第33話:猫
「じゃあ、お先に失礼します」
「今日もお疲れさん。気を付けてな」
光は帰る支度をする界を見て、鍋番をしながら微笑んでみせた。舞もレジの方から声をかける。
「彼女さんとの関係、頑張ってくださいね〜。応援してますんで」
「は、はあ...」
界は返事に困りながらも、アイントホーフェンを後にする。今日は少し遅くなってしまったな。きっとファイのやつ、相当拗ねてるだろうな...今のうちから言い訳を考えておくか。
界は夕暮れ時の街を歩く。職場からアパートまでは、歩いて20分ほどの距離だった。急いでも何にもならないと思った界は、のんびり道路を歩く。今の職場は色々胃が痛くなることもあるが、それなりに楽しいし性に合っているなと思う。自分は独りの方が好きだけども、接客や世間話、時には議論も悪くは無かった。多分どっちの自分も本当なんだろう。
「ファイは、何やってるんだろうな...」
界は小さく呟く。そう言えば、彼女も自分の生活に突然割り込んできたのに、そんなに悪い気はしなかった。これも同じ理由だろうか? 彼は思いを巡らせる。20年間自分と向き合っていたが、未だに自分が何を思っているのか分からなくなることがある。案外、一番知らないのは自分自身なのかもな。
彼はそんなことを思いながら、空を見上げる。そこには一番星——つまり金星が静かに輝いていた。きっと帝国は、あの星も領有しているんだろうな。彼はぼんやりとそんなことを思った。
「ただいま」
界は薄暗い部屋の中に入る。彼は帰りが遅くなったことで、ファイが拗ねていると思っていたのだが...
そのファイは布団に横たわり、恍惚の表情を浮かべていた。どうやら余程良いことがあったらしい。彼は枕元にしゃがみ込む。
「ファイ、ただいま」
「...おかえり、カイ」
「...何があった?」
「チキュウの動物、可愛かった」
「はあ? カラスか何かか?」
「ううん。その子、三角の耳が生えてて、目がキラキラしてた。それで『にゃん』って言うの」
「...野良猫かよ」
「にゃ!」
ファイは猫の真似をする。本物を見ていただけあり、クオリティーが遥かに上がっていた。界は両手で振り払う。
「...やめろ、気持ち悪い」
「はにゃ♡」
ファイの無邪気な声を聞き、界はこれ見よがしに咳払いをする。不覚にも、口角が上がりそうになった。
「...おい」
「カイ、顔真っ赤だよ」
「こ、これは暑いからだ!」
「そう?」
「べ、別にお前の『にゃん』に反応した訳じゃないからな。俺はそのくらいじゃ...」
「ふみゃ♡」
「うっ...」
界は床に伏せる。駄目だ、破壊力が強過ぎる。絶対このガキ、俺が弱いのを知っててわざとやってるだろ。
「もっとやって欲しい?」
「やめろ! これ以上は俺の心臓が耐えきれなくなる!」




