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第31話: 子守唄の要らない朝に、招待状が届いた

 朝の光で目を覚ますことに、私はまだ、慣れない。


 隣から、寝息がする。

 深く、穏やかで、ゆっくりとした寝息。四年のあいだ、この城から失われていた音。

 窓の外では、氷の薔薇が朝露を光らせている。嵐の辺境の、春。


 私は、その寝息をしばらく聞いていた。

 歌わなくても、彼は眠っている。それは、私がずっと願っていたことで――ほんの少しだけ、寂しいことでもあった。


「……起きているのか」


 低い声がして、腕が伸びてきた。抗う間もなく、引き寄せられる。


「まだ夜明けだ。眠れ、セレスティア」


「ジルヴェスター様こそ、もう少しお休みになってくださいませ」


「お前が起きていると、眠れん」と、彼は私の髪に顔を埋めて言った。「……この四年、眠れなかった男の台詞ではないな」


 その声に、笑いが滲んでいる。

 拒絶しかなかった人が、こんなふうに笑う。それだけで、私の胸は、いまだにいっぱいになってしまう。


 叔父様――アーダルベルトが捕らえられ、実家ハーゲン家が爵位を失って、季節がひとつ巡った。

 城は静かで、平和で、あたたかい。ハンナは私を「奥方様」と呼んで甘やかし、ブリュンヒルデ様は騎士たちを鍛え直し、ルルは相変わらず塔の上から私の肩へ落ちてくる。


 子守唄の要らない朝が、来た。

 ――ただ、ひとつだけ。


 月に一度、夜が軋む。


 新月の晩だけ、ジルヴェスター様の魔力が、寝床の中で低く唸るのだ。窓硝子が鳴り、遠くで雷の匂いがして、彼は苦しげに眉を寄せる。

 そういう夜は、私が歌う。


「ねむれ、ねむれ。風のこ、嵐のこ。今日の痛みは、夜が連れていく――」


 歌えば、収まる。すぐに収まる。

 だから、大したことではないのだと、私たちは言い合っていた。呪具は砕けた。叔父様は捕らえられた。呪いの名残が消えるまで、少し時間がかかっているだけなのだと。


 ――本当に、そうでしょうか。

 時折、その問いが、喉の奥に小骨のように引っかかる。


 砕けた呪具の破片を、私は一度だけ見せてもらったことがある。

 黒い、硝子のような欠片だった。あれを見たとき、ジルヴェスター様がぽつりと漏らした言葉が、忘れられない。


『……これは、古い。叔父上が作れる代物ではない』


 では、誰が。

 その先を、私たちはまだ、口に出していない。


 王都からの使者が来たのは、その日の昼だった。


 銀の杖を持った、聖歌庁の役人。差し出された書状の封蝋は、王宮楽士団のものではなかった。もっと重く、もっと古い、王家の祭祀の紋章。


『鎮魂の歌い手セレスティア・フォン・ヴァルトハイムの力につき、王国祭祀法に基づき、聖歌庁への登録および正式認定を行う。

 当人は、来る月の満ちる日までに、王都へ出頭すべし』


「……登録、ですか」


「そう伺っております」と、役人はにこやかに言った。「喜ばしいことでございますよ、奥方様。聖歌庁の認定を受ければ、あなた様の歌は王国が公に認めた尊い力となります。もう、誰にも危険などと呼ばせません」


 私は、書状を持つ手が、少し冷たくなるのを感じた。


 ――母も、そう言われたのではないだろうか。

 二十年前。あなたの力は尊い、国家がお守りする、と。そう言って囲われ、逆らって、消された。


「認定を受けねば、どうなります」


 ジルヴェスター様の声は、氷のようだった。


「まさか。強いるものではございません」と、役人は微笑んだ。「ただ――登録なき歌い手の歌は、王国では『歌ってはならぬもの』となります。それだけのことでございます」


 それだけ、と彼は言った。

 私の喉を、静かに、書類一枚で縛る話を。


 使者が下がったあと、書状の下から、もう一通が滑り落ちた。


 小さな、飾り気のない私信。

 差出人は、エルフリーデ王女殿下。ファルクを裁いてくださった、あの凛としたお方。


『セレスティアへ。

 兄の周りが動いています。この認定は、あなたを守るためのものではありません。

 ――そして、あなたに詫びておかねばならないことがある。

 我が王家には、鎮魂の歌い手に対して、三百年ぶん、償っていない古い罪がある。

 王都へ来なさい。あなたが望むなら、私はそれを、あなたの前で開けます』


 三百年。

 審問の日、ファルクが最後に投げつけた言葉が、耳の底で蘇る。


『――歌い手は、かつて王家に災いをもたらした血筋なのだ』


「……ジルヴェスター様」


「行くぞ」と、彼は即座に言った。「お前ひとりでは行かせん。今度こそ、根を断つ」


 私は頷いた。頷いて、窓の外を見た。

 嵐の気配はない。空は、憎らしいほど晴れていた。


 ――だから、そのとき私は、まだ知らなかったのだ。


 夕刻、二人目の使者が城門に立った。

 聖歌庁の書状には、たった三行が記されていた。


『認定審査に先立ち、貴領へ、聖歌庁が認めし正式なる鎮魂の歌い手を一名、差し向ける。

 公爵閣下の夜啼きの呪いは、当庁が責任をもって鎮めるものとする。

 ――静寂の歌姫、イゾルデ』


 私の歌の代わりが、この城へ来る。


お読みいただきありがとうございます。第二部「夜啼きの呪いの、本当の起源」、開幕です。


呪いは砕いたはずなのに、月に一度だけ軋む夜。叔父では作れないはずの、古すぎる呪具。そして、王家が三百年ぶん償っていない罪――。


そして次回、この城に「もう一人の鎮魂の歌い手」がやってきます。

セレスにとって最大の武器であり、唯一の居場所だった「私の歌でしか、あの人は眠れない」が、揺らぎ始めます。


【ブックマーク】【評価】での応援、心よりお待ちしております。

皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。


次回、第32話「『あなたの代わりは、もう居ります』」でお会いしましょう。

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