第71話 朽ち果てた世界に生きる理由③
西に傾いた太陽が長い影を作る。今は逢魔が時。現世とあの世の混じり合う刻限。そう思えば、枯れ木の影が死神の鎌のように見えてしまい、雑念を振り払った。縁起が悪いなんてもんじゃない。
「こちらです! 娘が草やぶで噛まれたと言ってました!」
案内されたのは、雑草を編んだ屋根を繋げただけの、すべり台の下だ。間に合わせに作った小屋は、今は診療所として扱われていた。
翠は呼吸を荒くしつつ、草のベッドに横たわっている。薄く開かれた瞳は虚ろで、生気を感じさせない。半日前には、陰木にまとわりついて騒がしかった事が嘘のように、今は静かである。
「誰か明かりをくれ。暗くて見えない」
オレがそう告げると、凜花が隣でハンドライトを灯した。小屋の外からも群衆の誰かがライトの光を向けてきた。
すると無機質な白色灯の中で、痛々しいほど傷口が見て取れた。
「噛まれたのは右足か……」
翠のズボンは膝まで捲りあげてあり、すねが剥き出しとなっていた。問題はふくらはぎで、鋭いキバで噛みついた後が、赤く刻まれていた。
「確かにヘビの噛んだ後ね。間違いないわ」
陰木が重たい声で言った。
「お前は詳しいのか?」
「別に医者なんて大層な身分じゃないけど。小さい頃キャンプによく出かけてね。知り合いが噛まれたことがあるの。その時に色々教わったんだけと……」
陰木の指先が、翠の傷口を指さした。
「ここよ。歯型の上に2つの傷があるでしょ。これは毒牙で噛まれた証拠。早く解毒しないと危ないと思う」
患部が青黒く膨らむ様子から、容態の危うさがうかがえた。足の切断、という言葉が脳裏をよぎるが、それも不可能だろう。設備もなければ外科医も居ない。
一応、避難民の中に看護師の経験者はいた。四十路くらいの女だ。執刀の経験などないし、手術に立ち会った経験も無いと言った。もっぱら内科クリニックに勤めていたらしい。
「血清を打って安静にすれば助かるわよね?」
陰木の問いに女も同意する。しかし血清などどこにあるのか。探すとすれば大学病院あたりだろうが、果たして、探し回るだけの猶予があるだろうか。
懸念は的中した。一刻を争う事態であることは、陰木のスマホが教えてくれた。カメラ機能を応用したもののようで、翠の身体を画面に映すと、自動的に診断がくだされた。
――極めて危険な状態にあります。軽度の栄養失調からくる免疫機能の低下が、症状をいっそう重たくしています。1時間後の生存確率は51パーセント。2時間後の生存確率は0.71パーセントとなります。
その言葉に息を飲んだ。オレ達だけじゃない。家の外から固唾をのんで見守る避難民達も、悲鳴を押し殺しながら耳を傾けた。
母親は狂ったように泣きわめきながら、握った翠の手に額を押し当てた。しかし握り返される力はあまりにも弱く、オレまで胸が締め付けられてしまった。
「つまり今夜が峠、いや、夜すら厳しいって事か……」
「ワタル。スイちゃんを駒江まで連れてこうぜ。あそこには医者が居ただろ」
「かなり回り道をしなきゃならない。2時間で到着できる保証はないぞ。それに、いくら医者でも薬や血清がなければ、治療も困難になると思う」
「そりゃ、そうだけどよ……。とりあえず車を回してくる。いつでも出発できるようにな」
凜花は小屋から出ると「どいてくれ」と言いつつ群衆をかき分けた。そして公園脇の路肩へと向かった。
その間に陰木は、唇を噛み締めながら膝を折った。そして母親とは反対側の、翠の隣に腰を降ろした。すると、弱々しくも翠の手が持ち上がる。今にも床に投げ出されそうなほど、儚い手のひらは、陰木が飛びついてまで握りしめた。
「ツムギお姉ちゃん……ごめんなさい」
翠が口にしたのは、痛苦でも懇願でもない。謝罪の言葉だった。その言葉は、途切れそうになりつつも続けられた。
「スイね、体がおかしいの。だから、おきれないの。今日はたくさんねて、明日げんきになるから」
ここで翠が大きく息を吸って、胸を膨らませた。そして吐く。その吐息はまるで、魂の抜け漏れるように聞こえた。
「そしたらね、いっぱい、いっぱい、あそぼうね」
ここで母親が再び泣き叫んだ。止め処なく流された涙が頬を伝って、翠の左手までも濡らしていく。
一方で陰木は対称的にも、眼尻を怒らせた。そしてよく通る声で力強く叫んだ。
「いくらでも相手してやるわよ。だから負けんじゃないよ。アンタはバカみたいに騒ぎまくって、アタシに怒られるくらいで丁度良いんだから!」
陰木は握りしめた手を離すと、今度は虚空に両手を伸ばした。天から授かり物を待つように、手のひらを上に向けて。
するとオレのスマホが振動。それは通知で、セカンダリーゾーンの出現を知らせるものだった。
「陰木、お前……」
「血清が手元に無かったら作るしか無いでしょ。あと注射器も」
陰木はそう言いながら、手のひらに小瓶を生み出そうとしていた。オレは「注射器は任せろ」と言い、ゾーンを展開した。それは競合せずに済んだ。
「注射器か……。インフルの予防接種で見たな。その時の記憶を呼び覚ますか」
