第70話 ヤメーメの宿で嗅商王国の商人
犬小屋の暗闇を進みやがて前方に琥珀色の淡い光が見え、物置の穴を抜けてマガハラ大陸にある宿屋に来た。
もちろんそのときにはイヌではなく人間の姿だ。
いいですねぇ、人間様のボディ。
この姿に戻れるだけで御の字だよ。
魔力が宿った〝ちんねんティーシャツ〟だって着ている。
つまり呼び声が高い伝説の三銃士の一人、エンペラー珍念に戻ったわけだ。
いや、ちがうんだけどね。
おれは珍念さんなんかじゃないし、ヤメーメの民が勝手にそう思い込んでるんだもん。
この噂の誤りを放送室のマイクで発表したい気分だけど、三銃士の噂に乗っかったほうがなにかと都合がいいということで、とりあえずキープなだけ。
まあ坂本龍馬や西郷隆盛など、昔の人は名を複数持つこともあったみたいだし。
「やっぱ長い足がたまらんな」と鏡に向かって片足を上げるチャウ丸。
長身のイケメンとはいわないまでも、イヌの頃に比べれば断然長いよね。
「ほらね、猫の姿でお化粧しても残るって踏んでたのよ」と手鏡をのぞくシャムりん。
なるほど、実験してたわけね。
シャムりんは猫のときから化粧をしてたんじゃないかってほど女子力が高い。
あるいはマガハラ大陸で発動する魔術も、そんな潜在的な女子力がブレンドされてるんじゃないか。
なんせ女子ってのは、生物問わずパワーがあるものだからね。
人間の世界も女子がいなけりゃ社会が回らんなんて聞くし、カカア天下で尻に敷かれる夫もザラにいるとか言うもんな。
その点、村山家はギャンブル好きのパパに愛想を尽かすママって構図だし、ジーコといい、あそこは体たらくな雄がアカンなって感じだけど。
タンニシから連れてきた魔動物のサワラを確認すると、地球との行き来でも問題なかったようで、まだ風呂敷袋の中でスヤスヤと眠っている。
ほんとは出してあげたいけど、ヤメーメの民が見て騒いだらサワラのストレスになりそうだし、少しのあいだ我慢してもらうしかない。
ふたりが鏡に向かっていろんなポーズをとっているところで、コンコンコンコンと階段をのぼる音が届いてきた。
そしてやって来たのは、宿屋の一人娘のリナだ。
ドキッ······
ここはがんばって平常心を保たないと。
こちらは静けさのある、なよやかな女子パワーって感じだな。
人間で言うなら中学生ほどに見えるけど、じっさいのところ年齢は自分でもよくわかってないみたいだし、マガハラ大陸では歳をカウントすることにあまり意味を見出してないもんね。
「おはようございます、今日はお出かけですか?」とリナ。
そうか、こっちは今、朝なのね。
いずれにせよ、地球とはだいぶ時間の進み方がちがうのはたしかだ。
少々こっちの世界にいても、今のところは村山家のメンツに怪しまれてないこともわかっている。
にしても、リナの鈴を転がすような声音を聴くだけで癒されるぜ。
「ねえ、この村にオススメのメシ屋はないの?」
チャウ丸の問いかけにリナが自信たっぷりに教えてくれたのは、以前行った大衆食堂だ。
ああ、ブスクラゲやオジャパ麺が食べれるところね。
「あそこは一度、腹こわしてるからな」と顔をゆがめるチャウ丸。
なんせ材料は魔物のミイラらしいから、まったく油断ならんぜ。
あとおれたちが知る店といえば、《出禁の書》が置かれてた〈ミミの酒場〉だけだが、あそこは獣汗酒を飲んでくつろぐくらいで、メシをかきこむって感じではない。
たぶん今はヤメーメに伝わる《出禁の書》も、城で管理されてることだろう。
「あなた方のおかげで、ヤメーメに活気が戻ったと誰もが言ってますよ」
「それはどうも」とチャウ丸。
べつにこれといってたいしたことはしてないが、伝説の三銃士がここを拠点にしているということで、ヤメーメの民がテンションを上げてるのだろう。
とそこで、扉の先に誰かが現れた。
廊下のほうから来たみたいだから、ほかの宿泊者か。
ずっとバタバタしててまわりの様子までは目がいってなかったけど、そういやこの宿、ほかにも部屋があったもんね。
見事に眉毛がつながった獣顔の男は、目を見開いて言った。
「ああ、あなた方がお噂の三銃士さま。いやあ実にすごい、なまで拝めるなんて、旅に出た甲斐があったもんだ」
話によると、眉毛つながり男は嗅商王国からやって来た商人とのこと。
ふーん、そんな交流があったりするんだね。
こっちから嗅商に行くのはまれでも、嗅商からはたまに来ることもあるらしく、彼はライ麦の仕入れにやって来たのだとか。
たしかヤメーメはライ麦の生産が有名だと、ヒアリー夫人が言ってたっけ。
その後も商人は「そうですかあなた方が」とか「おれも運がよかったなあ」とか言いながら、ひとりで悦に浸っている。
「サインいる?」とチャウ丸。
「ぜひお願いします」と半紙を差し出す男に、チャウ丸は干したミミズみたいな文字を書き込む。
ふーん、それがチャウ丸のサインなのね。
すっかり芸能人きどりじゃんかよ。
「あたしのもいるよね?」
聞かれてもないのにチャウ丸から羽根ペンを奪い、半紙のすき間に「ニャン」と書くシャムりん。
あなたたち、ステキすぎます。
おれももっと三銃士の噂に乗っかることを楽しまないとな。
「ありがとうございます」と感動にうち震えた様子の男。
おっ、この流れだと······うーん、おれは自筆のサインどうしようかな······と考えていると、男は半紙を大事そうにカバンにしまった。
おれにはこんのかいっ!
