ねがいごと
わたし達のどこかカオスめいた遣り取りを横目に静かにお茶を飲んでいたティンが、硬い表情で顔を上げた。
「トライン様」
何かを決意したような表情と声音につられたのか、なぜかわたしまで緊張する。
……ティンが、流れのない状態でトライン様に話しかけることなんてあったかな。
「何だ?」
「織葉さんの顔、元に戻すことってできないんですか?」
「元に戻す?」
ぎゅっと唇を噛んで、苦し気な色をその目に湛えて、それでも真っ直ぐな視線は逸らされない。
「……イアル様の純粋な厚意だったってことに間違いはありません。でも、織葉さんは望んでもなかったことを、知らされることもなければ拒否することもできない状態で押し付けられてるんです。僕達にはどうしようもなかったし、どうにもできないんです。でもトライン様なら……」
言い募る口調には、ただわたしを案じる響きだけが込められている。
「えっとでも、これ幻術とかじゃないんでしょ? いくら何でも……」
「そもそも顔を元に戻すことに何の意味がある?」
「織葉さんが『自分の顔』とか『自分の外見』を認識できてないっていうのが、不安定さに拍車をかけてるんじゃないかって思ったんです」
その言葉に、ハッとしたように目を瞬かせるトライン様。
「織葉さんの思う自分の顔と今の顔は違います。それは自分を見失ってるのと似てるんじゃないかって」
「一理あるかもしれない」
顎に手を当てて考え込んだトライン様は、けれど、静かに頭を振った。
「……だが、すまない。術の理がわからないこれを解くことはできない。せいぜいできるとすれば幻影を纏わせることくらいだがうまくかかるかどうか……」
渋い顔のトライン様と、しょんぼりと肩を落とすティン。
「幻術って、かけるの難しいんですか?」
興味本位で訊いてみると、そうでもない、と返ってきた。
「既にかかったものの上から更に重ねてかけるのは無理だけどね。君にかけられたイアルの術は幻術の類ではないからかけようと思えばかけられる。だけどそれ以前の問題があるでしょ」
「はい?」
「君、シディルに言われたこと忘れてない? 魔力が高いと魔法の類にかかりにくいって」
「でも『わざとかかる』ようにすれば大丈夫って言ってませんでしたっけ」
「うっかり解けなければいいんだけどね」
「え?」
「状態変化ではないからね。かかり続けないといけないんだよ」
「あの、かかってしまったらOK、じゃないんですか?」
「基本的にはそうなんだけどね。魔力や抵抗値が高いと何かの弾みで解けることがないとは言えない」
うわぁ……。
「街中でいきなり姿が変わったら大騒動ですよね……」
「何にしても顔を晒して歩くわけにはいかないだろうな」
「元の顔だったとしても、顔晒して歩いてたら目立つのは避けられないと思うよ?」
「なんでさ」
黒髪黒目って珍しいわけじゃなさそうだったよね?
「トライン様が抱っこして歩くとかしない限り大丈夫じゃないの?」
「ちっちゃくても美人が歩いてれば人目を引くのは当たり前のことだと思うけど」
「は?」
いやいや、その理論は当てはまらないでしょ。
「あのさ、前に言ったでしょ。織葉さん猟師仲間のおじさん達にモテてたんだよ?」
「それはティン……雪花の勘違いだって」
「ううん。雪花の記憶にちゃんとあるんだよ。織葉さん落とすのに餌付けしようとしたりとか」
「なんだそれ」
初耳だぞ。
「雪花も織葉さん以外には愛想のない犬って有名だったけどね」
くすくす笑ったティンは、悪戯っぽい目をトライン様に向けた。
「織葉さん、確かに彫りの深い顔ではないけど、美人だったんですよ」
「ほお」
「待て、嘘を教えるな」
「嘘じゃないよ? 今の織葉さんが万人受けする可愛い系だとすると、元の織葉さんは怜悧系だったから好みがわかれるって言うだけで」
「自分の顔が美人のカテゴリに入るなんて思ったこともないんだけど」
「だから好みがわかれるって言ってるでしょ。少なくとも僕は美人だと思ってる」
「それでは騒動のタネを無くすことにはならないだろう?」
「そうかもしれません。でもどうせ騒ぎになるのなら、認識外の顔より慣れた顔のほうがまだ対処がしやすいというか、存在の不安定さは薄くなるかもしれませんし」
だから、騒動にはならないっていうわたしの意見はなぜスルーされるんだ。ねえ、ちょっとは人の話を聞こうか。
「だって織葉さん自己評価低いんだもん。賭けてもいいよ。付き合いが増えれば増えるほど織葉さんに惹かれる人はどんどん増えるって」
「んー。まぁ、性格と人付き合いは悪くないつもりだけど」
「神といわれる存在が気に入るのだから、悪いわけがなかろう」
ルチル、そんな心底呆れたって顔しなくても……。
「そうそう。そう言う所も含めて織葉さんは自己評価が低いって言ってるの」
「だが、だからこその寵愛とも言えるのでは」
「それはあるかもしれないけど、ある程度の自覚はするべきだと思わない?」
「確かに無駄な危険を呼び込まれるのは困るな」
ルチル―! 流されないでーっ!
