墓地での幕間「風守様と埋没者」
墓地はかつてないほどの賑わいを見せていた。
ジャネの作り出した『あれ』を模した土人形と、同じくジャネの作り出した土人形が戦っていた。
ジャネとクストスも疑うことなく『あれ』の土人形と戦っている。
一方、周囲の兵士たちは金章の二人が何をやっているのかわからず唖然としていた。
追撃対象もいつの間にかいなくなっており、手持ち無沙汰だ。
そんなとりとめのない墓地に一陣の風が吹いた。
兵士たちにはただの突風。
しかし、土人形はその風によりことごとく潰された。
土人形はただの土へと還った。
それに遅れて狂乱していた二人の金章持ちも我に返る。
周囲を見渡し、自分たちのやっていた愚かな行為を見直すはずだったが、その暇は与えられなかった。
「嗚呼――我は厭悪されていると抱懐しておりました」
女性の声だ。
謳うように晴れ晴れとした声が空から降ってきた。
地上に立つ人間は一斉に声のした方へ目を向ける。
「素直になれず、口穢く頤指する我を――」
月を背にして一人の女性が佇んでいた。
月光を足場にするように、当然の体で空に浮かんでいた。
「殿下は厭悪なされている、と」
肩甲骨まで伸びる真っ赤なウェーブのかかった髪。
日輪の如く燦々と輝く赤き瞳。
わずかに潤んだ瞳は輝きをさらに増している。
「我は思い違えておりました」
そして、対比するように純白の外套。
白銀とも思えるほどのきめ細かな顔肌。
顔の目、鼻、口、耳とあらゆるパーツが理想の大きさ、比率で並んでいる。
その顔はあまりにも美しい.
「嗚呼……なんと。殿下はそんな愚昧な我の美点を見抜き、好いておられた」
手には棒を持ち、その先端からは三対六枚の赤き翼が生えていた。
一対は上を、一対は横、もう一対は下に向かって伸びている。
全ての翼が烈火のように揺らめき煌めく。
「これぞ真の慧眼! 殿下! 我は十八年の生涯に随喜しております」
地上に立つ人間は誰しもがこの女に見とれてしまっていた。
次にいったい何を口にするのかをいまかいまかと心待ちにしている。
「嗚呼。そうだというのに――」
女の瑞々しい唇が動く。
「この土人風情が……てめぇの土遊びのせいで、充足された我が想いは台無しだ」
待ちに待って出てきた言葉はあまりにも汚く、兵士たちには理解が追いつかない。
本当に自分の耳が聞こえているのか疑ってしまう。
「おい! てめェに言ってんだ。聞こえてっか。耳まで土が詰まってんじゃねぇのか! ロニオスの狸が『おもしろいものが見られますよ』とか言うんで来てみたら、とんだ茶番劇を見させられた! あいつも後でシメてやる」
どうやら、この汚い言葉はこの空に浮かぶ女が発している。
その女の顔ははっきりと怒りを表している。
素が美人なぶん、怒りの表情はかなり厳しい。
「な、何者だ?」
一人の兵士がついに口を開いた。
全員がその兵士を見たあと、女に目を移す。
名を問われた女はというと、静かに兵士に目を向ける。
その目は人を見る目とは思えない。
道端に落ちているゴミを見てしまったとでも言わんばかりである。
「おい! なに勝手に喋ってんだ。刃にも目覚めてねぇ! ましてや可能性にすら認められてねぇ! そんなクズは黙って土でも喰ってろ!」
巻き舌の荒っぽい口調、さらに言葉もひどい。
兵士たちはただただ絶句する。
始めに感じた幻想的かつ荘厳な様子はもはや残っていない。
「貴様はなにものだ。逃げたやつらの仲間か」
兵士たちの総代――クストスがここにきて口を開いた。
女は先と同様にゴミクズを見る目でクストスを射貫く。
「あぁ? ああ、てめぇはいちおう可能性だったな。発言は許してやる。だが、いまは用がない。隅でおとなしく素振りでもしてろ」
それだけ言って、女はジャネを見る。
「おい、土人。てめぇに言ってんだぞ。さっきのあれはなんだ?」
「あれは……」
ジャネは自らを恥じていた。
ルイゼットの師匠を掘り起こしたら、突如、『あれ』が出てきたことで我を失っていた。
「てめぇごとき矮小な存在が、あの暴力女を作っていいとどうして思った」
この空に浮かぶ口汚い女はどうやら『あれ』を知っている口ぶりだ。
「貴方は『あれ』を知っているのですか?」
ジャネはことさら丁寧に尋ねた。
女は怪訝な顔をする。
「おい、まさかてめぇ。何も知らずに再現したのか……ああ、そっか。てめぇはシン様に記憶を抜かれてたんだっけ」
