第48話: 支度金を積めば、「本物の歌い手」になれる
翌朝、王女殿下の執務室に、机が四つ、運び込まれた。
その上に、紙が積まれていく。三百年前の記録。聖歌庁の副本。劇場の記録。そして、帳簿。
「四本だ」と、エルフリーデ様が言った。「御前に出すのは、四本に絞る。多くすれば、必ず一本ずつ潰される」
殿下は、二枚の紙を並べた。
左が、原本の写し。右が、聖歌庁が三年前に公開した副本。
同じ一行が、二つあった。
左――『歌い手ユーディト、国家への奉仕を拒みし罪により断罪』
右――『歌い手ユーディト、病により除籍』
左――『これを庇いしヴァルトハイム公、共に罰す。東の最果てへ移す』
右――『功により、東の最果てを賜る』
ジルヴェスター様が、右の紙を、じっと見ていた。
三百年、彼の家が誇りにしてきた一行だった。
「ケルバー家は、代々の記録官だ」と、殿下は言った。「三百年、副本を作り続けてきた。……そして、この副本は、三年前に、書き直されている」
「三年前?」
「インクだ」と、ジルヴェスター様が言った。「紙は古い。だが、この字は、新しい」
「なぜ、三年前なのでしょう」
「三年前は」と、殿下が言った。「聖務卿ラインハルトが、その職に就いた年だ」
二本目は、劇場の記録だった。
「『二十名、規定どおり入眠。傷病者なし』」と、殿下が読み上げた。「傷病者、なし」
「七十一名です」と、私は言った。
殿下が、顔を上げた。
「……なぜ、その数を?」
「イゾルデ様が、数えました」
部屋が、静かになった。
「あの人が、自分で、数えたのです」
三本目は、聖歌庁の帳簿だった。王家の監査権で、殿下が取り寄せたものだ。
殿下が、あるページを開いた。
一行だった。
『支度金 金貨六十枚 ―― イゾルデ(四歳・女児)』
金貨、六十枚。
私が嫁いだ日、私が持っていたのは、古びたトランク一つと、流行遅れの薄いドレスだけだった。誰も、私に値段をつけようとは思わなかった。
この人には、ついていた。
「……買ったのですね」
「そうだ」と、殿下が言った。「聖歌庁は、この国の子供を、買っている」
「そして、それは違法ではない。――そういう制度を、王家が、認めてきたからだ」
四本目は、私が、見つけた。同じ帳簿の、ずっと後ろのほうだ。
登録名簿の写し。
この国で、「歌うことを許された」者の、一覧。
三十七名。
二千人が眠れずにいる国で、歌ってよいとされている人間が、三十七人しか、いない。
私は、上から順に、指で追った。
そして、止まった。
『アマーリエ・フォン・ハーゲン ―― 登録済 (半年前)』
息が、詰まった。
義妹だった。
増幅魔石がなければ一節も歌えないと、公の場で暴かれた、あの人。爵位を失い、「光の歌姫」の名を失った、あの人。
その名が、国が認めた三十七人の中に、あった。
私は、震える指で、その行を、右へなぞった。
備考の欄に、こうあった。
『支度金 金貨四十枚 納付済』
――支度金。
同じ言葉だった。
六十枚で、四つの子供を、買った。
四十枚で、歌えない娘に、歌う資格を、売った。
同じ帳簿の、同じ欄に、それは、並んでいた。
その日の午後、ブリュンヒルデ様が、彼女を連れてきた。
劇場の傍聴席で私を指差して笑っていた義妹は、ずいぶんと痩せていた。
ドレスの袖口が、擦り切れていた。それでも、宝石をひとつ、胸元につけていた。硝子だと、一目で分かった。
「……あら。お姉様」
声だけは、昔のままだった。
「ご機嫌よう。ずいぶんと、ご出世なさったこと」
「アマーリエ様」と、殿下が言った。「あなたは、聖歌庁の登録名簿に、名前がある」
「ええ。ございますわ」
彼女は、胸を張り、懐から一枚の紙を出した。
登録証だった。角が、擦り切れていた。何度も出しては仕舞ったのだと分かる、擦り切れ方だった。
「わたくしは、聖歌庁が認めた、本物の歌い手ですのよ」と、彼女は言った。「お姉様と、違って。……登録外の、野良ではございませんの」
「では、歌ってごらんなさい」と、殿下が言った。
