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第6話:悪夢の中で、彼が呼んでいた名前

 眠れるようになっても、彼の夜が、完全に安らかになったわけではなかった。


 その夜、私の歌の合間に、ジルヴェスター様は、初めて寝言を漏らした。


「……すまない……間に合わな、かった……」


 苦しげに歪んだ横顔。

 握りしめられた拳。

 眠りの底で、彼は何かと戦っていた。


「……逃げろ……雪が……っ、皆を、連れて……!」


 その声は、悲鳴に近かった。

 窓の外の嵐が、彼の心の乱れに呼応して、再び唸りを上げ始める。


「閣下……っ、大丈夫です、ここにいます」


 私は慌てて、歌を強めた。

 彼の冷えた手を握り、額の汗を拭い、旋律で、その心をくるむように。


 すると、嵐が少しずつ引いていき、彼の呼吸も、ゆっくりと落ち着いていった。

 けれど、最後に――彼は、消え入りそうな声で、ひとつの名を呼んだ。


「……エレ、ノーラ……」


 私の指先が、ぴくりと止まった。


(エレオノーラ……?)


 それは、私の――亡き母の名だった。


 ◇◇◇


 翌朝。

 私は、思い切って尋ねてみることにした。

 目を覚ましたジルヴェスター様は、いつものように粥を口に運んでいたが、その手は、まだどこか重そうだった。


「閣下。……昨夜、うなされていらっしゃいました」


 彼の手が、止まった。


「夢を、ご覧になっていたのですね。雪と、誰かを、逃がそうとしている夢を」


「……聞いていたのか」


 彼は、長い沈黙のあとで、静かに語り始めた。


「四年前。この辺境を、未曾有の吹雪が襲った。『白雪のしらゆきのいくさ』と、民は呼ぶ。魔獣の大群が、吹雪に紛れて村々を襲った。私は救援に向かった。……だが、間に合わなかった」


 彼の暗い金の瞳が、遠くを見る。


「私の魔力をもってすれば、嵐を割り、道を開けたはずだった。だが、力を使えば使うほど、嵐は私の制御を離れ、味方すら巻き込んで荒れ狂った。……結局、私は、多くの部下と、避難民を見殺しにした」


「閣下……」


「その夜から、私は眠れなくなった。眠れば、あの吹雪の中で死んでいった者たちが、夢に現れる。『なぜ助けなかった』と、私を責める。……そして、その悪夢に呼応して、私の魔力が暴走する。私の不眠は、罰だ。当然の、報いだ」


 私は、胸が締めつけられた。

 この人は、ただ眠れないのではない。

 眠ることを、自分に「許して」いなかったのだ。

 罪を抱えたまま、たった一人で、四年も。


「……一つ、お尋ねしてもよろしいですか」と、私は震える声で言った。「夢の中で、あなたは、一人の女性の名を呼んでいらっしゃいました。……『エレオノーラ』と」


 彼は、虚を突かれたように、私を見た。


「……知らぬ。私は、その名に、覚えがない。だが――」


 彼は、こめかみを押さえた。


「ずっと昔。まだ私が、呪いも、嵐も知らなかった、幼い頃。一度だけ、聞いた歌があった。心が凪ぐ、あたたかな歌だ。私はずっと、それを探していた。……そして、お前の歌は、あの歌と、同じ旋律なのだ」


 部屋の空気が、しんと静まった。


 なぜ、見ず知らずの彼が、母の名を呼ぶのだろう。

 なぜ、私の子守唄が、彼の幼い日の記憶と、同じ旋律なのだろう。


 その答えは、まだ霧の中にあった。

 けれど、私の中で、ひとつの確信だけが、静かに芽生え始めていた。


(お母様。あなたは、本当は……何者だったの)


お読みいただきありがとうございます。

公爵様の悪夢の正体「白雪の戦」、そして母の名「エレオノーラ」――物語の核心へとつながる、大切な回でした。

伏線が少しずつ動き始めます。回収のときをどうぞお楽しみに。

【ブックマーク】【評価】での応援が、執筆の大きな励みになります。

皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。


次回、第7話「実家から届いた、一通の招待状」でお会いしましょう。


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