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第30話:イレーヌさんとシーボーグさん

「...それで驚いたんだが、蝶と蛾の区別方法は現代でも確立されていないんだな」

 そう言いながら「量子もつれハンバーグ」を頬張る女性は、蝶について熱弁していた。

「例えば、一般に言われるものとしては『蝶は昼行性、蛾は夜行性』というものがあるな。だがジャノメチョウの一種は夜でも活動するし、昼間に活動する蛾も多い」

 彼女の名は池袋 稲穂。普段は近隣の駅で駅員として働いている、20代女性である。その論理的な言動から、キュリー夫人の娘にして物理学者、イレーヌ・ジョリオ=キュリーになぞらえて「イレーヌさん」と呼ばれている。

「確かに、それについては沢山の説がありますね。例えば触角の形でも分類が試みられたんですが、明確な結論は出ていないんですよね」

 彼女の意見に頷いていたのは、黒縁眼鏡をかけた30過ぎの男性である。彼の名は向原 孝太朗。普段は保険会社で事務職員として働いており、その着眼点の鋭さからプルトニウムの発見者のグレン・T・シーボーグになぞらえて、「シーボーグさん」と呼ばれている。

「その通りだ。他にも止まっている時の翅の開き方や、翅にある棘で分類しようとしたケースもあるな。だがその試みも、失敗に終わっている」

 イレーヌさんはそう言いながら、ハンバーグを切る作業に勤しんでいる。シーボーグさんも「染色体ラーメン」を口に運んでいた。

「なるほど。確かにどれも、例外が見つかってしまいますね」

「ああ。だからこそ蝶と蛾の違いは、研究者の間でも曖昧になっているんだ」

 界は熱心に話し合っている2人のところに、飲み物を運びに来た。その名前もおかしなもので、「#000000コーヒー」である。つまりブラックコーヒーということか。

「お待たせしました。#000000コーヒーです」

 界はそう言いながら、丁寧な手付きでコーヒーカップをテーブルに置く。イレーヌさんは目を輝かせ、シーボーグさんは頭を下げた。

「おお〜。実は私、コーヒーが飲めないんだが、何故かここのコーヒーだけは飲めるんだよな〜」

 イレーヌさんは嬉しそうにカップを口に運ぶ。界が厨房へ戻ろうとすると、シーボーグさんに呼び止められた。

「界くん」

「はい」

「今、忙しいですか?」

「...いえ。今居るお客さんは、お二人だけですから。超暇です」

 普段なら土曜日の11時ごろは割と混む時間なのだが、今日は珍しくお客さんが少なかった。舞と光も厨房で、界の「彼女」がどんな人なのか考察を楽しんでいる。

「じゃあ、少し付き合ってくれませんか?」

 シーボーグさんはそこまで言うと、イレーヌさんの方を向く。彼女は話題を思い出したようで、指を鳴らした。

「さっきまで蝶の話をしていた所為で忘れてたんだが、今日は議題を持ってきたんだ」

「どういうやつですか?」と界。

「とっておきだぞ〜」

 イレーヌさんは得意気に胸を張ると、その議題を言い放った。

「宇宙人は果たして、この宇宙に存在するのか」

 界はその議題を聞いた瞬間、ファイの顔が脳裏にくっきり浮かんだ。今、部屋に宇宙人が居るのだが。

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