この男、おれのことを鉛筆の先にちょこんと付いた消しゴムくらいにしか思ってないんじゃないか。
リナがおれのほうを見てニコリとしている。
おれのツッコミ顔を見られちゃったかな。
でもやはりリナは、なんともかわいらしい。
この笑顔だけで、男子学生だったら誰もがノックアウトなんじゃないかな。
彼女の笑顔にはおれへの好意もじゃっかん読み取れる······ってのは気のせいか?
というか、シャムりんからリナはおれに気があると聞いているから、そう見えるだけなのか。
だっておれは、女子の表情から本心まで読み取れるほどの経験も能力もございませんからね。
そうですよ、どん臭いイヌなんすわ。
ジーコ、そうだよな?
おれらは異性事情においては同志だもんな?
そこで男が言った。
「チンネン様の持ち技とお聞きする〈コカン魔殺砲〉のポーズを、ぜひ見せていただけませんか」
「えっ?」
な、なんだよ、その無茶ぶり。
芸人に対して〝ねえ、あの一発ギャグやってよ〟状態じゃないか。
ったく失礼なもんだ。
魔術はそんなに軽々しいものではないですよ。
男は〝さあさあ早く〟と言わんばかりの前のめりで、あとアウト一つでノーヒットノーラン達成みたいな目をしている。
この商人、さっきからいけしゃあしゃあと物を言うが、遠慮というものを知らんのかね。
と思ってたら、となりでシャムりんが「セクシーボンバイエ!」と叫んでなまめかしいポーズをするのだから、男はその動きに目がとろんだ。
シャムさん、サービス精神、旺盛すぎ。
きっとこの村でも、さらにたくさんのファンがつきますよ。
チャウ丸はこんなシャバで犬銃を抜いて、荒野のガンマンばりにポーズ。
もしこの世界にスマホがあれば、即パシャだろうね。
しかも噂の三銃士なんだから、すぐにSNSに飛んでフォロワーから大反響の「いいね!」ボタンってところか。
「タタロオもしてあげたら?」
もうそんなセクシーなポーズで言われたら、おれもまいっちゃうじゃない。
ただどうもリナの目が気になる。
というより、おれの病的な自意識過剰もあり、やっぱり土下座されても、それはできんよ。
そこで商人の男が言った。
「チンネンさまってケチなんですね」
お、おいっキミ、失礼だぞ!
だ、だ、誰に向かってそんな口をきいてるんだ!
おれはかの伝説の三銃士なんだぞ!
······とは、ならんよね。
そう、おれもジーコもドケチなんすわ、ゴメンなさいねぇ。
「これからまた魔物を仕留めに行くのですか?」
商人の問いかけにおれが返事に迷う間もなく、チャウ丸が口をひらく。
「ああ、大陸中の魔物を仕留めてヤメーメを潤すつもりさ」
チャウ丸、言うよねぇ〜。
そんなのお茶の子さいさいって感じだな。
まあ、人間の姿になることで魔術が使えるわけだし、これからもそれなりには仕留めれるかもしれない。
ただそれってわりと命がけでもあるから、そうすんなりと前向きになれないところもある。
ふたりがいてくれればだいじょうぶか。
おれももっと持ち技を磨かないとな。
「いやあ、じつにすばらしい。ぜひとも戦っているお姿を拝見したいものです。どうぞ魔物をバンバン仕留めちゃってください。そのときは魔物からとれる材料の仕入れで訪れたいと思います」
しかし商人だからか、よくしゃべるなあ。
関西の人のおしゃべりがお上手なのは、昔から商業が発展していたからと聞いたことあるけど、やはりこの男もベシャリで商売してるのかな。
そこでおしゃべり男と別れ、おれたちは村に出てみることに。
階段を下りると、宿の主人のカンポさんがにこやかに近づいてきた。
「どうかこれからもヤメーメのことをよろしくお願いします」
「あいよ」とチャウ丸が軽く答えて、おれが数泊分の宿代を支払う。
今はなんとかオカネもあるし、滞納もしてないから信用されてるみたいだね。
そしてカンポさんが台所へ向かい、ふたりが宿を出たところでリナに声をかけられた。
「タタロオさん」
リナの表情がどことなくはにかんで見える。
「ちょっとだけいいですか、少しお話が」
ん? なになに?
えっ、もしやこれって······
急に心臓が蒸気機関車のピストンばりに動きだしたぞ(ポッポー)。
すでに顔も、目鼻がある赤カブになってないかな。
だいじょうぶ、だいじょうぶ、がんばれおれ。
胸をバクバクドンドンさせながら、リナの後ろをついていきましたよ。




