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第十五章 妖艶の誘惑 クージャめ、色気を使うのは卑怯だぞ!

 自称神にイカズチをぶっかました後、俺は泉が湧く部屋まで戻り錠前に塩水をかけてじーっと待っていた。

 悔しいことに、青い扉の錠前を破った時と同じように、物々しい雰囲気を放つ扉についた錠前は塩水の効果で徐々に朽ち果てていく。もうやだ、塩が大活躍することで攻略できる魔王城なんて。

「クージャだって、塩が城を攻略するために必要とされるものだって推測してなかったんだろうな。俺だって、全然想像できなかったし。にしても……盛り下がるなあ」

 最強の武器は当分お預け。魔王退治や世界平和もお預け。でもって、塩だけがここぞとばかりに猛威を振るう。これぞまさしく、しょっぱい展開って奴か?

 つまらないシャレを頭に浮かべながら、俺は凍てつく泉が湧く部屋を後にした。


 いかにも「この先、魔王戦」と言っていそうな感じの扉の先には、階段地獄が待ち受けていた。

「はあ……はあ……どんだけ続くんだよ! てかこの城、本当にどんな構造してやがるんだよ! ツッコんでたらキリがねえ! うう、怒鳴ったら酸素が……ゲホゲホっ」

 下り階段ならともかくとして、えんえんと上り階段が続くってのはなかなかの地獄だぞ。息は上がるし、身体に疲労が蓄積する一方。このままじゃ、過労死しそうだ。

 ……まあいいか。どうせ死んでも、あのクソ神が体力全快の状態で強制復活させてくれるだろうし。

「おっ」

 ようやく、階段に次ぐ階段の先に古びた雰囲気の扉が見えてきた。多分、こいつを開けたら階段地獄からはおさらばだな。

「さて、次は何が俺を待ってるのかな。せーのっ……お?」

 扉を開けると、そこには想定の中には全くなかった光景が目の前にあった。

 別に、普段から何が待ち受けているかなんて全くもって読めてはいないわけだが、今回はどうしてもこの表現を強調して使わせていただきたい。何故なら……。

「な、何でこんなところに」

 見たところ、奥に扉一つだけ存在しているという、何の変哲もない小部屋。しかし、そこには目を引きつけてやまない存在があった。

 扉の近くに、鎖につながれた女が横たわっていた。服はずいぶんと薄着で、なまめかしい生足がぞんぶんに拝める状態になっている。鎖から逃れようと抵抗したのか、胸元はずいぶんとはだけて豊満な胸が見え隠れしていた。顔は目隠しをされていてよく見えないが、艶っぽい口元を見た限りでは相当な美人であることが容易に想像できる。しかし、身体を鎖につながれているだけでなく、手錠までされているさまが何とも痛々しい。

 クージャめ、こんな美女を狭い部屋なんかに閉じ込めやがって。一体どんなプレイを……じゃなくて。何て残虐な性格をしてやがるんだ。ここは一人の男して、ぜひとも彼女を救ってやらなければ。

「誰かいるの? お願い、助けて……」

 身体をうねらせながら苦しそうに発する声も、何とも艶やかだ。

 うーん、見れば見るほどいい女……じゃなくて、早く鎖を切らないと。俺がやらなきゃ誰がやる。あわよくば、助けたお礼として何か……って、ああ! さっきから変な雑念があ!

「俺は勇者なんだ。余計なことを考えちゃ駄目だよな。うう。人助け、人助けっと」

 俺はいまだにうまく扱いきれない剣で、どうにか鎖を断ち切ろうと必死に奮闘した。

「このっ! このっ! このぉ!」

 何度か剣を振り回していると、やっと鎖が音を立てて切れた。美女は長い束縛からようやく解放され、苦しそうに声を漏らすのをやめた。

「よし、あとはどうにかして手錠を」

「ああ……助かりましたわ。お願いです。貴方のお顔を見せてはいただけませんか? この目隠しを外して……」

「え?」

 手錠よりも先に、目隠しを外して欲しいのか? 普通、少しでも束縛が強い方を先にどうにかして欲しいと考えそうなものなのだが。

「私を救って下さった殿方の顔を、いち早く拝見したいのです。わがままなのを承知でお願いします。先に、目隠しの方を……」

「お、俺の顔を見たいのか」

 胸にドキッとくるようなことを言われてしまったせいか、声がうわずってしまった。こう言われてしまうと、そうしなきゃいけない気もしてくるが……でも、俺の顔ってすっげえパッとしない感じなんだよな。見られた瞬間に、幻滅されちゃうんじゃないかなあ。そうなると、この先に待つラブな展開が……。