オレも同じく手のひらを天に向けて、イメージを浮かべた。針、容器、ピストン部分。素材のない生成はやはり負担が大きい。特に緻密さを求められる箇所は、首の血管がねじまがるかのような、痛みと目眩にさらされてしまう。そこだけアニマの要求量が桁外れに膨らんだ。
久しぶりの不快な頭痛に堪えて、どうにか作り出した1本の注射器。端から見る限り、本物と遜色ないように思う。
「陰木、こっちは出来たぞ……」
問いかけに返答はない。陰木は今も奮闘中で、血清の用意を進めていた。薬瓶はすでにあるものの、中身がカラだった。中に薬液を満たしていくのだが、それが厳しい生成であることは想像に難くない。
「クッ……。アニマが、足りてない……!」
「陰木、大丈夫か。無理するな」
「話しかけないで! 気が散るでしょ!」
鬼気迫る顔でアニマを注入していく陰木。薬液はジワリ、ジワリとかさを増していくが、その増加量は微々たるものだ。陰木は、何度も何度も息継ぎをしては、果敢に挑んでいく。
すると陰木の片目から血の涙がこぼれだす。続けて咳き込んだところ、血しぶきが舞った。喀血だった。
「紬季ちゃん、大丈夫!?」
たまらず衣織が駆け寄るものの、陰木は手を休めない。「あと少しだから」と言って、アニマを注ぎ続けた。
そして大きな息を吐いた。薬瓶をオレに差し出してくる。その手は病人のように震えていた。
「あとは、お願い。さっきの看護師に」
息も絶え絶えになった陰木から手渡された。瓶の中の薬液は3分の1ほどの量だった。
オレはすかさず先程の女に手渡した。群衆は唐突な医療道具の出現にどよめいたが、今は見世物を愉しむシーンではなかった。
元看護師の女は戸惑いを見せながらも、血清を投与してくれた。そして「あとは薬が効いてくれたら」と言い残し、小屋の外へと出ていった。
「どうにかなったらしいな、陰木」
「はぁ、はぁ、クソしんどい! これっきりだかんね、無理するのは!」
「そうあって欲しいもんだよ」
狭い小屋の中で尻もちをつくオレ達に、母親は繰り返し頭をさげた。ありがとうございますと、泣きながら礼を言ってくれた。その額が砂で汚れるのを見て、オレは彼女を止めた。今は何よりも身体を休めたかった。
「ここは狭い。経過観察は母親に任せて、オレ達は別の小屋で休ませてもらおうか」
「賛成。早く横になりたいわ。衣織ちん、立たせて」
オレ達は「あとはよろしく」と告げて外へ出た。だが、その先に広がる光景に、思わず言葉を失ってしまった。
一面が平伏。土下座の海。居並ぶ避難民たちの全てが深々と頭を下げて、オレ達を出迎えた。子どもも理由が分からん顔をするが、周囲の作法にならった。
「まさか貴方様が本当に、神であらせられたとは! 知らぬ事とは言えど、これまでの数々の非礼、誠に申し訳ございません!」
「ちょっとアンタたち! 何してんのよ、そんなんじゃないっての!」
「我らはこの眼でしかと見ました! あれを奇跡と言わず何と呼べば良いのでしょう! 神よ、我ら無力なる民を導きたまえ……!」
まいった。オレが撒いた種とはいえ、こんな形で開花するとは予想だにしなかった。陰木の居場所を用意してやりたい一心の事だった。
そこでチラリと横を見れば、ニタリと笑う陰木の顔。オレは不思議と、心を斬られた気分になった。
「聞きなさいアンタたち。アタシはね、神様の中でも出来ない方。下の下の下みたいなもんね。でもね、ここにいる鬼道渉はガチのやつよ! 神様ガチ勢よ!」
「おい待て陰木」
「アタシの扱いなんてそれなりで良いから、崇拝するなら鬼道渉! 鬼道渉をよろしくお願いしま〜〜す」
「最高神、鬼道渉さま!」
「なにとぞ我らをお助けくだされ……!」
改めてオレに向き直った避難民たちが、またもや一斉に頭を下げた。あまりにも壮大な光景にオレの頬がヒクついた。
「陰木、お前なぁ……」
「フンだ、お返しよ! バァ〜〜カ!」
弾けたような笑顔を見せた陰木に、オレは何も言えなかった。こんな風に笑うのか。そう思うと、苦笑を漏らす事しか出来なかった。
それから夜は無難に過ぎ去り、迎えた朝。少し寝坊したオレを凜花が起こしてくれた。
「昨日はお疲れさん、最高神。ゆっくり眠れたか?」
「お前まで……やめろって」
「はい朝食。翠の事は心配いらねぇぞ」
凜花が椀を差し出したのはオートミール。牛乳はなく、湯でかさ増ししたもので、具の方が少なかった。
それを1人ですすっていると、小屋の外から賑やかな声が聞こえた。元気いっぱいの、暗雲など寄せ付けない、力に満ち溢れた声だった。
「見て見て紬季おねえちゃん! 変な顔〜〜」
「ぶはっ!? ちょっと翠、大人しく寝てなさい! 昨日の今日でしょうがアンタは!」
嵐にも似た賑やかさは、間もなくこちらへもやって来た。小屋の入り口には、頬を膨らませたタコが現れた。小さな唇を精一杯に突き出す、子タコの女の子だ。
「見てみてワタルお兄ちゃん。変な顔〜〜」
オレは嬉しくなって思わず吹き出してしまった。凜花も穏やかな視線を翠に向けている。
避難民たちの苦難はまだ終わらない。衣食住の全てに問題を抱えたままだ。しかし今ばかりは余計な事を脇に置いて、翠の見せる無邪気さに、眼を向けていた。




