第1話:「子守唄など要らぬ」と、その公爵様は私を見もせずに言った
霧島結衣と申します。数ある作品の中から見つけてくださって、ありがとうございます。
「子守唄しか歌えない無能」と嗤われた令嬢が、幾年も眠れずにいる公爵のもとへ、生贄として嫁がされます。
冷酷なはずのその人が、彼女の歌にだけ、不器用に崩れていく話です。
眠れぬ城に差し込む、子守唄のような物語を、どうぞお楽しみください。
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「――まったく、お前は本当に、家名の役にも立たない娘ねぇ」
扇子の先で顎を持ち上げられ、私は静かにその冷たい視線を受け止めた。
義母――ハーゲン伯爵夫人の目は、まるで掃きそびれた埃を見るように、私を映している。
「返事は? 今日からお前は、東の果ての『眠れぬ獅子』に捧げられる生贄になるのよ。光栄に思いなさいな」
「……はい、お母様」
私は頭を垂れた。
反論など、もう何年も前に忘れてしまった。
私の名は、セレスティア・フォン・ハーゲン。
ハーゲン伯爵家の長女でありながら、屋敷の中では使用人以下の扱いを受けてきた「無能令嬢」だ。
この国で貴族が尊ばれる理由は、その血に宿る「魔法」にある。
義妹のアマーリエは、舞台の上で光の礫を躍らせる、華やかな「歌唱魔法」の才に恵まれた。
対して、私に宿ったのは――ただ、人を眠りへ誘うだけの、ささやかな「歌」。
攻撃もできず、舞台も飾れない。
「子守唄しか歌えない無能」と、父からは「ハーゲンの恥」と罵られてきた。
そして今日。
私は、王国の東の最果て――嵐の絶えぬ辺境を治める、ヴァルトハイム公爵のもとへ嫁ぐことになった。
表向きは政略結婚。
だがその実態は、あまりに強大すぎる魔力ゆえに夜ごと嵐を呼び、「眠れぬ獅子」と恐れられる公爵を鎮めるための、文字通りの生贄だった。
(……せめて、あの方の安らぎになれたら、いいのだけれど)
持たされた荷物は、古びたトランクひとつ。
着せられたのは、二季前の流行遅れの薄いドレス。
見送りの馬車すら、屋敷の裏口に回された、荷運び用の粗末なものだった。
「お姉様、さようなら! あちらでもその“馬小屋の子守唄”でせいぜい眠っていてね? ……まあ、お姉様の歌じゃ、嵐の獅子様は鼠一匹眠らせられないでしょうけど!」
義妹の高い笑い声を背に、馬車は走り出した。
窓の外、見慣れた王都の景色が遠ざかっていく。
そこに未練は欠片もなかった。
◇◇◇
東へ向かう道のりは、過酷そのものだった。
穏やかな王都の空は、進むほどに鉛色へと変わり、やがて絶え間ない風の唸りが馬車を揺らし始めた。
公爵領に入った瞬間、空気が変わった。
肺に吸い込む風が、砂粒混じりに喉を削る。
薄いドレス一枚の私の体は、すぐに芯から冷えていった。
「……寒い」
奥歯が鳴る。
私は胸に手を当て、ささやかな旋律を喉の奥に呼び起こそうとした。
幼い頃から寂しい夜はいつもこうしてきた。歌だけが私の味方だった。
やがて嵐のカーテンの向こうに、巨大な影が見えてくる。
切り立った崖の上にそびえる、灰色の城――ヴァルトハイム城。
その尖塔の周りでだけ、稲妻がのたうつように瞬いていた。まるで、城そのものが眠れずに苦しんでいるかのように。
馬車が止まり扉が開かれる。
「……セレスティア・フォン・ハーゲン様ですね。お待ちしておりました」
出迎えたのは、銀の甲冑を纏った、凛とした女性だった。
腰には剣。隙のない立ち姿。
公爵の側近にして騎士団長――後にブリュンヒルデと知る人だ。
彼女は私の薄着を一瞥し、わずかに眉をひそめたが、すぐに表情を消した。
「閣下がお待ちです。こちらへ」
城の中は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
