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第87話 人間の本質①

 暗雲でも輪郭が見える程の黒い渦から、ライフル銃の砲身が飛び出していた。関元を撃った。その事実にオレたちは戦慄しつつも、すかさず態勢を整えた。



「凜花はオレと迎撃、衣織は治療を!」



 2人とも反応は素早かった。衣織はすかさず背後を駆け抜け、凜花もオレの隣に立つ。



「応戦するぞ、セカンダリーゾーン展開……!」



 エリアを屋上のみに設定して場を整えた。凜花の手元に銃が現れる。だが同時に、オレの頭の中でビキッという高い音が鳴り、思わず膝をついてしまった。


 吐き気と頭痛が同時に込み上げてくる。視界も一瞬のうちに赤く染まり、目に映るものの半分は赤いペンキでも撒き散らしたように見えた。



「ワタル、しっかりしろ! 力を使いすぎじゃないのか!?」


「構わん。何にしてもアニマを使わなきゃ、この状況は乗り切れないだろ」



 膝は床に着いたまま、歯を食いしばり空を見上げた。敵からの二撃目はない。それに安堵する猶予はなかった。渦はみるみるうちに膨らんで、人間大のサイズにまでなった。


 そうして現れたのは、鉄板と目出し帽の男。誰だと考えるまでもない。



「はいど〜〜もぉ。真打ちは最後に現れるってね!」



 おどけた口調とは裏腹に、殺人鬼は完全武装だった。右手に長い銃砲のライフルを持ち、左にはギラリと光る消化斧。頭は目出し帽、胴体の前後で鉄板をぶら下げる姿は、眺めるだけで腹が煮える思いになる。



「とうとうでやがったな、こちとら鬱憤が溜まってんだ!」


「よせ凜花。まだ遠い、無駄打ちするな」



 こちらの会話を聞いてか、男はむきだしの両目を大きく歪ませた。そして渦から宙に飛び出し、屋上へと降り立った。ゆるりと落下する様はまるで綿毛のようで、物理法則を完全に無視していた。


 そして着地するなり、不満を隠さない様子で言った。


 

「まったくよぉ、何してくれんだよアンタ。お陰で予定が狂っちまっただろ。あとちょっとでオッサンやクソガキちゃんの極上アニマを楽しめたってのに」



 男は大きくかぶりを振った。腹立たしさに堪えたオレは、皆の位置関係をそっと盗み見た。正面の10歩先に敵、右隣すぐに凜花。左後方に関元とそれを救護する2人。さらに左にいけば下り階段につながるドアがある。


 戦うしかなかった。逃げだそうとすれば、背中を撃たれるか、斬られるかの2択でしかない。



(せめて関元を動かせたら……)



 そちらでは衣織と焔走(ほむら)が懸命の治療を続けていた。どうにか出血を止めようとして、布の切れ端をあてがうのだが、血が止まる気配は無かった。


「おじさん、しっかりしてよ」胸をうつほど悲痛な声が繰り返し聞こえた。だからオレは、眼前の敵に集中することに決めた。



「やれやれ。あの怪我を治すとか正気かよ? 致命傷だって見たら分かるのに。どうして人間ってのはバカみたいに悪あがきするのかね?」



 鼻から息を吐いた殺人鬼は、嘲笑う調子で言った。



「そうでもない。出血が少ないほど後で楽だからな」


「ハァ? あの傷で助かるとでも思ってんの?」


「オレなら出来るさ。アニマさえ使えば、どうとでもなる。だからそのためにも」オレは腰を落とし、素手のまま身構えた。「お前をサッサとぶちのめさないとな」


「はっ、ハハッ。何を言い出すかと思えば。バカなのかな? アンタにはアニマなんてほとんど残ってないじゃないか。それで戦おうっての?」



 見抜かれた、なぜだと思っていると、また嘲笑われた。「その充血しきった眼を見たら分かるよ」と、オレの心を見透かしたように言葉を付け加えた。



「ワタル、本当にやる気か?」凜花がそっと耳打ちした。


「アニマが空っぽというのは、悔しいが事実だ」


「どうする。今やりあっても勝ち目なんて」


「確かに厳しい戦いになる。だがな……」



 視線の端では今も焔走は泣き叫んでいた。衣織も必死である気配が伝わってくる。



「関元たちにされた仕打ちを許せる訳がない」


「いいぜ相棒。地獄まで付き合ってやるよ」


「オレに考えがある。たぶん、唯一の勝ち筋だ」


「いいね。ちょっと希望がみえてきたわ」


「まずは銃を目いっぱいにブッ放せ。その後は……」



 オレが耳打ちで指示する間、敵はその場に立ち尽くして動かない。それは余裕の現れだろう。その油断が命取りになるよう、オレは全力で挑もうと決めた。



「ンッフッフ。作戦会議は終わったかな? そんじゃ、そろそろ殺しまぁ〜〜す」


「うっせぇ、死ぬのはテメェだぞ!」凜花がオレの前に躍り出てショットガンを構えた。


「んん〜〜やっぱりね。手下が出張ってくるか。なにせ親分はアニマ空っぽだもんねぇ」


「はっ、テメェなんざアタシだけで充分だ! 喰らえ!」



 腹に響く射撃音。それは何度も何度も繰り返し轟いた。3発、4発。かすかに漂う火薬の匂い。男の右腕が半壊した。5発、6発。今度は顔の右半分も吹き飛ばした。だがそこで凜花は床に膝を着いてしまった。限界を迎えたようだった。


