第61話 陰木紬季の正体①
雨脚は弱まるどころか、強さを増す一方だ。それは辺りの景色が霞むほどで、ひと気のない廃墟からは、得も言われぬ圧を感じてしまう。
「こわっ……。なんかその辺にオバケでも出そうじゃね?」
「そんな事を言うから、そこらに人影が立ってるように見えてきた」
「冗談でもやめろぉ!」
雨模様の中を立ち尽くす人、と思われたそれは街路樹だった。人と樹木の見分けもつかないほど視認性は劣悪だ。本当に亡霊が紛れているように思えて、気味が悪くなる。
「もしここに衣織が居たら、幽霊の言葉が分かったりするのかな。それとも死者の心は読めないのか」
「なぁワタル。この話題やめやめ! 別の話にしようぜ!」
「そうか。話題を変えるついでに進路も変えよう。雨が強すぎる。屋内を通って行くぞ」
「なお怖いじゃん! マジ廃墟だもん止めようぜ!?」
凜花は涙を浮かべてまで拒絶したが、容赦のない雨を避ける方が優先だ。すでに傘代わりの段ボールは限界に達し、たやすく破けるレベルにまで劣化していた。
そうしてオレたちは、小さな商店街へと足を踏み入れた。
「ひゅいっ……。だ、誰もいないよな?」
凜花がオレの背中を押しながら、及び腰になって歩く。確かに屋内は午前中だと言うのに薄暗い。陽射しが差し込む代わりに、上階で溜まった雨水が滝のように降ってきた。今日は太陽光に期待するのは難しいだろう。
そんな中で、ハンドライトを持ち込めた事は幸いだ。明かりが無ければ、そこらの雑多なゴミに躓きかねない。
「ひぃ、はぇ、ふぇぇ。早いとこ抜けちまおうぜ」
「ん? あそこの物陰に誰かいないか?」
「やめろってそういう事言うの! そろそろ泣くぞマジで!」
「いや違うな、人じゃない。だが……」
ライトを向けて観察した所、あまりの異様さに言葉を失った。何か苦いものが口内に広がり、強く唾液を飲み込んだ。
「なんだよぅワタル。さっさと行こうぜぇ?」
「見ろ凜花。マネキンだ」
「それがどうしたっての。ここがアパレルショップ跡とかじゃねぇの?」
「そうじゃない。良いから顔を向けろ」
オレは凜花を引きずるようにして、マネキンの方へと歩み寄った。近くまで来ると尚更、その異常性を痛感せざるを得ない。
女型のマネキンは床に転がされているのだが、左目に矢が突き立っている。関節という関節の全てがデタラメに曲がり、あらぬ方を向いた。胴体が砕かれて身体が2つに分かれるのも、人形とは言え痛々しく見える。
「極めつけはこれだな。コンクリートに広がる血しぶき。壁の上にまで届いてるから、よっぽど激しい出血だったんだろう」
「つまり、何さ。ここで怪しげな儀式でもやってたって事?」
「果たして儀式か、これは……?」
その言葉には首を捻りたくなる。例えば黒魔術のようなものを使ったとして、こんな跡が残るだろうか。
自然に考えたなら、別の光景が脳裏に浮かんでくる。
「ここで戦闘があったんだろう。このマネキンはとばっちりを食った、という所かな」
「分かった分かった。もう何でも良いから、早く行こう!?」
凜花の懇願はもはや、悲鳴も同然だった。検証はそこそこにして、先を急いだ。ほどなくして、大暴れした記憶の新しい東エリアのマンションへとたどり着いた。
「お、おぉ〜〜い。昨日は悪かった。ちょっと話し合おうぜ?」
エントランスで凜花が声を響かせた。返答はないものの、応戦する様子もなかった。防戦の気配に代わり、上階から流れ込む雨水の音が聞こえるばかり。風まででてきたのか、粉々に破損した窓から雨風が吹き込んできた。
「おい、ちょっとくらい良いだろ? アタシらとお喋り!」
「返事が無いな。移動したのか?」
「かんべんしてくれ……どんだけ廃屋があると思ってんだ……」
ひとまずエントランスから、奥の通路へと向かった。タンスやロッカーを積み重ねたバリケードも無人で、通過する事に苦労はなかった。
通路の左右にドアがあり、それを手前から開いていった。そして3つ目のドアを押し開けた時、ついに人の姿を見つけた。
「ここに居たのか」
中は8畳間程度のスペースで、破れた絨毯や、綿の飛び出たクッションが置かれていた。そこに7名程度の男たちが、身を寄せ合って座り込んでいた。
窓にはガラスの代わりに木材が打ち付けられていた。それでも雨風は吹き付けてくる。天井からの雨漏りも認められるが、ここに集まっていることから、状態が比較的マシな部屋なのだと思う。
「何しに来た。首でも取ってこいと言われたか?」
ガタイの良い男が低い声で言った。少し青ざめた顔だ。確かに夏が近いとは言え、濡れそぼってしまえば冷えるだろう。
「昨日はまぁ、済まなかった。落ち着いた今、少し話がしたい」
「消えろ。オレらに話すことなんてない」
やはり拒絶された。好感度がほぼ最低値であることは予想どおりだ。何らかの形で貢献してやらねば、毎日足繁く通ったところで心を開いてはもらえない。
