第119話 ニャルラトホテプ
何故か召喚に応じたニャルラトホテプの顕現によって混沌へと陥ったホテルの一室で、ついに状況が理解できなくなって気絶したカイトが目を覚ました。
と言っても気絶していたのはおよそ1分程だ。なのでどうすれば良いかわからない煌士達は沈黙を保つしかなかったし、フェルに至っては対処を放り投げる事にして読書をしていたぐらいだ。というわけで、事態は何も変わらなかった。
が、変わったのは、一つだけ。カイトが羽交い締めして裸締めしていたニャルラトホテプが浬と和気あいあいと談笑していたぐらいだった。
「え、うっそ・・・それマジ?」
「ええ、マジマジ」
「うっわー・・・」
浬はニャルラトホテプから何かを聞いているらしい。カイトに対して超蔑みの視線を送ってきていた。
「おい、ちょっと待て。何話してる」
「・・・」
「やめて! ものすっごいやめて! その視線すっげー効く!」
妹からの蔑みの視線に、カイトが膝を屈する。如何に勇者と言われ、千方を瞬殺出来るカイトだろうとこの視線は直に精神に直接突き刺さったらしい。
なお、後に誰かが聞いた所、秘蔵のエロ本を妹に見られた兄の気分、と言っていた。見付かった事が無いのだが、彼はそう例えていた。
「・・・お兄ちゃん・・・今までエロいエロいとは思ってたけどさ・・・男の子・・・と言うか、男の娘も範囲内だったんだ・・・」
「ぐっはぁ!」
おそらくこれがギャグ・コメディなどなら吐血しただろうほどに、カイトの精神にクリティカルヒットしていた。が、勿論これにはきちんと理由がある。
如何にカイトでも女は兎も角かわいいから、と男に手を出すわけがない。そうして、わなわなと震える彼はなんとか立ち上がって、浬と話すニャルラトホテプを睨みつけた。
「・・・って、てめぇ! 人の前世出しやがったな!? あれはノーカンだろーが!」
「・・・え? これ・・・皐月さんとお兄ちゃんの話じゃないの?」
「ええ、そうですよ?」
浬の問いかけを受けたニャルラトホテプ(中)は笑いながら、浬の勘違いだ、と明言する。ちなみに、それがわかっていたのでフェルとモルガンはスルーを決め込んだどころか、楽しそうに放置していた。
これはまぁ、彼女ら以外誰も気付いていない。なお、ヴィヴィアンが訂正を入れようとしていた様子だが、モルガンが羽交い締めで止めていた。と、そこで浬がふと、奇妙な単語に気付いた。
「・・・あれ? 前世?」
「前世だ前世! もうこれ以上聞くな!」
「あ、うん・・・」
兄の必死の形相に、浬は突っ込まない事を決める。流石に如何に浬とて今のカイトに聞ける程の度胸はなかったらしい。
「で、お前もお前だ! 何邪神と談笑してやがる!」
「え、だって・・・話してみると意外と話わかる子だったし・・・」
「そうですよ、こんなものわかりの良い私なのに・・・よよよ」
浬の言葉を受けて、対面に座っていたニャルラトホテプ(中)が嘘泣きと言うか明らかに嘘と分かる泣き真似をする。そんな彼女に、カイトは怒っても無駄、と理解している事を思い出した。
「・・・落ち着け、カイト。こいつに何を言っても無駄だ・・・こいつもニャルラトホテプ。こいつもニャルラトホテプ・・・」
「そして私もニャルラトホテプ」
「そしてあたしもニャルラトホテプ」
「そして僕もニャルラトホテプ」
「「「そして貴方も私もニャルラトホテプ」」」
三人のニャルラトホテプは一人は屈むようにして妖艶に右耳から囁き、一人は少し背伸びをして可愛らしく左耳から囁き、一人は背中におんぶの要領でしがみついて、愛らしく囁く。ちなみに、ニャルラトホテプはこれを『ニャル・トライアングル』と呼んでいた。
「そう、私もニャルラト・・・って、違うわ、馬鹿共!」
「カイト、乗せられてる乗せられてる」
どうやら一瞬洗脳されたらしいカイトへと、ヴィヴィアンが笑いながらやんわりと告げる。それで、カイトも乗せられている事に気付いた。
「うぅ・・・もうヤダ、こいつら・・・」
「よしよし」
「ぐっ・・・しまった、出遅れた!」
ヴィヴィアンの胸に縋り付いたカイトとそれをあやす様に甘やかすヴィヴィアンを見て、モルガンが臍を噛む。基本的にヴィヴィアンは良い子なのでカイトに優しくする。それ故、このように胸に縋り付かれる回数は物凄い多く、何気にモルガンは少しうやらましがっているらしい。