「失礼な。我もそう考えただけだ」
言った後で、不意にむっすりと鼻の頭にシワが寄った。
え、いきなりなんでそんな不機嫌顔?
「いや、どんな姿であったとしても大騒ぎになるのがわかっている所があったなと」
「え?」
「仕立て屋だ」
「あー……」
思わず目が遠くなる。
……うん。
ルチルの淡々とした話し方でも、何か熱気のようなもの感じたくらいだものね。
本人の熱量がどれほどだったのかは想像に難くない。
「お礼も言いたいし、行きたいとは思うんだけど、ピンポイントでそこだけ恐怖なんだよね」
「あと」
「え?」
「恐らくだが、鞄屋の店主もそういう意味では危険だと思う」
「そうなの?」
「我と話している時は普通だったのだが……。何というかそんな気配が濃厚だった」
「どんな気配よ」
「……仕立て屋の女性と似たものを感じた」
直接会ったわけでもないのにその一言で何となくわかってしまえるキャラの濃さがすごいよね、仕立て屋さん。
「……遠くからこっそり見てたいなぁ。コピーロボット有ったら間違いなくロボットに行かせて影から見てるだろうなぁ」
「こぴーろぼっと?」
「日本のとある漫画に出てくるアイテムです。顔とか何にもないお人形なんですけど、鼻が赤いボタンになってまして、それを押した人そっくりに変身するんですよ」
「大きさも?」
「大きさどころか性格や考え方までコピーするので、まさにもう一人の自分を作り出すって感じですね」
「ドッペルゲンガーみたいだね」
「こっちにもドッペルゲンガーっているんですね。でも自分が死ぬのは困りますし」
「なにそれ?」
え。
「ええと……。地球には、ドッペルゲンガーに会うと近いうちに自分が死ぬって言い伝えがあるんですが」
「へえぇ。同じ名前の魔物なのに、性質はずいぶん違うんだね」
「えっとその前に、向こうではあくまでも言い伝えですし。こちらのように実在しているものではないですよ?」
「存在しないものの話が伝わっているの?」
「そうですね。神話とか伝説とかって言うものには作り話も多いです。大昔の王様の話とかもありますけど、そもそも魔物や精霊、妖精のようなものは、信じられてはいてもその存在を確認されたものではないんですよ。誰かの考えた物語だと言うのが一般的見解です」
「素晴らしい語り部が居るんだね」
語り部。
……あー、まぁ、昔はそうだったよね。
今や語り部どころか本ならまだしも、どうかすると動画だったりもするけどね。
「そう……ですね。宗教によってそれぞれ違う神話が存在しますし、古今東西『おとぎ話』と呼ばれるようなものは、それこそ星の数ほどあるんですよ」
「へえ……。ね、今度その話を聞かせて?」
「え?」
「だから、君の知っているその『おとぎ話』をね、教えて欲しいな」
「えー」
「だめ?」
「ダメと言うか……。そんなに数を覚えてるわけじゃないし、結構うろ覚えですよ」
日本昔話とかグリム童話とかイソップ寓話とか有名どころは流石にしっかり覚えてるものも多いけど、神話とか伝説の類になるとなぁ。
一気にうろ覚えだ。
「それでもいいよ。それこそ、さっきのドッペルゲンガーの話みたいに概要だけでもいいから」
「それくらいなら、まぁ」
「ふふ、楽しみにしてるよ」
にこにこと笑うトライン様につられて口角が上がる。
童話の読み聞かせなんて久しぶり。いや、本がないから『読み聞かせ』ではないのか。
「外見的には逆だけどね」
「ティン、余計なこと言わない」
「うーん。だからって私がこの世界の言い伝えとか話すのも何か違う気がするんだけど」
ああ、うん。
ある意味自分の話するのと同義だもんね。
そりゃー話もしにくかろう。
「いいですよ。またシディルさんにでも聞きますから」
「なんか親子の団欒っぽいイメージが生まれたのは気のせい?」
「それはシディル殿が気の毒ではないだろうか」
二人とも、それは言わないお約束ってものじゃないかな。
ちょっと短いですが、キリがいいので…。
今回もお読みいただきましてありがとうございます。




