第19話: 歌劇審問、はじまる
歌劇審問の日が来た。
会場となったのは、王立歌劇場。
千を超える座席が、すべて埋まっていた。
貴族、楽士、聖職者、そして――王族の臨席を示す、上段の貴賓席。
王都中の耳目が、この一点に集まっていた。
舞台の中央に私は、一人で立たされていた。
白いドレス。手には母の形見の楽譜。
立って、まず天井を見た。
高い。
高いのに、遠くない。
客席の咳ひとつが、端まで届く造りだ。
――ここは、声のために建てられた場所なのだ。
こんな場所で歌わせてもらえる日が来るとは、屋根裏にいた頃には考えたこともなかった。
それが裁かれるためだというのは、少しおかしかった。
客席の最前列には、ジルヴェスター様と、ブリュンヒルデ。
そして少し離れた席に、にこやかに微笑む叔父アーダルベルト様の姿もあった。
審問長の席に座るのは――宮廷楽長、ファルク・ヴェルナー。
城で会ったときと同じ、慇懃な笑みだった。
違うのは、その笑みを向ける相手が、私ではなく客席だということだけだ。
「ではこれより歌劇審問を始める」
ファルクのよく通る声が、歌劇場に響き渡った。
「議題は一つ。鎮魂の歌い手セレスティア・フォン・ヴァルトハイムの有する力が、王国にとって、益となるか、害となるか。……諸君、よく見極めていただきたい」
彼はゆっくりと立ち上がり、聴衆に向かって、芝居がかった仕草で手を広げた。
「鎮魂の歌い手の力とは何か。それは――人を眠らせる力だ。荒ぶる魔獣を眠らせ、戦う兵を眠らせ、そして……抗う者の意志すらも、眠らせてしまう。考えてもみたまえ。もしこの力が悪しき者の手に渡れば? 一国の軍を、王の親衛隊を、まるごと眠らせ、無力化することすら、可能なのだ」
ざわりと聴衆がどよめいた。
恐怖の囁きが、波のように広がっていく。
「この娘は現に鎮魂祭で、巨大な親竜を一瞬で眠らせたという。それほどの力だ。我々は問わねばならない。このような危険な力を辺境の一公爵家に、私有させておいてよいものか、と」
巧みな弁舌だった。
私の力を「人を救う歌」ではなく、「人を無力化する兵器」として、塗り替えていく。
聴衆の目に私への恐怖と、警戒の色が、濃くなっていくのが、わかった。
言葉というのは、こんなに速く人を変えるのか、と思った。
私は二週間かけて、城の人たちの目を変えた。
この人はいくつかの言葉だけで、千人の目を変えてしまった。
――だから母は、言葉では勝てなかったのだ。
最前列でジルヴェスター様が、立ち上がりかけた。
反論しようとして――けれど、私は、視線で彼を制した。
(大丈夫です、閣下。ここは私の戦場ですから)
視線が合った。
彼は座り直し、両手を膝に置いた。
置いた手が、震えていた。
この人にとっては、座っていることのほうが戦なのだ。
私は震えそうになる足を、ぐっと踏みしめた。
膝が笑っていた。
千の目に見られるのが怖いのではない。
この千人がこれから、私の歌を「危険なもの」として聞くのだと思うと、喉が閉じそうだった。
――閉じるな、と私は自分に言った。
母は、閉じられて死んだのだから。
この場所の空気は、城のそれより薄くて、埃の味がした。
それでも、吸えば声になる。
吸えるうちは、まだ負けていない。
客席の片隅でいつの間にか紛れ込んでいた義妹アマーリエが、扇子の陰でくすくすと嗤っているのが見えた。
「ざまあみろ」とその目が言っていた。
無能のお姉様が、大勢の前で、危険な化け物として、裁かれるのだ、と。
あの子はどうやって、ここへ入ったのだろう。
王都のあの家は、もう社交の席に呼ばれていないはずなのに。
――呼ばれなくても、あの子は来る。
人が誰かに笑われるところを、見逃せない子なのだ。
けれど私はもうあの頃の私ではない。
「楽長様」と私は静かに口を開いた。
よく通る、落ち着いた声だった。我ながら驚くほどに。
「あなたは、私の歌を『人を無力化する力』だとおっしゃいました。……では一つ、お願いがございます。皆様の前で私に歌わせてください。私の歌が人から何を奪うのか。それとも――何を、与えるのか。どうか、ご自分の耳でお確かめくださいませ」
ファルクの片眉が、ぴくりと動いた。
してやったり、という顔だった。
危険な力を自ら衆目に晒す。墓穴を掘った、とでも思ったのだろう。
「……よかろう。歌うがいい。その『力』とやらを、ここにいる全員に見せてみよ」
ファルクが片手を上げると、舞台の四隅の燭が落とされた。
私だけが明るくなる。
逃げ場を無くすための、親切だった。
私は母の楽譜をそっと胸に抱いた。
厚い表紙の下で、ペンダントがかちりと鳴った。
(お母様。見ていてください。あなたの歌が本当は、何のための歌だったのかを)
そして私は、ゆっくりと息を吸った。
歌劇審問、開幕です。
千を超える座席が埋まった歌劇場で、セレスは一人で舞台に立たされます。立って、まず天井を見ました。高いのに、遠くない。客席の咳ひとつが端まで届く造りです。ここは、声のために建てられた場所なのです。
こんな場所で歌わせてもらえる日が来るとは、屋根裏にいた頃には考えたこともありませんでした。それが裁かれるためだというのは少しおかしい――そう受け取れるようになったところに、この人の変化があります。
この回でいちばん怖いのは、たぶん剣でも呪いでもなく、言葉の速さです。セレスは二週間かけて城の人たちの目を変えました。ファルクはいくつかの言葉だけで、千人の目を変えてしまう。だから母は、言葉では勝てなかったのです。
膝が笑っているのは、千の目が怖いからではありません。この千人がこれから自分の歌を「危険なもの」として聞くのだと思うと、喉が閉じそうになる。閉じるな、と彼女は自分に言い聞かせます。喉を閉じられて死んだ人の娘だからです。
最前列で座り直した人の、膝に置いた手が震えていました。この人にとっては、座っていることのほうが戦です。
息を呑んでくださった方は、どうか【ブックマーク】を。
皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。
次回、第20話「子守唄は、裁きの間を眠らせる」でお会いしましょう。




