第3話:翻訳機の使えない言語
「...あのー、すみません。取りあえず、駅の外まで出ませんか?」
「...」
「あの、聞こえてます?」
彼女は黙ったままだ。何も言いたくないのだろうか。できれば反応してくれれば、楽なのだが。彼はもう一度少女の方を向く。彼女の表情は放っておいて欲しい、と言うよりかは、何を言われているのか分かっていないようだった。だが、その場合意思の疎通はどうすれば... 彼はもう一度少女の顔を眺める。よく見ると、彼女の瞳はラピスラズリのような鮮やかな青色だった。なるほど、海外からやって来たのか。それなら日本語が通じない訳だ。
「Hello. Umm…What's up?」
彼の貧弱な英語の語彙では、この程度の文章が限界だった。だが、それも通じないらしい。少女は首を傾げたままだった。界は落ち込む。英語も通じないとなると、バイリンガルでは無い自分にできることの範疇を超えてしまう。どうすりゃ良いんだ。
そんなことを彼が思っていると、彼女の唇から声が漏れた。
「【ー&)&? 【ー↔?」
「はい?」
耳を傾ける界に、彼女は縮こまって外套を被った。とても怖がっているようだ。
「[$@)〈... 〜[] }&)〈 [$@)〈...!」
界はスマホの翻訳機能を使って、彼女が何を言っているのか知ろうとする。しかし、画面には〈error〉の文字。彼は顔を蒼白に染めた。翻訳機能が使えない言語だと!? どれだけ遠い異国なんだよ...
そうこうしているうちに、少女は自動販売機の陰に隠れ、濡れた小鳥のように震えてしまった。よほど怖いらしい。一体何があったんだろうか。界は頭を捻ると、何か良い方法は無いか考える。しばらく考えるうちに、彼の脳内に妙案が浮かんだ。よし、まずは試してみるか。
彼は自動販売機でペットボトルのお茶を購入すると、それを手に取る。まさか、残暑厳しい9月に熱いお茶を買うことになるとは思わなかった。そして彼はペットボトルを開封すると、それを少女の前で一口飲んだ。めちゃくちゃ熱くて熱鉄を飲んでいるかと思ったが、顔では気持ち良さそうな表情を装う。
そして彼はペットボトルの蓋を開けたまま、少女にそれを差し出した。少女はまだ震えていたが、界の必死な表情を見てそれを受け取った。彼女はあたかも毒をチェックするかのように、お茶を一滴手の甲へと落として、それを舐めた。少女はしばし考えた後、安全だと判断したらしい。お茶のボトルを口へと運ぶと、その中身を一口飲んだ。途端に、彼女の頬に赤みが差してきた。温かい飲み物を与えたのが功を奏したらしい。と言っても、界には暑苦しくしか見えなかったが。
少女はおぼつかない足取りで歩くと、界の身体にしがみついた。どうやら界のことを、「あったかい飲み物をくれる人」として認識してしまったらしい。これは面倒くさいことになったぞ...だが少女をベンチから離すことには成功した。
少女は階段を上がれるような状態では無さそうだったので、界はエレベーターで改札のある2階へと上がることにした。少女はと言うと、どうやらエレベーターを見たことが無いらしく、瞳をキラキラさせていた。どんだけ田舎から来たんだ、この少女は。界は呆れることしかできない。
彼と少女は改札口まで辿り着くと、駅員の居る案内所へと入る。何故なら、少女がICカードを持っていないらしいことが分かったからだ。と言うか、翻訳機の使えないくらい遠い国からやって来た少女だ。日本独自の制度である交通系ICカードを持っている訳なかろう。
駅員は悩んだが、早く駅から出ていって欲しい気持ちが勝ったらしく、界の分だけ支払いを行った。まあ、終電後に営業の妨害をしてしまったのだから、後日請求は来るかもしれないが。それでも界と少女は、一旦駅のシャッターの外まで出ることができた。これで一安心だ。




