第八章 轟け魔法! 頼むからちゃんと発動してくれぇ
ムカムカとした気持ちを抱えながら階段を上がっていくと、落ち着いた雰囲気の部屋に辿り着いた。
先程までの地獄の連続が嘘のように、室内は静まり返っている。テーブルには魔導書みたいな本が置かれていて、床には魔法陣らしき紋様。壁際の本棚にも、何だかすごそうな背表紙の本がみっちりと詰まっている。
ここはもしかして、魔法を研究する部屋なのだろうか。
「ここも、色々探索すべきなんだろうなあ」
右手に扉が見えているが、この部屋をろくに探索せずに進んでも、きっとまた何かかんかが原因で死ぬことになるんだろう。流石に、それくらいは学習した。
いつもは探索という言葉をしんどく思う俺なのだが、今はめずらしく気分が乗っている。何故かというと、この部屋で得られるものに対する期待が強いからだった。
「きっとここには、魔法が眠っているに違いない」
そう、魔法だ。この部屋からは、ありとあらゆるところから魔法臭がプンプン漂っている。
つまり、ここには今後の攻略に必要となる魔法が眠っているかもしれないということだ。
「勇者が魔法を使う話は腐るほどあるもんな。いくら俺が勇者っぽくないとはいえ、魔法くらいは使えてもおかしくないはずだ」
聞いた話だと、特に才能がなくても手に入れた魔法をすぐさま使いこなした勇者も中にはいたという。ということは、凡人凡人と罵倒され続けている俺にもそこそこ希望があるということだ。
「よーし。一丁やるか」
久々のまともな部屋ということもあり、何となく気合が入る。俺は鼻息を荒くしながら、重箱の隅を楊枝でほじくるような探索を嫌がることもなく開始した。
まず、テーブルの上に置かれている、いかにもな感じの魔導書を手に取る。そして、一ページずつ地道に目を通し始めた。
「おおっ」
全然重要そうでない情報ばかりで若干眠くなり始めた頃、ついに俺の興味をひく記述を発見した。
それは、魔法を発動するための呪文についてのものだ。
「えーっと」
早速読み進めると、そこにはこう書かれていた。
『そのイカズチは、翼竜をも一撃で打ち倒すであろう。〈ライトニング〉』
『もしもの時に放てば、一瞬のうちに立ちはだかる敵を殲滅させる禁断の呪文。〈ズドンヴァ〉』
『この呪文を受けた者は、深い眠りに誘われる。〈スリピア〉』
『これを使う時は、恥を捨てよ。さすれば、命だけは助かるだろう。〈マイスルー〉』
何ということだろう。この魔導書を読んだだけで、すごそうな魔法を四つも習得することができた。特に、前半の二つはかなり活躍に期待できるのではないだろうか。
……何せ、剣を全く使いこなせないんだから、敵を倒すのに特化した魔法くらい使えないとな。
「で、他はどうなのかな」
一通り魔導書を読み終えてから、次に目を向けたのは本棚だ。ここにも、まだまだ役に立つ情報が埋まっているかもしれない。先程の収穫でさらに高まっている期待を胸で躍らせながら、いそいそと本を手に取ってはめくる。
「何だこりゃ」
しかし、都合よく物事が進むというのは、そう長く続くものではないようだ。本棚に収められていた本のほとんどは、『モテる秘訣・イケイケ魔物講座』だとか『これでアナタもスタミナ戦士! ビンビンお料理レシピ』などというくだらないものばかりだった。この城に住んでいる魔物は、一体何を考えているのか理解に苦しむ。
その後も色々探索しまくったのだが、これといって役に立ちそうな物は一つも探し出せなかった。となると、もう残された選択肢は先に進むことしかない。
「じゃあ、行くか?」
そう言って扉の方を向いてはみたものの、いまいち嫌な予感がしてならない。いつぞやのキマイラの時に感じた、とてつもない不安感。ひょっとすると、この先にはまた中ボス的な魔物が待ちかまえているのかもしれない。
「だ、大丈夫だよな。きっと。だって、今の俺には……」
そう。今の俺には何だかすごそうな魔法が四つもある。それを頑張って頭に叩き込んだのだから、どんなことがあっても多少は大丈夫のはずだ。きっと、多分、おそらく、絶対にだ!
