↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
64/76

第64話: 「いちばん下手な子は、家へ帰ります。金貨を持って」

 男は、ヨナスと名乗った。


 広間へ通すと、彼はまず外套を脱いで、丁寧に畳んで、椅子の背にかけた。それから深く礼をした。


「歌劇公テオドール・フォン・メルツ様の使いでまいりました。ヨナスと申します」


「歌劇公」


「はい」


 窓を背にした椅子に、ジルヴェスター様が座っていた。


 呼んでいない。誰も呼んでいない。この人は執務室から降りてきて、いちばん光を背負う位置に腰を下ろし、それきり一言も喋らなかった。


 ヨナスはその存在を一度も見ないふりをした。見ないふりが上手すぎた。


 私は、机の上の便箋を思い出した。


 あの方は、囲ってはおりません。名簿も、刻印もありません。


「ヨナス。あなたは、どちらのご出身ですか」


 彼は、少しだけ困ったように笑った。


「王都でございます。……昨年まで、聖歌庁におりました」


 私の隣で、ブリュンヒルデ様の指が、剣の柄にかかった。


「下級の書記でした」


 ヨナスは、その動きを見ていた。見たうえで、穏やかに続けた。


「名簿を写す係です。刻印には触れておりません。触れられる位ではございませんでした」


「……庁は、無くなりました」


「はい。ですから、職も無くなりました」


 彼は、鞄から麻の袋を出して、卓に置いた。


 中で、金属が鳴った。


「歌劇公様は、行き場のない者を、ずいぶんお雇いになりました。私のような者を、六十人ほど」


 六十人。


 私は、その数をうまく飲み込めなかった。


 制度が消えたとき、私は、囲われた歌い手のことだけを考えていた。


 その制度で飯を食っていた者が、王都にどれだけいたのかを、一度も数えたことがなかった。


 ヨナスは、袋の口を開けて、卓の上に金貨を出した。


 積む。数える。並べる。


 その音が、広間の高い天井に、ひどくよく響いた。


 十枚ずつの山が、九つできた。


「こちらは、支度金でございます。お預かりの九名ぶん」


「……九人、ご存じなのですね」


「門で数えてまいりました」


 彼は、山のひとつを私のほうへ少しだけ押した。


「お子様のご家庭へ、そのままお渡しくださいませ。当方は受け取りを求めません。歌劇公様は、こう仰せです。――親から子を買うのではない。子に歌わせるあいだ、家が痩せぬようにするだけだ、と」


 私は、金貨を見た。


 麦の村の一家が、十枚を、生涯に何度見るだろう。


「秋に、王都で歌劇大会を開きます」


 ヨナスは、封をした招待状を九通、卓に並べた。


「国じゅうの歌える子を集めます。旅の費えは当方が持ちます。宿も、食事も」


「集めて、どうなさるのです」


「いちばん上手い子を、選びます」


 彼は、言い淀まなかった。


「選ばれた子には、王都で歌う場をお作りします。眠れぬ者は、この国に二千人。歌劇公様は、それを本気で数えておいでです」


 二千人。


 私は、この春、王立歌劇場の客席で聞いた数を思い出した。


「ヨナス」


「はい」


「では」


 私は、自分の声が思ったより静かに出るのを聞いた。


「いちばん下手な子は、どこへ行くのですか」


 彼は、少し目を丸くした。


 それから、初めて、心から嬉しそうに笑った。


「家へ帰ります。金貨を持って」


 私は、何も言えなかった。


「奥方様。あの制度では、選ばれなかった子は、名簿に載らず、それきりでございました。載った子は、二度と家へ帰れませんでした。……どちらも、選ばれた側と、選ばれなかった側の話です」


「はい」


「歌劇公様のところでは、両方が帰れます。上手い子は、歌う場を得て、休みには村へ帰れます。下手な子は、金貨を持って帰ります。誰も、囲われません」


 彼の言うことに、間違いはひとつも無かった。


 私は、反論を探した。


 探して、見つからなかった。


 見つからないことが、こんなに嫌なものだとは、思わなかった。


 ヨナスは、最後にもう一通、封書を出した。


 こちらは、蝋の色が違った。


「これは、奥方様へ」


「私に」


「大会の審査員をお願いしたい、と」


 私は、その封書を受け取った。


 紙が、重かった。


「奥方様のお名前が並べば、親御は安心なさいます。辺境の奥方様が、いちばん上手い子をお選びになった。……そう聞こえます」


「聞こえます、とは」


「私は書記でございました」


 ヨナスは、外套を取って、また丁寧に腕にかけた。


「言葉が、どう聞こえるかを、数えるのが仕事でした」


 ヨナスが去ったあと、広間には金貨の山が九つ残った。


 ジルヴェスター様はまだ椅子に座っていた。


「セレスティア」


「はい」


「あの男は一度も嘘をつかなかった」


「……はい」


「厄介だな」


 彼はそれだけ言って立ち上がった。卓の上の九つの山を一瞥して、広間を出ていった。


 その夜。


 東の客間の前を通ると、扉が半分開いていた。


 リーゼが、寝台に腰かけて、膝の上で招待状を両手で持っていた。封は切っていない。蝋の紋を、指の腹で、何度もなぞっていた。


 私に気づくと、顔を上げた。


 その目が、いつもよりずっと大人びていなかった。


「奥方様」


「はい」


「わたし、出たいです」


 風が、窓の外で鳴った。


 私は、その子の膝の上の紙を見た。


 ――いちばん下手な子は、家へ帰ります。金貨を持って。


 あの答えの、どこが嫌だったのか。


 私はまだ、それを言葉にできていなかった。

今回いちばん書きたかったのは、「反論できない」という手ざわりです。


ヨナスは感じのいい人です。丁寧で、有能で、嘘をつきません。そして彼の言うことには、ひとつも間違いがありません。上手い子は場を得て休みには村へ帰れる。下手な子は金貨を持って帰る。誰も囲われない。刻印もない。名簿もない。……本当に、その通りなのです。


セレスは反論を探して、見つけられませんでした。見つからないことが、こんなに嫌なものだとは、と彼女は思います。私も、書いていて同じことを思いました。


もうひとつ、書いておきたかったことがあります。制度が消えたとき、私たちは囲われた歌い手のことだけを考えていました。ですが、その制度で飯を食っていた人間も、王都にはたくさんいたのです。名簿を写していた下級の書記。刻印には触れられない位の人。彼らは職を失いました。そして歌劇公が、六十人ほど雇いました。


壊すというのは、そういうことでもありました。


金貨を数える音を、高い天井に響かせたかったので、広間に通しました。十枚ずつの山が九つ。麦の村の一家が生涯に何度見る枚数か、という話です。


リーゼが、初めて自分から何かを言いました。「わたし、出たいです」。あの子の目が、いつもより大人びていなかった、というところを、どうか覚えておいてください。


ヨナスの答えに背筋が冷えた方は、【ブックマーク】を。

皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。


次回、第65話「『あの男は、お前を看板にする』」でお会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。