↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/76

第19話: 歌劇審問、はじまる

 歌劇審問の日が来た。


 会場となったのは、王立歌劇場。

 千を超える座席が、すべて埋まっていた。

 貴族、楽士、聖職者、そして――王族の臨席を示す、上段の貴賓席。

 王都中の耳目が、この一点に集まっていた。


 舞台の中央に私は、一人で立たされていた。

 白いドレス。手には母の形見の楽譜。


 立って、まず天井を見た。


 高い。

 高いのに、遠くない。

 客席の咳ひとつが、端まで届く造りだ。

 ――ここは、声のために建てられた場所なのだ。


 こんな場所で歌わせてもらえる日が来るとは、屋根裏にいた頃には考えたこともなかった。

 それが裁かれるためだというのは、少しおかしかった。


 客席の最前列には、ジルヴェスター様と、ブリュンヒルデ。

 そして少し離れた席に、にこやかに微笑む叔父アーダルベルト様の姿もあった。


 審問長の席に座るのは――宮廷楽長、ファルク・ヴェルナー。


 城で会ったときと同じ、慇懃な笑みだった。

 違うのは、その笑みを向ける相手が、私ではなく客席だということだけだ。


「ではこれより歌劇審問を始める」


 ファルクのよく通る声が、歌劇場に響き渡った。


「議題は一つ。鎮魂の歌い手セレスティア・フォン・ヴァルトハイムの有する力が、王国にとって、益となるか、害となるか。……諸君、よく見極めていただきたい」


 彼はゆっくりと立ち上がり、聴衆に向かって、芝居がかった仕草で手を広げた。


「鎮魂の歌い手の力とは何か。それは――人を眠らせる力だ。荒ぶる魔獣を眠らせ、戦う兵を眠らせ、そして……抗う者の意志すらも、眠らせてしまう。考えてもみたまえ。もしこの力が悪しき者の手に渡れば? 一国の軍を、王の親衛隊を、まるごと眠らせ、無力化することすら、可能なのだ」


 ざわりと聴衆がどよめいた。

 恐怖の囁きが、波のように広がっていく。


「この娘は現に鎮魂祭で、巨大な親竜を一瞬で眠らせたという。それほどの力だ。我々は問わねばならない。このような危険な力を辺境の一公爵家に、私有させておいてよいものか、と」


 巧みな弁舌だった。

 私の力を「人を救う歌」ではなく、「人を無力化する兵器」として、塗り替えていく。

 聴衆の目に私への恐怖と、警戒の色が、濃くなっていくのが、わかった。


 言葉というのは、こんなに速く人を変えるのか、と思った。


 私は二週間かけて、城の人たちの目を変えた。

 この人はいくつかの言葉だけで、千人の目を変えてしまった。


 ――だから母は、言葉では勝てなかったのだ。


 最前列でジルヴェスター様が、立ち上がりかけた。

 反論しようとして――けれど、私は、視線で彼を制した。


(大丈夫です、閣下。ここは私の戦場ですから)


 視線が合った。

 彼は座り直し、両手を膝に置いた。

 置いた手が、震えていた。

 この人にとっては、座っていることのほうが戦なのだ。


 私は震えそうになる足を、ぐっと踏みしめた。


 膝が笑っていた。


 千の目に見られるのが怖いのではない。

 この千人がこれから、私の歌を「危険なもの」として聞くのだと思うと、喉が閉じそうだった。


 ――閉じるな、と私は自分に言った。

 母は、閉じられて死んだのだから。


 この場所の空気は、城のそれより薄くて、埃の味がした。

 それでも、吸えば声になる。

 吸えるうちは、まだ負けていない。


 客席の片隅でいつの間にか紛れ込んでいた義妹アマーリエが、扇子の陰でくすくすと嗤っているのが見えた。

 「ざまあみろ」とその目が言っていた。

 無能のお姉様が、大勢の前で、危険な化け物として、裁かれるのだ、と。


 あの子はどうやって、ここへ入ったのだろう。

 王都のあの家は、もう社交の席に呼ばれていないはずなのに。

 ――呼ばれなくても、あの子は来る。

 人が誰かに笑われるところを、見逃せない子なのだ。


 けれど私はもうあの頃の私ではない。


「楽長様」と私は静かに口を開いた。

 よく通る、落ち着いた声だった。我ながら驚くほどに。


「あなたは、私の歌を『人を無力化する力』だとおっしゃいました。……では一つ、お願いがございます。皆様の前で私に歌わせてください。私の歌が人から何を奪うのか。それとも――何を、与えるのか。どうか、ご自分の耳でお確かめくださいませ」


 ファルクの片眉が、ぴくりと動いた。

 してやったり、という顔だった。

 危険な力を自ら衆目に晒す。墓穴を掘った、とでも思ったのだろう。


「……よかろう。歌うがいい。その『力』とやらを、ここにいる全員に見せてみよ」


 ファルクが片手を上げると、舞台の四隅の燭が落とされた。

 私だけが明るくなる。

 逃げ場を無くすための、親切だった。


 私は母の楽譜をそっと胸に抱いた。

 厚い表紙の下で、ペンダントがかちりと鳴った。


(お母様。見ていてください。あなたの歌が本当は、何のための歌だったのかを)


 そして私は、ゆっくりと息を吸った。

歌劇審問、開幕です。


千を超える座席が埋まった歌劇場で、セレスは一人で舞台に立たされます。立って、まず天井を見ました。高いのに、遠くない。客席の咳ひとつが端まで届く造りです。ここは、声のために建てられた場所なのです。


こんな場所で歌わせてもらえる日が来るとは、屋根裏にいた頃には考えたこともありませんでした。それが裁かれるためだというのは少しおかしい――そう受け取れるようになったところに、この人の変化があります。


この回でいちばん怖いのは、たぶん剣でも呪いでもなく、言葉の速さです。セレスは二週間かけて城の人たちの目を変えました。ファルクはいくつかの言葉だけで、千人の目を変えてしまう。だから母は、言葉では勝てなかったのです。


膝が笑っているのは、千の目が怖いからではありません。この千人がこれから自分の歌を「危険なもの」として聞くのだと思うと、喉が閉じそうになる。閉じるな、と彼女は自分に言い聞かせます。喉を閉じられて死んだ人の娘だからです。


最前列で座り直した人の、膝に置いた手が震えていました。この人にとっては、座っていることのほうが戦です。


息を呑んでくださった方は、どうか【ブックマーク】を。

皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。


次回、第20話「子守唄は、裁きの間(ま)を眠らせる」でお会いしましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。