「って、俺はまた余計なことを」

 でも、煩悩が働いたっていいじゃないか。雄なんだもの。

 俺はドキドキしながら、美女に近づき、目隠しに向かって手を伸ばした。

「あっ」

 少し位置がずれて、彼女の頬に軽く触れてしまった。その肌は冷え切っていて、いかほどに彼女が辛い思いをしてきたのか、瞬時に理解することができた。

「ご、ごめん。すぐに外すから」

 震える手で、目隠しをそっと外した。

「これで見えるかい?」

 その下にあった目は、ぱっちりとした魅力的な形をしていて、並の宝石なんかよりもずっと美しかった。彼女は光を取り戻すなり、俺のことをじっと見据えてきた。

「貴方が、私を救って下さった方……」

「は、はい。そ、そうです。はい」

 うわあ、思ってたよりもずっとずーっと美人じゃねえか。こんなのに見つめられたら、緊張して身体がガチガチになって動かない……って、あれ?

「助けて下さって、ありがとう。そのお礼に、貴方には永遠の若さを差し上げますわ」

「え、永遠の……わ、わか」

 意味がわかった時には、もう遅かった。ちらっと目線を落としてみると、胸の辺りまで俺の身体は血の通わない石と化していた。ガチガチになって動かないというのは比喩表現などではなく、文字通りの意味だったのだ。

 この女は、その目を見た者はたちまち石になるというおぞましい魔物、メデューサだったのか。

「お休みなさい、永遠に」

「こ、こ、この……」 

 世にも恐ろしい蛇女の声に抱かれながら、俺は物言わぬ石像に姿を変えた。世界を救った勇者の石像が作られるという話はよくあることだと言えるだろうが、勇者が直接石像に変えられるのは俺が初めてなんじゃないだろうか。


「くそお、あの蛇女め」

 いつものように城の外に放り出された俺は、あのメデューサをどうしてくれようかと悩みに悩んでいた。

石化したこと自体は悲しいかな、初めての経験ではないのだが、そのやられかたがものすごく悔しい。いつぞやの奴は完全に自爆だったわけだが、今回は魔物にはめられてなったのだから。

