↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/76

第2話:暴走する魔力と、震える喉の奥の旋律

 広すぎる寝室の片隅で、私は膝を抱えて座っていた。


 魔石のランプが、青白い光をぼんやりと落としている。

 暖炉には火が灯っているはずなのに、部屋の空気はどこか張り詰め、嵐の唸りが絶え間なく壁を震わせていた。


(……眠れない、のはきっと私だけではないのね)


 この城の主は、何年も眠っていないという。

 眠れば嵐が人を殺す。

 その言葉の意味を、私はまだ、本当の意味では理解していなかった。


 耳を澄ませてみる。

 城は、いろいろな音を立てていた。


 どこか遠くで鎧の擦れる音がして、廊下を早足で行き来する靴音が続く。

 夜半を過ぎても、それは絶えなかった。

 この城の人たちは、眠るために夜を使っていない。

 嵐に備えるために、夜を使っているのだ。


 私は膝を抱え直した。

 実家の屋根裏でも、こうして夜をやり過ごすことは多かった。

 けれどあそこで聞いていたのは、階下の笑い声と、食器の触れ合う音だった。

 ここで聞こえるのは、誰かが眠れずにいる音だ。


 ギィと重い扉が開いた。


 心臓が跳ね上がる。

 現れたのは、夜着の上に漆黒のガウンを羽織ったジルヴェスター様だった。

 昼間の威圧的な軍装とは違い、髪を下ろした今の彼は、より一層「人ならざる美しさ」を際立たせている。

 けれどその目元の隈は、昼よりもなお濃く、深く落ちていた。


「……まだ起きていたのか」


 低く地を這うような声。

 彼は迷いのない足取りで寝台の端へ歩み寄り、腰を下ろした。

 途端に部屋の空気がびりりと帯電する。


「閣下……。あ、あの……」


「黙れ。これは儀式だ」


 彼は私を見ようともせず、冷たく言い放った。

 ヴァルトハイム家には、代々「婚姻の儀」がある。

 夫婦が魔力を通わせ、領を護る古い結界を保つ――そういう建前なのだという。


 建前、という言い方を教えてくれたのは、道すがらのブリュンヒルデ様だった。

 「形だけのものです」と彼女は言い、それから、「閣下に触れられる者は、この城にもうおりません」と、事務の報告と同じ調子で付け足した。

 あのとき繋がらなかった二つの言葉が、今になって、ひとつになった。


 形だけの儀式にすがらなければ、この人はもう、誰の手も取れないのだ。


「手を出せ」


 命じられるまま、私は震える指先を差し出した。

 彼はそれを手袋を脱いだ素手で、無造作に掴み取る。


「――っ」


 その瞬間、彼の体の中で何かが軋(きし)む音を、私は確かに聞いた気がした。


「……ぐ、っ……」


 ジルヴェスター様の喉から、苦悶の呻きが漏れた。

 彼の指が私の手の中で激しく震えている。

 窓の外の嵐が、呼応するように勢いを増した。稲妻が部屋を白く灼(や)き、ランプの炎が大きく揺れる。


「閣下……!?」


「離れろ……っ、巻き込まれるぞ。これが……私の夜だ」


 眠るまでもない。

 ただ気を緩め、目を閉じようとするだけで、彼の中の魔力は荒れ狂い、外の嵐となって牙を剥く。

 壁の燭台が落ち、床の氷塊が砕け、部屋そのものが軋み始めた。


 音が、増えていく。

 窓枠の悲鳴。天井の梁の呻き。石の継ぎ目から吹き込む風の、細く高い笛のような音。

 その全部の底に、押し殺した呼吸の音があった。

 いちばん小さいのに、いちばん耳から離れない音だった。


 彼は歯を食いしばり、必死に己の魔力を押さえ込もうとしていた。

 その額には脂汗が滲み、整った顔は苦痛に歪んでいる。

 誰も助けられない。誰も近づけない。

 たった一人で毎晩、この嵐と戦っている――。


 その姿を見た瞬間、私の中で、何かがすとんと腑に落ちた。


(ああ、この人は……怖いんじゃない。痛いんだわ)


 気づけば、私は震える彼の手を、両手で包み込んでいた。

 そして――幼い夜、寂しさを紛らわせるためだけに歌ってきた、あの一節を口ずさんでいた。


「……ねむれ、ねむれ。風のこ、嵐のこ。

 今日の痛みは、夜が連れていく――」


 拙い、子守唄。

 舞台も飾れない、攻撃もできない、「無能」と嗤われた歌。


 けれど。


「……っ……なに、を……」


 荒れ狂っていた嵐が、ふっと息を止めた。


 窓を打っていた風が和らぎ、稲妻の白光が遠ざかっていく。


 音が、順番に減っていった。

 梁の呻きが消え、笛のような風の音が消え、最後に窓枠の悲鳴が消えた。

 残ったのは、私の拙い旋律だけだった。


 彼の手の中で軋んでいた魔力が、まるで凍えた獣が陽だまりを見つけたように、静かに、静かに凪いでいく。


「な、ぜ……だ」


 ジルヴェスター様が、信じられないものを見る目で、私を見つめていた。

 暗い金の瞳が、激しく揺れている。


「なぜ、これほどまでに……心が凪ぐ……」


 彼の大きな掌が、私の小さな手を握り返した。

 痛いほどの力。けれどなぜだろう。

 その手から伝わってくるのは、冷たさではなく、ずっと張り詰め続けてきた者の、深い疲れだった。


「閣下……。よろしければ、もう少し、歌ってもよろしいですか」


 私は自分でも驚くほど落ち着いた声で、そう尋ねていた。


 彼は何も答えなかった。

 ただ握った手を放さないまま――ほんの一瞬、目を伏せた。


 答えの代わりだと、私は思うことにした。

 放されないうちは、歌っていていいのだと。


 私は再び歌った。

 夜の底に旋律をそっと落とすように。


 私の手を包んだままの彼の指から、少しずつ、力が抜けていく。

 窓の外の嵐は、もう唸りをあげなかった。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。


この回は「音を減らしていく」ことだけを考えて書きました。窓枠の悲鳴、梁の呻き、風の細い笛。それが順番に消えて、最後にセレスの拙い旋律だけが残る。眠りが訪れる瞬間を、静けさではなく音の引き算で書きたかったのです。


ひとつだけ、拾っていただけたら嬉しい箇所があります。荒れ狂う音の底に、押し殺した呼吸の音がある、という一行。いちばん小さいのに、いちばん耳から離れない音――それが四年ぶん、この城に鳴り続けていた音です。


無能と嗤われた歌が、初めて誰かに届いた夜でした。この一節に胸が動いた方は、どうか【評価】をひとつ。

皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。


次回、第3話「氷の城に、初めての寝息が落ちる」でお会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。