ならば、自分に出来ることはと考えて、1つ妙案が閃いた。
「セカンダリーゾーンを展開する」
独占的展開なので、負荷はほとんどない。そして、周囲に散らばるコンクリート片を変換して、天井の穴をすべて塞いだ。続けて、バリケードの一部を抜き取っては、簡易の暖炉を作成した。
立派なものではない。金属で四角形の箱を造っただけだ。オマケとして、薪代わりの木材も一抱え分だけ用意した。
「これで寒さを凌げるだろ。あとはどうにかしてくれ」
「おい兄ちゃん。いったい何を……」
「まぁ、大掛かりな手品みたいなもんだ。当面は問題なく使えるはずだ」
「へっ。訳の分からんやつだ。昨日はいきなり押し入って暴れたかと思えば、今日は施しなんてやりやがる。こっちの頭がバグりそうだ」
「まだこの界隈について詳しく知らない。暴力で解決してしまったことは、今になって申し訳なく思う」
オレが内心を包み隠さず告げると、男は小さく笑った。かすかに張り詰めた空気が緩んだ気がする。
「ひとつ忠告してやる。A番街からは即刻立ち去れ。関わろうとするな」
「どういうことだ?」
「あそこを支配する陰木という女も、不思議な力を使う。そのうえ頭までイカれてやがる」
「お前らと何か因縁でもあるのか?」
「もともと、A番街跡地にはオレ達が住んでた。人数も今よりずっと多かった。だが、あの女がフラリと他所からやって来た日に、全て変わっちまったよ」
男が語りながら眼を伏せた。そして握りしめた拳が震える。それは怒りか、あるいは恐怖か。傍目からではよく分からなかった。
「アイツは言った。服従か、それとも無様な死か、好きな方を選べと。その結果は……言わなくても察しがつくだろ?」
「陰木に反発した。そして拠点から追い出された」
「大体合ってる。オレたちも必死に戦ってるが、旗色は良くない」
「A番街に暮らす人は少なくない。あれは服従を誓った結果か?」
「いや知らん。オレたちの身内じゃないからな。だが分かっている事は、A番街に暮らしてる連中は、あの女のお気に入りだという事。奴は気に入った相手にだけは優しい」
「その気に入られた人物が、陰木と仲違いした場合は?」
「さぁな。恐らく追放だとか、そんな処遇じゃないのか」
「そうか。貴重な情報だった」
オレは男たちと別れを告げると、速やかにマンションから出た。そして、いくらか雨脚の弱まった街中を、ひたすらに駆けていった。
「どうすんだワタル。まだ勧誘を続けるのか?」
「いや、A番街に戻るぞ。衣織を力づくで取り返す。陰木という女は、想像してた以上に危険人物だと分かったからな」
「おっ。ようやくその気になったのか! てっきり相手が女だからって、戦闘を避けてると思ってたぞ」
「そんな理由じゃない」
だが、凜花の言葉は半分だけ正解だ。陰木とはなぜか、戦うべきでないという気分にさせられた。その理由は検討もつかない。ただ何となく、争ってはならないと感じただけだ。
オレは疑問に答えを見つけられないまま、A番街へと戻ってきた。そのころ陰木はというと、衣織を連れて本屋の中に居た。
店内に所狭しと並ぶ本棚には、様々な本が詰め込まれていた。在りし日の、まだ平和だった頃の光景が思い出される。
「これとこれが、アタシのオススメ漫画よ衣織ちん。こっちは元軍人が財宝を探す話で、もう1つは長寿のエルフが長旅を――」
「そこまでだ陰木。衣織を返してもらうぞ」
「ウザッ……。クッソウザ! なんなのよアンタたち! そろそろ痛い目に遭わせるわよ!?」
「望む所だ!」
オレはすかさずゾーンを展開した。当然のように競合して、重たい負荷が肩にのしかかった。しかし、まだマシな部類だったことで、少しだけ心に余裕が生じた。
「ふぅん。アタシとやる気なのね? 良い度胸じゃない」
「初めからこうすべきだった。ともかく衣織を解放しろ。返答次第では強硬手段をとる」
「ハッ。めんどくさ。外の連中に殺されてりゃよかったのに。そしたら行き場をなくした衣織ちんが、アタシを頼り切りにしたでしょ」
「それは浅知恵だったな。そのルートはもう諦めた方が良い」
「そんな事無いわ。アンタたちが死んじゃえば、似たような結果に落ち着くもの」
そう言い切った陰木が、指をパチンと鳴らした。その音は不思議なまでに反響し、大きく、そして長く響いた。
するとどうか。本屋の店員や、道路向かいの住民がコチラへ向かって歩きだした。ただし妙に動きが固い。さながら関節を失ったかのよう。生きた人間とは思えないぎこちなさで、出入り口に数名が詰め寄った。
「さぁアンタたち、やっておしまい。徹底的にブチのめしてやって」
陰木が言うと、手下たちは両目を赤く光らせて、力強く構えた。
もう後にはひけない。オレは警棒を握りしめ、戦う意思を示した。しかしなぜだろう。この期に及んで、陰木と戦闘を繰り広げることに、何となく拒否感を抱いてしまった。




