第22話:遠い星の言語
「よし」
界は朝食のお皿を洗い終えて、机を拭く。ファイは座りながらしゃごしゃごと歯を磨いていた。Tシャツとジーンズに身を包んだその姿は、どこからどう見ても地球人だった。
「お前も、随分様になってきたな...」
「ん」
「...やっぱりガキだな」
界は隣に座る。宇宙人が隣に座っていると云うのに、何故か妙に落ち着いた。ファイは歯磨き粉を飲み込む。
「ふう」
「その癖、何とかならねえか...」
「カイはどうしてるの?」
「歯磨き粉か?」
「うん」
「えっと...流しに捨ててる」
「捨ててる?」
「そう」
「勿体無い」
「なんか、飲み込むのに抵抗が...宇宙飛行士は飲み込んでるらしいが」
「じゃあ私と同じ」
「お前も、宇宙飛行士みたいなもんか」
「これでも訓練受けてるし」
「...布団を奪う訓練か」
「違うもん。もっとちゃんとしたやつ」
「水中で息を止めるとか?」
ファイは小首を傾げる。軍での訓練を思い出しているらしい。
「そんなに水無い」
「そうだった」
「んー、重力に耐えるとか、放射線を浴びるとかかな」
「おっかねえ...」
「それで死なないのが軍人」
「地球人は秒で死ぬわ」
「あとは、ひたすら走らされた」
「まあ、体力は大事だろうな」
「二等兵の機嫌が悪いと、すぐ『戦艦100周!』とか言われた」
「酷いなそれは」
「でも頑張った」
界は彼女の苦労を思い、涙が出そうになる。
「お前、頑張ったんだな」
「うん」
「安心しろ。地球ではそんな酷いことはしない」
「分かった」
「ああ。じゃあ、そろそろ勉強会を始めるか」
「承知」
界とファイは、白い床に座り込む。彼は引き出しから筆記用具と、ノートを持って来た。
「それは」
「紙とペン」
「何それ」
「筆記用具だよ」
「筆記って何」
「手で文章を書くこと」
界は鉛筆で、ノートの最初の頁に自分の名前を書いた。
「これが、俺の名前」
「読めない」
「そりゃ、地球の文字だから」
「そう」
「お前の星では、どんな文字を使ってたんだ?」
「えっと...こんな感じ」
彼女は空中で指を動かす。界にはミミズが動いているようにしか見えなかった。
「文字か?」
「文字なの」
ファイはクローゼットの方に向かうと、中から軍服を取り出そうとする。が、開かない。
「貸しな」
界はやすやすと扉を開く。ファイはそれを見ながら呟いた。
「チキュウの武器庫、開けにくい」
「だから武器庫じゃねえ!」
界が必死に否定するのも構わず、ファイは軍服のポケットを探った。そこには一昨日見せた銀河の地図があった。
「こんな感じ」
「あ、これは前見たやつだな」
界は改めて、地図を眺める。確かにそこに書かれた文字は、随分と奇天烈だった。
「ん?」
彼は解読を試みる。確か地球がこの辺に...
「∫)∋∂∉⊄-v∉…」
彼は解読を諦めた。やっぱり遠い星の言語だ。
「無理だ」
「諦めるの早い」
「そりゃ宇宙の言語だから」
「諦めたらそこで終わりだよ」
「...地球の名言を何故知ってる」
「さあ?」
ファイは首を傾げてみせる。その仕草が何とも可愛らしかった。界は咳払いをしてから、本題へと戻す。
「お前は、日本語が読めるのか?」
「ニホンゴ?」
「...地球の言語だ」
界は日本が地球に数多ある国の一つだと説明しようとして、思い留まった。今説明するのは、余りにも面倒くさい。
「読めない」
「その翻訳機は、使えないのか?」
「話す時だけ」
「まあ、そういうもんか」
界は伸びをする。そう言えば、昨夜は帝国史について教えて貰う約束をしていたんだった。
「ファイ」
「ん」
「昨日、地球は自治領とか言ってたよな」
「うん」
「できればで良いが...帝国史について教えてくれないか」
「え」
「勿論、言いたくないところは言わなくて良い。俺もそこまで詮索はしないから、安心しろ」
ファイは界の誠実な言葉を聞いて、こくっと頷いた。
「ちょっとだけなら」
「助かる。ありがとう」
界はちょっと待ってて、と告げると、本棚から数冊の本を持って来た。宇宙に関する図鑑と、理科年表。そして宇宙の写真集。
「こんなもんか」
「宇宙の本?」
「そう。地球人は宇宙には行けないけど、宇宙を知りたいと思ってる」
「偉い」
「だから、これだけ本が出てるんだ」
「なんか、安心した」
「そうか」
界は頷くと、ノートに日付を書き込む。
「じゃあ勉強会、始めるか」




