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第5話:「もう一度だけ、歌え」——命令の形をした懇願

 それから、夜は少しずつ、形を変えていった。


 最初の数日、ジルヴェスター様は、あくまで「儀式だ」と言い張っていた。

 寝室を訪れ、仏頂面で寝台に座り、私が歌い、彼が眠る。

 目が覚めれば、礼も言わずに出ていく。


 けれど、五日目の夜のことだった。


 いつもより遅い時刻に、彼は寝室を訪れた。

 その顔は、ここ数日でいくらか生気を取り戻していたはずなのに、ひどく強張っていた。


「閣下? お加減が……」


「……今日は、領境で魔獣の群れが出た」


 彼は、低く言った。


「私が出れば、片はついた。だが、戦えば魔力を使う。魔力を使えば……夜の嵐が、ひどくなる」


 なるほど、と私は理解した。

 彼の呪いは、魔力を使うほどに、その夜の暴走を激しくするのだ。

 だから彼は、四年もの間、力を振るうことすら、できる限り避けてきたのだろう。

 民を護る公爵でありながら、護るための力が、そのまま己を蝕む毒になる。

 なんという、残酷な呪いだろう。


「今夜は、危ない。お前は別室で休め。巻き込まれる」


 彼は、私を遠ざけようとした。

 昨夜までとは逆だった。

 私を生贄として扱っていたはずの人が、私を、守ろうとしている。


「いいえ」


 私は、首を横に振った。


「閣下。あなたが嵐と戦うのなら、私はその嵐に、子守唄を歌います。それが、私の務めですから」


「……死ぬかもしれんぞ」


「では、最後まで、おそばで歌わせてくださいませ」


 彼は、しばらく私を見つめていた。

 暗い金の瞳の奥で、何かが激しくせめぎ合っているのが、わかった。

 誰も近づけまいとする孤独と、誰かにそばにいてほしいという、隠しきれない渇望と。


 やがて、彼は寝台に身を横たえ、天井を見上げたまま、絞り出すように言った。


「……もう一度だけ、歌え」


 それは、命令の形をしていた。

 けれど、その声は、かすかに震えていた。


「これは命令だ。……もう一度だけ、私に、聞かせろ」


 もう一度だけ。

 その「だけ」が、毎晩繰り返されていることを、私たちは二人とも、気づかないふりをしていた。


 私は、彼の枕元に寄り添い、そっと歌い始めた。


 その夜、嵐は来た。

 窓を割らんばかりの暴風が城を揺らし、稲妻が幾度も部屋を白く灼いた。

 けれど、私が歌い続ける限り、その嵐は、彼の眠りに届くことはなかった。


 私の歌は、まるで、荒れ狂う海の上に張られた、薄い天蓋てんがいのようだった。

 その下でだけ、彼は、波に飲まれずに眠ることができた。


 明け方近く、ようやく嵐が凪いだ頃。

 眠る彼の唇が、かすかに動いた。


「……ありがとう」


 目を閉じたまま、彼は、確かにそう言った。

 起きているときには、決して言えない言葉を。


 私は、こみ上げるものを必死にこらえながら、ただ、歌い続けた。


 ◇◇◇


(私の歌は、無能なんかじゃ、ないのかもしれない)


 生まれて初めて、私はそう思った。


 「ハーゲンの恥」と罵られ、馬小屋の子守唄と嗤われてきた、この歌。

 それが今、たった一人の人を、四年間の地獄から救い出している。


 窓の外が、白み始める。

 穏やかな朝の光が、眠る彼の頬を照らしていた。


 その横顔を見つめながら、私は、まだ知らなかった。


 この歌の本当の名を。

 そして、この歌を私に遺した、母の本当の姿を。


お読みいただきありがとうございます。

「もう一度だけ」を毎晩繰り返す公爵様――不器用な依存の始まりです。

そして、セレスがほんの少しだけ、自分の力を信じ始めた回でもありました。

【ブックマーク】【評価】での応援、心よりお待ちしております。

皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。


次回、第6話「悪夢の中で、彼が呼んでいた名前」でお会いしましょう。


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