「あれは、クージャが仕掛けた罠だったんだな。あの女の色気に負けて、手を差し伸べた瞬間に石にされるという……卑怯だ、卑怯にもほどがある」

 大体、あんなところに絶世の美女が転がってる時点でおかしいと思ったんだよ。どうせこんなことだろうと……。

「何がこんなことだろうと思った、だよ。鼻の下を伸ばしながら、メデューサを助けようとしてたくせに。頭の中には、ハートマークがみっちりだったくせにねえ」

「なっ!」

 どこからともなく、神の声が飛んできやがった。しかも、人の深層心理をちゃっかり読み上げながら。

「そこまでひどくねえよ。ただ」

「ただ、豊満な胸をガン見してただけだって?」

「そうそう。あの柔らかそうなおっぱいに顔をうずめたらさぞかし……って、馬鹿野郎! そこまでエロいことなんて考えてねえよ」

「いや、誰もそこまでは言ってないけどね」

「で、今回は何の用だよ。今は、あのメデューサをどうやっつけてやろうか考えてるところなんだからさ。用がないならどっか行ってくれよ」

「まあ、用がないわけでもなきにしもあらずと言うほどでもなくもないのだが」

「どっちだよ! ややこしい言い回しはこんがらがるからやめろよな」

「はいはい。私はね、タカシがどのようにしてメデューサを討とうとしているのかを確認しにきたというわけだよ。で、どうするつもり? 対策とかは練ったのかい」

「うー……ま、まだだよ」

 正直なところ、奴をどうやって倒せばいいのか全くもって想像がつかない。目隠しをしているうちは石にはされないだろうが、だからといって剣で特攻を仕掛けてもうまいことかわされそうだ。何せ、美女に化けているとはいえ、あいつの正体は蛇の怪物。目が見えなくたって、攻撃してきた相手に反撃を食らわせることくらい余裕でやってのけるだろう。だからといって、メデューサを倒さずに素通りするというわけにもいかない。だって、奴は次の部屋の扉の前で鎖につながれているのだから。

 つまり、奴をどうにかしなければ先に進むことはできないというわけだ。

「はあ。情けない勇者だね。どうやったらメデューサをやっつけられるかだとか、ちょっとばかし知恵を絞ればどうにか考えつきそうなものだけどもね。まあ、アホな思いつきを言われるよりはマシだったかな。目隠しでこっちのことが見えていないうちに特攻を仕掛けるだとか、奴を無視して通り過ぎてみようだとか、そんなことを言われたらとヒヤヒヤしてたところだったから。いくらタカシでも、そこまでひどい考えには至らなかったわけだね」

「う、ま、まあ」

 何でこいつは、俺が「もしかしてうまくいくかな? いや駄目か……」と思ったことをズバズバ言ってくるのかなあ。繊細な俺のハートは、てめえの無神経な発言のせいで傷つきまくってんだからな。わかってんだよな?

「まあ、少しは成長の兆しが見えてきたタカシ君に、私からスペシャルヒントを与えよう。こっちだって、ずっとこんなところでつまづかれていても困るからね。メデューサを倒すためにはね、目には目を、歯には歯をっていう言葉を意識すればいい。あ、これはもうほとんど答えを言っちゃったも同然だね。少しばかり成長したタカシ君だったら、もうピーンと来ちゃったね。では、以上」

「あっ」

 この野郎。ほとんど答えとか言いつつ、微妙に中途半端な答えを残していなくなりやがった。

 ポツンと取り残された俺は、頭を抱えながらヒントを何度も噛み砕いて悩む。

「目には目を、歯には歯をって言われてもなあ」

 それは、あいつにやられたことをやり返せってことなのか? あいつが俺にやってきたことは、こっちと目を合わせてきたことだが……それをそのまま物まねしようにも、んなことしたら俺がまた石になるだけだぞ。でも、神はやられたことをやり返せ的な意味でヒントを残したに違いないわけで……ん?

「わかった。俺、久々に冴えてるかも」

 突如、俺の中に凄まじいひらめきが降臨した。あの蛇女を葬る方法。そうだ、これなら、神が残してったヒントを忠実に遂行することができるぞ。

「よし、待ってろよメデューサ! この俺が成敗してやるからなっ」

 燃える闘志というものは、燃え尽きるまではとどまるところを知らないものだ。

 今まで引っかかった即死トラップに何度かうっかりやられちゃいつつも、俺は気合だけでメデューサの待つ小部屋に向かって猛進していった。


「助けて、お願い……」

 メデューサめ、また同じ手段で侵入者を葬ろうとしていやがる。だが、その手はもう通用しないからな。

 小部屋で鎖につながれている女を前にして、俺は冷静に思考を働かせていた。

 こいつは今までこうして魔王城に果敢に挑んできた冒険者を油断させ、次々に石に変えていったのだろうが、手の内がばれてしまっている以上もうこの作戦は無駄だ。

 いくら魅惑的な声でこちらの同情を引こうとも、いくら豊満な胸でこちらを誘惑しようとも、いくらすらりと伸びた長い生足でこちらを興奮させようとも、無駄なものは無駄なんだからな。