ちなみに、そんな少女の胸に縋り付くカイトに浬がかなり蔑んだ視線を送っていた事に気付かなかったのは、彼にとって幸いな事なのだろう。が、それも束の間だけだ。浬にお説教しようとした事で、カイトも気付いた。が、事情には気付かなかった。
「・・・良し、落ち着いた・・・え、何、その蔑みの視線」
「別にー」
「ま、まぁめげずにお兄様はお説教だ・・・良いか、こいつらは世界でも最悪の神様の一柱だ。話が合おうと、真に受けるな」
「おにーちゃんが・・・うっぐ・・・」
カイトから名指しで指摘を受けて、ニャルラトホテプ(小)が今度は本当に幼子が泣いている様にしか見えない風で、泣く直前の様子を見せる。
ちなみに、その瞬間に(大)(中)揃って一歩後に下がっていた。完全に(小)も揃って意図的である。が、そんな事を知る由もない浬は、兄に対してとんでもなく蔑みの視線を送っていた。先程の時よりも遥かに蔑んでいた。
「うっわー・・・」
「ぐっ・・・ま、負けるなオレ・・・これが妹の為なんだ・・・心を鬼にしろ・・・」
カイトは浬の視線に負けそうになりながらも、なんとか立ち上がる。ちなみに、一応言っておく。ここら全ての流れはニャルラトホテプ達の狙い通りだ。
つまり、浬との和やかな談笑も全て、彼女の浬の信頼を得る為の作戦である。というわけで、カイトが正しい事だけは、念のために明言しておく。と、そんなカイトに、ニャルラトホテプが更に混乱に陥れる一手を打った。
「妹の為、とか言ってそれで大義名分さえあれば躊躇いなく妹に手を出す人がなんか言ってますよ」
「え?」
「根も葉もない話を出すな! 前世でもねぇよ! その前もねぇし、その前の前もねぇよ! どこまで遡ろうと、ヤッた事あるのは義理だけだ!」
完全に根も葉もない話を出したニャルラトホテプ(中)に、カイトが怒鳴る。そしてその一方、浬は身を守る様に自分の身体を掻き抱いていた。
どうやら流石にこれはなかったらしい。ちなみに、血の繋がりが無ければ手を出した事がある、とわりと危ない発言をしていたが、事が事なので誰にもスルーされていた。
「はー・・・はー・・・」
「カイト、もう一回落ち着こっか」
「うぅ・・・もうヤダ、こいつら・・・」
「ぐっ・・・」
「ループしてるぞ、貴様ら」
再び胸に縋り付いて涙を流すカイト、それをあやすヴィヴィアン、それに臍を噛むモルガン、という先程と同じ図が出来上がっているのを見て、流石にそろそろやめさせるか、とフェルがツッコミを入れる。当人たちは気付かなかったが、傍から見れば完全にループしていた。傍目八目である。
「・・・あ」
「「「ちっ」」」
カイトが気付いた声を上げて、ニャルラトホテプ三人衆が舌打ちする。何気に(小)も舌打ちしていた。もしかしたら天使の様子さえ、演技かもしれない。と言うか多分演技である。所詮ニャルラトホテプ、という事なのだろう。
「・・・ふぅ。落ち着こう。もう、何も聞かない。平常心だ、平常心。心頭滅却すれば火もまた涼し。で、だ。ガチでこいつ危険なんだぞ」
「にゃ?」
カイトは今度は小さいのが出てこれない様にニャルラトホテプ(中)の首根っこを掴んで、ぶらぶらと揺らす。取り扱いが雑だが、要注意なのは事実だ。ちなみに、(中)である理由は簡単で(大)だと翻弄されかねないし、(小)だと泣かれると面倒だ、という理由だ。
「言っとくが、こいつ一体で冗談なしで何千人規模で死んでると思ってやがる。弥生さんも死にかけたんだぞ」
「いやですねー。勘違いしないでください。この私はまっさらな私。あっちの私とは違うんですよ。偉い人にはそれがわからんのです」
「汚れ芸人の様に言われるのは何か心外だけどもね」
ニャルラトホテプ(中)の言葉に、ニャルラトホテプ(大)が肩を竦める。彼女らは群体なのでどいつもこいつも一緒なのだが、一応言い分はあるらしい。
「あ? てめぇら全員揃ってニャルラトホテプだろうが。同罪だ同罪」
「よよよ・・・折角新規製造のおにゅーのボディまで拵えたというのに・・・旦那様がわかってくれない・・・」
「無視する・・・で、本当に、ニャルラトホテプは危険なんだよ・・・」