「よーし!」
パンパンと頬を手の平で叩き、気合を無理矢理入れる。
「そういえば俺、気合の入れ方これしか知らないなあ」
自分の単純さに少々呆れながらも、強引に意を決して扉を開けた。
扉の先には、意外な光景が広がっていた。
天井がなく、頭上には暗く染まった空が広がっている。目の前には、城と城とをつなぐ橋もあった。どうやら、ぐるぐると城内をさまよっているうちに最上階に到達し、ついには外の景色を拝める地点にまで行き着いてしまったらしい。
にしても、魔王城がこういった構造になっていたとは。門の前だと、ただひたすら高い城壁しか見えなかったから気がつかなかった。
「つまり、この橋を渡って城のあっち側に行けってことだな」
今までいた側はすっかり探索し尽くしたし、きっとそういうことなのだろう。多分、魔王クージャも向こう側に……。
「行くしかないよな」
先に進めば、おそらく城の攻略も中盤に差しかかるだろう。見たところ、橋の作りは丈夫で渡った瞬間に落ちてオダブツみたいなトラップもなさそうだ。これは、渡るより他はないだろう。
「よーし!」
パンパンと頬を手の平で叩き、気合を無理矢理入れる。本日二度目であることをきれいさっぱり忘れてやったものだから、頬が痛くなってしまった。
「痛たたたた……うう、やっぱり学習能力ねえのかな。でも、行くぞ」
何故かガクガクと震え始めた足を引きずるようにして、一歩一歩確実に前進する。するとどこからか、風を切るような音が飛んできて耳をつんざいた。
「なっななな。何だあ?」
黒い影が、橋に突如浮かび上がる。顔を上げると、そこには巨大な翼をもったドラゴンの姿があった。
「俺の勘、すげえ……」
確かに、中ボスがそろそろ待ちかまえているような予感はしてはいたんだ。でも、その相手がドラゴンって。どこかの世界では、ラスボスをも務めあげているという、あの、ドラゴンって。
「グアアアアア!」
「ひいっ!」
たった一声しただけで、ビリビリと周囲の空気が揺れる。
絶対こいつ、中ボスの粋越えてるって。てか、こいつを雇ってるクージャってどんだけすごい魔王なんだよ。勝てる気がしないという言葉は、きっと今使うためにあるんだろうなあ。
「ど、どどどどどどうしよう……」
ここは一旦くるりと背を向けて、魔法部屋に戻るべきなのだろうか。いや、そんなことをしたらここぞとばかりに火でも吹かれてご臨終という展開となるに違いない。つまり、ここは無謀にも応戦するというのが正解だろう。
だが、このラスボス並のドラゴンをどうやって倒せばいいんだ。剣で切りかかろうが、槍を放り投げようが、全く勝てる気がしない。ましてや……ん?
「おっ」
あったではないか。たった一つだけ、このドラゴンに打ち勝つ手段が。つい先程、その手段を手に入れたばかりではないか。
「そうだよ、魔法だ。魔法を使えばいいんだよ!」
そう、眠くなりながらも頑張って読み進めた魔導書に、いかにも「さあ、ここで私を唱えなさい!」と訴えていた呪文が書かれていたではないか。
奴が強く訴えている雰囲気を醸し出しているにも関わらず、それをここで使わずに一体どこで使うというのか!
「やってやるよ。ドラゴン、お前を勇者であるこの俺がやってやるよ」
右手を前に突き出し、意識を集中させる。魔法なんて使ったことはもちろんないが、大体こんな感じなんじゃないかなあと思いつつかまえる。
端から見るとちょっとイタい奴なのかもしれないが、多少格好をつけたって敵を倒せれば誰も文句は言いやしないだろう。
食らえ、ドラゴン。勇者のイカズチをその身に受けて、朽ち果てるがいい!
