第16話: 王都への召喚状と、優しすぎる叔父様
氷の薔薇が咲いた夜から、数日。
王都から一通の重々しい書状が届いた。
封蝋には王宮楽士団の紋章。
差出人は宮廷楽長ファルク・ヴェルナー。
『鎮魂の歌い手セレスティアの力につき、王国楽法に基づく「歌劇審問」を執り行う。
当人および後見たるヴァルトハイム公爵は、来る月の満ちる日までに、王都へ出頭すべし』
紙は上等だった。
角が一つも折れていない。
急いで書かれた手紙ではなかった。
――何日も前から用意され、氷の薔薇が咲いた日を待っていたかのように、届いたのだ。
「……出頭ですか」
「拒めば、私が王法に背いたことになる」と、ジルヴェスター様は苦々しげに書状を睨んだ。「ファルクめ。王の権威を盾に、お前を公の場へ引きずり出すつもりだ」
歌劇審問。
それは鎮魂の歌い手の力が「国家にとって危険か否か」を、公開の場で裁くという名目の儀式だった。
けれどその本当の狙いは、明らかだ。
私を「危険」と断じ、母と同じように、国家の管理下――ファルクの手の中へ、囲い込むこと。
母のときは、審問すら開かれなかったのだとハンナは言っていた。
噂だけで足りたのだ。
二十年かけて、あの男は手続きを覚えた。
手続きは、噂よりも消しにくい。
消すには、こちらも手続きで返すしかない。
「閣下。私、参ります」と私は迷わず言った。「逃げれば、母と同じように、また誰かが、鎮魂の歌い手は危険だと言い続けます。……私は皆の前で証明したいのです。この歌が何のための歌なのかを」
ジルヴェスター様は、私をじっと見つめ、やがて静かに頷いた。
「……お前は、強いな。わかった。共に行こう。ただし――」
彼の表情がわずかに翳った。
「王都は人が多い。そして遠い。長旅と人混みは、私の魔力を刺激する。夜ごとの暴走が城にいるときより、ひどくなるかもしれん」
力を使えば嵐が荒れる。
人の多い王都でもし暴走すれば、被害は計り知れない。
彼がこれまで王都へ近づくことすら避けてきた理由が、それだった。
「大丈夫です」と、私は彼の手を握った。「どんな夜も私が歌います。あなたを、独りにはいたしません」
彼は何も言わなかった。
ただ、握られた手を振りほどかなかった。
この人の返事は、いつも、しないことのほうにある。
◇◇◇
出立の準備が進む中、私は生まれて初めて、自分の荷を作った。
嫁いできたときのトランクは、もう使わなかった。
新しい旅行鞄に入れたのは、着替えと、母の楽譜と、ペンダント。
それに、あの藍色のショール。
春に向かう季節なのに、ハンナは何も言わずに畳んで入れてくれた。
そして城にもう一人、思いがけない客が訪れた。
「やあ、ジルヴェスター。久しぶりだね。すっかり立派になって」
穏やかな笑みを浮かべた、初老の紳士だった。
仕立ての良い外套に、品の良い物腰。
けれどその柔和な笑顔の奥に、どこか、底の見えない冷たさがあった。
「叔父上」とジルヴェスター様の声が、わずかに硬くなった。「……なぜここへ」
「つれないなあ。可愛い甥が、王都の審問などという面倒事に巻き込まれていると聞いてね。後見人として、力になりに来たのだよ」
彼は――アーダルベルト・フォン・ヴァルトハイム。
ジルヴェスター様の、亡き父の弟。すなわち実の叔父だという。
だという、としか言えなかった。
この人の話を、私はジルヴェスター様の口から一度も聞いたことがない。
城に肖像もない。
四年、一度も見舞いに来なかった人が、審問の報せが届いた数日後に門をくぐっている。
「こちらが噂の奥方かな? いや、美しい。それに鎮魂の歌い手とは。ジルヴェスター、お前にはもったいないほどの、良い妻を得たものだ」
アーダルベルト様は、にこやかに私の手を取った。
その手はひやりと冷たかった。
城には春が来ていた。
馬車を降りてすぐの人の手が、こんなに冷えているものだろうか。
その瞬間。
私の隣でジルヴェスター様が、わずかに顔をしかめた。
彼の体の奥であの嵐の魔力が、ざわりと、波打ったのを――私は、感じ取った。
(……今、閣下の呪いが強くなった……?)
なぜ。
この、優しげな叔父が近づいた、ただそれだけで。
私はその夜、寝室の窓辺で耳を澄ませた。
風の音が、昨日までと違っていた。
この城の風は、低く唸る。
今夜は笛のように高く鳴っている。
――いいえ。
違うのは風ではない。
風を鳴らしているものの、機嫌のほうだ。
今夜のこの城は、機嫌が悪い。
言いようのない違和感が、胸の奥に、小さな棘のように刺さった。
けれどその正体に気づくには、私はまだ、あまりに無防備だった。
「では王都までの道中、私も同行させてもらおう。なに遠慮はいらないさ。家族なのだからね」
にこやかに笑う叔父の影が、なぜだか、ひどく長く、冷たく見えた。
王都篇の入口です。
書状の紙は上等で、角が一つも折れていませんでした。急いで書かれた手紙ではないのです。何日も前から用意されて、氷の薔薇が咲いた日を待っていたかのように届く。この作品の敵は、だいたいこういう来方をします。
母のときは審問すら開かれませんでした。噂だけで足りたからです。二十年のあいだに、あの男は手続きというものを覚えました。そして手続きは、噂よりずっと消しにくい。だから今度は、こちらも手続きで返すしかない――セレスが即答した理由は、そこにあります。
叔父アーダルベルトのことも。四年一度も見舞いに来なかった人が、審問の報せの数日後に門をくぐります。城に肖像もありません。手を取られたとき、その手はひやりと冷たかった。城にはもう春が来ていたのに、馬車を降りたばかりの人の手が。
その夜、風が笛のように高く鳴りました。この城の風は、低く唸るはずなのです。
嫌な予感を拾ってくださった方は、【評価】をひとつ。
皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。
次回、第17話「『眠れぬ獅子』を、王都は嗤って迎えた」でお会いしましょう。