女は何がおもしろいのか笑い出す。
「仲間もぶっ殺されて、あっちこっちであの暴力女を探しても見つからないから、故郷に帰ってお墓を建てたんだよな。道化もいいところだ」
「教えてください。『あれ』はいったい何者なんですか」
女の言葉がジャネの心を抉る。
それでも『あれ』の情報が手に入るなら安いものだ。
「土人ごときに教えるわけねぇだろうが。頭ん中まで土が詰まってんのかよ」
そこまで言うと、ジャネよりも先にクストスが口火を切った。
「貴様、いい加減にしろ。『あれ』について話せ。もしや、あの小僧も関係して――」
「おいこら、片腕。小僧ってのは誰のことだぁ? まさか殿下のことじゃあるまいな」
「殿下というのはルイ――」
女が動いた。
動いたとは言っても手に持っていた翼の生えた棒をわずかに揺らしただけである。
たったそれだけ。
たったそれだけの動作でクストスが横に飛んだ。
まるで壁がぶつかったような鈍い音がし、その体が直立を保ったまま吹き飛んだ。
途中で整列する墓石を五つほど倒したところでごろりと地面に転がる。
そのままクストスは動かなくなった。
「ぼんくらが殿下の名を口にしようとしてんじゃねぇよ。まぁ、カスでも可能性だからな、命は取らねぇ。もの足りないが、先の失言はこれで許してやる」
女の声は少しすっきりした様子だった。
「ク、クストス司令!」
「いったい何が!」
「あの女はなんなんだ!」
落ち着いた女とは対照的に、兵士たちは慌て戸惑う。
金章持ちで英雄。トゥリスの総代クストスがあっけなくやられてしまった。
「喋るな、つったのによぉ。ったく、うるせぇ……殺っちまうか」
女が再び棒を軽く動かす。
忙しく舌を回していた兵士が必死の形相で自らの首を押さえた。
何歩か彷徨い、そのまま倒れた。
兵士の目は開いたままだが、どこも見ていない。
その様子を見た他の兵士も悲鳴を上げる。
女は苛立った様子で舌打ちし、また棒を振る。
悲鳴の一番大きかった兵士が潰れた。地面に叩きつけられたわけではない。
見えない壁に挟まれたように徐々に縦長に押しつぶされ、血を噴き上げ、臓腑を散らし、しまいには人の形を失った。
怯え逃げようとした兵士が、地面に転がる。
石につまずいたわけでも、足をもつれさせたわけでもない。
足が体から切り離されていた。その後、腕も切断され、最後は首も転げ落ちた。
赤い噴水が地面をどす黒く染めた。
次から次へと変化に富んだ死に方で兵士たちの命は消えていく。
「もうやめろ! やめてくれ!」
ジャネは必死に叫ぶ。
しかし、もう手遅れだ。ここに生者はジャネとクストスしか残っていない。
「なぜだ! どうして?!」
「無力だからだろ。言わせんなよ、恥ずかしい」
女は口元を手で覆いくすくすと上品に笑う。
ジャネの怒りが頂点に達した。
シャベルから焦げ茶色の光が漏れる。
「掘り起こす! 僕が最強!」
今なら、あの暴力女とやらを自意識から掘り起こせる。
『あれ』ならこの女をどうにかできるはずだ。
ジャネはそう信じてシャベルを地面に刺そうとしたが、シャベルの剣先は途中で止まった。
見えない壁に阻止されている。
「それ、やっぱり地面に刺さらないと発動できないんだねぇ」
ジャネが見上げると、女は顔に微笑を浮かべて彼を見下ろしていた。
「どうして! 僕が何をしたっていうんだ!」
「何もしてねぇんだよ」
ジャネの叫びは女の静かな声で一蹴される。
「八年前からてめぇはなぁんにも進歩してねぇ。脳筋は偽りの英雄を貫いて無能ながらも軍の上に立った。チビガキはてめぇらの背を追って、真の英雄になろうと無様に走り続けた。てめぇは何をした?」
女はジャネの非を責め立てる。
「暴力髪長女を探して見つかんなくて、ふぬけた墓地生活。八年前から共鳴を使えてたのに、いまだに共鳴止まり。その先を目指しているかと言えば、まったくそんなことはない。のうのうと生きるだけ。なんでお前みたいなのが可能性に選ばれたんだぁ?」
ジャネにはわからない。
女の話す可能性とやらがなんなのかすら理解できない。
「はぁ、クズとの会話は疲れる。もう帰――」
女がそこまで言ったところで、女の正面に人影が現れた。
その人影は薄く赤に光る足を女に突き出す。
しかし、その足は見えない壁によって遮られ女に届かない。
そのまま、人影はバランスを失い空中から落ちた。
「あなたがこれをやったんでしょ!」
人影はカリガだった。
