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第63話 陰木紬季の正体③

 一条の光すら差さない無明の闇。オレは恐らく、そんな環境下に佇んでいる。



「どうしてこうなった。たしか、陰木のディープゾーンに潜り込んだハズじゃ……」



 指に触れるものはなく、足が地面を踏む感触もない。まるで水の中をただよっているかのようだ。


 しかし音だけは存在していた。すぐそばで、聞き慣れた声が響いた事からも明らかだ。



「ワタル、衣織ちゃん! どこに居んだよ!」


「凜花、オレはここだぞ」


「ここってどこ? なんも見えねぇんだが」


「待ってろ。かなり近いぞ」



 手を伸ばせば届きそうな位置に居るようだ。実際、虚空で指先に触れるものがある。


 まさぐって掴んだものは足首だ。そこから身体のラインに沿って手をすべらせていく。スネ、太ももと進んだところで、いきなり手首を強く握られた。



「オーケー、そこまでだぞワタル。アタシになにか言う事は?」


「合流できて良かった」


「おう。他には無いのか?」


「今度は衣織を探しに行くぞ」


「キレそう。ちっとはドキドキしろ」



 無事に合流できた事を喜びつつ、凜花の手を握りしめた。そして、巻き込まれたと思われる衣織を探し求めた。



「なんか訳わかんねぇな。ほら、部屋とか店とか、そんな場所に落ちると思ったのにさ。いったいどこなんだよ……?」


「初めてのケースだ。何が起こるか分からん。気を引き締めていくぞ」



 オレたちは今、浮遊しているのだと思う。ただし何も見えないので、前進しているか、あるいは上昇下降しているかも分からない。


 ただひたすら、『前』と思い定めた方へと向かうだけだった。しばらくして。微かに聞こえた声に、オレ達は安堵する。



「ワタルさん、凜花さん! どこですか!?」


「衣織、オレたちはここにいるぞ!」


「ココってどこ!? 何も見えないんです〜〜」


「手を鳴らしてくれ。音を頼りにピックアップする」



 すると、返事代わりにパチパチという音が鳴った。方向は左下というべきか。


 オレたちは潜水するイメージで進む。そして空いた方の手を伸ばすと、指先が何かに触れた。温かで柔らかなものが当たる。まさぐると、指の腹が穴を撫でるような感触を味わった。



「ワタルさん、そこ顔! あんまり触らないで……フガッ」


「すまん、何も見えないから。オレの手を掴んでくれ」



 こうして衣織とも合流できた。ひと安心と言えるが、事態は何も改善していない。



「せめて光っつうか、明るくなってくれないとな。何も見えねぇし」


「衣織。陰木の心を読めたりしないか? 何かヒントがあるかもしれない」


「今は意識が混濁してるみたいです。支離滅裂で、泣いてるようでも、怒ってるようでもあって」



 その言葉を聞いて閃くものがある。ここへ来る直前の光景にヒントがありそうだ。


 

「もしかして、アニマ枯渇の状態でサイコダイブしたせいか……?」


「どういうこったよ、ワタル。分かるように言え」


「陰木は、単に気絶したんじゃない。アニマを使い果たした状態で気を失った。そんなヤツの精神世界なんて、まともに具現化できないかもしれない。ちょうど今見ているように」


「それヤバくね? アタシら最初から詰んでるじゃん」


「その通りだ。アニマは時間とともに回復するものだが、いったいどれだけ待てば良いかは――」



 その時、一瞬だけ光を取り戻した。頭上の方で稲光が駆け巡ったのだ。付近を濃紫の光が照らす。そうしえ見えたのは、オレと手を握る凜花と衣織の姿だけ。他は一切が存在せず、地面すらなかった。


 陰木の心が虚無なのか、あるいは描くだけの力が不足しているのか。余人に分かる事ではなかった。



「ワタルさん! あそこ!」


「また稲妻か、頻度が増してないか?」



 雲雷にも似た光が目まぐるしく駆け抜けた。その濃紫の放電は、小さな火花を生み出し、やがてひとひらの火の粉を振りまいた。


 それは微かに煌めきながら、フラフラとたゆたい、こちらへと降りてきた。



「キレイ……線香花火みたい」



 衣織が手のひらを差し出して受け止めようとした。それが手に落ちた瞬間、まばゆい閃光が走った。


 そうして生まれたのは一枚絵のような静止画だった。そこには、ランドセルを背負う笑顔の少女が描かれていた。



――パパただいま〜〜!



 いずこからか幼い声が響いたかと思うと、別の誰かが応えた。



――おかえり紬季(つむぎ)。学校は楽しかったかな?


――あのね、うんとね、聞いて聞いて?


――もちろんだよ。さぁ教えておくれ。


――今日学校でね、家庭科があってね、お守りを作ったんだよ。良く出来たねって先生に褒められた!


――おやおや、本当だ。すごく丁寧だね。


――これお守りだから。パパにあげるね。身体が元気になりますようにって。


――そうかい? それは嬉しいね。これのお陰か、胸がだいぶスッキリしたよ。


――ほんと!? じゃあいっぱいいっぱい、い〜〜っぱい作ってあげるね!