「わかったよ。今助けてやるから、おとなしくしてろ」

 俺は作戦にかかったフリをして、奴の鎖を壊してやった。すると、次は案の定お決まりの文句が。

「ああ……助かりましたわ。お願いです。貴方のお顔を見せてはいただけませんか? この目隠しを外して……」

 ふん、こっちがさっき石にしたはずの相手だって知らないで。滑稽なこった。

 でも、これも作戦のため。一度は乗った素振りを見せなければ。

「よし、おとなしくしてろ。今外してやるから」

 目隠しを外すと、美しい瞳がたちまち姿を現した。メデューサは目を開き、こちらのことを見ようと顔を上げる。

「貴方が、私を救っ……」

「そうはいくかっ!」

「!」

 メデューサが行動を起こそうとしたのを見計らい、俺はすかさず手鏡を取り出して 奴の目の前にずいっと突きつけてやった。すると。

「う……うぐうっ……ぎゃあああーっ!」

 あの魅惑的な声の主とは同一の存在が発したとは思えないほどの、耳をつんざく悲鳴を上げた直後、たちまち石へと変わり果ててしまった。その表情には美しかった面影はどこにもなく、まさしく蛇を連想させるほどに醜く歪みきっていた。

「や……やった。やってやったぜ」

 よく考えれば一番ベタな倒し方だった気もするが、まさかこうもあっさり倒せてしまうとは。一番オーソドックスでありながら、うっかり忘れちゃいがちな正攻法。本当、なぞなぞの時に活躍してくれた手鏡を捨てずにとっておいてよかったぜ。アイテムというものは溜めこんでおくに限る。

「でも、ちょっとやり過ぎだったかな」

 魔物をどうにか打ち倒したのはいいが、こうも苦しそうな顔をしているのを見ていると心が痛むな。もう少し、安らかな死に際を与えてやる倒し方ってのはなかったのだろうか。こいつだって、魔王に従ってこんなことをしていただけだろうに……。

「全ては、魔王が悪いんだよな。やっぱり、俺が勇者としてしっかり世界を救わねえとな。さて、そろそろ行くとするか」

 魔王クージャを滅ぼせば、何もかも解決するはずだ。このメデューサだって、少しは報われるはず。

 俺は決意を新たにし、次の扉へと足を運んでいこうとした……のだが。

「あれ?」

 動かない。いくら力を込めても、足が全く前に進まない。

「ま、まさか……」

 嫌な予感がじわりとよぎる。しかし、いつまでもこうして現実逃避をしているわけにはいかない。

 おそるおそる足元を見てみると、そこにあったのは。

「う、嘘だろ」

 足だけが、どういうわけか見事に石化している。太ももから先の感覚が全然なく、意識すれどもぴくりとも動いてくれる気配はない。

「どうして足だけ石になってんだよ。ど、ど、どうして……あ」

 そうだ。俺、一瞬だけメデューサの目を見ちまったんだ。

 奴との一触即発のやりとりを思い出すなり、背中に悪寒が走った。

 あの目隠しの下にある美しい瞳。もしそれで石になる呪いがかかったとしても、奴を倒せればどうせ元に戻るだろうと思っちまって、少しでも拝んでおこうなどと馬鹿なことを考えてしまったんだった。

 だけど、現実はそこまで甘くなかった。中途半端に呪いを受けた俺は、足だけを石に変えられて身動きがとれなくなってしまったんだ。

「そ、そんな。普通、こういうのって魔物が死ねば自然と解けたりするもんだろ。もしかして俺、ずっとこのままなのか? このままだと、俺が辿る道は一つ……」

 そんな、ひどい。妖艶の誘惑に最後まで勝てなかったというだけで、どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ。こんな死に方、絶対に前例なんてないぞ!

 もしこの世界でセオリーというものが通じるのであれば、ここで勇者が現れて石化を解くアイテムでも持ってきてくれて哀れな俺を救ってくれるものなのだろう。

 だが生憎、この世界での勇者は俺なのだ。勇者がみじめな状態に陥っている以上、救ってくれる存在なんて現れるわけがない。

「だ、誰か……いっそ殺してくれー! 誰かー!」

 誰にも届かないむなしい叫びが、辺り一面にこだまする。

 それは、俺が蛇の生殺しよりも残酷な死に方をするまで続いた。

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