 散々に撃たれた敵はというと、生身の人間なら死んでいただろう。しかし死には至らず。それどころか嘲笑う余裕をみせつつ、こちらにユルユルと歩み寄ってきた。



「そんなモン効かないって、そろそろ学習したほうが良いよねぇ」



 あれだけの銃撃を浴びても、敵の胴だけは無傷だった。鉄板に細かな傷が走った程度。やはり並の耐久度ではない。


 つまりは、頭や腕より胴体を守る必要があるということ。オレの読みは当たったと確信した。あとは凜花が上手くやる事に期待するばかりだ。



「まったくもう、救いようのないおバカさん。今までしこたま撃ったでしょ。そんだけやってダメなら、効かない可能性を考えるよね。んん〜〜?」


「うるせぇぞ。まだだ……。まだ終わってねぇよ!」



 凜花は震える両手で銃を構えて、撃った。至近距離。しかし、狙いが定まらず外れた。弾丸のほとんどは敵の脇を通り過ぎ、背後の鉄柵を撃ち抜いた。ただでさえ壊れかけだった柵は、その一部が千切れたようになって壊された。



「おお、根性見せるねぇ。でもここが限界かな? かなかなぁ?」



 凜花の腕には赤黒い血管が浮かんでいた。アニマ枯渇の症状だ。しばらくは射撃どころか、動き回る事も出来ないだろう。



「そんじゃ、まずは手下から始末しま〜〜す。お疲れっした!」



 敵は凜花の眼前で斧を振り上げた。上げたのは左腕だ。右腕はライフルを持てないほどに損傷している。


 つまり今この瞬間は無防備だ。そう確信したオレは起死回生の策にすがった。両手を伸ばして閃いたイメージを濃くしていく。



「くっ……アニマが……!」



 敵の背後の鉄柵をねじ切ろうとするが、力をこめるほど頭痛が激しさを増してゆく。脳のどこかが破けたような痛みは、その場で転げ回りたくなるほどだった。


 だがこれに賭けるしかない。そう思い定めて、ブツリと鉄柵の一部をねじ切った。その音は頭の中で響いたようにも感じた。

 


「いまだ、喰らえーーッ!」


「な、何ッ!?」



 棒状になった鉄柵の棒を、遠隔操作して飛ばした。狙うのは敵の横腹。前も後ろも頑丈な鉄板で守られているなら、急所はそこだと考えた。がら空きの今こそ絶好のチャンスだった。


 鉄の棒は今、左の脇腹に刺さり、先端が右の腹から突き出た。効いたか、効いてくれ。祈るような気持ちで眺めていると、敵はゆっくりと膝を折った。そしてその場で倒れ伏して動かなくなる。



「やった……。睨んだ通り、そこが弱点だったか……」



 オレもいっそのこと、この場に倒れたい。時間も忘れて眠りこけてしまいたい。だが、窮地はまだ終わっていなかった。関元の命が残り僅かだ。



「待ってろ。どうにか治してやるから」



 オレはいつの間にか、右半身の感覚を失っていた。まともに歩けなくなり、びっこをひきながら関元の方へ向かう。凜花はまだアニマ枯渇で動けそうにない。オレがやるしかなかった。



「それにしても、どうやって関元を治療するか……。救急キットか、いや、それだけでは足りないだろう」


「んフッ。棒立ちで背中がガラ空き。はいワンショット、ワンキル〜〜!」


 その声に悪寒が駆け抜けた。振り向く。その瞬間、肩に衝撃が走った。オレはなすすべなく、反対側の鉄柵に叩きつけられてしまった。


 左肩が熱い。出血も激しい。やがて銃で撃たれたのだと理解した。オレを撃ったのは、正面でゆらりと立ち上がった、この男に間違いない。



「お前、腹が弱点じゃなかったのか……」



 どうにか声を絞り出すと、殺人鬼はケラケラと笑い出した。



「いんやぁ、その読みはあってるよ。だが惜しいねぇ、もうちょい、あと数センチ上を貫いてたら良かったのにねぇ」



 敵は鉄の棒を突き刺したままで言った。そして間髪入れずに真横を撃った。凜花も吹っ飛んでタンクに激突した。腹から鮮血が溢れるのが見えた。



「はいはい。アンタらは寝ててね〜〜。後でちゃんとブッ殺してあげるかね〜〜」


「よくも凜花さんを!」衣織が立ち上がって身構えようとした。オレは「逃げろ」と言いたかったが、言葉にならない。


「はいはいお嬢ちゃん。聞いてなかったの? 邪魔せんでヨロ〜〜」



 敵はいつの間にか右手をもとの形を戻しており、右の掌を衣織に向けた。そして気合を込めると衣織を吹き飛ばし、背後の壁に背中から打ち付けた。コンクリート壁に亀裂が入るほどの威力だ。たまらず衣織は意識を手放してしまった。