相変わらず誰もわかってくれない現状に、カイトが嘆きを見せる。何気にニャルラトホテプ(小)は先程から天使の笑顔を振りまいて鳴海と侑子、更には詩乃に愛でられているし、ニャルラトホテプ(大)は彼女でフェルと一緒に呑気に紅茶を飲んでいる。
誰がどう考えても危険は無い様にしか見えなかった。と言うか、煌士でさえこれはもしかしたら過剰に語られているだけなのでは、と疑っていた。それを、お説教を受けている浬も見ていた。
「・・・どう見ても危険に見えないんだけど」
「・・・うぅ・・・」
「あいたたた・・・女の子はもうちょっと優しく扱ってくださいよー・・・」
カイトが肩を落として、ついでにニャルラトホテプ(中)も落とした。わかってはいる。カイトとてわかってはいたのだ。ニャルラトホテプが出て来た時点で説得力が完膚なきまでに地に落ちるという事ぐらいは。
だが、本当に危険なのだ。カイトが言った事は嘘ではない。本当に、彼女らの所為で数千数万どころではない死者が出ているのである。
「よしよし」
「うわーん! もうやだー! って、お前かよ!」
うっかりニャルラトホテプ(中)の胸に縋り付いて泣いてしまったカイトだが、そこでヴィヴィアンとは違う匂いに気付いてばっ、と離れる。
「あ、なんかちょっと腹立つね」
「でしょ? それが何時もの私の気持ち」
「うーん・・・私の立場が無い、って言うか・・・あ、これが嫉妬なのかな」
「・・・待って。まさかあんた、わかってやってた・・・?」
モルガンはヴィヴィアンはにこにこと笑顔を浮かべるだけだ。が、その笑顔に、モルガンは背筋を凍らせる。後に、彼女はヴィヴィアンを鬼子母神に例えたそうである。それ以上は詳しくは語らなかった。と、そんなカイトへと、浬が何処がどう危険なのかを呆れ100%の様子で問いかける。
「・・・で? それで危険なわけ?」
「うぅ・・・本当に危険なんだよ・・・ガチでテロ起こすぐらいには危険なんだよ・・・」
「だから私は起こしませんってば」
「お前じゃなかろうと鵺の『パーパ』とやらは起こすだろ!」
「はへ? あ、ちょっとお待ち下さいねー・・・」
カイトの言葉に首を傾げたニャルラトホテプ(中)はまるで何処かと交信する様に、上を見上げる。ちなみに、まるで、ではなく正しく交信している。群体なので本体と言うか統合して持つ意思の様な物にアクセスしているらしい。
「あ、本当に起こそうとしてますね、私達・・・いえ、達というと私が入るので語弊ありますけど」
「ほらな! ほらな! こういうやつなんだよ、こいつら!」
カイトがドヤ顔でテロを画策しているらしいニャルラトホテプ達を指差す。それに、場が凍りついた。
「「「・・・え?」」」
「あー、確かにやってるみたいだね」
「うんうん」
何処か苦笑混じりで、他二体もその発言を肯定する。どうやら、正真正銘テロを画策中らしい。それに、浬が声を荒げた。
「なんでわかんないの!?」
「私達一応全員揃ってニャルラトホテプですけど、結局ニャルラトホテプという群体で統一しているわけじゃないですから。各個体バラバラに動く上に意識バラバラなのでどいつが何処で何やってるか、なんて把握してませんよ」
「それともおねーちゃんは自分の内蔵とか細胞とかが各個体でどう動いてるのか、ってわかる?」
「ま、無理だね」
三者三様に、ニャルラトホテプは浬に対して一気に意見を叩き込む。そこに、カイトがため息混じりに結論付けた。
「はぁ・・・な、こういう奴らなんだよ。だから他方で助けて他方でそれ叩き潰す、なんて事やるんだよ。バラバラだからな。喩えこいつらが信用できようと、他の奴が信用出来ん。煌士なら、分かるだろう?」
「あはは・・・確かに、物語に語られている通りといえば、その通りですね・・・」
なんとも言えず、煌士はカイトの言葉をただ認めるしか無い。そして、同時になぜニャルラトホテプの記載が矛盾していたかも理解した。本当に彼女らは無数に居るのだ。
つまり、彼女らは祢々の『パーパ』であると同時に、そうではないのだ。群体として彼女らは一つに数えられるが、同時に個体としては別個体なのだ。
クトゥルフ神話に語られる彼女の他の子供達も総じてそうなのだろう。彼女らが産んだわけではないが、群体としての彼女らの子供なのだ。
