第12話:「あなたに剣を捧げます」——騎士団長が膝をついた理由
宮廷楽長の視察まで、まだ数日の猶予があった。
城はその数日を、祭のあとの片付けに使っていた。
大聖堂の椅子が運び出され、聖堂の前に伏せていた親竜は、三日目の朝に山のほうへ帰っていった。
起きる瞬間を見た者は、一人もいない。
誰かが気づいたときには、伏せた跡の草だけが残っていた。
その間、私は城の暮らしにすっかり馴染んでいた。
とりわけ、最初は私を警戒していた騎士団長ブリュンヒルデが、いつしか、私の頼もしい味方になってくれていた。
ある午後、私は城の練兵場で、剣を振るう彼女の姿を眺めていた。
銀の甲冑が春の陽を弾いて輝いている。
一切の無駄のない、美しい太刀筋だった。
音が揃っている、と思った。
踏み込みの音、風を切る音、止めの息。
三つが毎回、同じ間隔で並ぶ。
この人は数えながら剣を振っているのだ。
稽古を終えた彼女が、汗を拭いながら、私のもとへやって来た。
「奥方様。このような所まで、いかがなさいました」
「ブリュンヒルデ様の剣があまりに見事で、つい見惚れておりました」
彼女はふっと珍しく頬を緩めた。
そしてしばしの沈黙のあと、ぽつりと語り始めた。
「……奥方様。私はあの『白雪の戦』の、数少ない生き残りなのです」
私は息を呑んだ。
「あの吹雪の夜。私は新米の騎士でした。魔獣に囲まれ、もはやこれまでと、死を覚悟した。……その時です。閣下が、たった一人で吹雪を割って現れたのは」
「風の音が変わったのを、覚えております」
彼女はそう言った。
「唸りが低くなったのです。閣下が近づくと、吹雪の音が下から押さえつけられたように低くなった。……あの音を私は今でも、夢に聞きます」
彼女の瞳が遠くを見つめる。
「閣下はご自分の身を盾にして、私を、そして数十人の民を城まで逃がしてくださった。……ですが、その代償に暴走した魔力で、より多くの者を救いきれなかった。閣下はご自分が救った命の数ではなく、救えなかった命の数だけを数え続けておられる」
数え続けている。
その人の剣が数を刻んでいるところを、私は今しがた見たばかりだった。
主が数えるものを、家臣もまた数えるようになるのだろうか。
「閣下……」
「世間は閣下を『化け物公爵』『眠れぬ獅子』と恐れ、嗤います。呪われた不吉な領主だと。……ですが、私は知っている。あの方がどれほど優しく、どれほど深く、民を想っておられるかを。だから私は誰が見限ろうと、あの方のもとを離れませんでした」
彼女はまっすぐに私を見た。
その瞳に強い光が宿っていた。
「四年間、私はただ祈ることしかできなかった。閣下がいつか安らかな夜を取り戻せるように、と。……それをあなた様が、叶えてくださった。たった一つの子守唄で」
ブリュンヒルデは、その場に片膝をついた。
銀の騎士が私のような小娘に、頭を垂れたのだ。
「奥方様。改めて誓わせてください。私の剣は、閣下のもの。そして――閣下の安らぎである、あなた様のものです。この命に代えても、お護りいたします」
練兵場の隅で、稽古を終えた騎士たちが足を止めていた。
誰も囃さなかった。
団長が膝をつく理由を、この城の者は全員知っているのだ。
「ブリュンヒルデ様、どうか、お顔を上げて……」
私は慌てて彼女の手を取った。
彼女のように強く、誇り高い人に、こんなふうに想ってもらえる。
それがどれほど得難いことか。
実家では、誰も私に膝をつかなかった。
当たり前だ。
誰も私を、立たせようとはしなかったのだから。
「……ありがとうございます。私、ブリュンヒルデ様のこと、姉のように頼りにしておりますわ」
彼女は少し照れたように、目を伏せた。
嬉しさに胸がいっぱいになって。気づけば私は、あの子守唄を口ずさんでいた。
誰かに聞かせるつもりのない、ほんの一節。けれど眠れる夜が続くようになってから、私の歌は昼の光の中にもふと零れるようになっていたのだ。
ブリュンヒルデは何も言わず、目を細めてそれを聞いていた。
剣を持つ手が、いつのまにか下りていた。
数を刻む音も、そのあいだだけ、止まっていた。
歌が終わると、また鳴りはじめた。
その時、城の方から侍女頭のハンナが、何かを抱えて、急ぎ足でやって来た。
その顔はなぜか、ひどく青ざめ――そして、泣きそうに震えていた。
抱えていたのは、布に包まれた四角いものだった。
両腕でしっかりと抱えているのに、その腕が震えている。
重いからではない、と分かった。
「奥方様……。今の、お歌……。城の窓まで、届いておりました。……ああ、やはり。間違いございません」
「ハンナ? どうかなさったの」
「奥様に……エレオノーラ様に、本当にそっくりで……」
その名を聞いて、私の心臓がどくん、と跳ねた。
「ハンナ。あなた、今なんと……? なぜ、あなたが私の母の名を――」
ブリュンヒルデの回でした。
この人の剣は、踏み込みの音、風を切る音、止めの息が、毎回同じ間隔で並びます。数えながら振っているのです。そして彼女が仕える主は、救えた命の数ではなく、救えなかった命の数だけを数え続けている。主が何を数えているかは、仕える人の手つきのほうへ移ってしまう。それを説明せずに、剣の音へ置いておきました。
セレスが子守唄を口ずさむと、その数を刻む音が止まります。歌が終わると、また鳴りはじめる。書いていていちばん静かな気持ちになった数行でした。
実家では、誰も彼女に膝をつきませんでした。当たり前です。誰も彼女を、立たせようとはしなかったのですから。
最後にハンナが漏らした、エレオノーラという名。両腕でしっかり抱えているのに腕が震えていたのは、包みが重かったからではありません。
「私の剣は、閣下のもの。そして――閣下の安らぎである、あなた様のものです」にぐっときた方は、どうか【ブックマーク】を。
皆様の応援が、眠れぬ城に寝息を取り戻すセレスの子守唄になります。
次回、第13話「母の形見の楽譜に、私の子守唄が記されていた」でお会いしましょう。




