第88話 人間の本質②
唐突に現れた太陽は、少し異質だった。陽射しを遮ろうと暗雲が、その太陽に近づいた途端、光の中へと吸い込まれていく。漆黒の空にぽつりと1つ、白い点が浮かぶように見えた。
「なんだこれは……何か起きてる?」
やがて空からチラチラと白いものが降ってきた。粉雪か。いや今は夏場で蒸し暑いくらいだ。ではホタルだろうか。しかし都心の廃墟群に、いきなり現れたとも考えにくい。何かしら想像しては、いずれも一致せずシックリこない。
謎の光は右に左にと宙を泳いだかと思えば、やがてこちらへと降りてきた。それは投げ出したオレの手の甲に触れると、儚くも消えた。
「溶けたのか? それじゃあ雪ってことになりそう……」
次の瞬間、その手の甲から強烈な熱が伝わり、全身を駆け巡った。最初に痛みを伴ったものの、やがてジンワリとした温かみに変わっていった。
これは何なんだ。そう思った矢先、ふと辺りに声が鳴り響いた。
――神様、お願いします。ワタル君が無事でありますように。今日も元気で過ごせますように。
祈りだった。声色は馴染みのあるもので、オレは思わず辺りを見回した。
「結菜……お前なのか? どこにいる?」
問いかけに答えはない。ただ、微かな声が繰り返し聞こえるばかりだ。気を逸らせば聞き逃してしまうほどに小さく、だが確かに聞き取れる声だった。
ふと空を見上げると、そちらも大きく様変わりしていた。暗雲は無力にも吸われる一方で、太陽はしきりに光の粒子を振りまいた。その粒子に触れるだけで、身体に不思議な力が宿るようだった。
「これはもしかして、アニマか……?」
オレは光を浴びるうちに、活力を取り戻していた。肩の出血もなぜか止まっている。仲間の様子はどうか。視線を巡らすと、皆の身体を柔らかな光が包むとともに、同じく微かな声が聞こえてきた。
――ほらほら凜花。野菜も食べるのよ。大きくなるにはそれが一番なんだから。
――あっ衣織、この前借りたマンガだけどメッチャおもろいな! 遠征の移動中にずっと読んでたわ!
その光は傷を癒やすものなのか。凜花と衣織は意識を取り戻し、緩やかに身体を起こした。
時を同じくして、ひとひらの光が焔走の元へとやって来た。仰向けに倒れたままの額に、それは落ちた。すると微かに、しかし温かな言葉が聞こえてきた。
――焔走、パパとママのところに生まれてきてくれて、ありがとう。お前は世界でいちばん大切な宝物だよ。
焔走はとっさに起き上がった。そして左右を見渡し、様変わりした世界を一望したが、驚いたようではない。その場で激しく顔を歪めては、声を涸らして泣き始めた。
「パパ、ママ、もしかして会いに来てくれたの……?」
その傍らに倒れる関元にも奇跡の光は舞い降りた。動かなくなった身体に、小さな粒子が落ちて、彼の身体を光で包みこんだ。そうして聞こえたのは幼い子どもの声だった。
――パパ、いつもありがとう。大すきだよ。ずっと元気でいてください。
つたなくも、ぬくもりに満ちた響き。傍から聞くだけでも耳に心地よいものだった。すると、関元の指先が動いた。血の気の失せた両手足にも赤みが差して、生命の息吹が感じられた。
「そうか、やっぱりこれはアニマだ。光も暗雲も、すべてアニマだったのか!」
空を暗雲が覆い尽くしたのは、真宿が悪意で満ちたからだ。生存者たちが争ううちに、アニマで絶望の街を生み出してしまった。殺意が、闘争心が、他者を出し抜こうという思いが具現化し、大いなる闇となって現れたのだと察した。
しかし、どれほど異質なものでもアニマであることにかわりはない。願えば叶う。それを実現してみせたのは、他ならぬ焔走だったらしい。
彼は殺される寸前であっても希望を手放さなかった。偶然にも空を見上げる形で願望を呟いたことが、引き金になったのかもしれない。今となっては検証する意味もないが。
「MVPだよ焔走。あとで恩返ししないとな。だがそれよりも先に、仕事を片付けなきゃならん」
オレは少しだけ視線をずらした。すると、鉄柵の傍で殺人鬼が暴れまわっていた。光の粒子が舞い降りて肌に触れるたびに、ヤツの手が、足が炎に包まれていった。その火を消そうとして、のたうち回るのだ。
「ギャアアア! くっそ、なんだこの光は! おいクソガキ、テメェ何しやがったぁ!?」