アマーリエは、笑った。
「よろしくてよ。……本物の才能というものを、お聞かせいたしますわ」
彼女は、胸に手を当てて、息を吸った。
そして、歌った。
細い声だった。高いところで、少し掠れた。四つ目の音で、下がりきらなかった。
私は、それを、最後まで聞いた。
――ただの、歌だった。
下手では、なかった。宮廷の娘が、行儀よく習った通りの、ごく普通の歌。街の酒場でも、いくらでも聞ける声。
誰も、眠らなかった。
誰も、泣かなかった。
魔石が無いのだから、当たり前だった。
私は、痛快では、なかった。
この人が惨めだから、ではない。
――この人が、本当に、登録されているからだ。
この声に、国は、「歌ってよい」という許可を出した。
私の歌には、出さなかった。
その差は、才能ではなかった。
金貨、四十枚だった。
「アマーリエ様」と、私は言った。「登録には、何が、必要でしたか」
「……何を、当たり前のことを」と、彼女は、きょとんとした顔をした。「支度金を、納めましたわ」
彼女は、少しも悪びれなかった。
悪いことをしたと、思っていないのだ。
「皆様、そうなさいますでしょう? ……お父様の、最後のお屋敷を、売りましたのよ」
この人は、嘘をついていない。
この人にとって、それは賄賂ではない。手続きなのだ。誰もが払っている、当たり前の。
――制度が、腐っているのではない。
腐ったものが、制度に、なっているのだ。
エルフリーデ様が、立ち上がった。
「王の御前会議を、開かせる」
「――これで、足りる」
「殿下」と、ジルヴェスター様が言った。「あの男は、折れませんぞ」
「知っている」と、殿下は言った。「あの男は、折れない。あれは、自分が正しいと、本気で思っている」
殿下は、窓の外を見た。
「だから、王に、見せるのだ。折れない男の、正しさというものを」
私たちが立ち上がった時、声がした。
「――あの」
アマーリエだった。
彼女は、擦り切れた登録証を、握りしめていた。
その手が、震えていた。
この人は、馬鹿ではない。
自分の名前が、四つの机の上に置かれていることに、気づいたのだ。
「わたくしは」
彼女は、私を見た。
劇場で私を嘲った、あの目だった。
その目が、今は、必死に、逃げ道を探していた。
「わたくしは、騙されたのですわ。聖歌庁が、悪いのですわ。……ええ、そうですわ。わたくしは、被害者ですのよ」
そして。
「殿下」
彼女は、王女殿下に向かって、深々と、頭を下げた。
「――証言いたしますわ」
お読みいただきありがとうございます。御前会議に向けて、証拠が四本、揃いました。
三年前に書き換えられた副本。三年前は、ラインハルトが聖務卿になった年でした。二千人が見た劇場の「傷病者なし」——その七十一という数を数えていたのが、ほかならぬイゾルデだったこと。
そして、帳簿です。金貨六十枚で、四つの子供を買う。金貨四十枚で、歌えない娘に歌う資格を売る。同じ欄に、同じ言葉で、「支度金」と書いてあります。
セレスが痛快になれなかった理由が、この回の芯です。アマーリエの歌はひどくもなんともない、ごく普通の歌でした。ただの声です。その声に、国は「歌ってよい」という許可を出しました。セレスの歌には、出しませんでした。
その差は、才能ではありません。金貨四十枚です。
しかもアマーリエは、嘘をついていません。彼女にとって支度金は賄賂ではなく、手続きなのです。皆様そうなさいますでしょう、と。制度が腐っているのではなく、腐ったものが制度になっている——これが、この国の歌い手認定の正体でした。
さて、保身に走った義妹が、自分から証言台に立つと言い出しました。次回、いよいよ王の御前です。
【ブックマーク】【評価】での応援、心よりお待ちしております。
皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。
次回、第49話「三百年前の歌を、王の御前で」でお会いしましょう。




