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第32話 美咲の手作りワッペン

紺の活躍でミエールくんミニの事故は収まりましたが、

その一件は穏健派・強硬派・番組スタッフの間に、思わぬ波紋を広げていきます。

穏健派本部の応接室では、静香とマーガレットが優雅にお茶を飲んでいた。


「ミエール2.0が事故を起こしました。紺が迅速に対処しました」


静香が淡々と報告する。


「大事にならずに済んだのね?」


「はい」


「さすがは紺ちゃんね」


マーガレットは満足げに頷いた。


紺が危機一髪で回避したように見えたあの一件は、実は瞬時に危険を察知し、

神通力でミエールくんミニを撃墜していたのだった。


「でも、ヘレンは早とちりが過ぎたようですね」


「ヘレン叔母様は迂闊です」


「これ、ああ見えても私の妹なのですよ」


マーガレットはため息をついた。


「ヘレンには一度、釘を刺しておくとして……他に何か手はないかしら」


静香は少し考えた。


「そうだわ。ディレクターにヘレンの面倒を見させましょう」


「彼ならばヘレンを操れるはずだわ」


「お母様?」


「私には考えがあるのです」


マーガレットはにやりと笑った。



第1スタジオの片隅では、ヘレンが美咲に説教されていた。


「安全対策は基本中の基本なんだから、わかった?」


「はい、わかりました」


「もう、ちゃんと聞いてるの?」


「はい」


ヘレンは何ともふやけきった表情をしていた。


説教とは名ばかりで、ヘレンにとっては至福の時間だった。


美咲の張り上げる声で振動する空気が、

自分の肌をやんわりと撫でるのが心地よい。


ヘレンは美咲の横に立つおりずの胸元をぼんやりと眺めていた。


(私も……あれがほしい)


おりずは、美咲お手製の「おりず」と書かれたワッペンを胸に付けていた。

外で迷子にならないようにとの美咲の配慮だったが、

武闘派として知られる彼女には必要ない代物だった。


しかし、おりずはそのワッペンをたいそう気に入り、

外出時には常時付けていたのだった。


「わ、わかりました……」


「ミエール安全対策特別顧問の私が、責任を……」


実際にはそんな役職は存在しないが、

美咲の前では見栄を張りたい。


「責任を持って対処致します。ですから……」


「ですから何?」


「ですから、そ、その……私にも美咲ちゃん手作りのワッペンを……」


「ほしいの?」


「は、はい……」


美咲は呆れたようにため息をついた。


「もう、ヘレンさんったら。本当は全然反省してないでしょ」


「そ、そんな……」


「もういいわ。ワッペンあげればいいんでしょ」


「お願いします!」


ヘレンは深々と頭を下げた。



収録を終え、美咲たちは強硬ビルを後にした。


玄関ロビーで、静香の父とすれ違った。


「お父さんこんにちは。これからお仕事ですか?」


「私たちは今日は終わりです。お先に失礼します」


美咲は軽く挨拶を交わし、去っていった。



静香の父は、美咲の傍らにいた女性を見て目を細めた。


胸元には「おりず」と書かれたふざけたワッペン。


(あれは……穏健派のリズに似ていた。しかし、まさかな。

 リズがここに来るはずがない)


「社長、お帰りなさいませ。例の物を入手しておきました」


「うむ。ごくろう……」


秘書が差し出したのは、『マーガレット・オン・ザ・ビーチ』だった。


「まったく、私に無断でこんなものを作るとはけしからんよ。ははは……」


と言いつつ、後でじっくり妻の艶姿を見るのを楽しみにしていた。


「ところで、玄関ロビーで穏健派のリズに似た女性に会ったよ」


「ああ、それならリズで間違いありません。

 もっとも最近では“おりず”と名乗っていますがね」


「は?どういうことだね?」


「詳しくは知りませんが、なんでも美咲ちゃんに弟子入りしたという話です」


「そ、そんなばかな……」


穏健派のリズが美咲に弟子入りなど、考えられない話だった。


「まさかヘレンは来てないだろうな」


「ええ、ときどきいらっしゃってますよ。

 先ほども美咲ちゃんにこってり絞られていましたがね」


「美咲ちゃんがヘレンに説教だって?ますます意味不明だ」


父は頭を抱えた。


「だいたいここは強硬ビル、私のビルだ。

 マーガレットといい、ヘレン、リズといい……

 いつからここは穏健派の巣窟になったというのだ」


「せめてヘレンは出入り禁止にしろ。

 あの女はマーガレットの実の妹だが、中身はとんでもないぞ」


「それが、その……ディレクターが熱心にヘレン様を起用していて」


「な、何だと?あのインチキクリエーターめ!」


「推薦したのはマーガレット様だという話です」


「何だと……?」


『マーガレット・オン・ザ・ビーチ』を小脇に抱えながら、

静香の父は恐れ慄いた。


何かが音を立てて壊れようとしていた。


ヘレンは自室の机の上に、そっとワッペンを置いた。

しばらく静かに見つめ、指先で縁をなぞりながら物思いにふける。


やがて、おもむろに立ち上がり、鏡の前へ。


ワッペンを胸元にそっと当ててみる。


その瞬間、多幸感で背筋に震えが走った。


(美咲様に……支配されている……)


そう感じた途端、喜びが胸の奥から込み上げ、ヘレンは小さく震えた。


「誰かいますか?」


控えていた部下が入ってくる。


「ヘレン様、何用でございますか?」


ヘレンは慌ててワッペンを外し、机の上に戻した。


「これと同じものを、大至急で作ってちょうだい」


部下は困惑する。


「ですが製造部はミエール2.0に全力投入しておりまして……」


「でしたら優先度は第2で構いません。

 なるべく速やかに、と伝えてください」


「かしこまりました……」


部下が去ると、ヘレンは机の引き出しを開け、

ワッペンを丁寧に布で包んで収納した。


(本物は観賞用として大事に保存……

 着用するのは模造品で十分……)


ヘレンはにんまりと笑った。


(これで毎日、美咲様の支配を感じられる……)


深く深く幸せをかみしめながら、机の引き出しをそっと閉める音が、静かに部屋に響いた。


元はと言えば、ヘレンは美咲による精神支配を警戒していたのですが、

今では自ら進んで支配を深めようとしています。

姉のマーガレットはそんな妹を気にかけ、

静香と父はヘレンの異常性をすでに見抜いています。

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