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第86話 いつか見た未来④

 雑居ビルと思われた建物は、焔走の養父である伯父が所有する物件らしい。祖父の代から続くものだそうで、その年季は剥がれた塗装や、くたびれたタンクなどに現れていた。


 オレ達がそれとなく観察するうち、いつもの声がスピーカー越しに響いた。



――ほらほらクソガキちゃん。早く所定の位置につきなよ。さもないと、君の大切なおじさんとか、またイジメちゃうぞぉ?



 タンクの外壁の一部が、音を立てて崩れた。中は空洞のようで、できた穴から無数の鉄鎖があふれ出てきた。それら1本1本が意思を持つかのように宙に浮かぶ。まるで生きたヘビのようであり、動く度にジャラリという音を立てた。



「焔走。いかなくていいぞ」



 オレは身構えながら声をかけた。凜花や衣織も腰を落として覇気をみなぎらせた。憔悴を見せる関元でさえ、焔走を庇う姿勢になる。



「でもワタルさん。これをクリアしないとレリーフをもらえないんじゃ?」


「それは……。ルールなんて無視してスピーカーの主をとっちめる。それでどうにかしてレリーフを奪おう」


「いや、いいよ。僕は行くよ。おじさんのプレゼントが必要になるんでしょ?」



 焔走が関元に視線を送った。対する関元は、胡乱だった瞳をクワと開き、あどけない少年の言葉を受け取った。幼いながらも覚悟の感じられる台詞だった。


 

「でもね、やるけどね。おじさん。ひとつだけいいかな……」



 焔走は今度は俯き、自分の指元を見つめた。そして何か言葉を続けようとするのだが、声はかすれて、単語もたびたびつっかえた。


 そうまでして告げられた言葉は、激しく胸を打つものだった。



「おねがいだから、僕のことを嫌いにならないで……」


「当たり前だ。何があろうとも、オレはお前の味方でありつづける」

  

「でも僕は悪い子なんだ。ひと……人を……!」

 

「もう良いんだ。ほら、どうせなら共にゆこう」関元は焔走の肩にそっと手を添えて、静かに歩きだした。「お前の苦しみを分かち合うために」



 まもなく焔走が所定の場所についた。そのすぐ後ろには関元が立つ。2人で見据えるのは夫婦の蝋人形だ。それは焔走の存在を感知してか、ダミ声を響かせては頭を揺らした。



「タラタラしてんじゃねぇぞ焔走! さっさと来やがれ時間がもったいねぇだろ」



 伯父夫婦はいずれも屋上の柵付近に立っていた。鉄柵は大人の腰くらいの高さで、子どもでどうにか登れそうだと思った。


 そんな場所に焔走を呼びつけて、一体何を企んでいるのか。甥を虐待するような連中だ、ロクでもない事に違いない。そう思っていると、やはり耳を疑うような台詞が飛び出した。



「早くしろクソガキ。これを持ったまま飛び降りるんだよ」



 伯父の手には戦闘機を模したグライダーがある。それを手にして飛び降りろとは、どんな魂胆か。ビルの屋上は4階で地面も相応に遠く、落ちたら死ねる高さだ。


 まさかな、と思った。聞き間違いだと思いたかった。しかし伯母のほうが補足するかのように、決定的な言葉を吐き散らした。



「さっさと死ねよ。誰かに見られちまうだろ。お前にかけた保険金が入らなかったら、どうしてくれるんだい」



 そういう事か。オレは完全に理解すると、その杜撰な計画に目眩を覚えた。連中の狙いは、飛行機の玩具に夢中になった子どもが、屋上から転落した事にしたいらしい。意図的に殺した事は伏せて、あくまでも「不幸な事故」を装うつもりだ。


(この夫婦は酷薄なだけじゃなく、恐ろしく頭が悪いな……)


 保険屋だって身辺調査くらいするだろう。そうすれば日頃からネグレクトをしている実態が明るみになって、事件性まで疑われるに違いない。


 だが奴らはそこまで知恵が回らないらしい。焔走を殺せばどうにかなると考えているらしく、しきりに「飛べ」「死ね」と繰り返した。



(これがきっかけで焔走が殺人を……?)



