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第2話:暴走する魔力と、震える喉の奥の旋律

 広すぎる寝室の片隅で、私は膝を抱えて座っていた。


 魔石のランプが、青白い光をぼんやりと落としている。

 暖炉には火が灯っているはずなのに、部屋の空気はどこか張り詰め、嵐の唸りが絶え間なく壁を震わせていた。


(……眠れない、のはきっと、私だけではないのね)


 この城の主は、何年も眠っていないという。

 眠れば、嵐が人を殺す。

 その言葉の意味を、私はまだ、本当の意味では理解していなかった。


 ギィ、と重い扉が開いた。


 心臓が跳ね上がる。

 現れたのは、夜着の上に漆黒のガウンを羽織ったジルヴェスター様だった。

 昼間の威圧的な軍装とは違い、髪を下ろした今の彼は、より一層「人ならざる美しさ」を際立たせている。

 けれど、その目元の隈は、昼よりもなお濃く、深く落ちていた。


「……まだ、起きていたのか」


 低く、地を這うような声。

 彼は迷いのない足取りで寝台の端へ歩み寄り、腰を下ろした。

 途端に、部屋の空気がびりりと帯電する。


「閣下……。あ、あの……」


「黙れ。これは儀式だ」


 彼は私を見ようともせず、冷たく言い放った。

 ヴァルトハイム家には、代々「婚姻の儀」がある。

 夫婦が魔力を通わせ、領を護る古い結界を保つ――そういう建前なのだという。


「手を出せ」


 命じられるまま、私は震える指先を差し出した。

 彼はそれを、手袋を脱いだ素手で、無造作に掴み取る。


「――っ」


 その瞬間、彼の体の中で何かがきしむ音を、私は確かに聞いた気がした。


「……ぐ、っ……」


 ジルヴェスター様の喉から、苦悶の呻きが漏れた。

 彼の指が、私の手の中で激しく震えている。

 窓の外の嵐が、呼応するように勢いを増した。稲妻が部屋を白くき、ランプの炎が大きく揺れる。


「閣下……!?」


「離れろ……っ、巻き込まれるぞ。これが……私の、夜だ」


 眠るまでもない。

 ただ気を緩め、目を閉じようとするだけで、彼の中の魔力は荒れ狂い、外の嵐となって牙を剥く。

 壁の燭台が落ち、床の氷塊が砕け、部屋そのものが軋み始めた。


 彼は歯を食いしばり、必死に己の魔力を押さえ込もうとしていた。

 その額には脂汗が滲み、整った顔は苦痛に歪んでいる。

 誰も助けられない。誰も近づけない。

 たった一人で、毎晩、この嵐と戦っている――。


 その姿を見た瞬間、私の中で、何かがすとんと腑に落ちた。


(ああ、この人は……怖いんじゃない。痛いんだわ)


 気づけば、私は震える彼の手を、両手で包み込んでいた。

 そして――幼い夜、寂しさを紛らわせるためだけに歌ってきた、あの一節を、口ずさんでいた。


「……ねむれ、ねむれ。風のこ、嵐のこ。

 今日の痛みは、夜が連れていく――」


 拙い、子守唄。

 舞台も飾れない、攻撃もできない、「無能」と嗤われた歌。


 けれど。


「……っ、……なに、を……」


 荒れ狂っていた嵐が、ふっと、息を止めた。


 窓を打っていた風が和らぎ、稲妻の白光が遠ざかっていく。

 彼の手の中で軋んでいた魔力が、まるで凍えた獣が陽だまりを見つけたように、静かに、静かに凪いでいく。


「な、ぜ……だ」


 ジルヴェスター様が、信じられないものを見る目で、私を見つめていた。

 暗い金の瞳が、激しく揺れている。


「なぜ、これほどまでに……心が、凪ぐ……」


 彼の大きな掌が、私の小さな手を握り返した。

 痛いほどの力。けれど、なぜだろう。

 その手から伝わってくるのは、冷たさではなく、ずっと張り詰め続けてきた者の、深い疲れだった。


「閣下……。よろしければ、もう少し、歌ってもよろしいですか」


 私は、自分でも驚くほど落ち着いた声で、そう尋ねていた。


 彼は何も答えなかった。

 ただ、握った手を放さないまま――ほんの一瞬、目を伏せた。


 私は再び、歌った。

 夜の底に、旋律をそっと落とすように。


 窓の外の嵐は、もう、唸りをあげなかった。

お読みいただきありがとうございます。

「無能」と嗤われた子守唄が、眠れぬ獅子の嵐を凪がせた夜――。

次回はいよいよ、彼が数年ぶりに「眠る」回です。


続きが気になっていただけましたら、【ブックマーク】と【評価】で応援いただけると、とても励みになります。

皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。


次回、第3話「氷の城に、初めての寝息が落ちる」でお会いしましょう。


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