敵は明らかに冷静さを欠いていた。もしかすると、このまま自滅させられるかもしれない。それほどに火の勢いは強く、そして鎮火した傍から新たな炎が立ちのぼった。
「これ以上ないチャンスだ。ここで倒しておかないと、のちのち後悔しそうだな」
オレは立ち上がるものの、まだ右半身の感覚を取り戻せていなかった。しかしどうにか立てる。歩ける。左の手足は意のままに動く。
それはつまり、戦えるという事だった。だが敵側も似たようなもので、侮れないだけの戦意をまだ残していた。
「テメェ、よくもやりやがったな! 死にやがれーー!」
よろめきながらも殺人鬼は前進した。そして、寝転んだままの焔走の傍に立ち、左手を振り上げた。その手には消火斧があり、陽射しを受けた刃が冷たく光った。
「オラァ! まずは一匹ィ、駆除駆除ぉぉ!」
「お前の相手はこっちだ!」
「グハッ!」オレは自由のきく左足で飛び、敵にタックルを浴びせた。それだけで相手はよろめき、破損した貯水タンクに背中から衝突した。
「クソッ、クソクソ! コイツまで生きてやがる。銃で撃ち抜いたのに、どうなってんだ!」
「どうなっているか、理屈はオレにも分からん。だがな……」
オレは左手に意識を集中させた。ささいな負荷はあっても、アニマ活用に支障はなかった。
「これだけはハッキリしてる。お前はもうお終いだ」
戦鎚を喚び出そうとして、やめた。相手は鉄板に守られている。打撃より斬撃の方が効果的だろう。
そう思った瞬間、左手に一振りの剣が現れた。片刃で刀身が長く、そして分厚い。
「いわゆる斬馬刀ってやつか……。さすがに重いし、扱いは難しそうだが」
もちろん片手で振り回すような代物ではない。だが、アニマで願いをこめる事で、本来よりも軽々と扱えるようになった。不自由な身体でも振り回せる。重たい風切り音も実に頼もしい。
「いくぞ、年貢の納めどきだ」
オレは左手に大剣を携えながら、一歩ずつ殺人鬼の方へにじりよった。いまだに右足に感覚はない。剣を杖代わりに行くしかなかった。
こんな亀の歩みでは敵に逃げられるのでは。そんな懸念はすぐに消えた。相手も激しく負傷しており、さらに光の粒子がしきりに燃やすので、見るからに弱っていた。肩を激しく上下させるあたり、相当に消耗していることは明らかだ。
「さすがに死ぬかと思ったが、焔走のおかげだ。形勢逆転したぞ」
敵まであと10歩。ヤツの手にまともな武器はない。炎を振り払ううちに銃も、斧でさえも手放していた。
「真宿の人間をいったい何人殺したんだ。お前に良心の呵責なんて無いだろうが、みんな、真剣に生きてただろうよ。少なくとも、嘲笑いながら殺して良い相手じゃない」
あと7歩。敵の反撃はまだない。その右手は原型を残さないほど崩れており、炎に包まれるたびに狂ったように振り回すので、肩の根元から千切れてしまった。
「誰の意思か、思惑かは知らんが、お前は生きてちゃいけない。今ここで死ぬべきなんだよ」
あと5歩。間もなく手が届きそうな距離だ。
4歩。敵は燃えて転がる事を繰り返すばかり。
3歩。剣を掲げる。踏み込めば切っ先が届くだろう。
「お前の負けだ、覚悟しろ!」
「んふふふ……。果たしてそうかな!」
突然、敵が素早く転がった。オレの脇を目まぐるしい速度で。振り上げた隙を狙われた形だ。オレは僅かに反応が遅れてしまった。
その一瞬が、戦局をもう一度ひっくり返してしまった。
「んふ、んふふ。形勢逆転〜〜ッ!!」
奴が手にしたのはライフル銃だ。左手でトリガーを握りしめ、立膝にした足を支えにして構えた。狙いはもちろんオレだ。
相手との距離、10歩。駆けだせば詰められるが、今も右足には感覚がない。
「クソッ、どこにそんな力が……!」
「アーーッハッハ、覚者の命はいただきだ! お前さえ始末すればどうにでもなる――」
その時、けたたましい銃声が鳴り響いた。ライフルじゃない。振り向けば凜花の姿。貯水タンクの傍に倒れたままでショットガンを撃ち放ったようだ。
「あんま人間をナメんなよ、オイ」凜花はその言葉とともに銃を投げ出した。後は頼むという意味だろう。
散弾は距離が開くほどに散らばる傾向にある。凜花が撃った弾の半数は、床か虚空に飲まれて消えた。しかし残りは直撃。隻腕となった敵の腕も蜂の巣になり、筋も肉も寸断されたようにズタズタだ。
「あんらぁーー!? オレの、オレ様の腕がぁぁ!!」