 喜びに満ち溢れた声を最後に、絵画にも似た光景は消えた。唐突に訪れた静けさが、不思議な寂しさをもたらした。



「今のは陰木だよな。子供時代の」


「やっぱ、誰しもちっさい頃は純粋なんだな。可愛いロリだった」


「凜花さん、単語のチョイス……」



 稲光がまた駆け巡った。それは収まるどころか、少しずつペースを早めているように思える。そしてまた火の粉が降ってきた。今度はオレが手を伸ばし、その光に触れてみた。


 次に見た光景でも、陰木はランドセルを背負っていた。しかし若干ながらも、大人びた顔つきだ。前から数年は経っているように思う。



――ただいま〜〜。あれ、ママ? どうしたの、そんなに慌てて。


――紬季、良い所に帰ってきたわね。病院に急ぎましょ。


――病院……。もしかしてパパが?


――こないだ手術したけど、経過が良くないの。さっきお医者さんから電話があって、すぐ来てくださいって。


――ねぇ、パパは大丈夫だよね? また退院して、一緒に暮らせるんだよね? ほら見て、幸運の首飾り。ビーズで作ってみたの。これでパパも元気になるよね?



 音声はそこで途切れた。今度の静寂は、寂しいなどという次元ではない。胸が締め付けられるような重たさに、皆が押し黙ってしまう。


 そうする間も矢継ぎ早に記憶は映し出された。父の葬儀。陰木は両目を赤く腫らして肉親を見送った。幸運の首飾りを握りしめながら、泣きに泣いた。


 この日を境に家族の繋がりは酷く薄れた。母親が働きに出て、家を空けるようになったからだ。陰木は、来る日も来る日も寂しさに襲われ、さめざめと泣いた。彼女の人生は、この頃から体温が奪われてしまう。


 転機は高校に入った頃。陰木の家は友人のたまり場となっていた。



――へぇ、紬季ってアクセ作ってんの? すげぇじゃん。


――まだ練習中だよ、円香(まどか)ちゃん。下手だよね。


――いや充分じゃね? お店に並んでても違和感ないくらい。


――本当に並んだら良いな。お母さんを楽にさせてあげたいから。仕事が辛そうで、お酒もたくさん飲んじゃってるし。


――母子家庭も大変だな。


――そんな事より円香ちゃん。タレント活動の方はどうなの? スカウトされたって言ってたじゃない。


――あぁそれ? 今度、ドラマのちょい役で出してくれるってさ。


――すごいすごい! いつ放送なの? 録画しなきゃ!


――そんな大げさなヤツじゃない……。そうだ紬季。このチョーカー貸してくんね? 収録の時につけてみようかなって。


――えっ、本当に良いの?


――もしテレビに映ったらさ、話題になるかもしんないじゃん? まぁ、スタイリストにNG出されたら、諦めるしかないけど。


――うん、うん! ぜひお願い! そういう事なら、チョーカーはあげるよ。だからその話よろしく!


――マジ? くれんの? でも言っとくけど、約束までは出来ないかんな?


――全然いいよ! チャンスをくれるだけで充分だから。



 音声はそこで途切れた。比較的、良い記憶なのかもしれない。友だちができて、クリエイターとしての道が開けた予感が漂っている。


 その希望が陰木に力を与えた。毎晩のように夜更かしをして、懸命に腕を磨く。明るい未来を掴みとれるよう、重いまぶたを擦ってまで、研鑽を重ねていった。


 だが日を追うごとに、友人も遠慮しなくなる。陰木の部屋に友人の私物が増えた。



――ねぇ円香ちゃん。もしかして私のリップ、持ってたりする?


――え? あ〜〜ワリッ。自分の失くしちゃってさ、つい借りてたんだわ。返す返す。


――う、うん。次からは声をかけてね? 最近、色んな物が無くなってるから。


――それよりも紬季。あのチョーカーだけど、あと3個だけ頼めない? 女優仲間からおねだりされちゃってさ。撮影に間に合わせたいから一週間くらいで。


――ええと、できるだけ頑張るけどさ。時間かかるよ? 1つだけでも作るの大変だから。


――そうだよなぁ。でもそこは頑張ってくれよ。芸能界で評判になったらさ、そりゃもう、一気に有名クリエイターの仲間入りっしょ?


――うん、だよね……。きっとそうなるよね。やってみるよ。



 陰木は困惑しながらも、依頼を請けた。輝かしい未来が動力源なのか、友人の期待に全力で応えようとした。


 そんな充実した、それでいて賑やかな日々は長続きしない。無情極まる結末は、オレたちも間もなく追体験する事になる。



「また火の粉が降ってきた。ペースが早いな――」



 今度ばかりは様子が変わった。火の粉に触れたとたん、これまでにない程に激しい閃光がほとばしった。


 そうして見えたのは民家の中だ。これまでのような一枚絵ではなく、リアルな屋内が再現されていた。



「ようやくディープゾーンらしくなったか。ここは陰木の家だよな?」


「ワタルさん! あ、あそこ!」



 衣織の震える指が遠くを差した。それは、今いる台所からつながるリビングの方を向いていた。


 頃合いは夕暮れ時、窓から西日か差し込む。その燃えるように赤い光は、何者かの足を照らしていた。宙に浮き、ダラリと垂れ下がる。足だけでなく、両腕も垂れる。首にくくりつけられた縄は、天井の金具に繋がっていた。


 オレ達が愕然としていると、やがて玄関から物音がした。バッグを床に落としたかのような音だ。



――嘘でしょ……お母さん……。



 陰木の母はこの世を去った。自ら命を絶つという、あまりにも無慈悲で残酷な形で。


 ここからは足音も、ささやく声も聞かれず、ただセミの鳴く声ばかりが響き渡った。それは無限とも思えるほど、長く、そして重圧的な時間であった。

 

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