「ライトニング!」
……あれ?
「ん? んん? んんん?」
間違いなく、俺は呪文を唱えたよね? あの、翼竜を一撃で打ち倒すとかいう〈ライトニング〉って魔法を発動する呪文を、大声で唱えましたよねえ?
現在の状況を端的に例えるならそう、これが最もふさわしいだろう。
「しかし、何も起こらなかっ……」
ゴオオオオオオーっ!
ドラゴンの口から、轟音とともに灼熱の炎が放たれる。それは、あっという間に俺の身体をすっぽりと包み込んだ。
身体が骨も残らず灰と化したことだとか、ああ、また俺死んだんだなあ……だとかはもうどうでもいい。
ただ、魔法が不発に終わったことがあごが外れるくらいショックで仕方がなかった。
ここは、ダークキャッスル前。もう見慣れた景色と言うのにも、段々と飽きてきた。
しかし、そんなことよりも、やっぱり魔法の不発事件の方が気になって仕方がない。
「どうして、ちゃんと発動しなかったんだよ」
あんな短い呪文、間違えようにも間違えられない。しかも、発声方法も完璧だったはずだ。それなのに、何故放たれるはずのイカズチが全く発生しなかったのだろうか。
「タカシよ。またやらかしたのか」
どこからともなく、無神経なおっさんの声が聞こえてくる。自称神の声は、俺のトゲトゲとした神経をさらに逆なでさせた。
「やらかしたって、その言い方はないだろ」
「だって、やらかしたと言う以外にふさわしい表現があるか。お前、また死んだんだよ? もう何度目? しかも、ドラゴンに無謀に挑んで負けるって……キマイラの件での反省、これっぽっちも活かせてないじゃないの」
「無謀って言うな! 今回はな、ちゃんと部屋を探索して攻略法を導いた末に何故かこういう結末を迎えてしまったというだけであって、決して無謀な勝負に挑んだわけじゃねえんだよ」
「だから、そのちゃんと部屋を探索して攻略法を導いた末に何故かこういう結末を迎えてしまったという展開が無謀だったって言ってるわけ。タカシよ、お前は肝心なことを忘れて行動したからこそこんなことになっているのだぞ」
「はあ? それ、どういう意味だよ。この俺に落ち度があったから、ドラゴン退治に失敗したって言うのかよ。ふざけんな。俺はしっかり呪文をだなあ」
「はい、そこ! そこだよ、タカシ君。その部分が敗因だよ」
「はあ?」
呪文をしっかり唱えたのが敗因?それのどこが敗因だっていうんだよ。
「そこって、どこだよ。どういう意味だよ」
「ええ~? それ、直接神に聞いちゃう? だからゴッドコンというのは全く」
「どんだけ気に入ってんだよ、そのゴッドコンって言葉。流行らせたいのか?」
「何気に、天界での流行語大賞を狙っております。えへ」
「えへ。じゃねえよ! ふざけてないで、ちゃんと説明しやがれ!」
「はいはいはい。ふざけてなんぼの神様なのになあ……あのね、お前は自分が何なのかわかってる? 冷静になって、よーく考えてみよう」
「冷静に? 俺は、あんたいわく勇者だろ」
「まあね。でも、私が問題としたいところはそこじゃないんだなあ。はい、深呼吸をして、さらによーく考えてみよう」
「……おい、それってまさか」
「お、その顔は気づいたね」
いくら鈍い俺でも、ここまで言われたらわかるというものだ。多分、俺の顔面には、青筋が何本かうっすらと浮かんでいるに違いない。
そう、俺は勇者は勇者でも……。
「俺が凡人だから、魔法の発動に失敗したって言うのかよ」
「ピンポーン。だーいせーいかーい」
ブチっ。ブチブチっ。ブチブチブチっ。
何か、どこかで何かがキレる音が聞こえたんですけど。
ああ駄目だ。たまには落ち着いて神と討論してみようと思ったのだが、この話題にはキレずにいられない。
