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「再生数2の底辺フリーター、SNSが武器になる異能都市で成り上がる」 ―― ヴァルドギア:FUKUOKA LOSTLINK ――  作者: DD22


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第二十一話:床に残った文字



 スマホの画面は、黒いままだった。


 電源が落ちているわけではない。


 通知も来ている。


 ただ、凪の親指が、画面を起こすところで止まっていた。


 安いワンルームの天井に、朝の光が薄く貼りついている。カーテンの隙間から入ったそれが、床に置いた配達バッグの角を白くしていた。


 昨日の夜、Nexus Square(ネクサス広場)で床に手をついた感触が、まだ手のひらに残っている。


 傷はない。


 血も出ていない。


 なのに、指を握ると、あの黒い床の冷たさだけが戻ってきた。


> AMASAWA NAGI

>

> KNIGHT

>

> FIELD CONTROL:0


 最後に残った表示。


 消えたはずの文字が、まぶたの裏に残っている。


「……だる」


 声に出しても、部屋の空気は変わらなかった。


 凪はスマホを裏返す。


 すぐに、振動した。


 一度。


 短い。


 通知の種類は分かる。


 現実SNSではない。


 VALDGEARヴァルドギアの黒いログでもない。


 あの白い通知。


 凪は数秒、見ないふりをした。


 それから、負けたみたいな気分でスマホを表に戻す。


> @yui_musubi

>

> まだ


 それだけだった。


「……分かっとるわ」


 凪は小さく言った。


 責められているわけではない。


 励まされているわけでもない。


 ただ、まだ。


 昨日、御門澄也みかど・すみやの前で、自分が何も届かなかったことを、白い文字は短く置いてきた。


 凪は返信欄を開く。


 何を書くか、決まらない。


 `次は勝つ`。


 違う。


 `見とけ`。


 違う。


 そんな言葉を打った瞬間、昨日の黒い窓が出てくる気がした。


> SUMIYA MIKADO

>

> まだ、という言葉で負けを先送りにする


 凪は舌打ちして、返信欄を閉じた。


「勝手に出てくんなや」


 部屋には誰もいない。


 でも、御門の声だけが、昨日より近かった。


---


 昼過ぎ、K-AXISケー・アクシスの端の席で、ほのかはアイスコーヒーを二つ置いた。


 制服のエプロン。まとめた髪。小さなリボン。


 VALDGEARで見たSPARKLEスパークルの補助装備も、光る脚も、ここにはない。


 それでも、店内の何人かは彼女を目で追っていた。


 ほのかは慣れた顔で笑う。


「お待たせ。片方、シロップなしでよかったっしょ?」


「頼んでへん」


「顔がそう言ってた」


「顔で注文取んな」


 いつもの軽さだった。


 けれど、カップを置いた指が、ほんの少しだけ遅れた。


 凪はそれを見た。


 ほのかも、それに気づいた。


「何」


「何でもない」


「絶対何か見た顔じゃん」


「見てへん」


「嘘つき」


 ほのかは向かいに座らない。仕事中だから当たり前だ。


 けれど、少しだけ凪の席の横に立ったまま動かなかった。


 店内の音が薄くなる。


 カップの氷が鳴った。


「昨日さ」


 ほのかが言った。


 声は明るいままだった。


「あたし、めっちゃ感じ悪い顔してた?」


「いつも通りや」


「それ褒めてないじゃん」


「褒めてへん」


 ほのかは笑った。


 でも、すぐに笑いが落ちた。


「見てるだけ、ってさ」


 凪はカップを持つ手を止めた。


「あれ、思ったより来た」


 ほのかは視線を落とさない。店員としての笑顔も作っていない。


 ただ、凪の横に立っている。


「あたし、見られるのは慣れてるんだよ。SPARKLEとしても、店員としても。かわいいとか、動きが派手とか、脚がどうとか。そういうのは別にいい」


 凪は黙って聞く。


「でも、昨日は違った。見られてるのに、何もできないっていうか。あたしがいることまで、御門の絵にされてた」


 凪の指に力が入った。


「あいつに言われたからって――」


「それ」


 ほのかが遮った。


 声は強くない。


 だから、余計に止まった。


「凪、それだよ」


「何がや」


「あたしを守ろうとしてキレたじゃん。昨日」


 凪は答えない。


 否定できなかった。


「嬉しくないわけじゃないよ。ほんとに。でも、あれも御門の中に入れられた」


 ほのかは、テーブルの端に指を置いた。


「あたしを守る凪。SPARKLEの横にいる男。怒ってる男。全部、先に名前つけられた」


 昨日の黒い窓が浮かぶ。


> SPARKLEを守ることで、自分を保とうとしている


 凪は奥歯を噛んだ。


「……分かっとる」


「ほんとに?」


「分かっとる言うてるやろ」


「じゃあ、御門のこと見た?」


 凪の返事が止まった。


 ほのかは逃がさない。


「顔。声。立ち方。癖。あいつが何に怒ってるのか。何を嫌がってるのか」


「……」


「見た?」


 凪は、昨日の御門を思い出す。


 黒いコート。


 整った姿勢。


 御門の窓。


 FOLLOWER:6,014。


 その数字はすぐ出てくる。


 でも、顔の細部がうまく出てこない。


 あの時の声は覚えている。


 なのに、その声がどこでわずかに揺れたかは、分からない。


 凪はカップを置いた。


「見てへんかった」


 ほのかの表情が、少しだけ変わった。


「オレ、あいつの数字見てた」


 凪は言った。


