第72話 朽ち果てた世界に生きる理由④
さぁてと、さっそく何か造りますか。朝の陽射しを全身に浴びた陰木が、気楽そうに言った。涼し気なワンピース姿だ。肩甲骨を晒しながら大きく伸びをしている。
「陰木、アニマはどうなんだ?」オレが問いかけると、不敵な笑みが返ってきた。
「それがね、不思議なんだけど、貯まり具合が良くなってるの。今朝起きたら20パーを超えてたわ。昨日の10倍くらい早い」
「それは朗報だな。何が作れそうだ?」
「20くらいじゃ派手な事は無理ね。さすがに2日続けて血を吐くような趣味はないから」
「同感だ」
オレも他人を心配できるほど万全ではない。身体はどこか気だるく、本調子でないことは明らかだった。
「何を造ろうか。今は何でも欲しい状況だが……」
食料が底を尽きかけている。ならば農場や農作物が必要か。翠を診察して判明したことだが、ここの避難民たちは栄養失調に陥りかけている。このまま食わねば餓死の危険性はもちろん、疫病の蔓延も起こりうるだろう。
疫病と言えば、野ざらしで眠る事も問題か。先日のような豪雨に見舞われた場合、全員がズブ濡れになる。廃墟に雨宿りすれば良い事だが、トラウマが原因で拒む者も少なくない。安心して寝起き出来る家屋も必要だった。
「それだけじゃないんだよな……」オレは隣の凜花に眼を向けた。
「なんだよ。どうかしたか?」
「そろそろ夏服も欲しいと思ってな」
いよいよ夏が近づいたらしく、気温も上昇してきた。春先の服では堪えきれない暑さだった。
オレはすでに愛用のトレーナーを脱いでいた。今は半袖Tシャツにデニムパンツという装いだ。凜花もライダースジャケットを車にしまいこみ、タンクトップ1枚とハーフパンツに着替えている。1枚布をローブのように着こなす衣織は涼し気だが、替えの衣服が無いので洗濯もできていない。
着替えや洗濯に頭を悩めるのは、避難民とて同じで、誰も彼もが薄汚れた格好をしていた。清潔な衣服の用意も必須事項だろう。
「やることが山積みだな。何から手をつけたものか……」
「だったら決めて貰えば良いわ」陰木はそう言うと、公園のいずこかへと消えた。そして戻ってきたときには顔役の男を引きずっていた。
「はい。偉そうなおっさんを連れてきたわよ」
「鬼道様、陰木様、私めに何かご用命でしょうか?」
顔役の男が平伏しかけるのを、オレは止めた。ともかく普通に接してくれと頼むと、彼は背中を丸めつつも、それなりの態度を示してくれた。
「何を造るか……ですと?」
「そうだ。ここには何もない。畜産も農場も、住める家も清潔な衣服も、まともな娯楽だってない。一通り造るつもりだが、オレ達の力にも限度ってものがある。野放図に生み出すことは避けたい」
「なるほど、なるほど……そうですなぁ」
男は伸び放題のヒゲをまさぐり、天を仰いだ。ちょうど太陽を見てしまったのか、眉間にシワが寄った。
「やはりここは神棚ですとか、神殿などでしょうか」
「待て待て。なぜ急に信心深くなった?」
「それはもちろん、我らが導き手の鬼道様、陰木様を祀り崇めるためでございますよ。現人神でいらっしゃるので、何よりも先に建てるべきと――」
「やめろやめろ。そんなもん造ろうとするな。それじゃあ、今すぐ案を出さなくて良い。皆と話し合ってきてくれ。その間にオレたちも何かしら進めておくから」
顔役の男を押し返すと、オレは陰木の顔を見た。
「もう手当たり次第だ。何か造っただけ役に立つ。お互いダブらないようにだけ気をつけよう」
「ふぅん。アンタは何をやる気?」
「水道はまだ使えるから、そうだな……。大きな家でも建てようか」
「そう。じゃあアタシはこの辺に、農地でも拓いておくわ」
そこまで言うと陰木とも別れた。お互いに公園の東西へと散っていく。
この公園の構造は、だだっ広い空きスペースを中心にして、端の方に遊具が並ぶ形だった。家を建てるならここだと考えて、すべり台の傍までやって来た。
「ん? そこに建てるのか?」凜花が訊いた。
「そうだな。既に住居として使ってる。ここを活用するのが分かりやすい気がして」
草編みの屋根の下を覗くと、そこには老婆が置物のように座っていた。陶器で白湯でも飲んでいるのか、無駄のない動きですすっている。
ここで少し作業したいと伝えたところ、老婆は顔をクシャッと綻ばせて「ごめんください、ごめんください」と繰り返し呟いた。そしておもむろに立ち上がると、ヨチヨチと歩き出した。
その老婆には衣織が付いて、近くのベンチへと誘導してくれた。それを見送れば、あとは気兼ねなく仕事が出来るというものだ。話し相手として衣織をとられてしまった事は、少し痛手に思う。
「さてどうするか。家を建てるにしても素材が要るな」