「助かったぞ凜花」
オレは身体の向きを変えて、改めて敵を見据えた。もはやお互いを遮るものは何も無い。
「これで終わりだ!」
弱点は胴体。おあつらえむきにも、突き刺さったままの鉄の棒が、弱点に近い位置を貫いている。それのやや上を狙えば良い。
オレは真横に大剣を振り払った。刃が鉄板をかんで火花が飛び散る。片手では馬力が足りない。だから刃の背に肩を押し付けて、全体重を乗せた。
すると、刃はみるみるうちに食い込んでいき、最後には鉄板ごと相手の身体を両断した。
「うあっ、うわぁぁ! このオレ様が! 神に選ばれしこのオレ様がぁぁ!」
両断された片割れの下半身は、黒煙を撒き散らしては消えていった。残された上半身も、頭と左腕を残すばかり。そちらも断面から煙が立ちのぼり、長くはないように思えた。
「殺しそこねたか。今楽にしてやる」
「助けて! オレ様を選んでくれただろう! もう一度チャンスを与えてくれーー!」
すがりつく言葉とともに、敵は空に向かって左手を伸ばした。その瞬間、かつてない圧迫感が押し寄せてきた。
空を見る。暗雲はまだ残されていた。あれがアニマの塊だとしたら、コイツの願いまで叶えられてしまうハズだった。
「クソッ、やらせるもんか!」
オレは再び左手で剣を振り上げた。が、その瞬間、空に閃光が走った。それは暗雲だけでなく青空さえも切り裂き、一筋の軌跡を、まるで線でも引いたように残した。
その裂け目に沿って空が開いた。その向こうは一面が漆黒の闇で、点々と白い光が浮かんでいた。さながら宇宙空間だ。それ以外に言い表しようがなかった。
「いったい、何者の仕業だ……?」
裂け目から1人が姿を現した。緑玉色の長髪と、純白のローブに身を包んだ男。それはインフォのゾーンで見た、ロイドという名の人物だった。
ロイドはこちらを見下ろした。ぞっとするほど冷たい瞳に、思わず後ずさりそうになった。
「外界が騒がしいと思えば、こういう事か」
ロイドはつまらなそうに言った。そこへ殺人鬼が喚き声を響かせた。
「あはっ、あはは! アンタを待ってたんだよ! なぁ頼む。もう一度チャンスをくれよ、そしたらもっともっと人間どもをぶち殺して、死体の山を築きあげ――」
「気安く話しかけるな」
ロイドは台詞をさえぎると、自分の指を光らせた。
その瞬間、殺人鬼は断末魔の叫びを響かせた。かと思うと、残された上半身は鉄板ごと潰れてしまい、全てが黒煙となって消えた。
「な、なんだ。今の力は……」
桁外れの威力を前にして、オレは戦慄を覚えた。思わず剣を足元に落としてしまう。ガランと響いた音が、妙に遠く感じられた。
その間にロイドはというと、鼻で溜息をついた後、裂け目にの中に戻ろうとした。オレたちに敵意を向けるどころか、一言もないままに。
「待てロイド! これはお前の仕業か!」
オレが咎めると、ロイドは動きを止めた。そして背を向けたままで視線だけを寄越した。
「誰かと思えば、あの時の……。ジムの下僕どもか」
「質問に答えろ、これはお前が企てた事か!」
「クックック。多少なりとも脅威になるかと思いきや、あまりにも弱すぎる。これはとんだ見込み違いだったな。私の手を煩わせるまでもないな」
「なんだと!?」
「小僧、どこへなりとも行くが良い。そして無力感を抱きながら野垂れ死ね」
「お、おい! 待て!」
今度はロイドも止まらず、裂け目の向こうへ消えた。すると空は完全に塞がった。始めから何も無かったかのように、青空を取り戻していた。
「なんだったんだ、いったい……」
オレは呆然と空を眺めていた。やがて、焔走が歓喜の声を響かせた。
「よかった、おじさん! 無事なんだね!」
半身を起こした関元は焔走の身体を抱きとめた。首に受けた銃創は完全に塞がっていた。もちろん出血もない。
「ふぃぃ。どうにか今回も生き残ったなぁ」凜花が立ち上がると衣織も同意した。「私も、今回はダメかと覚悟しましたよ」
そこで屋上に一迅の風が吹いた。今も空から降り注ぐ光の粒子が、街中へ運ばれていった。灰色の街が白い輝きに満ちていくようだった。
本来ならばあまりにも美しい光景に、胸を打たれるところだ。しかしオレはこの絶景を眺める間も、ロイドの事ばかりを考えてしまった。凜花が何か話しかけてきたが、それでも上の空だった。