 殺されそうになったから、返り討ちにしたのか。その予測も短絡的だろうか。


 オレは固唾を飲んで成り行きを見守った。焔走はひたすら俯いて鉄柵の方を見つめていた。関元はというと、変わらず焔走の背後にたち、悪逆極まる夫妻を睨みつけていた。


 だがその時、事態は急変した。突如として地震が起きたのだ。何の前触れもない縦揺れが辺りを襲う。その揺れ方は尋常ではなく、踏ん張らないと転がされてしまいそうだ。下手すれば、勢いを借りて柵を飛び越しかねない。それほどの揺れだった。



「衣織、凜花、摑まれ!」



 オレは2人の袖を引っ掴みながら、ひたすら堪えた。それでどうにか転落の悲劇だけは免れた。関元の方を見ると、彼も焔走を抱きしめては、揺れに対抗していた。時折、身体が酷く揺さぶられて、たたらを踏んだ。それも柵を蹴りつけるなどして態勢を立て直した。



「お……おさまったか?」



 どれだけの時間を堪えたかは、分からない。だがどうやら乗り切ったらしい。


 しかしまだ気を緩めるには早かった。オレは災害の日のことを思い返すと、背筋に冷たいものが感じられた。そして間髪いれずに叫んだ。



「みんな伏せろ! 頭を低くしろ! 熱風が来るぞ!」

 


 全員が慌てて伏せたところ、少し間をおいてから、遠くで轟音が鳴り響いた。重たい音は狂気すら感じさせ、風が吹き荒れる前から肝を冷やしてしまう。



「みんな、どうにか耐え抜くんだ!」



 オレの声は暴風の音にかき消された。あまりにも痛烈に吹き荒れる様は、何もかも吹き飛ばされるように思えた。服が千切れて飛ばされそうでも、髪の全てが引き抜かれるようでもあった。



「うわぁぁ、何だよこの風は! 台風なんてもんじゃねぇぞ!」


「口を閉じてろ凜花。訳の分からんものを食っちまうぞ……!」



 空がねじれたり、切り裂かれたりしそうな程の暴風だった。だがそれもいずれは治まる。実際、風は途端にやんだ。


 嵐が過ぎてしまえば、辺りは静かになる。まるで地震も暴風もそれら全てが嘘であったかのように、どこまでも穏やかだった。



「みんな無事だな。よかった……」



 あれだけの災害でも被害が無い事に、オレは胸をなでおろした。だが凜花が慌てて指をさした。焔走の方だ。


 

「おいワタル、いねぇぞ。あのバカ夫婦が」


「確かに本当だ。どっかに飛ばされたか……!?」



 屋上を見渡した所で違和感に気づく。それは鉄柵のむこううがわの、屋上の縁だ。無数の白い紐でもかかっているのかと思いきや、それは人の指と形が似ていた。


 少しギョッとして覗き込むと、それは夫妻の指で、縁にぶら下がっていた。そうして辛うじて転落を免れたようだ。しかし、他に支えるものは何もない。


 指を離せば地面まで一直線。そんな運命を辿るのも、そう遠くないように思えた。



「おい、ボヤッとすんなクソガキ!」伯父が血眼になって吠えた。


「アタシから先に助けなさいよ、レディファーストでしょ!」



 伯母も台詞を被せる勢いで叫んだ。命を奪おうとした相手に命乞いをするとは、因果応報にしてもお粗末すぎた。


 両者に恥という概念はないらしく、しきりに救助しろと喚いた。その後には、夫妻の醜い争いが待っていた。



「うるせぇんだよクソ女! テメェは後回しだ、オレが先に決まってんだろ!」


「なんですって? ふざけんじゃないわよクソデブ! こういう時は女が優先でしょ!」


「んなもん知るか!」伯父の怒声とともに重たい音が、鉄柵の向こうから響いた。間もなく、伯母の絹を裂くような悲鳴も聞こえてきた。「嘘ッ! ギャアアアーー!」



 悲鳴はみるみるうちに遠ざかる。そして最後にグシャリという音を聞いた。信じられない事だが、伯父は諍(いさか)いの果てに、長年連れ添ったであろう妻を手にかけたのだ。


 緊急避難にしても、これほど醜悪だと眉を潜めたくなる。


 

「へっ、邪魔者は死んだぞ焔走。だからさっさと助けろ。オレもそろそろ腕が……!」



 伯父に良心の呵責はみられなかった。今も自分が助かる事以外、何も考えていないらしい。


 幾度となく響く伯父の台詞には、さらにスピーカーからも余計な言葉が聞こえてきた。



――さてさてクソガキちゃん。あの時君はどうしたんだっけ〜〜?



 煽るような響き。そこへ伯父も必死の叫びを被せてくる。嫌な二重奏だ。



「早くしろってんだ! ボヤボヤすんじゃねぇよ!」


――言ってご覧よ。どうしたんだっけか? 普通は助けようとするよね、今にも死にそうな奴がいるんだものね?


「まさかテメェ、見殺しにする気かよ! ふざけんな、オレは年長者だぞ! 命がけで助けろ馬鹿野郎!」


――伯父夫婦が死んでくれたら、とか考えたでしょ? うわぁ酷い、どうしようもない人でなし! みなし児の君を拾ってくれた心優しい人たちを、こうもアッサリ見捨てるだなんて!