 自分で言うと、思っていたより苦かった。


「最初の夜もそうや。3,902って数字だけ見て、ビビってた。昨日も、6,014って出た時点で、もう上見てもうた。顔とか、人とか、そんなんやない。数字や」


 ほのかは軽口を挟まなかった。


「見られたいとか言いながら、相手を見てへん。あいつの言うた通りや」


 カフェの奥で、誰かが笑った。


 現実の音が戻ってくる。


 ほのかは、少しだけ息を吐いた。


「それ言えるなら、まだマシ」


「マシなだけやろ」


「うん。全然足りない」


「容赦ないな」


「凪が今ほしいの、優しい言葉じゃないっしょ?」


 凪は返事に詰まった。


 ほのかはやっと、いつもの顔に少し戻る。


「御門ともう一回やるなら、他のKNIGHTとやった方がいい」


「御門から逃げるんか」


「違う。御門しか知らないまま御門に行くのが、もう負け筋」


 凪は眉を寄せた。


「KNIGHTって言っても色々いる。あたしみたいに視線で作るやつ。御門みたいに順番を決めるやつ。切り抜きで意味を変えるやつ。拡散だけして名前を消すやつ。人を見てるつもりで、自分の見られ方しか見てないやつ」


「多いな」


「多いよ。VALDGEARだもん」


 ほのかは小さく笑った。


 その笑いは、少しだけ疲れていた。


「あたしも、御門にはまだ届かない。昨日、分かった。動けなかったの、ルールのせいだけじゃない」


「ほのか」


「あたしも場数いる。凪だけじゃない」


 凪は、そこで初めてほのかの手元を見た。


 トレーを持つ指。


 人差し指の爪の横に、小さな跡がある。


 昨日VALDGEARで傷を負ったわけではない。


 現実の仕事でついた、ただの跡。


 でも、それを隠すみたいに、ほのかはトレーの角を握っていた。


「……オレが勝手に守るとか言うたら、またキレる?」


「キレない」


「そうなん」


「笑う」


「そっちの方が嫌やな」


「でしょ」


 ほのかは一歩下がった。


 店員の顔に戻る。


 その切り替えが、やけに綺麗だった。


「次、探しとく。御門じゃないKNIGHT」


「誰でもええわけちゃうやろ」


「もちろん。凪に足りないところを、ちゃんと殴ってくるやつ」


「嫌な紹介文やな」


「成長イベントじゃん」


「他人事みたいに言うな」


「あたしも行くから。他人事じゃないよ」


 ほのかはそう言って、別の席へ歩いていった。


 軽い足取り。


 でも、右足だけが、ほんの少し遅れていた。


 凪は、それを見逃さなかった。


---


 夕方、配達の合間に、凪は歩道橋の上でスマホを開いた。


 現実SNSの通知は、少ない。


 昨日の敗北は、現実の街には知られていない。


 誰も凪を見て笑っていない。


 それが、逆にきつかった。


 VALDGEARの中で何も届かなかったことだけが、凪の中に残っている。


 スマホの端に、白い文字が浮いた。


> @yui_musubi

>

> 凪くん


 凪は歩道橋の手すりに寄りかかった。


「何や」


 もちろん、声は届かない。


 それでも、そう言ってしまう。


> @yui_musubi

>

> 見た?


 凪は少し迷ってから、短く打った。


> 凪

>

> 見てへんかった


 送ってから、胸が詰まった。


 白い通知は、すぐには返らない。


 車の音が下を流れていく。


 TENJIN COREテンジン・コアの広告塔が、夕方の空に薄く光っている。


 やがて、返事が来た。


> @yui_musubi

>

> じゃあ次


「……短いな、ほんま」


 凪は苦笑した。


 それで十分だった。


 慰められたかったわけではない。


 勝てると言ってほしかったわけでもない。


 次。


 その一語で、昨日の床から少しだけ手が離れた気がした。


 その時、画面の下に黒い通知が重なった。


 白ではない。


 VALDGEAR側の公開ログ。


 発信者は、すぐに分かった。


> SUMIYA MIKADO

>

> FIELD ENTRY ACCEPTED


 凪の指が止まる。


 続けて、相手の表示が流れる。


> OPPONENT:KNIGHT

>

> FOLLOWER:3,481


 御門が、別のKNIGHT戦を受けた。


 凪とほのかが敗北を噛んでいる間に、あいつは止まっていない。


 さらに下へ、短い文字が落ちた。


> SUMIYA MIKADO

>

> 次の場へ行く


 凪はスマホを握った。


 焦りが来る。


 悔しさも来る。


 けれど、昨日みたいに、すぐ怒りへ逃げることはできなかった。


 御門は進んでいる。


 なら、自分も進むしかない。


 御門だけを見るのではなく。


 御門へ行くまでに、見るべき相手を見る。


 倒すべき相手を、数字ではなく、名前と顔で見る。


 凪は、ほのかへメッセージを送った。


> 凪

>

> 次のKNIGHT、探してくれ


 返事は早かった。


> ほのか

>

> もう見つけてる


 すぐに、もう一行。


> ほのか

>

> 切り抜き師。感じ悪いやつ


 凪は画面を見たまま、少しだけ笑った。


> 凪

>

> それ、おまえの敵ほぼ全員やろ


> ほのか

>

> 今回はちゃんと感じ悪い


 歩道橋の上で、風が吹いた。


 凪はスマホを閉じない。


 黒い公開ログも、白い通知も、ほのかの軽口も、全部同じ画面に残っている。


 昨日は、何も見えなかった。


 今日はまだ、見えないものの方が多い。


 それでも、次に見る相手だけは決まった。


 御門澄也へ届く前に、凪は別のKNIGHTを見る。


 今度は、数字だけではなく。


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