「なっ何が大正解だよ! 何で凡人だからって魔法を使えないんだよ! 差別か? それは新手の差別か? おいおいおい。ガチでふざけんじゃねえぞ!」
「ふざけてないって。タカシよ。ほら、よくよくよーく考えなさい。魔法の発動には、一体何が必要だと思う?」
「はあ? んなもん、それを発動させるための呪文だろ」
「それ以外にも、大事なものがあるんだなあ」
「じゃ、じゃあ……杖とかか?」
「ぷぷっ。今時の魔法使いは、杖がなくても魔法なんてかるーく使えるもんだよ。ほら、もっと大事なものがあるじゃない」
「だーかーらぁ。俺には心当たりってもんが」
「んもう、仕方ないなあ。じゃあ、神である私が頭の固いタカシ君に正解を教えてあげるとしよう。それはね、魔力だよ。ほら、簡単に言うとMPって奴?」
「あ……」
魔力って、あれか。魔法を使う時に、自動的に術者自身のものから消費されて差し引かれるっていう、あの魔力のことか。
しかし、そんな簡単な正解発表で納得ができるほど、俺は物分かりがよくないのだ。
「そ、それが何だっていうんだよ」
「あらら、まだわかんないの? よし、今回は出血大サービスだ。例えを用いて説明してあげよう。あのさ、もし何かすっごい威力がありそうな感じの魔法が存在しているとします。で、それを発動させるための呪文を、村人Aみたいな人が唱えてみたとします。それで、魔法は発動されると思う? 無理でしょ。だって、村人AにMPなんてないんだから。火をドーンと出す魔法を使おうが、風をビューっと出す魔法を使おうが、不発になるに決まってるじゃーん」
あの、それ、すっごく楽しそうな口調でお話してやがりますが、つまりは俺のことを直接的に馬鹿にしていらっしゃいますよね。何か、とてつもなく不愉快極まりないのですが。
「そうか、俺は村人Aか。だったら、帰っていいよな。だって、勇者じゃなくて村人Aなんだもんな」
「コラコラコラ! 帰るな! すねるな! タカシよ、勇者というものは、最初はMPがゼロというのがセオリーなのだ。つまり、MPを底上げするようなドーピングができるアイテムを使えば、凡人であるタカシにも勝機が見えてくるというわけで」
「何か、さっきと言ってることが矛盾してる気がするんだけど。俺が聞いた感じだと、村人Aがいくら努力したところでどうにもならないって言ってるように思えたんだけどなあ」
「そう聞こえたなら謝るから。ほら、この前よりも美しく素晴らしい、絵画のモデルもびっくりなくらいのフォームで土下座するから。だからほら、機嫌直して!」
「だから、あんたに土下座されても俺には見えてねえっての。ふざけてなんぼの神様だとか名乗るくらいなら、同じボケを何度も乱用するなよな」
「おっ。タカシだって矛盾したことを言ったな。さっきはふざけるなとか言っといて、今度はふざけ方にケチをつけるとは」
「……帰ろっかな」
「だから、帰らないで下さいってば! ぜひとも、ドーピングアイテムを見つけ出して魔法の発動に成功して下さい。勇者として、この世界を救って下さい。訳あって、タカシ君にしか頼めないんです。お願いですから。以上!」
「あ、逃げやがったな」
もう、おっさんの涙声は聞こえてこない。つまり、帰ろうとしても俺を引き留めようとする奴はいなくなったというわけだ。でも。
「久々に、スッキリしたなあ!」
そう、俺の気分は今までにないくらい清々しくて仕方がないのだ! これも全て、あの自称神を泣かせることに成功したからだ。
まあ、ざっくりとしたヒントであったとはいえ、一応は攻略の鍵も手に入れた。これで尻尾を巻いて帰ったら、ヘタレ野郎のレッテルを貼られしまう。それも癪だからまあ……やってやるか!
こうして俺は、いつもよりも意気揚々と城に再挑戦しに行ったのだった。