「マジでフザけんなよ! テメェも弟と一緒だ、オレの事を腹ん中で嗤ってんだろ、クソが!」



 立て続けになじられた焔走は、その場で膝をついてしまった。歯の根が噛み合わずにカチカチと鳴った。たまらず関元が「いい加減にしろ」と空に吠えるが、返されたのは嘲笑だけだ。



――ほらほら、泣いててもしょうがないでしょ。もしかして泣けば許されると思ってんの? これだからガキは嫌なんだよ。全然話にならねぇ〜〜!



 汚らしい罵詈雑言が飛び交う中、オレは無言で歩きだした。そして鉄柵を乗り越えて屋上の縁に立つ。足元には今も白い指が並んでいた。


 それを力いっぱいに踏みつけた。ダンという音が聞こえる程に強く。



「ギャアアーー焔走ァァーーッ!」



 でっぷり太った男の身体が宙を駆け抜けていく。それは地面に激突し、蝋でできた身体が四方八方に飛び散った。


 まるで花でも咲いたように、夫婦2つの身体が散らばる様を見た。それでも特に感じるものは無い。よく喋る無機物が壊れただけのことだった。



「しゃしゃり出てすまん。何だか無性に腹がたってな」



 オレが小さく謝ると、皆は呆然としていた。凜花も衣織も関元も、そして焔走さえも、両目を見開いたままでこちらを見ていた。


 皆があっけにとられる中、最初に反応を示したのはスピーカー越しの声だった。



――何してくれてんだよオイ! あとちょっとの所だったのに! 邪魔すんな、この人殺し!



 白々しいことを。オレは暗雲のたれこめる空をまっすぐ見上げた。



「人殺し? 何いってんだ。あれは蝋人形だろ」 


「あれだけ人に似せたものを躊躇なく殺したんだ。お前はサイコパスだよ、気質は殺人鬼そのものだよ!」

 

「いや、さっきお前が言ったろう。素直に生きろと。法も警察も行政もない世の中だからと」


――この野郎、屁理屈を……。


「あと言わせてもらうがな。お前に何の権利があって他人の人生をほじくり返してるんだ」


――ハァ? 別に権利なんかいらんでしょうが。オッサンもクソガキも、立派な罪人だから。その罪をつまびらかにして何が悪いっての?


「罪だと?」


――オッサンの方は家族をほったらかしにした挙げ句、犬死にさせた罪。ガキの方は大恩ある育ての親を見殺しにした罪だよ!


「確かに2人には哀しい過去があった。もしかすると、余人に明かせないものかもしれない。だがな」


 オレは空に向けて、人差し指を突きつけた。


「お前に断罪する権利など無い! お前はなんだ。嬉々として殺戮を繰り返す極悪人だろうが! そんな奴が人の罪をどうこう言うだなんて、笑わせるな!」



 オレの声は遠くまで響いたようで、こだまが聞こえるようだった。するとスピーカーからは何も聞こえなくなる。論破したか。そう思うなり、関心は別の方へと向いた。焔走の状態が気がかりだった。



「大丈夫か。まさかこれほどの経験をしていたとは」


「ワタルさん……。僕は、伯父さんたちを、助けようとしないで。その……」


「良いんだ。下手したらお前が殺されていたじゃないか。あんな奴らより、お前が生き延びてくれたことを嬉しく思うよ」


「本当にそう思ってくれる……?」



 オレの言葉を肯定するように、関元が焔走の背後から肩を掴み、ギュッと力をこめた。遅れて歩み寄ってきた凜花と衣織も、満足そうに頷いた。



「ありがとう、みんな……。僕はこの日から、ずっと、ずっとつらくて……」


「泣いてもいいし、話もいくらだって聞いてやるさ。だが今は用事を片付けよう。そろそろレリーフが現れてもおかしくないが」



 オレは屋上に視線を巡らせた。次なる扉も、レリーフを飾る台座も見えていない。行き詰まってしまったのだろうか。



「ここじゃないのかもしれない。いったん階段まで戻って、他所へ行けないか探してみよう――」



 そう言いかけて、オレは首筋に寒気を覚えた。伏せろと叫びたかった。しかし警告を発する前に、辺りに乾いた音が響き渡った。


 それと同時に血しぶきが舞う。関元だ。その首に風穴が空き、彼の身体はゆっくりと倒れ、足元に横たわった。



「おじさん? しっかりしてよ、ねぇ!」



 関元は首と、口から血を吐き続けた。焔走の呼びかけに応える事は無かった。倒れ伏す関元の代わりに言葉を発したのは、全く別の人物だった。



「ナイスゥ〜〜。ワンショット、ワンキルってね」



 声のする方を見れば、暗雲に紛れて渦が出来ている事に気づいた。その渦からは、長い銃砲が突き出ていた。 

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