道中でクストスに拾われて、そのまま丘の麓で眠っていたが、騒ぎの音で目を覚ました。
「そうだよ。それがどうかしたか、おチビちゃん?」
女はなんでもないことのように口にする。
カリガは歯を強く噛みしめる。
彼女の靴から赤橙の光が生じる。
「許せない!」
「やめるんだカリガ!」
ジャネが止めようとするものの、カリガの姿はもう消えている。
女の後ろに回り込みそこから蹴りを出そうとするもののやはり見えない壁に阻まれた。
「今日の今日で共鳴に達したガキが、調子にのってんじゃねぇよ」
カリガは地上に落ちることなく空中に止まった。
「共鳴に達した方法について、どうこう言う気はない。我も同じだからな。それに、可能性として当然の進歩。ただ、殿下を足蹴にした報いは受けて頂く」
「な、なにを言って……」
「刃は靴だからな。足は勘弁してやる。片腕も二人はいらねぇ……目にしようか。いらない方を選べ」
女はカリガの目を潰すと言っている。
そこに冗談は含まれていない。
早くどちらか選べと女の赤き瞳がカリガに訴えている。
カリガもそれを理解していた。
空に捕らえられた体をなんとかしようとするものの何もできない。
「やめろ。やめてくれ! 僕の目をやる。だから……カリガを放してくれ!」
「泥にまみれた土人の目なんて要らねぇんだよ、ボケが。ただ見届けろ。それが何もしなかったてめぇに唯一できることだ」
女はジャネを切り捨てた。
「何も……何もしないことはいけないことなのか?」
「いけないね。暴力女を探すなら死ぬまで探せ。探すのを諦めたなら、せめて強くなろうとしろ。それさえもしないというなら、とっととくたばれ。何のためのシャベルだぁ。土に埋もれて消えちまえよ」
女が言い切ると墓場に沈黙が戻る。
しばしの静謐が場を支配した。
「そうだな。君の言うとおりだ」
ジャネは女を見上げる。
その目からはすでに敵対心が消え失せ、一種の憧憬が浮かんでいた。
「僕は何もしなかった。『あれ』の強さに憧れ、追い求め、諦め、ただ怠惰をむさぼっていた」
ジャネの手からシャベルが消える。
両腕をぶらりと垂れおろし、枯れ木のように立ち尽くす。
「君の言うようにいっそ消えてしまいたい――」
ジャネは目線を下に移し、地面を眺める。
「ああ、そうだ。それがいい。腐り果てたこの身は、ここに埋めてしまおう」
両膝を地面におとす。
体が軽いためかほとんど音はしない。
「土にこの身を埋葬し、貴方への思いだけを掘り返そう」
両手も土につけ、祈るように目を閉じる。
「『貴方に会いに行く』――これこそ僕に残された、たった一つの無垢なる願い」
ジャネの両手・両膝、地につけた部分から暗い茶色の光が発せられる。
「だから、どうか今一度……愚かな僕に、貴方の姿を晒して欲しい」
茶色の光を帯びた土が、ジャネの体を覆うように蠢き這い上がる。
「貴方にこの身を委ね、成り下がろう。そう、僕はただの――」
――埋没者。
土の蠢きが落ち着き、ここに一体の土人形が完成した。
姿は『あれ』と同じ。
地面すれすれまで伸びる鬣。
両手、両足につけられた籠手のような爪。
共鳴では再現できなかった顔までもが作られている。
目は細く、つり上がっている。
まさしく土人形は獣だった。
獣はゆっくりと立ち上がり、空に浮かぶ女を睨む。
事実としては睨んでいるわけではない。
目つきがあまりにも悪いため、睨んでいるようにしか見えないだけだ。
「共鳴を超えたか。だが、そいつはお前ごときが真似ていいもんじゃねぇ」
女は敵愾心を燃やした。
赤い髪が風に揺れ始め、本当に燃えているようだ。
「そうかもしれないね。それでも僕にはこれしか残されてないんだ」
ジャネの声にもう一人の声が重なり響く。
彼はこの声を聞いて身を震わせた。
自分から出ているため少し違って聞こえるが、間違いなく『あれ』の声だ。
八年前のことが思い出される。
「そうだった。あの日もこの声に身をすくませた」
ジャネは地面を蹴り、空に縛られているカリガに向かって跳躍する。
軽く蹴ったつもりなのに地面は抉れ、カリガの遙か上にまで飛び上がってしまった。
下からは二つの赤毛がジャネを見上げている。
宙に浮くジャネの周りに風が吹く。
女がジャネを空中に捕縛しようとしている。
まずいと思って彼は腕を振るった。
壁にぶつかったような反動と音が生じ、風が大きく乱れた。
「暴力人間もどきの真似だけあって、さすがに馬鹿力だな」