けれどその静けさは、安らぎの静けさではない。
張り詰めた、息のできない静寂だった。
長い廊下の突き当たり。
重い扉が開かれた瞬間、私は息を呑んだ。
広い執務室の奥。
窓を打つ稲光を背に、その人は椅子に深く身を沈めていた。
ジルヴェスター・フォン・ヴァルトハイム。
漆黒に稲妻のような銀の筋が走る髪。
彫刻のように整いながら、どこか生気を失った蒼白い顔。
そして私を射抜いたのは――幾晩も眠っていない者特有の、底に隈の沈んだ、暗い金の瞳だった。
「……それが今度の生贄か」
その声を聞いた瞬間、背筋が強張った。
低い。けれどどこか今にも崩れそうなほど、擦り切れた響き。
彼はゆっくりと立ち上がり、私の前まで歩いてきた。
近づくたびに空気がびりびりと痺れる。彼の中で荒れ狂う魔力が、肌を通して伝わってくるようだった。
「ハーゲン伯爵家は、随分と貧相な娘を寄越したものだ。これでは私の眠りを鎮めるどころか、この城の風に一晩ともたずに飛ばされるだろう」
ひどい言い草だった。
けれど不思議と、義母たちの罵倒よりも痛くはなかった。
彼の瞳の奥に誰も近づけまいとする孤独と、深い疲労が見えたから。
「……申し訳ございません、閣下。不束者ですが、精一杯、務めさせていただきます」
震える声で私は精一杯の礼を尽くした。
ジルヴェスター様は、ふん、と短く息を吐き、窓の外の嵐へと背を向けた。
「勘違いするな、セレスティア。子守唄など要らぬ。私はもう、何年も眠っていない。眠れば嵐が人を殺す。お前の歌ごときでこの呪いが解けると思うな」
突き放すような残酷な宣告。
けれど私は、その背中に向かって、静かに告げた。
「お気遣い、ありがとうございます。……ですが、私はここに残りますわ」
彼の肩がわずかに揺れた。
「……好きにしろ。ブリュンヒルデ、この娘を寝室へ。朝、冷たくなっていなければ、それでいい」
それが、私の夫となる人との、最初の会話だった。
案内された寝室には、寒々しい石壁の中に、ふかふかの寝具と、温かいスープが用意されていた。
実家では、冬でも氷の張ったスープしか与えられなかった私には、それは何よりの贅沢だった。
私は一人、窓を打つ嵐を見つめる。
(愛されなくていい。期待もされなくていい。……ただ、ここが私の居場所になれば)
けれどこの時の私はまだ知らなかった。
その夜更け、「婚姻の儀」という名目で寝室を訪れた彼の前で、
私が思わず口ずさんだ、たった一節の子守唄が、
数年ものあいだ眠れなかった「眠れぬ獅子」の呪いを、初めて凪がせてしまうことを。
嵐の城に、初めての寝息が落ちるまで――あと、数時間。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。霧島結衣です。
第1話でいちばん書きたかったのは、セレスが「言い返さない」ことでした。反論をとうに忘れた人が、それでも最後に一言だけ、公爵様の背中へ返す。「私はここに残りますわ」――この一行のために、前半の理不尽を書いています。
もう一つ。彼女がこの城で最初に受け取ったのは、優しい言葉ではなく、温かいスープでした。実家では冬でも氷の張ったスープしか出なかった人です。この城が彼女に何をしたのかは、これから食卓のほうにも出てきます。
「子守唄など要らぬ」と突き放したこの人が、いつ、どんな形で崩れていくのか。そこが気になってくださった方は、【ブックマーク】をひとつ置いていってくださると嬉しいです。
皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。
次回、第2話「暴走する魔力と、震える喉の奥の旋律」でお会いしましょう。
当面は1日3話投稿予定です。ブックマークしてお待ちください。