「お前は何なんだ……何者だ……!」



 オレは声にならないうめき声をこぼした。聞こえやしない程に、か細いものだった。しかし、敵は完璧に聞き取れたのか、高笑いとともに答えた。



「あぁ、オレ様が誰かって? 誰でもないんだなぁ。強いて言えば『大いなる意思』ってやつかもね」


「大いなる意思、だと……?」


「お前たち人間どもの汚らしい心が生み出した、哀しきモンスターだよ。ほら、耳を澄ましてみなよ、聞こえるだろう? ステキなステキな言葉がさぁ」



 敵は突き立てた指を天に向けた。オレは素直にそちらを見た。今も暗雲で覆われた暗い空だ。すると不思議なことに、徐々にだが、天から言葉が降り注いでくる錯覚を覚えた。


――嫌なら辞めちまえ。そんでもって何処かで野垂れ死ね。テメェの代わりなんていくらでも居るんだよ。


――死にたいだと? じゃあくたばれ。どうせ自殺する根性もねぇくせに。いいからさっさと働けクズが!


――無駄話してんじゃねぇぞ! お前たちは黙々と手を動かしてりゃ良いんだよ、クビにすんぞ? アァ?

 

――ちょっと何なのあの男! 仕事中なのに水飲んでるじゃない! アンタの会社はどんな教育してんのよ!?


――バレなきゃ平気さ。どうせ皆、悪いことしてんだ。オレだってやらなきゃ損だろ。



 数え切れない程の言葉が止め処なく降り注いできた。なぜだろう。心無い暴言が耳に響くほど、身体から活力も奪われていった。


 今となっては、半身どころか首から下の感覚が消え失せていた。それが恐ろしくもあり、同時に痛みが和らいだことに安堵もしていた。



「なっ。これで分かったろ。人間(おまえら)はどうしようもなく下劣で、無能で、暴力的である。害悪でしかないお前たちを、オレ様は駆除してる真っ最中なんだわ」


「何が、駆除だ……!」


「まぁオレ様としちゃ、殺しが楽しめれば充分だけどね。あのお方も、しばらくはそれで良いって言ってたし」


「あの方? それはもしかして、アップスの奴らか?」


「んんっ。ちょいと喋りすぎたかな。まぁいっか、どの道死ぬんだしね」



 殺人鬼は話を切り上げると、オレから遠ざかっていった。そして焔走の傍で立ち止まると、銃を構えた。



「さぁクソガキちゃん。大好きなおじちゃんが死んじゃうねぇ。心の拠り所だったのに残念だねぇ」


「あ、あぁ……たすけ……」


「アハッ! 良いね良いね! 大切な人との死別よりも命乞いが優先かい? それでこそ害悪生物、さすがでっす! その調子で絶望してアニマもジャンジャン出しちゃおっか!」



 愉快そうな笑い声が響き渡った。しかし、その直後に発した焔走の言葉に、顔色を変えた。



「たすけて。おじさんを、たすけて……」


「……ハァ?」


「このままだと死んじゃうよ。おねがい、神様でも、悪魔でもいいから……」


「このガキ……! 偽善者ぶるのも大概にしやがれ!」



 殺人鬼は怒りに任せて焔走を蹴倒した。そして倒れた頭に銃口を突きつけた。



「おいガキ。空が見えてんだろ。このドス黒い様がよぉ? これが世の中なんだよ、希望なんてねぇんだよ! 分かったら潔く絶望しやがれ!」


「おじさんをたすけて。おねがい……」


「まだ言うかこの野郎! 良いだろう。テメェの手足を全部引きちぎっても、まだ偽善な台詞がでてくるか試してやるよ!」



 オレは叫びたかった。焔走に「お前だけでも逃げろ」と伝えたかった。しかし、もはや身体の感覚は無く、声を発する動作すら思い出せない。


 殺人鬼が斧を構えた。逃げろ。声は出ない。その光景は明滅して見えた。オレの命もこれまでか。全滅という言葉が脳裏をよぎる。だがその時、目を疑うほどありえないものを見てしまった。



(なんだ、まぶし……っ)



 眼がくらむまでの光に、オレは眼を細めた。光源は上だ。暗雲に覆われたはずの空には、確かに光り輝く太陽が現れていた。

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