第7話:実家から届いた、一通の招待状
城に来て二週間が過ぎた頃。
私の暮らしは見違えるほど変わっていた。
温かい食事。柔らかな寝具。
使用人たちの、遠慮がちな、けれど確かな笑顔。
そして――夜ごと、私の歌を必要としてくれる、一人の人。
あの嵐の城が少しずつ、人の住む家の温もりを取り戻していくのを、私は毎日、肌で感じていた。
朝の廊下ですれ違う人が、挨拶をするようになった。
厨房から、焼いたものの匂いが漂うようになった。
中庭の物干しに、洗ったばかりの敷布が並ぶようになった。
どれも、嵐の来ない日にしかできないことだ。
けれど穏やかな日々というものは、得てして、長くは続かないものらしい。
「奥方様。王都より書状が届いております」
ある朝、ハンナが一通の封書を運んできた。
その封蝋に押された紋章を見た瞬間、私の指先がすっと冷たくなった。
ハーゲン伯爵家の、紋章だった。
震える手で封を切る。
中の文面は私を「無能」と嗤って追い出した家が書いたものとは思えないほど、慇懃で親しげだった。
『愛しのセレスティアへ。
此度、ヴァルトハイム公爵領にて催される「鎮魂祭」に、我がハーゲン家もご招待にあずかりました。
久方ぶりに家族で顔を合わせられること、父も、義母も、そしてアマーリエも、心より楽しみにしております。
立派な公爵夫人となったお前の姿を、ぜひこの目で――』
白々しいと思った。
「愛しの」という三文字を、この家の誰かが書くところを、私は想像できなかった。
父の字ではない。義母の字でもない。
代筆させたのだ。
家族で顔を合わせられるのを心より楽しみにしている、というくだりまで、人に書かせて。
「鎮魂祭……」
「はい」と傍らのブリュンヒルデが答えた。「白雪の戦で亡くなった者たちを悼む、領で最も大切な祭礼です。例年、近隣の貴族を招き、王都からも要人が訪れます。閣下にとっては……最も、つらい日でもあります」
「……その日、閣下は一睡もなさいません」と彼女は付け加えた。「祭の前の三日も、あとの三日も。前は悼むために、あとは――嵐を出さぬために」
私は言葉を失った。
七日。
毎年、この人は七日続けて起きているのだ。
そして誰にもそれを言わず、翌朝には執務室の椅子に座っている。
あの悪夢のもとになった戦。
その死者を悼む祭で彼は毎年、人前で気丈に振る舞わねばならないのだ。
気丈というのは、たぶん、いちばん高くつく振る舞いだ。
払っているところを、誰にも見せずに済んでしまうから。
そしてよりにもよってその祭に、私を捨てた家族が、のこのことやって来るという。
目的は明らかだった。
「公爵家とのつながり」を、社交界で誇示するための、いい手土産。それが私だ。
もう一つ、思い当たることがあった。
あの家は、都合の悪いときにだけ私を思い出す。
義母の実家に不幸があった年も、父の事業が傾いた年も、屋根裏へ呼びに来る足音がした。
――そして用が済めば、また忘れられる。
今度は、何が傾いたのだろう。
◇◇◇
その夜、私は、招待状のことをジルヴェスター様に伝えた。
彼の眉がわかりやすく、不快げに歪んだ。
「ハーゲン伯爵家。……お前を薄物一枚で、荷馬車に乗せて寄越した家か」
「……はい」
「お前を『無能』と呼び、馬小屋の子守唄と嗤った、あの家か」
彼が私の過去をそこまで知っていることに、私は驚いた。
きっとブリュンヒルデたちが、調べたのだろう。
いいえ、と思い直す。
調べさせたのなら、報告は紙で上がってくる。
紙で読んだだけの人は、「馬小屋の子守唄」という言い方までは覚えていない。
この人は、覚えてしまうまで、その紙を読んだのだ。
「閣下、どうか、お気になさらず。私は笑って受け流すことに慣れておりますから」
そう言って微笑んだ私を、彼はまっすぐに見つめた。
暗い金の瞳にこれまで見たことのない、冷たい焔が灯っていた。
「お前は慣れていても私は慣れぬ」
彼は静かに、けれどはっきりと言い切った。
「君を侮辱した者を、私は許さない。たとえそれが、君の生家であろうともだ。……来るがいい。この城でその者たちに、思い知らせてやる。お前が今何者であるかを」
その声には私を護ろうとする、揺るぎない意志があった。
長いテーブル越しではなかった。
彼は私のすぐ前に立ち、私の目を見て、そう言った。
私を「生贄」と呼んだ人が。
子守唄など要らぬと突き放した人が。
今や、私のために本気で怒ってくれている。
返事をしようとして、声が出なかった。
誰かが私のために怒るのを、私は生まれて初めて見た。
私が怒られるところなら、数えきれないほど見てきたのに。
それと同時に――義妹のあの、勝ち誇った笑顔が脳裏に浮かび、私はひそかに覚悟を決めた。
(お姉様。あなたが私の歌を笑えるのも、今のうちですわ)
お読みいただきありがとうございます。
「愛しのセレスティアへ」で始まる手紙を、この家の誰も自分の字では書きませんでした。代筆させたのです。家族一同が心待ちにしている、という文面まで、他人の手で書かせている。この一点だけで、ハーゲン家がどういう家かは足りると思いました。
もう一つ、この回で足したかったのは鎮魂祭の重さです。ジルヴェスター様は毎年、祭の前後の七日を眠らずに過ごしています。前は悼むために、あとは嵐を出さないために。そして誰にも言わず、翌朝には執務室の椅子に座っている。気丈というのはたぶん、いちばん高くつく振る舞いです。払っているところを、誰にも見せずに済んでしまうので。
「君を侮辱した者を、私は許さない」。誰かが自分のために怒るところを、セレスは生まれて初めて見ました。自分が怒られるところなら、数えきれないほど見てきたのに。
ここで胸が熱くなった方は、【ブックマーク】をひとつ。
皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。
次回、第8話「『光の歌姫』アマーリエの凱旋」でお会いしましょう。




