第63話: 城の門に、歌える子の列ができた
半月で、九人になった。
北の峠から二人、西の街道から三人、南の麦の村からさらに二人。行商人が運ぶのは荷だけではないのだと、私は初めて知った。
辺境の奥方様が、歌える子を引き取ってくださるらしい。
誰がそう言い出したのかは、わからなかった。
中庭が、うるさかった。
子どもたちは、待つあいだ、勝手に歌う。九人が九人とも違う歌を、違う高さで、好きなときに歌い出す。揃うということが一度もない。
朝から晩まで、城のどこにいても、細い声が幾つも重なって聞こえた。
長いあいだ、寝息のなかった城である。
私は、その騒がしさを、少しだけ愛していた。
愛していただけでは、どうにもならなかった。
その日の午後、執務室の隣の小部屋に呼ばれた。
卓に紙を広げて、ブリュンヒルデ様が立っていた。
「奥方様。お耳に入れておきます」
「はい」
「東の客間は、二部屋とも埋まりました。西の物置を空けて、藁を入れました。次の親子が来られましたら、厩の上の部屋になります」
私は、紙を覗き込んだ。
几帳面な字で、人数と日付と、消費した麦の量が並んでいた。
「冬の蓄えを、ひと月ぶん、前倒しで開けております」
「……ひと月」
「峠は、あとふた月で雪が下ります。それまでに帰す者は帰さねば、村へ戻れなくなります」
声は、いつもの硬さのままだった。
「それから、門を無人にできません。夜は騎士を二人、増やしました。他所の子を九人預かるということは、九人ぶんの親御が城を頼るということです」
私は、紙の端を、指で押さえた。
「ブリュンヒルデ様。私は」
「奥方様」
彼女は、私の言葉を遮った。
「城は、宿ではございません」
その通りだった。
それから、彼女は少しだけ声を落とした。
「……私は、追い返せとは申しておりません。数えているだけです」
夕方、執務室へ入ると、ジルヴェスター様が窓辺に立っていた。
私が入っても振り返らなかった。窓の下に門が見える。九人が門柱の影で追いかけっこをしていた。親たちはその周りに座り込んでいた。
「増えるぞ」
彼はそう言った。
「峠が塞がるまで、ふた月だ。噂が届いて、支度をして、雪の前にここまで歩ける村は、この城から五日の内側になる。五日の内側に村は幾つある」
「……存じません」
「二十六だ」
私は彼の背中を見た。
この人は数えていた。私が中庭の騒がしさを愛しているあいだ、ずっと。
「追い返せと、仰いますか」
「言わん」
彼は窓の桟に指をかけた。
「言えば、お前は私を嫌いになる」
私は何も言えなかった。
「セレスティア。二十六の村を、お前は一人で聞けるか」
聞けない。
言われるまでもなかった。言われて初めて口にできるようになっただけだ。
その夜、王都から便が届いた。
エルフリーデ様の字は、いつもより急いでいた。
――王都にも、列ができました。
――王宮の門です。歌える子を連れた親が、朝から並びます。私は誰も追い返せません。ですが、私は歌えません。
――セレスティア。私たちは、囲うのをやめました。やめただけで、誰が受け取るのかを決めておりませんでした。
私は手紙を膝に置いて、しばらく動けなかった。
制度を壊したのは、私たちだ。
壊した穴から、人が落ちている。
真夜中、水を汲みに厨房へ下りた。
廊下の途中の窓辺に、人影があった。
マルタだった。
外套を肩にかけたまま、格子の入った窓の外を見ていた。私が声をかけると、飛び上がるように振り返った。
「奥方様! ……申し訳ございません、わたし、」
「眠れませんか」
「いえ、その」
マルタは、両手で顔を撫でた。
「昔からなのです。……夜が、なんだか、長くて」
「昔から」
「はい。もう、ずいぶん」
それだけ言って、彼女は逃げるように頭を下げ、東の客間へ戻っていった。
私は、窓辺に残された温もりのない空気の中に、しばらく立っていた。
自室に戻って、羽根ペンを取った。
殿下への返事を書こうとして、書けなかった。
九人。
私は、九人の音を聞き分けられない。
一人に三日かけて、三か所直して、その子を黙らせたばかりだ。それを九人ぶん、いや、王都の門に並ぶ数だけ繰り返せというのか。
私は、羽根ペンを置いた。
――私一人では、足りない。
その一行を、私は、生まれて初めて、自分に向かって言った。
情けなくはなかった。
むしろ、少しだけ、息がしやすくなった。
翌朝。
中庭の騒がしさが、途中で止んだ。
九人ぶんの声が、揃って消えた。
私は窓を開けて、下を見た。
子どもたちが、門のほうを向いて、固まっていた。
門の外に、旅装の男が一人立っていた。
仕立てのよい外套。革の鞄。腰に剣はない。
その手に、麻の袋が提げられていた。
男が身じろぎしたとき、袋の中で、金属が擦れる音がした。
小さな音だった。
中庭の九人には、それが何の音か、はっきりと聞こえたようだった。
半月で九人です。誰が言い出したわけでもなく、行商人の口から口へ渡って、辺境の城が「歌える子を引き取ってくれる場所」になってしまいました。
中庭を騒がしくしたかった回でした。九人が九人、違う歌を違う高さで、好きなときに歌い出す。揃わない。長いあいだ寝息のなかった城ですから、この騒音は本来なら祝福です。
そこへ、騎士団長が数字を持ってきます。部屋がいくつ、麦がどれだけ、峠に雪が下るまであとふた月、夜番が二人。彼女は追い返せとは言いません。数えているだけです。この人にしか言えない台詞を書けたと思っています。
王女殿下の手紙が痛いところを突きます。囲うのをやめた。やめただけで、誰が受け取るのかを決めていなかった。制度を壊した人間の手落ちが、いま、王宮の門に列として並んでいます。
真夜中の窓辺で、マルタが起きていました。「昔からなのです。夜が、なんだか、長くて」。この方の話は、もう少し先で。
セレスは生まれて初めて、自分に向かって「一人では足りない」と言いました。第二部までの彼女は、唯一の歌い手であることを守る側の人でした。ここは、その反対側へ踏み出す一歩です。
門の外に立った男の、袋の中身の音。中庭の子どもたちには、あれが何の音か、はっきりわかったようです。
騎士団長の「数えているだけです」が刺さった方は、【ブックマーク】を。
皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。
次回、第64話「『いちばん下手な子は、家へ帰ります。金貨を持って』」でお会いしましょう。




