第37話: 王都は、歌い手を「登録」したがる
半年ぶりの王都は、私を、嗤わなかった。
前に来たとき、この街は「眠れぬ獅子」を好奇の目で迎えた。石を投げるように、笑い声を投げてきた。
今度は、違った。
馬車が大通りを進むと、人垣が割れた。
誰も笑わなかった。誰も、囃し立てなかった。ただ、静かになった。
「……あの方が」
「ほら、例の。城じゅうを眠らせたという」
「子どもも眠らせたそうよ。まる一日」
「近寄らないほうが」
嗤われるより、ずっと、こたえた。
窓の外を見ていた私の手を、ジルヴェスター様が、黙って握った。
握り返す力が、うまく入らなかった。
王宮の、白い応接の間。
「よく来てくれました、セレスティア」
立ち上がって迎えてくださったのは、エルフリーデ王女殿下だった。
あのときと同じ、凛としたお姿。けれど、目元に、疲れが見えた。
「殿下。お手紙、ありがとうございました」
「礼を言われる筋合いはない」と、殿下は苦く笑った。「私は、詫び状を書いただけだ」
人払いをして、殿下は声を落とした。
「単刀直入に言う。この認定審査は、あなたを守るためのものではない。囲うためのものだ」
「……はい」
「そして、私は、それを止めきれない」
殿下は、悔しげに目を伏せた。
「王家の記録庫の鍵は、私が持っている。三百年前の、鎮魂の歌い手にまつわる記録――王家が、二度と表に出したくない記録が、あそこにある」
「あれを開けば、流れは変えられるかもしれない。だが、開けば、王家の恥が出る。兄上は、決してお許しにならない」
「三百年前に、何が」
「……私も、全ては知らない」と、殿下は言った。「知っているのは、ひとつだけだ。我が王家は、かつて、歌い手に対して、決してしてはならないことをした」
殿下は、私を見た。王族の目ではなく、一人の人の目で。
「セレスティア。あなたに詫びるべき罪が、我が家には三百年ぶん、ある。……だから、私は、あなたの側に立つ。時が来たら、あの扉を開ける。だが今は、耐えてほしい」
聖歌庁は、王宮の奥にあった。
王宮楽士団の華やかな建物とは、まるで違った。
装飾がない。窓が小さい。廊下が、異様に静かだった。声が響かないよう、壁に厚い布が張ってある。
――音を、嫌う建物。
その最奥で、その人は、立ち上がって私たちを迎えた。
「ようこそおいでくださいました。ヴァルトハイム公爵閣下。――そして、登録外の歌い手殿」
聖務卿、ラインハルト・フォン・ケルバー。
白髪を丁寧に撫でつけた、痩身の紳士だった。年の頃は六十ほど。物腰は、あくまで柔らかい。
ファルクのような、粘つく傲慢さはなかった。
この人には、そもそも、熱が無かった。
「まず、お詫び申し上げます」と、彼は深々と頭を下げた。「貴領で起きた昏睡の件、当庁の対応が遅れました。あの少年は、無事でしたか」
「……はい。おかげさまで」
「それは何より。十二の子が、一日を失うのは、痛ましいことです」
その一言で、私の喉が塞がった。
この人は、責めなかった。
ただ、事実を、そっと置いた。私が二度と忘れられない形で。
「本題に入りましょう」
ラインハルト卿は、一枚の羊皮紙を、机の上に滑らせた。
『鎮魂の歌い手登録証』
「これに署名をいただければ、審査は形式のみで済みます。あなたは王国が公に認めた歌い手となる。誰もあなたを危険とは呼びません。母上の時のような、悲劇も、繰り返されません」
「……条件は」
「三つです」
彼は、指を三本立てた。
「一、王都にお住まいいただくこと。聖歌庁の宿舎に。
二、歌う相手は、当庁が定めること。王国には眠れぬ者が二千人おります。あなたの歌は、公共のものです。
三、当庁の許可なく歌わぬこと。……以上です」
部屋の空気が、凍った。
「――つまり」
ジルヴェスター様の声が、低く落ちた。
「私の妻を、私から取り上げると」
「とんでもない」と、ラインハルト卿は微笑んだ。「面会は、月に一度、許可いたします」
「お断りいたします」
私は、言った。声が震えないよう、腹に力を込めて。
「私の歌は、公共のものだと、あなたは仰いました。……でしたら、なぜ、私が誰に歌うかを、あなたが決めるのですか」
「制御できぬからです」
卿は、即座に答えた。
「セレスティア様。あなたは、善き人だ。それは疑いません」と、彼は言った。「ですが、この国で最も厄介なものが何か、ご存じですか」
「悪意ではありません。悪意は、裁けます。――制御できぬ善意です。これは、裁けない。裁けぬまま、人を眠らせ続ける」
「私は」
「あなたは、あの少年を眠らせるつもりが、ありましたか」
「……ございません」
「それを、我々は制御できぬと呼ぶのです」
彼は、羊皮紙を、そっと私の方へ押した。
「次は、十二の子が一日で済まぬかもしれません。二日かもしれない。一年かもしれない。……あるいは、二度と目覚めぬかもしれない」
「その時、あなたは、その母親に、何と仰いますか。『つもりはなかった』と?」
私は、答えられなかった。
昨日の朝、震えていた自分の手を、思い出していた。
私は、あの子を起こせなかった。歌えば歌うほど、深く沈んでいくのを、ただ見ていた。
「――署名は、しない」
ジルヴェスター様が、私と羊皮紙の間に、身体を割り込ませた。
「私の妻を脅すのは、そこまでにしろ」
「脅してはおりません、閣下」
ラインハルト卿は、静かに羊皮紙を引き戻し、丁寧に巻いた。
「ただ、申し上げているだけです。――登録なき歌い手の歌は、王国では、歌ってはならぬものとなります」
彼は、扉まで私たちを見送りに立った。
最後に、心底、労わるような声で言った。
「審査は、公開で行います。二人の歌い手に、同じ場で歌っていただく」
「イゾルデの歌と、あなたの歌。……どちらが王国の眠りを預かるにふさわしいか、国じゅうに、見ていただきましょう」
お読みいただきありがとうございます。
聖務卿ラインハルト・フォン・ケルバー、登場です。ファルクのような粘つく傲慢さはありません。この人には、そもそも熱がない。丁寧に、正論だけで、セレスの居場所を削ってきます。
「悪意は裁けます。裁けないのは、制御できぬ善意です」
そして彼が突きつけた三つの条件は、要するに「公爵から引き剥がす」ということ。ですが、いちばん怖いのは――セレス自身が、彼の言葉に一言も反論できなかったことです。あの朝、彼女は十二の少年を、起こせなかったのですから。
一方、エルフリーデ王女が握る、王家の記録庫の鍵。三百年前、王家は歌い手に「決してしてはならないこと」をしました。
次回、審査前夜。王都の地下で、何かが軋みます。
【ブックマーク】【評価】での応援、心よりお待ちしております。
皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。
次回、第38話「王都の地下で、何かが軋んでいる」でお会いしましょう。




