第13話:母の形見の楽譜に、私の子守唄が記されていた
ハンナは、人払いをした静かな部屋で、震える手で、抱えていた包みを、私に差し出した。
「……これを、お渡しするのが、私の務めでございました。ずっと、その時を、待っておりました」
古い、色褪せた布に包まれていたのは――一冊の、革表紙の楽譜だった。
そして、その間に挟まれた、銀の小さなペンダント。
「ハンナ。あなたは、母を……エレオノーラを、知っているの?」
「はい」と、彼女は涙をこらえながら、頷いた。「私は、かつて、王宮にお仕えしておりました。そして――エレオノーラ様の、女官でございました」
私は、言葉を失った。
「奥方様。あなた様のお母上は、ただの、病弱な伯爵夫人ではございません。二十年前、王宮で、その歌声を讃えられた――『鎮魂の歌い手』。荒ぶる魔を鎮め、人の心の傷を癒す、数百年に一人と言われた、希なる歌い手であらせられました」
鎮魂の、歌い手。
その言葉が、頭の中で、ゆっくりと、形を結んでいく。
荒ぶる魔を、鎮める。
人の心の、傷を癒す。
――それは、まさに、私の歌が、してきたことだった。
「私の、歌は……」
「はい」と、ハンナは、はっきりと言った。「奥方様。あなた様が『無能』と嗤われてきたその歌は――エレオノーラ様から受け継いだ、本物の、鎮魂の歌い手の力でございます」
震える手で、私は楽譜を開いた。
古い羊皮紙に、優美な筆致で、いくつもの旋律が記されている。
そして、その最初の一頁に書かれた旋律を見て――私は、息を、止めた。
「……これ」
それは、私が、幼い夜にいつも口ずさんでいた、あの子守唄だった。
誰に教わったわけでもない。
ただ、寂しい夜に、自然と、喉の奥から零れ落ちてきた、あの旋律。
「お母様が、私に……」
「ええ。エレオノーラ様は、あなた様がまだ赤子の頃、毎晩、この歌を歌っておられました。あなた様は、それを、覚えていらしたのです。言葉より先に、心が、お母上の歌を、覚えていた」
ぽろり、と、涙が頬を伝った。
「ハーゲンの恥」「馬小屋の子守唄」――そう罵られ続けた、この歌。
それは、私が、母から受け取った、たった一つの、愛の証だったのだ。
顔も、声も、ほとんど覚えていない、母。
けれど、母は確かに、この旋律に乗せて、私を、愛してくれていた。
「……お母様」
私は、楽譜を、そっと胸に抱いた。
その時、ハンナの表情が、ふいに、曇った。
「奥方様。……お喜びの最中に、申し上げにくいのですが。あなた様には、知っておいていただかねばなりません。エレオノーラ様が、なぜ、王宮を追われ、ハーゲン家のような地方の伯爵家へ嫁がれ……そして、なぜ、若くして亡くなられたのか、その、本当の理由を」
部屋の温度が、すっと、下がった気がした。
「母は……病で、亡くなったのでは、ないの?」
「いいえ」と、ハンナは、声を潜めた。「エレオノーラ様の力を、危険視し、宮廷から葬り去った男がおります。その者は今も、王宮で、絶大な権勢を誇っております。……明日、この城を訪れる、宮廷楽長――ファルク・ヴェルナー。その男こそが」
お読みいただきありがとうございます。
ついに明かされた、セレスの歌の正体「鎮魂の歌い手」。そして、母の形見の楽譜に記された、あの子守唄……。
「無能」と嗤われた歌が、母からの愛の証だったと知る場面、心を込めて書きました。
ですが、母の死には、隠された真実が。明日訪れる宮廷楽長ファルクとは――。
【ブックマーク】【評価】での応援、心よりお待ちしております。
皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。
次回、第14話「『鎮魂の歌い手』——消された母の、本当の名前」でお会いしましょう。