「素材ねぇ。近くの廃ビルとかでアスファルトの破片とか、金属片があまるほど落ちてっけど」
「いや、木造にしよう。最初のうちは雑魚寝になる。それなら板張りの床が良いし、なにより落ち着くと思う」
オレは早速、付近に植えられた木々に手をかざした。枝に葉は残っておらず、個体によっては今にも倒れそうだ。安全面からいっても木材に変えた方が良いだろう。
が、簡単にはいかなかった。
「うっ……。頭痛い。直接木材にするのは無理か……」
「大丈夫か? アタシも何か手伝うぞ」
「予定変更だ。近場の廃ビルに行くぞ」
そこでやるべき事は難しくない。一抱えの金属片を集めて、手頃な棒切を拾ってくる。それを素材にして生み出したのは、二丁の斧だった。
「これで良い。がんばって切り倒そうか」片方を凜花に差し出しながら言った。
「あぁ、やっぱこんな流れになるんだな」
凜花は鼻で溜息をついたが、それほど嫌そうな顔を見せなかった。そして公園を囲むように植えられた木々に、作りたての斧を叩きつけていく。
「うわぁ手がいてぇ! マジでしんどいんだな林業って!」
「明日にはタコだらけになってるかもな」
オレがタコだなんて言うもんだから、通りすがりの翠が変顔を見せてきた。そのタコじゃないし、危ないから下がってねと、向こうの遊具まで連れて行った。
「ワタル、そろそろ倒れそうだ。こんな時なんて言うんだっけ?」
「ティンバーとかだったような?」
「そっか。ティンバー! 危ないから近寄るなよ!」
凜花が繰り返し叫ぶと、翠も遠くから山びこを返してくれた。そして、持ち手のひしゃげた鉄棒にブラ下がっては、クスクスと笑った。
「ふぅ。どうにか1本倒せたな。これで足りるか?」
「待ってろ。木材に変えてみる」
オレは手のひらを倒木にかざして、木の板をイメージした。アニマの方は負担が軽い。変化はスムーズだった。
そうして生み出されたのは、長さ2メートルほどの木の板だ。幅はだいたい、広げた両掌がおさまるくらい。それが8枚ある。
「なぁワタル。これで家が建つ?」
「じゃあ次の樹を切り倒そうか」
「あぁやっぱり……。明日はマジで筋肉痛だろうな……」
そうして伐採作業に勤しみ、午前のうちに3本もの樹を切り倒すことが出来た。しかしその頃にはオレも凜花もへとへとで、額から滝のような汗を流していた。
「ワタルさん、凜花さん、お疲れ様でした。濡れタオルです」
休憩を見計らって衣織が差し入れてくれた。ひやりとしたタオルが肌に心地よい。そしてプラのコップも差し出されて、それを一気に飲み干した。ただの水道水だが、腹に染み込むようだった。
「さてと、陰木の様子はどうだろうな。様子を見てこようか」
そう言っては、公園の逆側まで向かった。
するとそこでは、陰木が両手を投げ出して地べたに寝転ぶ姿を見た。青空の下、青春のワンシーンとも言える光景だが、陰木の眉間はひどく険しかった。
「陰木」そう問いかけたのだが、陰木は返答代わりに片手を挙げて横に振った。
話しかけるなということか。オレは拓かれたばかりの農地に眼を向けた。踏み固められた地面の一部が、茶褐色の土に変わっていた。それは5メートル四方の広さで、土に触れてみると柔らかい。
「畑を作ってくれたのか。良さそうだな」
「全然よ。もう頭痛くて死にそう」陰木は少しヒステリックに答えた。
「後は種なり苗を植えたら、栽培を始めて良さそうだ」
「もうやった。野菜の種を持ってる人がいたから、適当にブッこんだ。でもそれ以上は……」
改めて畑に眼をむけると、ところどころに小さな葉茎を見つけた。陰木が言うには、何を植えたか分からないらしい。だからアニマで育ててみようとしたものの、結果はご覧の有様だった。
「陰木は少し休んでろ。オレがやってみる」
「やめときなさい。とんでもない事になるわよ」
「なんの芽かよく分からんが、スクスクと育つところをイメージして……」
その瞬間のこと。足首から力が抜けた。手をついて支えよう。しかし腕は動かせず、勢いよく倒れた。膝をしたたかに打ち、それでも止まらず、終いには肩を強打して突っ伏した。
「お、おいワタル! しっかりしろ!」
「確かにヤバい。陰木の言うとおりだった……」
「分かったでしょ。いくらアニマで好き勝手やれるとは言っても、命を操るのは無理よ。理論上は出来なくもないけど、アニマの要求量が桁外れだわ」
「そうらしいな。砂場に水を撒いたように、一瞬のうちに吸い取られたぞ」
「アニマで促成栽培なんて事を考えてたけど、これじゃあ無理ね」
陰木が、畑から顔を覗かせた新芽を見ては、落胆した。オレのアニマを吸ったくせに、その芽はほとんど伸びていない。誤差レベルの成長を示しただけだった。