だから、彼女の子供でもあり、彼女らの子供ではない、という矛盾が成立する。『ニャルラトホテプ』という群体なればこそ、普通は成立しない様な様々な矛盾が成立してしまうのであった。同一の存在であるが、別の個体であるが故に、だ。
「え、じゃあ、もしかして・・・あの祢々って人の『パーパ』は・・・」
「とめられないよ?」
全てを先読みしたニャルラトホテプ(小)はにぱっ、と天使のような笑みを浮かべる。それは無邪気で愛らしい笑みであるが故に、浬達は許せてしまう。役得という所だろう。だから、やったのだが。
「所詮、私達は別個体ですからねー。相互自由条約結んでますし」
「僕らが『真王』様の側付きをやっていれるのも、そこらの兼ね合いだしね」
続けて、ニャルラトホテプ(大)・(中)が紅茶を飲みながら呑気に無理と語る。彼女らの役割はカイトの補佐と言うか、カイトを茶化す事だ。カイトを助ける側のニャルラトホテプと考えれば良い。つまり、味方と考えても良い。それに対して祢々の『パパ』とやらは、カイトを害する側だ。つまり、敵だ。
それが可能なのも、お互いに自由を認めているから、なのだろう。お互いに自由に行動しあう事を許可するが故に、別のニャルラトホテプの邪魔するも助けるも自由なのだ。
そして邪魔されても文句は言わないし、助けても文句は言わない。群体として相手も結局は自分だから、という特殊さ故の考え方だ。
だからこそ、相互自由条約という意味不明な条約が出来上がっていたのだろう。不干渉とはまた少し違う、お互いがお互いに何をしてもよい、という条約だった。勿論、それでも彼女らなりの流儀などはあるのだろうが。
「そん・・・な・・・」
何の意味もなかった召喚に、浬達が愕然となる。幸いだった事はニャルラトホテプ達の雰囲気というか彼女らの作り出した場の雰囲気のおかげで深刻にならなかった事だろう。何処かコミカルさが滲んでいた。これが、彼女らの本当に恐ろしい所だ。シリアスをコメディに変えてしまうのである。
「ずずっ・・・まぁ、ざっと一人500人ぐらい死ぬ計算じゃないかな、彼の計算だと」
「そんな所ですねー」
そんな浬達へ向けて、ニャルラトホテプ達はなんら気負いなく笑いながら断言する。と、そんなセリフに浬が顔を上げた。
「一人じゃないの!?」
「うーん・・・今回と言うか今の地球はそれなりに特殊な状況で一杯来てたからね」
「ぶっちゃけると、ニャルラトホテプの総会起きかけましたしねー。や、詳しい数は誰にもわかんないんですが」
「味方もおおいけど、敵も多いよ?」
「まぁ、地球人類が絶滅されるのも困るので、そこは私達が止めますが・・・と言うか、『真王』候補が居ない時に文明を壊滅させちゃうと流石に私ら『ニャルラトホテプ』と言っても拙いんで・・・」
三者三様に、苦い顔で一応これで地球人類が絶滅する事はない、と明言する。どうやら、一件無秩序な彼女らにも何らかのルールと言うか従わねばならない規則の様な物はあるのだろう。
「拙い?」
「上司と言うかアザトースから怒られます。ものすっごい領域で。下手すると私達が数万体吹き飛ぶぐらい。アザトースも更に上の存在から怒られるので、とばっちり食いますから。や、勿論私達が悪いのですけども」
煌士の問いかけにニャルラトホテプ(中)が額に手をあてて答えた。アザトースとはクトゥルフ神話における創造主の様な立ち位置の神様だ。主神と捉えても良いかもしれない。ニャルラトホテプはそのアザトースの代行者、というのが言い伝えだ。
「そもそも、皆さん警戒されてますけど。私達だって神様です。人類守る側です」
「その守る側が人類を危険に晒すんだから、やってらんねーんだよ・・・」
ニャルラトホテプ(中)の言葉に、同じ神として御門がため息を吐く。これは事実だ。とは言え、これにはニャルラトホテプ達も言い分があるらしい。
「それが間違いですよ。そもそも、貴方達はどこまでこの宇宙の真実を知っているのやら・・・良いです。この際なので、語ってあげましょう」
どうやら同じ神からの文句に腹が立ったらしい。そうして、ニャルラトホテプ達は一同へ向けて、この世界の真実の一端とやらを、話し始めるのだった。
お読み頂きありがとうございました。次回は来週土曜日の21時です。