ジャネはそのまま地面に降り立った。
かなり高く飛んでいたはずだが、まるで着地の衝撃はなかった。
八年前にこんな化け物と戦っていたのかと思うと、改めて恐ろしさが湧いてくる。
「うん?」
女が首を傾げて、ジャネを見下す。
このままでは、カリガが救えない。
獣の力はこれだけではなかったはずだ。
ジャネは自身の――獣の腕を見る。
あの日、獣の両手、両足の爪が光っていた。
これは刃だ。いったいどうすれば使える。
「変だと思ったら、声に重圧がねぇな。能力は使えないのか?」
「使えない、みたいだ」
「カスが……どうにかして使え。そうじゃないと共鳴と変わんねぇだろうが」
相変わらず女は無茶苦茶を言う。
しかし、そのとおりだ。
これなら、共鳴で土人形を出した方がよっぽど効率もいい。
自分の意識から直に掘り起こした土人形なら劣化も少なく、ほぼ自由に動かせる。
能力こそ使えないが、この獣なら使えなくても十二分に強い。
強いなんてものじゃない、危険だ。
それでも、能力がなければ空に浮かぶこの女とは戦えないとわかる。
「暴力女の力は『波』。それを意識しろ。それができて及第点だ」
女は獣の力を教えてくれた。
波とだけ言われて、意識しろとは無理な注文だ。
「特別にこのガキは無傷で返してやる。生き残ればな――」
女が手に持つ棒、その先端から生える六枚の翼が赤く光り出す。
「風を見たことがあるか?」
女が疑問を投げかける。
風は見るものじゃないだろう。
ジャネは首を横に振る。
「そうか。では見せてやる――刮目しろ」
赤く光る翼から赤い糸が空に広がっていく。
赤い糸は空を覆い、地上にも降りてきた。
つかもうとしてもつかめず、斬ろうとしても複雑にからまるだけだ。
「これぞ我がフラベルムの赤き風だ」
赤い世界が墓地を満たしている。
見渡す限りに赤い線があるが、かなり色が薄い。
ところどころ、はっきりと見えるものがあるくらいだ。
空に浮く女やカリガの周囲には他よりも圧倒的な高密度で濃い赤糸が存在している。
「さて。それじゃあ、喜び、怒り、哀しみ、楽しさと、あらゆる感情の波を重ね合わせ、己の力を増幅もしくは我の力を減衰させて生き残れ。それが可能性としての使命だ」
――できないねぇなら朽ち果てろ。
女が言い終えるとジャネの周りを囲むように赤い線が渦巻く。
あっという間に赤い壁ができ、それが円となってジャネの移動を封じる。
上にも壁ができており、抜け出すことはできそうにない。
そして、赤の壁は徐々に半径を狭め、ジャネに近づく。
外からは半球状の赤い壁が徐々に狭まっているように見えていた。
「ジャネさん!」
カリガは叫ぶがその声は内部に届いていない。
赤壁が人ひとり分の幅に狭まった。
壁は何かにぶつかり金属を削るようなどぎつい音を鳴らす。
赤い壁は人の形に収束し、やがて音が消えると同時に赤の壁も消えた。
そこには一人の人間が残った。
土でできた獣の装甲はところどころで剥がれ落ち、ジャネの皮膚が見えている。
呼吸は心許ないが、女をしかと見上げている。
「約定だ」
女がつまらなそうに鼻を小さくならすと、カリガがジャネへと飛ばされる。
ジャネはカリガを受け止めるものの、立っていることができず尻餅をついた。
体を纏っていた土も崩れて地面に落ちていく。
「飽きたし帰るか。いや、最後に殿下のご尊顔を拝して――」
「待って……くれ。君はいったい」
女は何事もなかったかのようにジャネたちに背を向けてどこかへ行こうとしていた。
「あぁん、言ってなかったかぁ。我は刃吏十二軍が第十針、風守だ」
「はり、十二軍。かざもり……?」
聞いたことのない名前だ。
軍とつくからにはどこかの国に所属しているのだろうが、そんなものジャネは古今東西において聞き覚えがない。
少なくとも東国ではない。北の山脈を越えた国だろうか。あるいは南の群島の一部か。
しかし、この二つの国は言葉が通じない。
そうなるとこの口汚い女はどこからきた。
「『様』をつけろよ、土くれ野郎がっ! あぁ、それと暴力髪長クソ女を真似ても本人には勝てねぇからな。あれに勝てる人間がいるとすれば、そいつはすでに人間をやめちまってるか、てめぇの好きな土の中だ……喋りすぎたか。まぁ、別に問題ねぇだろ――」
あばよ。
女がそう言うと突風が吹き、ジャネとカリガは反射的に目を瞑る。
二人が目を開けると空にはまん丸の月が浮かぶだけであった。




