死レベルの何かがないと死なないと思いますし、万が一死ぬとしたらトライン様も一蓮托生だし、それってそのままこの世界の終わりでもあるんでしょ?」
「さらっと怖いこと言うのやめて」
「事実です」
「確かにそうだけど。それに忘れてるかもしれないけど、死なないからって痛みを感じないわけではないんだよ? むしろ即死するようなダメージを与えない限り生き続けてしまうんだよ? それってただの拷問だよ?」
うーん。
それは確かに嫌だ、けど。
「逆に、わたしが傷を癒す度に周りからあれこれ消えていくとしたら、それはそれで脅しになりますよね」
「だからぁっ!!」
「ふぎゅっ?!」
ぎゅむうっ、とすごい力で抱き締められた。ついでに顔を胸元のあたりに押し付けられてるんで、息も詰まる。
ギブ、ギブ……!
背中や肩にまで腕が回らないので、脇腹を必死にタップして息苦しいのを訴える。
「そんな、周りから魔力かき集めなきゃいけないような状態って、どういうことかわかって言ってる?!」
「ええと、一応? 腕や足の1本くらいは駄目になってるかなとか」
「恐ろしいこと言わないでよっ」
あれ、何かわたしが苛めてるみたいな感じになってきちゃってないか?
「主、そろそろ落ち着いていただきませんと。森が荒れ始めておりますわ」
「ニーア……」
「そもそも、そんな事態になるなどありえませんわ。この世界に精霊のいない場所なんてないのですから」
「え?」
「オルハさま、お考えくださいませ。精霊達は人間が生活に使う、魔晶石の全てを支配下に置いておりますのよ? 上位のものであれば現象すら操れますから、たとえば夜ならば、その辺り一体の火を消してしまえばいいでしょうし、昼間でも水や風を操れば動きを制することなど容易いことでございましょう。そもそもの話、精霊達が、オルハさまが傷つけられるのを、大人しく見ているはずがございません」
「精霊たちが操られるとかはないの?」
「下位の存在から? どうやって?」
「そこはわからないけど、精霊の子が捕らえられたことがあるんでしょ? その国は滅びたって聞いたけど」
「ああ、あのこと。重力と空間という、精霊の力を直接は用いない魔法で、それでも術師を複数使って、それでようやく無力な幼子を捕らえることしかできなかったのですよ? 精霊達を操るというなら、オルハさまが一言願いを口にする方が、余程現実的ですわね」
手厳しいな。
「事実ですもの。ということですから、主?」
「………女性の方が逞しいというのはこういうことだろうか」
んや、多分違うと思う。