「食料も住居も芳しくないな。やはり人力に頼る必要がある」
「避難民の奴らにやらせろって事?」陰木の顔が少しだけ和らいだ。
「大工とか農家の経験者、この際、家庭菜園が趣味だなんて人で良い。アニマで出来ない以上、リアル知識に頼るべきだ」
「賛成〜〜。アタシはしんどいから、後はよろしく〜〜」
陰木は片手を挙げて力なく振った。動き回るだけの気力は無いらしい。かくいうオレも自力では立てず、凜花に介助されることで、ようやく立ち上がった。
それから向かったのは公園の片隅だ。オレ達の作業場所が南東や南西で、こちらは北東の方角だった。避難民の大勢が熱心に作業を進めていたので、その外から声をかけてみた。
「どうした。今は何をやってる最中だ?」
問いかけると、皆が口々に鬼道様と言い、その場で深くお辞儀をした。深いと言えば、彼らの傍らに大きな穴が作られていた。何のためのものか分からず、ただ首を捻るしかなかった。
「これはゴミ捨て場か? それともトイレのつもり?」
「いえいえ穴を掘ることが目的ではなく、土を盛る方ですよ」
「そうか。土を盛って何をしようと?」
「台を造ろうと思います。とびきり高く、見晴らしと風通しの良い所に社を建立したいのです」
「おいまさか」
「無論、鬼道様と陰木様を祀るものとなります」
「だからやめろと言ったろう! そんなものより、もっと皆が使える有益なものを!」
思わず大きな声がでてしまったが、それと同時に避難民たちは膝を折って倒れ込んでしまう。
「あぁ腹減った……もう力が出ない……」
「おい大丈夫か!? 作業はもう良いから休め!」
凜花と手分けをして倒れた人を運び出した。何人かは深い穴の中で動けなくなり、引きずり出すだけでも重労働だった。
あらためて元気のある者の前で尋ねた。穴掘りを継続しようとするのは、やはり強く止めた。
「みんな聞いてくれ。この中に大工や農業の経験者は――」オレが尋ねようとした矢先だった、今度は別の方から悲鳴が聞こえた。
「誰か! ここに毒ヘビが出たぞ! とっちめるから手伝ってくれ!」
声はさらに別の方からも聞こえた。
「紬季おねえちゃん遊ぼ〜〜。死んだふりしてないで!」
「げふっ。ちょ、やめて翠。お腹乗んないで……」
さらにさらに声は聞こえてきた。
「ありゃまぁ〜〜ワシの白湯を知らんかねぇ? 飲んでたら、いつの間にか無くのうてねぇ」
「ママ、お腹すいたよ。乾パンきら〜〜い」
「やっとヘビを仕留めたぞ! 誰か捌けるやつはいないか!?」
あちこちで声が響いては、受取人のない要望がただよって消えた。
ここの人たちには、とにかくまとまりが無かった。思えば自明キャンパスにしろ、疾風旅団にしろ、知り合ったときには既に拠点も物資も揃っていた。
しかし今は違う。複数のグループで寄り合い所帯をつくり、ほとんど着の身着のままで逃げ込んだのだ。規則も物資も施設もない。ないない尽くしだった。
もう少し人手が欲しい。しかし、あるものでやる他なかった。
「こ、ここから……どうにか建て直さないと……」
オレはそう呟くが、言葉とは裏腹に寝込んでしまった。大穴には身体がスッポリと収まる。このまま埋められて長い眠りに落ちてやろうか、だなんて自暴自棄に誘われそうになる。
そんな時にスマホが震えた。わずかにアニマを食われた事に、少し苛立ってしまう。
「なんの通知だよ。身に覚えがない――」
取り出した画面を見た所、思わず眼を見開いてしまった。それは着信を知らせるもので、「浅生大介」と表示されていた。
通話にはすかさず応じた。
「久しぶりだねワタルさん! 僕の方は順調なんだけど、そっちはどう?」
懐かしい声、そして頼りがいのある口調に、オレの中で何かが弾けた。
「たす、けて……」それを告げるだけで精一杯だった。
「えっ、ワタルさん!? どうしたの? 今すぐ行くから待ってて! ええと、マップにから居場所を探そうと思うけど――」
そこで通話は途切れた。意味深な流れになってしまったが、かけ直す気力もアニマも残されていなかった。
「あのう、鬼道様? 先程からいかがなさいましたか?」
避難民が問いかけるが、オレに答える気力はなかった。代わりに応対したのは凜花だ。疲れてるから勘弁してやれと言っては、皆に退散を促してくれた。
それよりも頬に当たる湿った土が冷たく、心地よい。このまま大地の養分になってしまおうか。瞳を閉じて眠ろうとした。
しかしそんな暴挙は許されず、凜花に担がれて、いずこかへと運ばれた。オレが意識を保てたのはそれまでだった。抗いがたい睡魔に襲われて、自然と眠りに落ちていった。
次に目覚めるのは、はるばる自明キャンパスからやって来た軽トラの音を聞いた時だった。




